深入り
そもそも、あの男はいつからあの図書館に出入りするようになったのだろう。
歩きながら、僕は記憶を掘り起こしてみる。図書館で定期的に勉強するようになったのが二ヶ月ほど前からだけど、あんな奇妙な大人は見たことがない。と言うか、一度見たら忘れたくても忘れないだろう。
僕が図書館に行くのは、塾のない月曜・水曜・木曜。多くても週三日で、週によっては減ることもある。普段は僕が行かない曜日に来ていて、昨日だけたまたま居たという可能性も考えられなくはないけれど、今ひとつピンとこない。
だいたいあの年ごろの大人が、なんで平日の真っ昼間からあんな場所でくつろいでいるんだろう。大人の男なら普通、平日は朝から夜まで仕事に行っているはずだ。小学生の僕でさえ、土曜日と日曜日以外は毎日夕方まで学校に行っているというのに、あの男の暇そうな姿はどういうことだろう。とにかく、もう一度様子をうかがってみないことには始まらない。
二階に上がって、男が居るかどうかすぐに確認したかったけど、もしまた居たらとても勉強どころではない。だから僕は先に地下一階へ行き、大人たちに混ざって自習をした。今日は加齢臭が抑えめで、落ち着いてできそうだ。
三十分ほど社会の暗記物に取り組んだものの、結局あの男のことが気になって集中できなかった。もしこの先も出くわすようなら、勉強場所そのものを変えないといけないかもしれない。一ページ終えたところで、僕は自習をあきらめた。
足早に階段を駆け上がって二階に行くと、やはり男は居た。しかも昨日と同じ場所に、同じ格好で寝そべっている。口元がゆるんでいて、遠くから見てもごきげんな様子がわかる。こっちは受験勉強で忙しくしているというのに、まったく気楽なもんだ。
本を探すふりをして、今日は横から近付いてみる。彼の視界にはぎりぎり入らないぐらいの場所まで接近して耳をそばだてると、昨日と同じ言葉を繰り返していた。
「トラック行っちゃった」
「CD再生」
「カセットテープ」
「府中病院」
昨日は気付かなかったけど、これらの言葉に合わせて本のページをめくる音も聞こえてきた。どうやら、それぞれのページを見ながら声に出しているようだ。
十回ほど続いたところで、ぴたりと声がやんだ。本を触る音もしなくなり、例の不気味な静寂が訪れる。一、二、三……僕はとりあえず、その場でカウントしてみた。
十五数えたところで男は立ち上がり、どたどたと大股で走り出した。
ただ事ではないと思い、身体が勝手に彼のあとを追う。昨日はあんなに怖気付いていたというのに、自分で自分にびっくりだ。
どこに行くのかと思えば、階段の横のトイレだった。ばたんと派手な音をさせて扉が閉まる。僕は、なんだトイレかよと、少し肩すかしを食ったような気分だった。