12 王女マルシア、興奮
頭の中で作り上げた人物像との違いにマルシアは少なからず動揺していた。
(……全然、想像と違うのが出てきたわ。色気むんむんどころか、むしろ地味なタイプじゃないの)
第一声を放ったあと黙り込んでしまったマルシアに、アイナが尋ねた。
「失礼ですが、どちら様でいらっしゃいますか……?」
マルシアはハッと気を取り直し、ツンとすました顔で言う。
「私は、エルシアン王国の第三王女、マルシアよ。お前がレイ陛下と婚約しているという踊り子?」
王女と聞いてアイナはハッとした顔をし、すぐに立ち上がって淑女の礼をとった。
「これは大変失礼いたしました、マルシア王女様。私はアイナと申します。はい、私はレイ陛下と婚約……いたしております」
アイナは頬を染めながら返答した。婚約しているということを自ら他人に言うのは初めてだったので、照れ臭いけれどとても嬉しい気持ちになったのだ。
(なんなの、頬をポッと赤くしちゃって。毒婦と言うよりむしろ少女みたい。私とあまり年が違わないのかしら)
マルシアは予定していた台詞を口にするかどうか一瞬悩んだ。が、他に思い浮かばないので、とりあえず予定通り進めることにする。
「色香で陛下を惑わせている下品な平民よ、ここはお前のような女のいる場所ではない。すぐにここから立ち去りなさい!」
王女らしく威厳のある口調にしたつもりだが、実際は可愛らしい高い声なので迫力には欠けていた。
(さあどう? 言ってやったわ)
マルシアが様子を伺っていると、アイナは真摯な表情になりこう言った。
「私は、陛下をたぶらかしてなどいませんわ。陛下も私も、真剣にお互いを想い合っています」
マルシアは、相手の雰囲気が先程までと変わったことにちょっと気圧されてしまった。
(地味だったのに急にオーラが出てきたわ。それに……この顔なんだか見たことある気がする)
「マルシア様も陛下をお好きでいらっしゃるのですね。ですが、私も陛下を心から愛しております。ここを出て行くつもりはまったくありませんわ」
大声を出している訳ではないのに、やけによく通る声でアイナは答えた。
(この声も聞いたことがある。どこで聞いたのかしら……)
マルシアは頭をフル回転させて記憶を探っていた。そして、ハッと気がついた。
「あっ……! お前、アイナと言ったわね⁉︎ 」
「……はい、私の名前はアイナですが」
「トーヤ一座のアイナ?」
「その通りです。トーヤは私の父です」
それを聞いたマルシアの顔が、見る見るうちに紅潮していく。
「やっぱり!! 見たことある顔だと思ったわ! まさかこんな所で会えるなんて……!」
「トーヤ一座というと、マルシア様がこっそり通っておられた旅芸人ですね? 確かエルシアンでの公演初日から最終日まで全部観られていました」
バームスが口を挟んできた。
「そうよ! まさかあの、トーヤ一座の舞姫アイナに会えるなんて! サ、サイン……サイン、頂けないかしら?」
急に流れが変わったことをアイナは敏感に察知した。すぐに新しい真っ白なハンカチーフを取り出し、慣れた様子でスラスラとサインをした。そして舞姫のオーラを出しながらマルシアに近寄って行く。
「マルシア様、どうぞ」
ニッコリ微笑んで差し出したハンカチーフを、マルシアは手を震わせながら受け取った。
「エルシアン王国では、確か一年前に公演を行ったと記憶しております。一週間、全て観て下さったのですね。ありがとうございます」
「え、ええ、評判の舞姫がいると聞いて、初日にこっそり観に行ったのよ。そしたらあまりにも素晴らしくて、毎日通ってしまったわ。特に、あの悲恋物のお芝居、『千夜物語』ではどれだけ泣いたことか」
「王女様にそう言って頂けて光栄ですわ。お芝居を気に入って下さってありがとうございます」
「わ、私こそ……サインまで貰っちゃって……どうしよう、嬉し過ぎるわ! あ、握手……していただける?」
アイナは差し出された手を両手で握った後、感激しているマルシアをそっと抱擁した。マルシアはアイナよりも背が小さい。憧れの舞姫に抱き締められてますます顔を赤くした。
バームスはこの成り行きを見ながら、ホッと胸を撫で下ろしていた。最初にマルシアが『性悪女!』と叫んだ時、彼の背筋は凍りついた。普通、他国の王の婚約者にそんなことを言ったら国交断絶ものである。そうなるとバームスは、職だけでなく命も失うことになるだろう。
(このまま、マルシア様が当初の目的を忘れてアイナ様と仲良くして下さるといいのだが)
心の中で必死に手を合わせて祈るバームス。果たしてマルシアはバームスの望み通り、ここへ来た目的を完全に忘れていた。最初の敵意はどこへやら、すっかりいちファンとしてキラキラした瞳でアイナを見るようになっていたのである。
「本当に夢のようだわ。あのお芝居の衣装を着ていらしたら、すぐにアイナ様だとわかったのだけれど」
「ごめんなさい。王宮にお芝居の衣装はまったく持ってきていないのです」
するとマルシアは、もじもじしながら切り出した。
「……あのう、もし良かったら……『千夜物語』のクライマックスの歌を、少しだけ歌って頂けません? あの曲を思い出すと、今でも涙が出そうなの。もう一度聴きたいってずっと思っていたのです」
「わかりましたわ、マルシア様」
アイナは、マルシアに笑顔を見せた後、少しだけ発声練習をした。それだけでもマルシアはうっとりした顔で見つめている。ここで一気にマルシアの心を掴まねばならないと、アイナも気合いが入る。
「では、歌います」
部屋中にアイナの歌声が響きわたった。もの悲しいメロディと美しい歌声に心を掴まれ、その場にいた全員が聞き惚れていた。そしてその歌声は王宮内に広がっていき、それを聞いたマーサとエディが何事かと慌てて駆けつけてきた。
「失礼します。アイナ様⁉︎」
二人がそこで見たのは、目を閉じ伸びやかに歌っているアイナと、涙を流してそれを見つめるマルシア王女であった。
歌が終わると、マルシアは流れる涙を拭くのも忘れて拍手し続けていた。
「ああ、やはり素晴らしい! 『千夜物語』を思い出してしまったわ」
「アイナ様、これはいったい……」
「ああ、マーサ。マルシア王女様が私の歌を聞きたいと言って下さったので、歌って差し上げていたのよ」
バームスはそれを聞いて、アイナがさっきのマルシアの発言を聞かなかったことにしてくれたと気付いた。
「マーサどの、マルシア王女はアイナ様のお芝居を以前ご覧になったことがございまして、それでもう一度歌を聞いてみたいと、アイナ様をお訪ねしたのでございます」
「まあ、そうでしたか。それはお邪魔をしてしまい申し訳ございませんでした」
マーサとエディは一礼し、部屋を退出した。もちろん、今の話を信じてはいない。
「母さん、マルシア王女がアイナ様の部屋に行っていたとは思わなかった。見張りをつけておくべきだったかな」
「そうね。ともあれ、何もなくて良かったわ。お茶の支度をして私はお部屋に戻ります」
「俺も、侍従長に報告してくるよ」
二人はそれぞれの役目を果たしに戻って行った。
歌の余韻にしばらく浸っていたマルシアはふと、自分が何をしにここへ来たのか思い出した。
「そうだわ。私、レイ陛下のことを取り戻しに来たんだった」
しばらく、アイナの顔を見つめていたマルシアだったが、やがて大きなため息をついて言った。
「やめたわ。アイナ様相手に闘うような野暮なことはしないわ」
「マルシア様……」
「私、レイ陛下のこと、とても美しくて優しくて素敵な方だから大好きだったのよ。憧れの人だったの。でも、同じくらい大好きで憧れているアイナ様がレイ陛下と恋仲だなんて、ファンとしてこんなに素敵なことはないわ」
「マルシア様……ありがとうございます」
アイナはマルシアの手を取った。
「マルシア様、良かったら、私のお友達になって下さいませんか」
「ええっ、私がアイナ様とお友達に⁉︎」
「はい。でも、私のような身分の者がマルシア様にそんなこと……失礼でしょうか」
悲しげに目を伏せてアイナが言う。
「そっ、そんなこと! ありませんわ!!」
マルシアは慌てて両手でアイナの手を強く握り返した。
「先程は、とても失礼なことを申し上げて、本当にごめんなさい。私、どうかしてましたの。昔から、思い込んだら周りが見えない性格で……」
自分でちゃんとわかってるんじゃないか、とバームスは内心で舌打ちしながら聞いていた。
(それにしても、あのマルシア様から謝罪を引き出すとは大したものだ)
「では、よろしいんですのね」
「はいっ! 喜んで!」
ちょうどその時、マーサがお茶の用意をして部屋に入ってきた。
「マルシア様、マーサのお手製ケーキは素晴らしいんですのよ。ご一緒にいかが」
「ええ、嬉しいです! いただきますわ!」
そうして二人は、たくさんのお喋りをしながら和やかに時間を過ごした。
楽しい時間のあと、無事に帰り支度を始めたマルシア。帰り際、見送りに出たアイナにマルシアが懇願した。
「あのう、お二人の結婚式には、私もぜひぜひ呼んで頂けないかしら? 招待されるのはお父様だけとわかってはいるんですけど、お二人の晴れ姿がどうしても見たいのです」
「わかりました、マルシア様。私の一存では決められませんが、私の友人として招待出来るよう陛下にお願いしてみます」
「本当⁉︎ 嬉しいわ! ああ、叶うといいわ、この願い! エルシアンで毎日祈っておりますわ」
マルシアはいつまでも手を振りながら帰路に就いた。
「アイナ様、お疲れ様でした!」
マルシアが見えなくなると、トーマス、エディ、マーサが駆け寄ってきた。皆が口々にアイナをねぎらう。
「最初はどうなることかと思ったわ。でも案外、可愛らしい方で良かった」
「マルシア様は、レイ陛下に毎日熱烈なお手紙を送ってくる方だったのですよ。アイナ様に何かきついことを言ったのではないかと心配していたのですが」
マルシアの突撃を許してしまったトーマスは、心底肝を冷やしたようだ。
「私は大丈夫よ。まさかマルシア様が私の芝居を見てくれていたとはね。偶然だけど良かったわ。ところでマルシア様はおいくつなの?」
「確か、今年十六歳になられたばかりかと」
「そう。まだまだ、夢見るお年頃ね。思い込みで少し暴走してしまっただけなんだわ」
ちゃんと謝れるのだから根はいい子なのだろう。ハクが帰ってきたら招待リストにマルシアを加えてほしいと頼まなくちゃ、とアイナは思った。