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満願

 叔父の口から紡がれたその言葉に、俺はいよいよ凍り付いてしまった。


 何故、この人が俺の復讐(そのこと)を知っている?


 延々と続く熱に浮かされたような叔父の台詞。

 その、あまりに非現実的な話の中で不意に齎された告発に、俺は全く反応することができなかった。

 固まった俺に、叔父は口元だけに浮かべた微笑を崩さず、ゆっくりと言葉を重ねた。


「何故それを、と思っているね? 簡単な事さ。君の父親が亡くなったとき、彼の仕事部屋に君が見つけた資料を置いておいたのは僕だからね」


 …………え?


「疑問に思わなかったかい、君という同居人がいる家で、あんなに無防備に犯罪の証拠を残していたことに? ああ、犯罪の証拠と言うと語弊があるな。故人の名誉など僕にとってはどうでもいいことだが、教えておこう。君の父親はね、例の男たちなど誰一人殺していないよ」


 叔父は語る。

 熱病患者のようにきらきらと光る眼で。

 柔らかな波動を発する言葉で。

 俺の心臓を握り潰すように。


「彼は高潔な人間だった。例の男たちに復讐を目論んでいた被害者家族たちから話を持ち掛けられても、彼は頑として首を縦に振らなかった。けれど、彼らが行おうとしている犯罪を告発することだけは、彼にも出来なかった」

「彼は酷く悩んでいてね。今正に自分の目の前で行われていようとする殺人という大罪を、彼だけは未然に防ぐことが出来た」

「けれど、それを止めることは本当に『正しい』ことなのか?」

「真に罪ある人間が裁かれるのを止めることが?」

「それどころか、自分は自らの復讐を他者に委ね、それを手の汚れぬ安全圏から眺めているだけの卑怯者なのでは?」

「彼の心臓の血管は、その重圧に耐えきれなかったんだね」


 父の生前の姿が脳裏に浮かんだ。

 真面目な父。優しい父。たった一度だけ、酒に酔った父の、眼の端に浮かんだ涙の粒。


「彼は高潔だが、弱い男だった。特に称すべき点もない、凡人だった。彼の魂は僕には不要だったよ。ああいう人間は世の中いくらでもいるからね。とっくにコレクションの中に入っていたんだ」

「ああ、そうだ。折角だからこれも教えておこう」

「僕の魂の蒐集のきっかけの話だ。僕が最初に自身の魂の欠点に気付いたのは、彼女が原因だった。僕にとっては幸いなことに、いや、こういう時、一般的には不幸なことに、というのかな?」

「僕に最も足りない欠片を持っていたのは、ごく身近な人物だったんだよ。小さい頃から一緒にいた、血を分けた妹だった」


 これは、毒だ。

 毒の光が、叔父の口から発され、俺の全身をゆっくりと、撫でまわすように侵している。

 呪いの言葉が、甘美な光となって、今吐かれる。



「分かるだろう、佳祐。君の母親を殺したのは、僕だよ」



 その言葉に、俺の心臓は一気に高鳴ることを()()()()()

 頭が沸騰し、目の前が真っ赤になったりも()()()()()


「例の男たちは、僕に魂を吸われていたんだよ。彼らは僕の操り人形だった。レイプする時、ちょうど上手い具合にテーブルか何かに妹の頭を打ち付けるよう、暗示をかけておいたのさ。まあ、レイプ自体は彼らの本能だったがね。ああいう手合いは操りやすくて助かったよ」


 何故だ。

 今、目の前で得意げに己の罪を自白した男。

 この男が、母を殺し、俺の人生を狂わせた本当の仇なのだ。

 それなのに、何故俺の感情はこんなにも凪いでいる?

 

「分かるかい、僕がどれだけ大掛かりな計画を立てていたか。僕に足りない欠片を集めるだけならば話は簡単だ。何せ候補者は77億人もいるのだからね。探すのもそう苦労しない。けれど、最後の1ピースだけは簡単じゃない」

「『完結』」

「自分の人生を全うした人間の魂」

「これだけは見つけるのが難しいんだ。心底人生を全うしたと確信して死ねる人間なんていやしないからね。人間、長く生きれば生きるほど人生に未練が残る」


 叔父の言葉が、頭の中をするすると通り抜けていく。

 一々彼の話す内容を噛み砕いて咀嚼するだけの気力が湧かない。

 驚いたり戸惑ったりする表情を作ることさえ酷く億劫で――。


「だから、作ることに決めた」

「狙い目はティーンエイジャーだ。生きた年数と共にこびりつく垢のような余分な魂を持たず」

「純粋で」

「無垢で」

「それでいて感情の振幅が大きい」

「そういうものに、人生の指標を与え、完遂させる」



 ああ。

 きっと俺はいま、『虚ろな顔』をしている。



「君は本当によくやってくれた」

「この17カ月の間、君は常にあの男への復讐を考えてくれていたね。君は私を避けていたようだけれど、私は君のことをずっと見守っていた。君の気づかないうちに君の魂に接触し、君が復讐のことしか考えられないようにしていた」

「君は年相応に友と交わることもなく、恋をすることもなく、人生の楽しみを見出すこともなく、ひたすら一人の人間を殺すことだけに没頭してくれた」

「そして、昨日、ついにそれを果たしたんだろう?」

「ほら、ごらん」

「それが君の魂の光だよ」


 そう言って、叔父は俺の右横を指差した。


 そこには、紫ジャージに身を包んだ金髪の美女が、その恰好と裏腹な清楚な所作で正座し、掌中に何かを抱えていた。

 バレーボール大のサイズのそれは、胎動するようにゆっくりと明滅し、薄紫色の光を放っている。

 毛糸球を紡ぐように、金髪の美女――貞子はゆっくりと、くるくると、その光の珠を回しながら、長い睫毛を俯かせている。

 一条の光が、俺の頭から貞子の掌中の珠へと伸び、繋がっていた。


 それが、ぷつんと途切れる。


「大丈夫よ、佳祐くん」

 眉尻を下げた、困ったような笑みを浮かべて、貞子が俺に語りかける。

「痛いことも、苦しいこともないわ。これは、真夏の夜の夢。ほんの少し、寝覚めが悪いだけ」


 そういえば、不二子はどこにいったのだろう。

 呪詛のように伸び広がる黒髪。

 野辺に晒された白骨のような手足の女は?


 叔父が、右手を前に伸ばした。

「どうだい、綺麗だろう? いや、醜いかな? 君の眼にはどう映ってる、佳祐? いや、もうそんなことを『感じる』ことはできないかな」

「最後にもう一つだけ疑問に答えておこう」

「僕が今夜、君に直接会いに行くこともせずに、あんな方法で君をここに招いた理由さ」

「僕の魂は、もう破裂する寸前なんだ。君も僕を見ていて感じただろう。今の僕は魂の力が強すぎて、近づく人間から際限なく魂を吸い取ってしまう。とても外になんて出られなかったんだ。だから、貞子に君のことを頼んだ。君があの男を殺すところまで、彼女に見守っていてもらったんだよ」


 その言葉に、俺の僅かに残った意識が疑問符を浮かべた。

 貞子が、見守っていた?

 そんな、はずは……。


「大丈夫よ」


 貞子がもう一度、俺の目を見てそう言った。


「さあ、貞子」


 そして。

 叔父の言葉に。


「ええ、どうぞ。召し上がれ」


 艶っぽい唇で、応えを返す。


 貞子が両手を開くと、彼女に抱え込まれていた薄紫の光――葦の花の色の光が、叔父の掌に吸い込まれていった。



「さあ、これで完結だ」


 

 ……。

 …………いや。


 きっと、そうはならない。


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