17 紅い龍 5
――村が燃えている。人々が逃げまどっている。そして空には……咆哮を上げて火を吹く紅い龍。まるで地獄の使者のように――。
アイナは、自分の意識が誰かの中に入っているのを感じた。逃げる人々や村の様子は現在とは違っている。遠い遠い昔……古代のようだ。
やがて場面が切り替わり、目の前にはコウがいた。湖のほとりでコウは涙を浮かべている。
「俺、人間を殺したくなんて無かったんだ。だけど、アイツの言うことを聞かなくちゃいけなくて……」
泣きじゃくるコウに、アイナが入っている人物は声をかけている。
「ジオを殺さなければならないわ。そうしないとあなたはジオとの契約に縛られて、これからも国中に火を放ち続けるでしょう。私が、ジオを必ず殺す。サンバルの為に。そしてあなたの為にも」
「ティナ」
どうやらこの人物は『ティナ』という名前のようだ。
「ティナ。アイツは用心棒をたくさん雇っている。気をつけて」
「わかってる。兄と一緒に行くわ」
「アイツは、サンバルを滅ぼして、自分の国を作ろうとしてる。俺が、アイツと契約してしまったから……。アイツは、神にでもなったつもりなんだ」
悔しそうに爪を噛みながらコウが呟いている。涙がこぼれ落ちるのを拭おうともせずに。
「ただの呪術師だったのに、分不相応な力を手に入れたことで暴走したんでしょうね。あんな奴に、私のサンバルを滅ぼされるわけにはいかない。必ず、ジオを倒すわ」
「ティナ、俺はもうアイツの言うことを聞きたくない。だから、ティナの魔力を込めた矢を一本、俺にくれよ。次にアイツに呼ばれた時は、俺はその矢で自分を封印する」
「そんなことしたらあなた、死んでしまうじゃない」
「俺は死なないんだ」
コウは首を振りながら言った。
「俺は死ねないし、アイツの命令にも背けない。召喚されたら行くしかないんだ。でも、ティナの魔力を込めたラスタ石の矢なら、少しだけど命令に抗う時間が稼げると思う」
「わかったわ。どのくらいの時間?」
「五分が限度だ。その間にアイツが死ねば、契約は消滅する」
「充分よ。必ずやり遂げるわ。そして矢を抜きに戻って来るから待っていて」
「気をつけて、ティナ」
そしてまた場面が切り替わった。
「来い、『破滅』よ! サンバル中を焼き尽くせ!」
落ち窪んだ目、げっそりとやつれた頬。死神がいるとしたらこんな顔に違いないと思える男、ジオが叫んでいる。ティナは兄と共に敵の真っ只中に飛び込んで行った。兄が魔力を込めた剣で周りの敵をなぎ倒し、その隙にティナはジオに突っ込んで行った。
「何をしている、『破滅』よ!早く来てこいつらを焼き殺せ!」
「そうはさせないわ。あなたと龍の契約を今すぐ終わらせる!」
叫び続けるジオの懐に飛び込み、その胸元にティナはありったけの魔力を込めた短刀を突き立てた。
「ぐおっ……!」
その瞬間、後ろから来た兵士に斬りつけられ背中に焼けるような痛みを感じたが、そのまま、短刀に力を込めて押し込んだ。
「くっ……! これでお終いよ、ジオ」
後ろの兵士が唸り声を上げて倒れていく。兄が倒してくれたに違いない。あと少しだ。ティナは飛びそうになる意識を必死に手繰り寄せ、なおも短刀を押し続けた。
「おのれ、王女め……。ワシの世界統一を邪魔しおって、許さん……『破滅』よ、何故来ない……! お前さえいれば……!」
ジオは憤怒の形相で、短刀が胸に刺さったままゆっくりと崩れ落ちていった。
次に目が覚めると、ティナはもう虫の息だった。霞んでいく視界の中、ティナを抱いた兄が泣いている。
「死ぬな! ティナ! これからなんだ、サンバルは!」
「兄さん、ごめんなさい……サンバルのことは任せたわ……」
(ごめんね、紅い龍……。あなたの矢を抜きに行ってあげることがもう、私にはできない。あなたが誰かの殺戮の道具にされないように、私以外は矢を抜くことができないように願いを込めてしまったから……あなたは、永遠にそのままになってしまうかもしれない)
「兄さん……お願いがあるの」
「なんだ? ティナ」
「キリア山の麓の湖……紅い龍が矢で動けなくなっている筈なの……私をその側に埋めて欲しい」
(せめて……あなたが安らかに眠っていられるように……私が側であなたを見守っているわ……辛かったことは全部忘れて……眠っていて……)
そこでアイナは目覚めた。
「アイナ、大丈夫か?」
レイが腕の中にアイナを抱え、心配そうに覗き込んでいる。
「ハク……来てくれたのね……ありがとう」
ティナの頭の中で恐ろしい体験をしたアイナは、目覚めた時レイが側にいてくれたことに心から安堵し、その胸にしがみついた。
倒れていたコウも目覚め、アレスの腕の中から起き上がった。
「俺、全部思い出した……」
呆然とした表情のコウ。アイナもレイの支えで身体を起こし、今の不思議な体験を話すことにした。
「ハク、私、コウが封印された時のことを夢で見たの」
「ああ、わかっている。私とアレスにも見えた。アイナとコウが倒れているのを見つけて抱き上げた瞬間、アイナが見ている映像が頭の中に流れ込んできたんだ」
「……俺、自分で胸を刺したんだ」
コウが話し始めた。
「ジオという男に『破滅』という名前を付けられて、サンバルを攻撃させられた。それまで、俺、悪いやつと契約したことが無かったんだ。命令されて人間をたくさん殺さなくちゃいけなくて……怖くて辛くて悲しかった」
過去と同じようにポロポロと涙をこぼすコウ。
「ティナがジオを殺して俺を契約から解放するって言ってくれた。ティナは、約束を守ってくれたけど、その時に殺されていたんだな……」
レイがコウの頭を優しく撫で、コウはされるがままに頭を下げて泣いている。
「ティナは大きな魔力を持っていたようだな。矢じりに魔力を込めて、死んでからもなお、コウを守ることが出来るほどに」
「うん……俺は、ずっとティナに守られていたんだね。それなのに、俺、薄情だ。今まで忘れちまってたなんて」
「コウ、それは違うわ。ティナも言っていたでしょう。辛いことは忘れなさいって。ティナは、あなたにすべてを忘れて幸せになってもらいたかったのよ」
コウは涙でくちゃくちゃの顔のまま、アイナをじっと見つめた。
「コウ、私はあなたに決して辛い命令なんかしないから安心して。ティナと同じよ。あなたには笑っていてもらいたいの」
「ありがとう、アイナ……」
コウとアイナは手を取り合い涙を流した。心の奥の深いところで通じ合えた、二人ともそんな気がしていた。
どのくらいそうしていただろうか。日が沈み始め、冷たい風が湖を吹き渡ってきた。薄着で出てきていたアイナは少し身を震わせる。レイが、寄り添ってしっかりと肩を抱いた。
「さあ、そろそろ夜になる。早く帰ってマーサを安心させてやろう。アレス、コウも背中に乗せて帰るぞ」
「はい」
もらい泣きしたのか、目を赤くしていたアレスが龍型に戻った。そして三人を乗せて紫に色を変えていく空の中を王宮へ向かって飛んで行った。
翌日、再び執務室にて、ダグラスが報告をしていた。
「古文書によると、昔サンバルに火を噴く龍が現れ、たくさんの村を襲ったそうです」
「コウの言った通りだな……それで?」
「サンバルの王女がラスタ石に魔力を込めて龍を封印し、命を落とした。人々は王女を讃えキリア山の麓に埋葬し、花や木をたくさん植えた。それがラムダスの森になったということです」
ダグラスは一旦言葉を切り、また続けた。
「その後も、龍の力を利用しようとたくさんの悪人がやって来たが、王女の魔力を閉じ込めたラスタ石の矢は、決して抜けることがなかった。そのため、二度とサンバルは火の龍に襲われることはなかった、と書かれています」
「だいぶ端折られてるな。完全にコウだけが悪者になってる」
「それと、ラスタ石については、魔力を閉じ込めて持ち運ぶことが出来るものだったようです。例えば、呪術師が自分の魔力を少しずつ石に込めて魔除けとして販売するとか」
「なるほどな。ティナはあの矢じりに魔力を注ぎこんで、誰にも封印を解かれないようにしていたんだろう」
「ではどうしてアイナ様は矢じりを抜くことが出来たのでしょうか」
「……おそらく、アイナはティナの生まれ変わりだ」
「生まれ変わり、ですか?」
「アイナが倒れた時に見ていた映像は、ティナ本人が見たものだと思う。魂の波動が同じだったため、封印が解けたのだろう。そして矢じりに閉じ込めていた魔力が本人――この場合はアイナだが――に戻ったということだ」
ティナの記憶を思い出してからアイナの魔力はぐんと大きくなった。離れていても、コウは自由に空を飛べるようになっていたのだ。
「それならばすべて説明がつきますね。それにしても、我がアルトゥーラに水と大地の龍・アレスに加え火と風の龍・コウが護りについたとは、何という素晴らしいことでしょう」
「そうだな。だが、千年以上眠り続けていた紅龍が目覚めたということは、周辺の国には脅威だろう。アイナを狙ってくる輩が現れるかもしれない」
「……そうですね。警備を強化しておきます」
「婚姻の儀まであと三週間か……」
レイは、何か言いようのない不安に襲われていた。
「このまま何も無ければいいが……」