クリスの国の文字文化
給湯器のリモコンが湯張りが完了したことを知らせるのだが、風呂の湯張りは自動で止まる。急いで入らないといけないものでもない。自動で数時間は保温してくれる機能付きだ。
ただ、いま話していた話題が空気を重くしたところに呑気にも給湯器が割り込んでくれたおかげで、区切りがついた。
「そうだそうだ、五十音な。次が『さしすせそ』と書いてある」
「さしすせそっと……ねぇ、次は?」
クリスも書き慣れた文字で書くのだから、それなりに早い。
「早いな――次は『たちつてと』だ。その次は『なにぬねの』だな」
「たちつてと、なにぬねのっと……ってこれ、小さい頃に似た表を使って覚えた気がする……」
「え!? そうなのか?」
クリスの意外な発言にシュウも驚きの声をあげる。だが、母音と子音の分類ができていれば表ができるのはおかしくない。
だが、シュウは偶然にしても一致しすぎていると感じた。「あかさたなはまやらわ」の並びまで同じになるのは不自然だと思ったからだ。
「もしかして、次は『はひふへほ』かしら?」
「おおっ! そうだ。その次は?」
「『まみむめも』じゃない?」
「そうだ、『まみむめも』で合ってる……」
シュウは思わず五十音表の一致度に驚きを隠せない。もしかすると、日本人がクリスのいた世界に行ったのではないかとさえ考えてしまう。
「すごいわ、偶然と思えないくらい同じよね。共通の言葉と文字を伝えたのは五千年くらい前の昔話にでてくるお話なんだけど、日本の文字っていつ頃できたの?」
「へ?」
シュウは暫し返事に窮する。日本のひらがな、カタカナは平安時代の初期に生まれたものだ。西暦八〇〇年頃に作られたとすると、約千二百年前ということになる。クリスの世界で五千年前に伝えられたということは、日本から伝わったものではないということなのかも知れない。
「あーえっと、約千二百年前かな?」
「じゃ、わたしたちの方が言葉や文字に関しては進んでたってこと?」
「たぶん、そういうことになるな」
文字や言語に関する統一という意味ではクリスのいた世界の方が進んでいたことになる。ただ、いざというときに魔法があるから科学が進歩していないというのは考えられることだ。
戦争になったときに、剣や槍で戦うよりも魔法で大きなダメージを与えられるなら製鉄やその他の金属を扱う産業が発展していない可能性もある。
「ただ、クリスのいた世界……そういえばなんて呼んでるんだ?」
シュウはこれまでクリスがいた星そのものの名前を知った方が話しやすいと咄嗟に思い、クリスに尋ねた。
「世界って?」
少し曖昧な質問をしてしまったと、シュウは頬を掻くと言葉を選び直す。
「えっと、オレにとっての地球みたいなものこと。クリスが住んでいた星の名前があれば教えて欲しい」
「わたしたちはコアと呼んでるわ。これも名前だから国によって違うし、星の名前というと違う気がするけど……それがどうかしたの?」
「いや、何度もクリスが住んでいた世界とか、クリスがいたところとか言いづらいからさ。じゃ、コアと呼ぶことにしよう」
クリスは腕を組んでううむと視線を宙に泳がせると、二度ほど首を傾ける。
いくつか名前があるらしい。
「えっと、さっきの歴史書ではエルシスって呼ばれていたり、お隣のパブロス王国ではクレオって呼んでるんだけど……」
「いや、コアの方が呼びやすいだろう? 二文字だしさ」
「そ、そうね。うーん……そうね」
クリスの端切れが悪いのは、コアというのは天動説を採用していた時代の名残りだからだ。自分たちが立っている場所も星の一つであるのなら、星としての名前があるべきなんだろうが、まだ統一的に使われているものがないので戸惑っていた。
ただ、二人の間だけでそう呼ぶのであれば問題はないと最後に割り切った。
「その、コアでは鉄、銅、銀、金のような金属はあるんだよな?」
「あるわよ。ただ、鉄はとても貴重なものよ。日本は至る所に鉄があるし、たぶんお店の鍋は、コアには無いような軽いものでできているんでしょう?
あの大きさの鍋が鉄だったら持ち運べないもの……」
シュウの店で使っている大鍋はアルミ製である。直径四五センチの大鍋であっても、中身がなければ八キロ程度なので片手で持ち上げられる。これが鉄鍋やステンレスならかなり重くなる。現在では同じくらいの大きさの鉄鍋は業務用の店であっても見かけることがない。
「やはりそうか……魔法があるから、いざというときはそれに頼るんだろう?
それじゃあ、科学は発展しづらいだろうな」
「魔法を使える人はごく僅かよ?」
魔法を使えるということだけで戦場では一騎当千の価値が出る。だが、平時は貴族や王族にとっては驚異にもなる。だから魔法を使える人間は王族や貴族からだけ選び、教育するという方針がアプレゴ連邦王国では定められていた。これは隣のフムランド王国、パブロス王国などでも同様であった。
だが、そんな国の方針など知らないシュウにすれば、とても意外な話だ。
「そうなのか。じゃ、どうして科学が発展しないんだろうな?」
「戦争が多いことや、疫病が流行したりするからかしら?」
不衛生な街では疫病が起こりやすく、それが流行すれば技術を持つ職人たちの死者も多く出る。
戦争が起これば農村は食べ物を徴収され、人を徴集される。農村の労働力が不足するので子をつくるのだが、戦争で農作物が不足していれば餓死者が出るほど飢えてしまう。だが、為政者は農村人口が減れば税収が減るので、領地拡大を狙ってまた戦争をふっかける。その結果、人々は疲弊、土地も荒らされ痩せていく。
他にもあるが、戦争や疫病が枷となっていることは間違いない。
「うーん、それよりも識字率とか、四則演算ができる人を増やすことだろうな。
そうすれば、職人が死んでも書き残しておけば技術は残るし、計算ができるようになれば感覚ではなくて数字で物事を表せるようになる」
「書き残せるのはわかるわ。数字で物事を表せるってどういうこと?」
クリスもこうして文字が読めれば日本の本が読めるようになるという意味で、文明レベルの向上に役立つことは理解できる。だが、数字で表すという意味がわからない。
「例えば今日、市場に行く時に乗った電車が曲がるにはどれだけ線路に傾斜角度をつけないといけないか計算して作られているし、速度はどれくらいまでなら出してもいいかということも計算してある。車両の重心位置、耐久性なども計算して出されてるはずだ」
「へぇ、そうなんだね」
「そういう計算ができる人がいないと、文明は発展しない。だから、いろんな計算ができる人を育てないといけない」
「そうかぁ……そうだね。うん、わかった」
クリスが満足げに独り頷くのだが、シュウはまだ他にも言いたいことがある。
「他にも鉱物調査や、高温でも耐えられる溶鉱炉を作る技術とかも必要だな。
オレの店の大鍋はアルミニウムという金属でできているけど、コアではまだ発見されていないだろう?
鉄も大量に溶かして成形する技術もないんじゃないか?」
「ええ、たぶん……」
「じゃあ、そういう技術者を育てることだな」
「うん。そうだね」
話がひと段落ついたと思ってシュウが立ち上がろうとすると、クリスの前にある五十音表が埋まっていないことに気がつく。
「あ、まだ五十音残ってるじゃないか」
「ああっ、でも残りは『やゆよ』と『らりるれろ』、『わゐうゑを』に『ん』でしょ?」
「いや、いまの日本では『わを』と『ん』だ」
クリスはシュウの書いた五十音表を確認し、たしかに最後の「わ行」には二文字しかないことに気づく。
「ほんとだ、じゃあ本当に偶然だったのかも?」
「いや、昔は日本でも『わゐうゑを』だったんだけど、今は使われてないんだ」
「じゃぁ、謎はまだ残ってる感じね……って、できたっ!」
クリスは五十音表に自国の文字を入れきると、少し大きめの声を上げた。
初稿:2020年2月8日 12:00
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
ブックマーク、応援ポイントもいただきました。ありがとうございました。
文字と言語、名前などに関する説明回要素を入れつつ、仲良くなっていくのを感じる形にさせていただきました。
次回は風呂上がりのお話。せっかく買ったんだからアイス食べなきゃでしょ!
投稿予定は別途近況報告とTwitterにて行います。
よろしくおねがいします。




