10 王宮での生活
「こんなはずじゃなかったのになあ」
レイはダグラスにぼやいていた。
「仕方ないですよ。マーサの言うことが正しいですから」
「せっかく、これからはアイナとずっと一緒にいられると思ったのに……」
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プロポーズ後、アイナを連れて王宮に戻ってきたレイ。早速この日からアイナと一緒に寝たいと思っていたのだが、迎えに出たマーサからいきなり釘を刺されてしまった。
「レイ陛下、ご結婚なさるまで同じ部屋で寝るのは駄目ですからね」
「えっ! どうしてだ、マーサ」
「王族のしきたりです。結婚するまでは婚約者といえども食事も寝所も共にしてはいけないのですよ」
(知らなかった……そんなこと、父からは聞いてなかったぞ)
「もちろん、寝るだけで何もしない! ……と言ってもダメか?」
「そういう問題ではありません。しきたりですからね。口づけもダメですよ!」
マーサはキッパリとした口調で言う。ついさっき、プロポーズの時にいっぱいしてしまったのだが、マーサに心労をかけてはいけないので黙っておくことに決めた。
「いい機会ですから私にアイナ様をお預け下さいませ。我がアルトゥーラの王妃になられるのですから、三か月後の婚姻の儀までにマナーや教養、勉学に語学、すべてを学んで頂きます」
「すべてを三か月で⁈」
「付け焼き刃でもやらないよりはマシです。王妃様ともなると、外交面でも重要なお立場ですからね。では早速今晩から」
「え、ええっハクーー……」
マーサと侍女たちに抱えられたアイナは、レイに手を伸ばし助けを求めながら遠ざかっていった。
(すまん、アイナ……頑張ってくれ)
結局のところマーサには逆らえないレイは、連れ去られていくアイナを見送るしかなかった。
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一方のアイナは、この状況を案外楽しんでいた。
トーヤたちと涙の別れを済ませたあと、アレスに乗ってアルトゥーラ王宮までひとっ飛びでやって来たアイナ。初めて入る王宮は広くて豪華で、たくさんの使用人がいて。まさに夢の国のよう。
「レイ陛下がお戻りになりました!」
誰かの声と共に侍女たちがズラッと並んだ。そして年嵩の女性が恭しくお帰りなさいませ、と出迎えの挨拶をした。
「マーサ、この女性が前にも話した通り、私の妃となるアイナだ。みんな、よろしく頼む」
レイに背中を支えられ覚悟を決めたアイナは、ペコリと礼をして挨拶した。
「アイナと申します。ふつつか者ですが、皆さまよろしくお願いいたします」
こんな挨拶で大丈夫かな? というように振り向くアイナに、レイが優しく微笑んで頷く。
「アイナ様、この度はご婚約誠におめでとうございます。私共一同、アイナ様のご到着を今か今かとお待ちしておりました。今後は、このマーサが誠心誠意、お仕えして参りますので、何かご要望がおありでしたら遠慮なくお申し付けくださいませ」
「あ、ありがとうございます。お願いします!」
使用人へのお披露目を済ませてホッとしたレイにこのあとマーサが言い放ったのが、『結婚までは食事も寝所も共にしない』旨だったのである。
レイから引き離され侍女たちに抱えられて行ったアイナは、よってたかってお風呂に入れられた。
「じ、自分でできますから!」
「いえ、お任せ下さいませ。まずは保湿効果のある薬草を入れたお風呂でお肌の調子を整えます」
「三ヶ月で、ピカピカのお肌に仕上げて参りますわ」
いい香りの石鹸をたっぷりと使って念入りに洗われ、マッサージも施された。最初は恥ずかしくてたまらなかったけれど、あまりの気持ちよさに最後はもうお任せモードになったアイナ。施術後は確かに、一皮向けたようにツルツルになった。
風呂上がりにはサラリとした肌触りの寝間着が用意されていた。そして安眠効果のあるハーブティーが出され、ベッドの上で脚のマッサージを受けた。
「素晴らしい御御足ですわ! 筋肉が程良くついていて、無駄な脂肪がありません。やはり踊りで鍛えているだけありますわ。今日の疲れを明日に残さないよう、ほぐしておきますわね」
今まで寝たことのないようなふかふかのベッドでマッサージされると、まるで雲の上にいるような心地良さを感じうっとりと目を閉じた。高貴な方々というのは、皆こんな生活をしているのだろうか。
「ではアイナ様、ごゆっくりお休みくださいませ」
そう言って侍女軍団は下がっていった。王宮に来るまでは、明日からどんな日々が始まるんだろうと不安な気持ちだったけれど、もうここまできたら覚悟を決めた。
(ハクに相応しい女性になるためだもの。絶対にお妃教育をやり抜いてみせるわ)
大きなベッドの中で、高い天井を見ながら今日のことを考える。最終公演を終えて、ハクが来てくれて、プロポーズされて……そしてこの王宮へ。なんて目まぐるしい、そして幸せな日だったんだろう。
一人のベッドだけど、同じ建物の中にハクがいる。それだけでもう、寂しくはない。
(ハクの気配を感じるだけでこんなに安心できるのね)
同じベッドで一緒に眠る日を夢見て、アイナは久しぶりに幸せな眠りに落ちていった。
次の日からは午前中はアルトゥーラの歴史の勉強。そして読み書きのレッスンだ。アイナはずっと旅をしていて学校には通った事がない。だが一座の経理を取り仕切るエマから読み書きと計算を教えてもらっていたので、この授業には難なくついていけた。外交上の手紙の書き方など儀礼的なことはまったくわからないので、そこはみっちり教えられた。
午後は礼儀作法と立ち居振る舞い、それから簡単な外国語講座。
夕食時は食事の際のマナー。そして夜は美容のレッスンだ。
レイは時々、アイナの部屋までやってきてお茶を飲むくらいは許されている。もちろんこれもレッスンの一環で、お茶を美味しく淹れ、女主人として振る舞う練習となる。
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「せっかくアイナが王宮にいるのに、全然二人きりになれない……」
レイはまたも執務室でぼやいていた。ダグラスが早く仕事をしろと言わんばかりに睨みつけていてもお構いなしだ。
そこへ、マーサがやってきた。
「レイ陛下、お時間よろしいですか?」
「ああ、マーサ。どうしたんだ」
「アイナ様が王宮にいらしてから二週間が過ぎました。まずは、レッスンの進捗状況をご報告いたします」
「そうか、もうそんなに経つか。アイナは頑張っているか?」
「はい。予想以上でございます」
マーサは得意げに言った。
「学校に通われていないとお聞きしておりましたが、読み書きは充分にできております。歴史の授業に関しましても、興味を持って教師に質問するなど、知的好奇心もお持ちでいらっしゃいます」
「うんうん。それで?」
「立ち居振る舞いでは、お芝居の経験が生きております。堂々とした佇まいが既に身についていらっしゃるので、何の問題もございません。王族としての言葉遣いも、芝居だと思えばできると仰って全て覚えてしまわれました。外国語についても、諸国を旅していたのでどの国の言葉も日常会話程度なら問題ないそうです」
「そうか。マーサのお眼鏡にかないそうか?」
「もちろんです。ここまで素晴らしいお方とは思っておりませんでした。元々のお力もありますが、まさに磨けば光る玉のようなお方です。アイナ様付き侍女一同で、あと二ヶ月半全力で磨き上げてみせます」
マーサはそう言って意気揚々と下がっていった。
アイナを褒められて最初はご機嫌だったが、あと二ヶ月半はゆっくり会えそうにないとわかって、またしょんぼりしてしまった。ダグラスに軽く後頭部をはたかれて渋々仕事に戻るレイであった。




