8.レールウェイ
☆
そりゃ、そうだよなぁ。と小声で呟いた。
ゆるく流れていく春風がぼくの独り言をかき消していく。
汗が噴き出してきた額をハンカチで拭うこともせず、ぼくは人のいない駅前に立ち尽くした。
そのとき初めて、幼馴染のギターを持ってきてしまったことに気づいた。道理で、やたら息が切れたわけだ。今まであまり重みを感じなかったギターが、急に肩にずしんとのしかかるのを感じた。
あいつ、今日も帰ったらギターの練習するつもりだったのかな。
夜になるといつも壁越しに漏れてくる、下手くそな和音が思い出される。
ぼくは今すぐ、幼馴染の憧れを体現したものであるこのギターを、彼に返さなければいけなかった。そのはずだった。
分かっていながら、ぼくは財布を覗く。
小銭を数えた。プリペイド式のチップ・カードはまだ買ってもらえない。
――あの駅までの往復ぶん、ぎりぎり足りていなかった。でも、改札口を出なければお金を払わなくてもいい。近場の駅まで引き返して、そこで出れば大丈夫。
ぼくはそうやって、何とか方法を見つけ出しても、あの駅に行きたかった。
そうしないと、さっき何とかして押さえ込んだ、胸の奥にある暗い感情が、喉を食い破って出てくるような。大げさだけど、むかむかする心臓を宥めるためにはそれしかない気がした。
指先まで浸した劣等感。
突然、自分が世界で最も憐れまれるべき存在になったような不快感。
改札に切符を通す、小気味よい音が、ちょっとだけぼくを慰めた。
☆
奇跡はぼくの元にはやってこないのだ。そう痛感する。
今となっては錯覚だったのかもしれないが、彼女のシルエットを駅前に見たと感じたとき、ぼくが走り出さないといけない使命感に駆られたのは、そこに奇跡が落ちているような気がしたからだ。彼女は何度も、奇跡としか思えないシチュエーションを偶然と称してぼくの前に現れた。彼女が偶然と呼ぶその奇跡に、もしかしたらぼくも手が届くのではないか。
そう思い上がった。
そうだ、思い上がっていたのだと、車窓の向こう側で見つめるぼくが冷たい目で言う。
ぼくはそこに映っている自分の立ち姿をじっと見つめた。
髪の毛は、辛うじて寝癖を直しただけで、ろくに整髪剤もつけていない。親譲りの、少し変わった髪と目の色が、そういえば昔は好きだった。
記憶の中の母親は、褐色の髪に緑色の目をしている。
自分の瞳をのぞき込んでも、ほとんどただのブラウンにしか見えないが、緑色っぽい褐色と言われればそのような気もする。瞳に僅かに残る緑色は、まるで微かに残る母親の記憶のようだった。緑色はぼくにとっては特別な色だ。
母親が残してくれたこのパーツだけは、ぼくの誇りとして未だ機能していた。
それを差し引いても、今の自分の外見はとても陰気くさくて好きにはなれなかった。
つまらなそうな表情を浮かべた顔面に、陰鬱な翳りが落ちている。肌が荒れている頬を爪先でひっかいた。姿勢も悪い。冴えない色のブレザーを着ていても、筋肉が落ちたのが分かる。
そんな不格好な背中に、堂々としたフォルムのギターはあまりにも似合わなかった。智明の小柄な背中には大きすぎると思っていたけれど、ぼくに比べたらずっとましだ。
重たそうなギターを背負って、それでも彼は胸を張って歩いていたのだから。
ふぅ、と息を吐いて、窓から目を逸らした。ついでに、ぼくに関わるありとあらゆる現実から目を逸らした。
自然多めの風景が、徐々に開け始める。逢水野市の湾岸部に近づいてきたのだ。
工場が密集した地域の空気が汚いというのはもう過去の印象で、逢水野きっての工業地帯である沢並は、晴れ空を映す海に似合うクリーンな湾岸都市だ。
車窓から沢並の高層ビルが見え始めるが、ここから沢並駅まで行くには、あと二回電車を乗り換える必要があった。スイッチ・バックのように大きく西に迂回して、直線距離の何倍もかけてようやく辿りつく。辻ヶ丘はお世辞にも重要性が高いとは言えない平凡な街だし、沢並も元々は土地の余っていた場所に企業が次々進出した結果、最近になって成り上がった街だと聞くので、この二地点の連絡が悪いのは仕方がない。
最近、勘付いていたことだが、この距離こそがぼくに汐ノ音高校と沢並を憧れの場所たらしめているひとつの要素なのだろう。
仮にぼくが沢並の近郊に住んでいたら、ぼくはあの場所に憧れただろうか?
答えは、おそらくノーなのだ。
故郷は遠くにあるからこそ思いを馳せるのだ、と言った人がいた。
憧憬とは、手が届かないことへの悲しみをポジティヴな感情に昇華したものに他ならない。
ともかくぼくの感情は、どこまでも本質的でないものに基づいているらしい。自分の愚かさ加減にいい加減嫌気が差すけれど、では本質的なものとは何だろう、そう考え始めたところでいつも思考が停止する。
事実無根の憧れによって選択することは何故ダメなんだろう。
その答えは、別にダメではない、これに他ならない。
ただし、その結果辿りついたのが思った通りの場所でなくても、憧れは責任を取ってくれないのだ。なぜなら、憧れとは思い込みが先行した結果であり、実態のないものなのだから。
「責任か」
自分で思い付いた言葉に、なるほど、と思った。
自分の選択に際して、自分自身で責任を取るということ。
ぼくに欠けていたのはその視点ではないか。
あの駅のホームで、どの電車にも乗らず座り込んでいたように、あらゆる選択を放棄すれば責任をとる必要もなかった。レールの上を歩いていて失敗したのならば、そのレールが悪いということにできた。
大人になるということは、自分の選択による結末を誰のせいにもしないこと。
沢並駅の広告パネルに映っていた宇宙留学生たちを思い出した。
『天京』の無重力の下では、ひとたび地面を蹴れば、身体はその方向に向けてただ真っ直ぐに進んでいくだろう。彼らは、周りをよく見て、自分で決めて地面を蹴ることができる人たちだ。重力という名のレールがない世界で、責任を持って飛んでいける人たちだ。
きっと、そういう人だから宇宙にだって行けたのだ。
そうなりたいな、と思った。
心の奥にぱっと花が咲いたように、火が灯ったように、ただ絶対的な信念としてぼくはそう思ったのだ。部屋に閉じこもるのではなく、電車を見送るのではなく、どこかに向かっていける自分になりたい。
空気を吐き出す音がして、電車の扉が閉まった。
沢並に行くときの乗換駅を通り過ぎた。
電車は、平野を滑るように進んで、県の中心部に向かっていく。
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