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風呂上がりのひととき

今回も少し長めです。

 シュウとクリスがお好み焼き屋から一度荷物を取りに店に立ち寄り、そこから家に戻って三十分程度が経っているが、部屋の中にシュウはいない。先に風呂に入っているのだ。


 窓から見える通天閣をただぼんやりとソファに座って眺めているクリスの心はまだモヤモヤとした何かが渦巻いていて、昼間に見せていた笑顔とは正反対の暗く沈んだ顔をしていた。

 テレビでは東京という街のグルメを紹介する番組が放送されていて賑やかなのだが、クリスにはそんなことは興味がない。クリスにとって大切なのは「元の世界に帰ること」である。

 日本に転移された場所がシュウの店である以上、恐らく出入り口は裏なんばにあるシュウの店の扉であり、それを再び元いた世界に繋ぐことが帰るための条件となる。次に、どうしてこの世界につながったのかということを考えると、言葉が通じるが文字は異なるということで、話ができて文字を覚える必要がない程度に簡単なことであることを意味しているとクリスは予想している。だが、それ以上の情報がなにもないので、他に何に手をつければいいのかわからなくなっていて、それがモヤモヤの原因のひとつになっている。


 そして今日一日は、シュウについて歩き回った。

 地球との文明の差も身にしみて感じたことであるが、シュウの言う通り「帰るための情報収集に必要な準備」というのがあるのも判る。

 だが、それはすべて押し付けられたものだ。クリスがほしいと思ったものはその中でも数少ない。


「わたしのこと、何もわかってもらえてないのかな……」


 クリスはソファの上に体育座りをして独り呟いた。

 シュウが一生懸命に「できること」を考えて行動していることは解る。でも、その結果として今日一日は何も前進していない。そこもまた何かモヤモヤする原因のひとつになっていた。







「――シャッ」


 ドライヤーで髪を乾かす音がしばらくしたあと、カーテンが開く音がすると、シュウが真新しい部屋着を着て脱衣場から出てきた。

 そしてクリスの姿を確認して声をかける。


「お風呂あがったよ。クリスも入ってくれるか?」

「ええ、わかったわ」


 クリスは立ち上がって今日買った部屋着と、替えの下着を持つと脱衣場へと入っていった。


 シュウは風呂上がりのビールはクリスと二人で飲もうと思っていた。

 お好み焼き屋でビールを飲みたがっていたのもあるし、店に戻った時も強請ってきた。彼女の国では既に成人していて自由に飲酒をできたというのだから、家の中くらいなら問題ないと判断したのだ。だから念の為に冷蔵庫の中身を確認する。

 緑の大瓶に入ったビールが三本ほど冷蔵庫に入っている。あとはツマミになるものを用意するだけだ。とはいえ、普段はこの部屋には寝るためと洗濯するためだけに帰っているようなものなので、酒以外のもので冷蔵庫に入っている食べ物はほとんどない。家にあるのはシュウが店でまかないを食べずに帰ってきたときのためにあるインスタントラーメンと、冷凍庫に入った冷凍うどんくらいのものだ。これでは本格的な食事になってしまう。


「うーん、コンビニでも行ってくるか……」


 シュウは少し悩んで今度は冷凍庫を開けてみる。

 やはり、冷凍うどんと冷凍の枝豆が入っているだけだ。しかも枝豆は開封して時間がたっているので冷凍臭がついてしまっている。


 シュウは部屋着から外出用の服に着替えると、脱衣場の前まで行ってカーテン越しに風呂場のクリスに声をかける。


「クリス、ちょっと買い物に行ってくる。すぐ戻るから心配しなくていい」

「はーい」


 既に風呂場に入っていたクリスから扉越しに返事が返ってくると、普段の生活にはない新鮮さに、なんとなくシュウは嬉しくなった。


 靴を履いて廊下に出ると鍵を掛けて、エレベータに乗り込む。

 一階に降りて、徒歩数分でコンビニに到着した。


 シュウはつまみとして、缶詰の焼き鳥、チーカマ、ハム、柿ピーなどをカゴに入れると、次は赤ワインや白ワイン、日本酒を放り込む。そこで気がついたのは、明日の朝食だ。炊飯器も米も家にはあるが、今朝の朝食は和朝食にしたので、クリスに洋風のものを食べさせることにする。

 食パン、ソーセージ、卵、牛乳などを追加で投入すると、会計に向かった。


 無事会計を済ませて店を出ると、シュウは少し薄暗い道を歩いて自宅に向かう。

 今日、一日で数十万円のお金を使ったが、両親が残してくれた遺産も残っているし、運転資金とは別に貯蓄しているお金もあるので今日の出費分くらいは全然問題ない。

 でもシュウはそれに何か違和感を感じていた。

 それはたぶん、ぼんやりといつも窓の外を見つめるクリスの姿に彼女の無力感が滲み出ているからだ。

 確かにクリスは異世界からやってきたお姫様であり、現地であっても世間知らずな女の子だったのかも知れない。そのクリスが更に文明が進んだ日本に来てしまった以上、そこで暮らすために必要なものがあるのは間違いない。

 今日はそれを――全てではないが――買い揃える一日になってしまったが、シュウはそれに何の見返りも期待していない。出入り口は自分の店の扉なのだからシュウにしかできないことでもあるし、目の前で困っているクリスを何とかしてあげたいと思ってやっただけだ。

 でもそれは、すべてこの世界の……シュウが持つ常識や価値観に基づいたもので、クリスの持つ常識や価値観とは異なるだろう。言い換えると、シュウにとっての常識や価値観を押し付けたに過ぎない。その結果、クリスがしたいと思ったこと、感じたことなどをほとんど共有できていない。


「オレはクリスのことを何も知らないなぁ……」


 そうして考えてみると、自然とシュウの口からはそんな言葉が零れていた。







 ガチャリと鍵を開き、シュウが家の中に入る。


「ただいまぁ」


 クリスは今日買ってきた部屋着のワンピース姿で、まだ濡れたままの髪で服が濡れないように肩にバスタオルを掛けてソファに座っていた。ちょうど風呂を上がったところなのか、こちらをちらりと見るが特に言葉をかけることがない。

 昼間もそうだったのだが、そういう習慣がないというのは理解していてもなんとなく寂しさのようなものをシュウは感じた。

 だが、習慣のようなものまで教える必要はない。そこまで押し付けてしまうのは、クリスの無事な帰還を手伝うという目的から外れてしまう。

 だから、シュウは日本の習慣としてクリスが知りたいと思ったときに教えればいいと割り切ることにして、後ろ手に鍵をかける。


 そもそも自分の家なのでズカズカと歩いてキッチンに入っていくと、シュウは買ってきたツマミの類が入った袋を調理台に置いて、とにかくビールだと言わんばかりに冷蔵庫を開いた。

 冷蔵庫から緑の瓶を取り出すと、買い物袋の中から卵やソーセージ、牛乳などの食料品を冷蔵庫に仕舞ってドアを締める。


 極薄のタンブラーを二つと瓶ビール、栓抜きを持ってシュウはクリスに近づくと、ソファの前に置いたセンターテーブルの上にことりことりと小さな音を立てて並べる。


「ビール、一緒に飲まないか?」


 シュウはセンターテーブルの短辺側に腰を下ろす。ラグが敷いてあるが、買い物に出た直後なので一応はまだ外出着である。尻が痛くなるかもしれないが、それは仕方がない。

 クリスは期待を込めた表情で、シュウに問いかける。


「え? いいの?」

「飲んでみたいんだろう? 家の中ならいいさ……」


 シュウはクリスのことを、そしてクリスがやってきた世界のことを知らずに接していたことを反省していた。

 十七歳という年齢はクリスの自己申告であるが、一年が三六五日である日本と違い、一年は五〇〇日の可能性もある。それで十七年生きてきたのであれば、地球の年齢では二三歳だ。何を基準に物事を考えるべきなのかは、クリスに限っては違うのである。


 シュウは栓抜きを使って、瓶ビールの栓を開ける。

 シュポッといういい音が鳴ると、傾けられた極薄のグラスにトトトという音とともに黄金色の液体が注がれ、勢いよく泡が表面を塞いでいく。二つのグラスに同程度の量が入った時点で、シュウはクリスに片方のタンブラーを渡し、お好み焼き屋のときと同じようにまたグラスを軽く当てる。


「乾杯」

「あ、乾杯」


 グラスの上を覆う泡にクリスは戸惑いを見せると、恐る恐る口をつける。そして、もわっとした泡の奥にある黄金色の液体を少し口に流し込むと、炭酸の強さに先ず驚き、次に舌に苦味が広がって思わずテーブルの上にタンブラーを戻してしまう。


「これって苦いのね。それに口の中がひりひりするわ」


 発泡した酒に慣れていないのか、クリスは初めてのビールの味をそう評価する。

 誰もが一度は通る道である。ビールは苦いという感想は初めて飲む人たちからシュウは何度も聞かされている。


「そうだな、最初は苦い。でも、喉の奥が痛くなるまで一気に飲んでみるとわかる。ちびちびと舐めてても美味しくないんだ。騙されたと思ってやってごらん。そうだなぁ……最低四口はごくごくと飲むといいよ」


 シュウはビールの味というのは舌で感じる味というものを最前提に、香りや風味、喉をごくりごくりと流れていくときの充足感、そして後味などを総合的にどう感じたかで評価が変わると思っている。


「しかたないわね……」


 クリスは意を決したように唇をグラスに当てて、ビールを流し込む。

 ホップの爽やかな香りが口の中を駆け抜け、舌の上に麦芽の甘みとホップの苦味が押し寄せてくると、ごくりごくりと喉を通るビールは喉の奥を冷やし、ひりひりと喉に痛みが走る。

 そのひりひりとした痛みのような感覚は、他の飲み物では味わえない爽快感を伴っている。


「ぷはぁ」


 そう声に鳴らない音を出すと、クリスは飲み終えたタンブラーをテーブルの上に置くと、喉のひりひりとした感覚が治まるまで目を瞑って耐えた。そして、シュウの顔を見る。

 シュウも同じようにごくりごくりと飲んでいるところで、中身が無くなる寸前まできたところでようやくタンブラーを口元から引き離す。


「プヮッハァーッ!」


 シュウがビールを飲み終えた時の顔は、ひりひりとする喉の痛みに耐えているようにも見えるのだが、それを快感として表現しているつもりなのだろうとクリスはシュウを見つめる。だが、ついさっき自分も似たような顔をしていたのかと思うと急に恥ずかしくなって、慌てて俯いてしまうのだった。


初稿:2020年2月4日

2020年2月25日 ご指摘を受け、冷蔵庫内のビールに関する記述を修正


いつもお読みくださり、ありがとうござおます。

またブックマークいただきました。ありがとうございました。


次回投稿は 2020年2月4日 12:00 を予定しています。

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[気になる点] 緑の瓶に入ったビールの大瓶
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