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真空のなかのドレス  作者: 織野 帆里
四季の外縁
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7.雲を掴むような

 ☆


 午後四時、ぼくは高校を出て帰路につく。


 大半の生徒はこれから部活の見学に行くところだけど、ぼくは部活を探すつもりはなかった。

 本来、部活でも何でも良いから、やることを見つけてそれに打ち込むべきなのだろう。そうすれば、ぼくが求めてやまない進むべきレールができる。


 やるべきことがない高校生活はきっと退屈だ。


 どこかのガイダンスで壇に立った、教師も言っていた。

 一度しかない高校生活、悔いのないように色々、何でもやりなさい。


 そんならぼくはあの駅のホームで時間を潰すことに全力を注いでやろうか。どうせさぁ、自分の気にくわないことは、「何でも」の中に入ってないんだろ。


 なんて、八つ当たりじみたことを考えながら、ぼくは路地を歩いた。


 汐ノ音(しおのね)高校から続くあの桜並木と、ぼくがいる色気のない路地を重ねてみようと試みた。

 ブロック塀をゴツゴツした桜の木に頭の中ですげ替えて、アスファルトの地面をベージュのタイルに張り替えたら、ここはあの高校からの帰り道だ。

 景色を、水彩絵の具じゃ足りないから、油絵の具で塗り直す。

 今にもあの凜とした空気を肌に感じることができそうだった。そうすれば、路地を抜けるまでの短い間、ぼくの殻を飛び出し、穏やかな妄想を手にできる。

 

 ところが、思ったようには想像の世界に入り込めなかった。


 その原因となった幼馴染の片割れを、ぼくは横目で見る。ぼくの視線に気づいてか、それとも偶然か、彼の鼻歌のフレーズが切り替わった。


「ユージ、もうちょいゆっくり歩けよぉ。俺、大荷物なんだけど」


 そっちが勝手に合流してきたんだろ、そう反論したかったが、黙って彼の荷物を持ってやる。布製の、黒いケースから推測するに、彼の私物であるエレクトリック・ギターだろう。小柄な彼が訴えているほどには重くない、と感じる。


「今日はさぁ、軽音部、活動ないんだって」

と智明はただでさえ小さい肩をすくめる。「せっかくウチからエレキ持ってきたのに」


 そりゃ、ご愁傷様、と労っておく。


「初回の見学からいきなり私物でギターを持ってくるやつはあんまりいないだろ」


「えー? 変かなぁ」


 ちっとも変だとは思っていなそうな顔で、唇を尖らせる。

 智明は中学生の頃に何とかいうバンドにのめり込んでから、高校ではギターをやると宣言していた。家の手伝いとお年玉を積み立ててギターを買い、夜な夜な下手くそなコードを鳴らしている。


「でもコズミック・クラウドのコマツは、吹部の仮入部でギター持ち込んだらしいぞ」


「そりゃぁその小松さんがカリスマなだけだろ。俺たちはそうじゃない」


「えぇー。そりゃぁコマツはカリスマだけどさぁ」


 俺がやっちゃダメかよ。冗談っぽく呟いて、彼は笑う。


 彼はすぐに話題を変えて、コズミック・クラウドがとある宇宙企業の支援を受けて宇宙でライブをするかも、という話を始めた。

 それを耳の片側で聞きながら、ぼくは曲も知らないアーティストに思いを馳せる。

 大体、著名なアーティストはぶっ飛んだエピソードのひとつやふたつ持っているが、それは行動の奇妙さを打ち消すだけのカリスマ性があるから笑い話になるもので、普通の人間が真似をしたら火傷じゃ済まされない。


 というより、誰かの真似をしようと考える時点で、そもそもが、凡人なのだ。


 自分をしっかりと持っている人間なら、そんなことはしない。


 そこまで考えて、自分の思考に合点がいった。つまり、ぼくはその小松とかいうアーティストみたいに、自信を持っておかしな行動ができる人がちょっと眩しいんだ。


 ――それにしても、「俺たち」とひとくくりにして、ぼくの劣等感を幼馴染に押しつけてしまったのは申し訳なかったな。たとえ、やっていることは憧れのアーティストの真似でも、何か行動を起こそうとしているだけ彼のほうが上だ。


 今さらそれを話題に上げる気にはならなくて、心の中で彼に謝罪する。


 胸の奥にグツグツ煮える、暗いわだかまりが首をもたげてきそうになった。


 ぼくは空を見て、そこに浮かぶ雲を数えた。


 あの雲はちぎった雪のかたまり。

 その雲は刷毛の軌跡。

 上空に寝そべった雲は魚の骨、あるいは天使の羽。

 

 考えたくないことを考えてしまうときは、雑多な情報を頭に詰め込んで、余計なことを考えないようにする。最近ぼくが見つけた人生の知恵だ。


 そのときぼくは、視界の片隅、駅の方向に、雲がひとかけら落ちてきたように、真っ白な人影を見た気がした。


 

 駅前の大通り、と呼ぶには見栄えのしない車道を横切り、橋を渡った。

 

 年季の入った商店が軒を連ねるなか、点々とコンビニエンス・ストアや珈琲ショップ、ファーストフードが現れる。電車を伝って徐々に浸食してくるそれらのチェーン店には目もくれず、駅の方向に歩いて行った。


 早歩きが徐々にランニングになる。真新しい革靴の履き口が足に食い込むのを感じたけれど、それを構っている場合ではなかった。

 

 一瞬見えた気がした彼女のシルエットが、自分でも不思議なほどぼくを駆り立てた。


 近づく駅舎を見ながら、熱くなる手足と対照的に冷静な胸の内側で考えた。「仮に彼女に会えたとして、ぼくは何を言うんだ?」――貴女を見かけた気がしたので、こうして会いに来ました。しかも、ダッシュで。

 そんなこと言えるかよ。

 一瞬浮かんだ言葉を音速で取り消す。大体、どうしてここまで、彼女に会わなければいけない気がしているんだろう。


 自分が何をしたかははっきり覚えている。


 ぼくは、彼女のものかもしれないシルエットを見た瞬間、一緒に歩いていた幼馴染への言い訳もそこそこに、その人影を見た方向に一心不乱に歩き出したということだ。


 ふと、一部始終を見ていた幼馴染がこのことをどこかで話したら、と考える。


 彼はあんまりひとの行動を邪推するタイプじゃないから、変な脚色を加えて喋ったりはしないだろう。

 それでもぼくの行動は、はたから見れば怪しいものだ。

 ぼくの行動が翠緑荘の面々に知られたら最後、ぼくに向けられる目は変わってしまうかもしれない。もしぼくが彼女を見て一目散に、そちらに向かったのだと知られたら、住人たちは新参者である彼女を庇うだろう。

 最悪、ぼくは要注意人物扱いされて彼女と会うことを禁止されたっておかしくない。


 理性的にリスクを天秤にかけているつもりでも、足の動きはなぜか止まらず、むしろ焦れば焦るほど速くなっていくようだった。


 こすれて痛む足の裏で、それでも地面を蹴って、

 短い横断歩道を駆け抜け、電柱を躱して、そうして――

 

 ぼくは、誰もいない駅前に辿りついた。


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