初めての接客(2)
何事もなかったかのように、シュウはそのまま料理の説明を続ける。
「今日のお勧めは、山菜の天ぷら、トコブシの煮物、豚の角煮、鯵のタタキ、鯛とヒラメの昆布締め、タケノコごはん……ってとこですね。鱧も出回ってきてますけど、まだ早いんで……前菜はいつもので?」
「ああ、前菜はそれで。あと、山菜の天ぷら……焼き魚は何がええ?」
長原の問いかけに対して、シュウはペンを下唇に下から突き当てて考える。
「鰆の塩焼きですかね。やっぱり魚に春って書くくらいですから」
とは言うものの、鰆の本当の旬は秋だったりする。
でも、春の鰆はそれなりにあっさりと淡白で、塩や西京味噌との相性がとても良い。産地では刺身で生食されることもあるようだが、大阪市内まで運び込んだ鰆は刺身で食べるには少し不安が残る。
「ふぅん……ほな、それで」
「自家製豆腐と山菜の天ぷら、鰆の塩焼き……」
「ほんで、その女の子は?」
長原は視線でクリスのことを示して尋ねる。
「遠い親戚なんですよ。日本語は通じるのでそのまま話してもらって大丈夫です。セクハラは駄目ですからね?
クリス、紹介して」
仕方がないことだか、急に入ってきた長原に緊張のピークにあるクリスは表情を強張らせて固まってしまっていた。
そこにシュウから声をかけられ、クリスは更に全身に力が入ってビクリと背筋を伸ばす。
「ク、クリスです。よろしくおねがいします」
クリスは強張った声を絞り出すと、今にも痙攣しそうな口元で笑顔を作ろうとする。
それを見た長原は、まじまじとクリスの顔を見つめ、視線を上から下へと落とし、また下から上へと移動させる。
舐めるように見るというわけではない。サラリと見て流すといった感じの視線の動かし方だ。
「それにしても、えらい別嬪さんやなぁ。
外人さんやろ? ほんまに血ぃ繋がっとんのかいな?」
「大叔父の娘が結婚してヨーロッパに住んでいるんですが、そこの娘なんですよ」
シュウが昨日と同じようにクリスとの関係を説明する。
昨日、何度か説明しているのでシュウの中でも設定が固まってきていて、自然に口から出るようになっていた。
「へぇ、そうなんか。国際結婚っちゅーのもほんま増えたもんやなぁ……」
「そうですね、オレもクリスが来ることになるまでは親戚に国際結婚している人がいるとか知らなかったんですけどね……」
「まあ、いとこ叔母やったか……それくらい離れてると親戚付き合いも薄ぅなるよって、しゃあないわな」
シュウは幼い頃に両親を亡くし、父方の叔父の家で育ったというのもあって、母方の親戚というのはほとんど付き合いがなかったことを考えると、不思議でもない話である。
「あ、そうそう。
追加の注文なんですが、クリスは日本語を話すことができても字は読めないので、メニューに振った番号で注文してください」
「そうなんか?
まぁ、現地の言葉と日本語の二ヶ国語を話せるだけでもたいしたもんや」
「ですよね。オレもそう思います」
本当は日本語しか話せないのだが、シュウはそれを特に訂正することもなく誤魔化すように言葉を選んだ。
それが功を奏したのか、長原もそれ以上は話を続けようとはしなくなった。
「それじゃ、料理の準備があるので……クリス、こっちへ」
シュウはクリスを手招きする。
厨房内に設置されたビアサーバーの使い方をクリスに教えるためだ。
シュウはピルスナーグラスを取り出すと、最初に吹き出してくる泡だけのビールを受け止めて流し台に捨てる。最初の一杯を注ぐときにはチューブに残ったビールを抜くところから始まるので仕方がない。
「最初は古いビールが出てくるから、こうして出したら捨てるんだ。そのあと、冷たいビールが出てくるようになってからお客さんに出すグラスに入れる」
「うん」
シュウは頃合いに冷えたビールが出てくるようになって、別のグラスを取り出すとレバーを引いてビールを注ぎ入れる。
いい具合にビールがグラスを満たすと泡が溜まるのだが、シュウは手元にあったスプーンで泡を掻き出してしまう。
「そのままにすると、ひとつひとつの泡が大きいからすぐに消えてしまう。こうして、細かい泡を出してビールが直接空気に触れないようにするんだ」
そう言うと、レバーを押し込んで今度はキメの細かい泡を上から被せるようにのせていく。
こうすることでビールの香りや炭酸が飛ばず、味の劣化を防ぐ。
「へぇ……これをわたしがやるの?」
「ああ、覚えて欲しいけど……練習分は客に出せないから、閉店後だな」
シュウの言葉にクリスはニヤリと笑みを浮かべると、声を弾ませてシュウに話しかける。
「ということは、練習分は飲んじゃわないとね!」
「あくまでも閉店後だからな?」
「わかってるわ」
仕事後のご褒美というか、楽しみができたことでクリスの緊張は幾分解けたようだ。笑顔そのものは普段どおりに戻っている。
シュウはビールを注いだピルスナーグラスをビアサーバーの台にのせる。
「上はお客さんが口をつけるところだからグラスは下の方を持って出す。
この付き出しと一緒に長原さんに出してきてくれるかい?」
「こう持てばいいのね。わかった」
クリスは恐る恐るグラスを持つと、厨房を出てカウンター席へと向かう。
そこで待っている長原にビールを差し出すと、そっと突き出しのコールスローサラダを置いた。
「おまたせしました」
「ああ、ありがとう」
特に手や声が震えるでもなく、初めての給仕はこうして滞りなく終わる。
自分でもうまくできたと思っていたのか、クリスはそれを報告すべく厨房のシュウの場所へ戻る。
「上手くできたじゃないか。
じゃ、料理はこの棚に出すから、カウンターから長原さんに出してくれるかい?」
シュウの言葉に「うん」と答えてこくりと頷き、クリスはカウンターの中へと戻っていった。
すると、すぐにも小鉢に入った豆腐が厨房とカウンターの間にある台にでてくる。
「じゃ、次はこの自家製豆腐をお願い。まだ熱いから気をつけてと伝えてくれるかい?」
シュウの説明を聞いたクリスはこくりと頷き、そっと小鉢を手に取って長原の前に差し出す。
「お待たせしました。自家製豆腐です。熱いので気をつけてください」
「ああ、ありがとう」
食べるものを提供するというのは、糧を与えるということだ。
そして、客からは「ありがとう」と礼を言われる。
クリスにしてみれば屋敷ではメイドや執事たちが行うことで当然のことだから礼など言ったことがないのだが、いざ自分が礼を言われてみると気分がよくなった。
クリスは長原に向けてにこりと笑顔を浮かべた。
初稿:2020年4月15日
いつもお読みいただきありがとうございます。
前回は予定通り投稿ができず、申し訳ございませんでした。
頚椎椎間板ヘルニアが悪化し、ノートPCを使うと手に痛みが走るので今後も不安定になる可能性がございます。
この状況下では外出も難しく、神経痛の一種なので整体マッサージなどは受けられないので苦労しています。
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