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好奇心  作者: sandalwood
4/6

知らないこと

 その男はテーブル方向、つまりこっちを向いて寝そべっていた。

 さすがに正面から行く勇気はなく、僕は背後から近付くことにした。遠回りして別のジャンルの本が並ぶ通路を経て、彼の後ろに立つ。


 その距離、およそ三メートルといったところか。さっきも男の声は聞こえるようになったものの、まだ聞き取れない。彼が僕に気付いているのかどうかはわからないけど、音を立てないよう、慎重に前進する。残り一メートルぐらいのところで足を止めると、ようやく詳細をつかむことができた。


「トラック行っちゃった」

「CD再生」

「カセットテープ」

「府中病院」


 男は、この四つの言葉をローテーションでつぶやいていた。

 それはわかったけど、まったく意味がわからない。なにかの暗号だろうか。それとも、読んでいる本に書いてあるのだろうか。

 あれこれと思考をめぐらせていると、不意に男のつぶやきが止まった。


 フロアは一瞬にして静寂をまとい、その静寂と目の前に寝そべっている男との組み合わせが気味悪く、僕は思わずしゃちこばってしまう。今、彼が振り向いたら無事では済まないのではないかという恐怖感に襲われ、僕は直立不動になった。

 十数秒の沈黙ののち、男は突然身を起こし、軽快な足取りで児童書コーナーを立ち去った。僕はなにがなんだかわからず、それから数分間立ち尽くしていた。

 身の危険が去ってホッとしたと同時に忘れていた尿意が込み上げてきて、早足でトイレへと向かった。



「じゃあな池下! また明日」


 木曜日。また都筑に誘われるかと思いきや、僕の気持ちをくみ取ってくれたのか、快活な挨拶だけ残して教室から出て行った。彼のランドセルは机に置かれたままだから、今日もドッジボールだろう。


 快活。そういえば、昨日の家庭科の授業のときに、先生が話していたなと思い出す。

 菜の花の花言葉は、「快活」「明るさ」「豊かさ」「小さな幸せ」の四つ。菜の花の天ぷらの苦さにくたびれていてちゃんと聞いていなかったのに、よく覚えているものだと我ながら感心する。理数系の科目は苦手だけど、記憶力はたぶん良いほうだ。言葉もたくさん知っている。

 

 せっかくこんなに良い意味ばかり持つ花なんだから、天ぷらなんかにしないで黙って観賞しているべきだ。いったい、誰が食用にするなんて奇妙なことを考えたのだろう。


 昨日のあの男の言動といい、この狭い町の中だけでも、僕の理解を超える物事がたくさんある。今の時点でこうなのだから、これから中学・高校と進学して、たぶん大学にも進んで、社会に出て働くようになったらどうなるのだろう。もっともっと知らないことだらけで、それらにいちいち疑問を持っていたら、僕の頭はパンクしてしまうのではないだろうか。


 今日も塾はないので——塾は火曜日と金曜日の週二回だ——、いつもであれば迷いなく図書館に向かうところだ。

 僕は、でも昨日の一件があってためらっていた。またあの男がいるかもしれないという恐怖心が、僕に迷いをもたらす。昨日は勝手にどこかに去ってくれたけど、今日会ったらこちらに飛びかかってくるかもしれない。わけのわからない男だから、あらゆる可能性を考えておかないとまずいだろう。家に帰るか、それか気分転換にマンガでも買いに本屋に行くか。でも、やっぱりあの男のことが気になるんだよな。


 家と本屋と図書館、それぞれに行き着く三叉路さんさろの真ん中で十分ほど悩んだ結果、僕は図書館に行くことにした。

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