13 紅い龍 1
マルシアが訪問した翌日、レイはダグラスと共に地方視察から戻って来た。マーサがすぐにアイナに知らせにやって来る。
「アイナ様、陛下がお帰りになられましたよ!」
「ええ、バルコニーから見えたわ! すぐに行きます」
アイナは急いで階段を降り、ホールへ小走りで向かった。レイはちょうどトーマスの出迎えを受けて入ってきたところだった。アイナの姿を見つけると、パッと顔を輝かせる。
(ハクが犬の姿だった時も、私を見つけるといつも全身で喜びを表現してくれていたわ)
懐かしさを覚えながら、レイのもとへ急ぐアイナ。
「アイナ!ただいま」
「ハク、お帰りなさい!」
アイナの到着を待ちきれず自分から迎えに行ったレイは、走ってきたアイナを両腕で抱き留めた。
「顔を見るのは三日振りだ」
「無事で良かったわ、お疲れ様でした」
腕の中で微笑むアイナに、レイはさらに相好を崩した。
(か、可愛い……)
本当ならここでキスをしたいところだが、マーサの目が光っているのでそれは諦め、額に軽く口づけるだけにした。ふわりとアイナの髪の匂いがする。石鹸や香水とも違う、昔からよく知っているアイナの匂い。いつまでも抱きしめていたいけれど、皆の手前であり、仕方なく腕をほどいた。
「セランの様子はどうだったの?」
アイナが尋ねる。セランとは、レイが今回視察に行っていた辺境の町である。
「ああ、やはり隣国のカストール側で不穏な動きがあるようだ。友好条約を結んでいるはずだが、少し守りを固めておく必要があるかもしれない」
「戦いになってしまうのかしら?」
「なるべくなら、戦いなど無いほうがいい。一触即発にならぬよう、気をつけねば」
レイはそこまで話すとハッとした顔で言葉を切り、優しい笑顔を浮かべる。
「せっかくアイナに会えたんだ、こんな話はやめてお茶にでもしよう。これ、セランの特産品の果物を買ってきたんだ」
「わぁ、お土産ね? 初めて見る果物よ。嬉しいわ」
側に控えていたダグラスから色とりどりの果物が入った籠を受け取り、アイナはそれらの匂いをいっぱい吸い込んで喜んだ。それを見ているレイもまた、嬉しそうにしている。
「私がいない間、変わったことはなかったか?」
「ええ何も。あ、一つだけあったわ。実は……」
アイナは昨日の出来事をかいつまんで話した。ただし、マルシアから『性悪女』とか『たぶらかす』などと言われたことは黙っておいた。最後には仲良くなれたのだし、あえて問題にする必要はないと判断したのだ。
「そうか。マルシアがアイナのファンだったとはな。彼女の扱いには困っていたから助かったよ。ダグラスに、彼女の分の招待状も出すように言っておく」
「ありがとう。マルシア様も喜ぶわ」
アイナとお茶の時間を楽しんだ後、レイは執務室でダグラスと話をしていた。
「休まなくて大丈夫か? ダグラス。お前は私より先にセラン入りして情報収集してくれていたから疲れているんじゃないか」
「私は大丈夫です。そんなに甘くみないでいただきたい」
ダグラスの片眉がキュッと上がったのでレイは慌てた。
「う、すまん。甘くみたわけじゃないのだ」
昔から、ダグラスが本気で怒るととんでもなく怖いというのが染み付いているレイである。焦っているレイをみたダグラスは満足げにニヤッと笑った。
「わかってるなら宜しいのです。では、情勢をご説明する前に、マルシア様の件ですが」
「ああ、そうだな。突然にやって来ていたとは驚いた」
「トーマスらの話を総合しますと、おそらくアイナ様を王宮から追い出すために訪れたと思われます。ところが偶然にもアイナ様が憧れの舞姫であることがわかり、ころっと態度を変えたと」
「そうだろうな。アイナは何も言わなかったが……。危害を加えられなくて良かった」
「はい。その時アイナ様が何を言われたかはわかりませんが、結果としては丸く収まりました。アイナ様のご対応が良かったのでしょう」
「エルシアンは大きな国だからな。しかも末娘のマルシアは王に溺愛されている。敵に回したくはない相手だったが、アイナが機転をきかせて立ち回ってくれたおかげで助かった」
「早速、マルシア様宛ての招待状を追加で発送します」
「頼んだぞ。早いほうがいいからな」
「承知しました。それにしても、アイナ様の歌声は本当に素晴らしかったと王宮の使用人達も感動していましたよ。もう一度あの歌声が聞きたいと皆が言っています」
レイは得意げな顔をして頷いていた。
「そりゃあそうだろう。ペスカで公演を観た時、以前よりも遥かに上手になっていて驚いたよ。このまま引退させるのはもったいないくらいだ」
「アイナ様のお気持ち次第ですが、いずれ国民の前で歌を披露することができるといいかもしれませんね」
「そうだな。平和で安定した世の中になれば、そういう機会も設けられるだろう」
二人は目を合わせて微笑み合ったが、すぐに真剣な面持ちになり仕事の話に戻った。
やがて、各国に送った招待状の返信が届き始めた。それぞれ、祝意を込めた短い文章を添えてくれていたが、マルシアからの返信は飛び抜けて長かった。
「アイナ宛てで来ているから」
そう言ってレイに渡されたので、アイナが封を開け、声に出して読んでみた。
『親愛なるアイナお姉さま(勝手にお姉さまなんて呼んでごめんなさい! でも、『アイナ様』では他人行儀過ぎるから、こう呼ばせて下さいな)
お元気でいらっしゃいますか?
この度は、お二人の結婚式にご招待下さってありがとうございます! 受け取った瞬間、嬉しくて嬉しくて、思わず飛び上がってしまいました。
もちろん、参列させて頂きますわ!
父は、なぜ私にも招待状が届いたのかと不思議な顔をしていましたけれど、『私とアイナ様はお友達なのです』とキッパリ言ってやりましたわ。
二か月後のお式が楽しみでたまりません。アイナお姉さまはどんなドレスを着られるのでしょうか。きっと、何を着てもお似合いだと思いますが、これから毎日、想像して楽しんでおきますわね!
それではアイナお姉さま、お身体にお気をつけてお過ごし下さい。レイ陛下にもよろしくお伝え下さいませ。
あなたの妹 マルシアより
追伸 私のことは気軽にマルシア、とお呼びになって下さいね! 絶対ですわよ!』
「本当に感情が豊かなのね、マルシア様って。文面から喜びとワクワク感が溢れ出ているわ」
「アイナのことを大好きなのがものすごく伝わってくるなあ。あんなに毎日手紙を寄越していたのに、私への言葉は、最後の『よろしく』だけになってる」
レイが苦笑しながら言い、アイナも笑う。二人にとってマルシアは、すっかり妹のような存在になっていた。
その時、ノックの音がしてダグラスが顔を出した。
「陛下、休憩時間は終わりですよ」
「うわ、鬼軍曹が来たっ」
レイの軽口に、ダグラスの片眉がピクっとした。
「嘘、嘘だって。冗談だから」
レイは慌てて立ち上がる。ポーズではなく、本当に慌てているようだ。
「じゃあアイナ、またな」
そう言って戻って行き、入れ替わりに衣装係の侍女が部屋に入って来た。
「アイナ様、今日はドレスの採寸を致しましょう」
「ドレスって、結婚式の?」
「そうです。神殿で式を挙げますのでその時は白いドレスを。その後、披露パーティーでは蒼龍様にちなんで青いドレスを着ていただきます」
「ハクは何を着るの?」
「陛下は、式は王としての白い正装で、パーティーの際は紺色の正装になります」
「アレスの青に合わせるのね。そういえば国旗も青が基調だったわ」
「はい。やはり、アルトゥーラは蒼龍様あっての国ですから」
アイナはお妃教育学んだアルトゥーラの始まりとアレスの話を思い出していた。
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遠い昔、ガイアス王あり。偉大なる魔力を持ち、賢く、武に優れた人物なり。
大陸に小国乱立し、世は乱れり。
ある時、キリア山にてガイアス王、蒼龍と邂逅せり。
偉大なる魔力にて蒼龍に力を与え、蒼龍、頭を垂れて忠誠を誓う。
水を操りし蒼龍の力を得、ガイアス王、諸国を統一せん。
ここに偉大なるアルトゥーラ王国建ち、ガイアス王、始祖として立たん。
蒼龍、地を平らかにし水をたたえさせ、アルトゥーラを緑豊かな国にせんとす。
ガイアス王、喜び、永遠の誓いを立てん。
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「王の魔力があったからアレスに力が満ちた。そしてアレスの力があったから王は諸国を統一できた。そういうことよね」
「はい。魔力を持つ王は他国にもいらっしゃいますが、龍の加護を持つのは我がアルトゥーラの王だけ。ですから、レイ陛下はこの世で唯一無二の存在なのです」
「血統を絶やさぬよう、早くお世継ぎをもうけるために王は十五歳で婚約者を決め、十八歳で結婚するしきたりだと聞いたわ。でもハクの場合は……」
「はい、あの事件で五年間姿を消され、その後の復興に四年間を費やされ、今はもう御年二十二歳になられました。ですから陛下には一刻も早くお世継ぎをもうけていただかなくてはなりません」
それを聞いてアイナは、今更ながら自分の責任の重大さを思い身震いした。
(龍の加護を持つアルトゥーラの王は、唯一無二の存在……だけど、もしも子供が出来なかったらどうなるんだろう? 子供が欲しくても授からない夫婦は世の中にたくさんいるわ。私がお世継ぎを産むことができなかったら、王家の血筋が途絶えてしまう。その時私は、どうすればいいの……?)