11 王女マルシア、来襲
アイナが王宮に来てからそろそろ一ヶ月になろうとしていたある日のこと。ダグラスが執務室でレイと話をしていた。
「婚姻の儀の日取りですが、神官ゼフィールの星読みによると、花の月の七日がよろしいかと」
「花の月か。季節もいいし、それで構わないぞ。あと二ヶ月と一週間だな」
「はい。その日は国中を休日にして、盛大な祭を催そうと思っています。クーデター以降大きな祭をやっておりませんから、国民にとっても大いに楽しめることでしょう」
「そうだな。戴冠の時に祭を催さなかったから、残念に思った国民もいただろうし」
「そうですね。お祝いしたいという声はたくさん届いていました」
レイは満足そうに頷いた。
「それで、早速ですが、婚姻の儀の招待状を周辺諸国に出しますので、リストを作っておきました。目を通していただけますか」
「……うん。付き合いがある国は全てリストアップされているな。さすがダグラス。じゃあこれで進めてくれ」
「承知しました。これで、陛下の婚約が世間に知れ渡りますね」
「ああ。各国の王女達からの求婚もおさまるだろう」
「ところで、エルシアン王国王女よりお手紙が届いております」
「またか。王女にも困ったものだ」
ややうんざりした面持ちでレイは手紙をつまみ上げた。
「毎日毎日、よくぞ書くことがあるものだな。やんわり断ってもまったく通じないし」
「なぜかご自分が一番陛下に好かれていると思い込んでいますよね。絶対に婚約できると吹聴して回っているそうですよ」
「どこでどう勘違いしたんだか……」
レイは頭を抱えた。
「まあでも、結婚式の招待状が届けば諦めてくれるだろう。すぐにでも発送してくれ」
「わかりました」
その頃、エルシアン王国にて。
「それは本当なの、バームス」
「はい、アルトゥーラではこの噂でもちきりだそうです」
「信じられないわ。レイ陛下が平民の、しかも踊り子と婚約だなんて」
「ですが、情報収集のため放っているわが国の間諜が、王宮に出入りする業者から聞いたということですから」
エルシアン王国第三王女マルシアはギリギリと唇を噛んだ。
「私の気持ちを知りながら陛下が他の女と婚約なんて有り得ない。何か裏があるはずよ」
王女付き侍従のバームスは嫌な予感がしてきた。
「アルトゥーラに行くわよ、バームス」
「い、今からですか?」
「もちろんよ。早く陛下を踊り子の毒牙から救って差し上げなくては」
「しかし、急な訪問は外交儀礼に反します」
「この私、エルシアン王国の王女マルシアが行くのよ。喜ばれこそすれ、迷惑になど思われないわ」
嫌な予感が当たった、とバームスは内心嘆いていた。この方はこうなったら止まらない。歳の離れた末っ子であるマルシア王女は王から溺愛されて育っており、思い通りにならないと癇癪を起こして使用人の解雇など日常茶飯事だ。
(断れば今クビ。実行すれば外交問題に発展し責をとってクビ。いずれにしても結果は同じか……)
「わかりました。出立の用意をして参ります」
「早くしてよ。アルトゥーラまでは急いでも三日かかるんだから」
(レイ陛下はきっと踊り子の色気に惑わされたのね。私が清純な乙女の魅力で必ず目を覚まさせてみせる。毒婦よ、首を洗って待ってなさい)
「大変です、エルシアン王国の第三王女、マルシア様がご訪問なさいました」
門番から至急の知らせを受け、アルトゥーラ王宮侍従長のトーマスは急いで出迎えの準備に走った。
「何も連絡は来ていないが。エルシアン王や王太子はご一緒か?」
「いえ、王女だけのようです。そういえば、確か半年前にも……」
マーサの息子であり、レイの乳兄弟でもあるエディが答えた。
「うむ。あの時も突然やって来て陛下に会わせろと無理難題を仰っていたな。仕方なく陛下が謁見を許可なさったが」
「それ以来、押せば何とかなると思ったのか、すっかり婚約者気取りでしたよね」
「今、陛下は辺境へ視察に行っておられて、お帰りは明日だ。なんとか王女を説得して、エルシアンに帰っていただきたいものだが……」
トーマスとエディが出迎える中、馬車からマルシア王女がツンとすました顔で降りてきた。
「マルシア王女様、この度は突然のご来駕を……」
「堅苦しい挨拶はいらないわ! レイ陛下はいらっしゃる?」
トーマスの言葉を遮り、マルシアはピシャリと言い放った。
「生憎ですが陛下は地方へ視察に行っておられます。事前にご連絡をいただきませんと、スケジュールの調整は出来かねますので……」
「ええ、もちろん陛下はお忙しいですものね! わかっているわ。残念だけどこの私が会いに来たことだけお伝えしておきなさい。今日のところは帰ります。その代わり、長旅で疲れたから部屋を貸して頂戴。一休みしたいの」
おや、今日はやけに物分かりがいい、と安心したトーマス。
「左様でございますか。承知いたしました。ではお部屋へご案内いたします。エディ、王女様を」
「はい。マルシア様、どうぞこちらへ」
エディのあとを付いて王宮に入って行くマルシアとお付きのバームス。ところが、王女の後ろから荷物を持った侍女が続いて入って行く。ちょっと休むだけとはとても思えない量だ。
「マルシア様。お荷物が少々多いようですが」
不審に思いながらもそれを押し隠しながら尋ねるトーマスを、マルシアは威嚇するように睨みつける。
「私は王女よ。休憩するだけでもいろいろと準備が必要なの。余計な詮索しないで頂戴」
「失礼いたしました。では、侍従達に荷物を運ばせます」
そうして荷物を抱えた長い列がゾロゾロと客間へ続いて行った。
客間に入るとバタンとドアを閉めてしまったマルシア。お茶もいらないと言う。戻ってきたエディがトーマスに耳打ちする。
「嫌な予感がしますね」
「うむ。何も無いといいが」
さて、客間に陣取ったマルシアは侍女達に荷物を解かせ、一番のお気に入りのドレスに着替えた。そして自慢の金色の髪を高く結い上げ、豪華な髪飾りもつけた。化粧はあくまでも清楚に、でも眼力は強く。美しい青い瞳の周りにアイラインをグッと引かせた。
とにかく、平民との身分差をはっきりと見せつけなければならない。ネックレスもイヤリングも指輪も、王女らしく最高級かつ上品な物だけを身につけた。最後に香水を振ってバームスを呼んだ。
「踊り子の部屋は見つけてあるんでしょうね」
「はい。侍女頭のマーサが入っていくのを確認しましたので」
「では行くわよ」
バームスと五人の侍女を引き連れ、マルシアはアイナの部屋へ向かった。マーサが部屋を出て行く後ろ姿が遠くに見えたので、今踊り子は部屋に一人でいるだろう。
バームスが深呼吸してから部屋をノックすると、はい、と若い女性の声で返事があった。バームスと侍女五人は、ドアを開けて中に入って行った。
続けて部屋に入ったマルシアは勢いよく奥まで突っ切って行き、腰に手を当てて大きな声で叫んだ。
「お前が、レイ陛下をたぶらかした性悪女ね!」
勝ち誇った声で、ソファに座っていた女性に向かいビシッと指を差した。きっと、濃い化粧をしたけばけばしい女が座っているに違いない。
ところがそこにいたのは、艶のある鳶色の髪を軽く結って地味で小さな花飾りをつけた、ごく普通の女性だった。突然の来訪者に驚いて薄いグリーンの瞳をまん丸に見開いている。
「あら……?」
てっきり、お色気たっぷりの女が出てくるに違いないと思っていたマルシアは、拍子抜けしてしばらく言葉が出てこなかった。