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真空のなかのドレス  作者: 織野 帆里
四季の外縁
5/45

5.知っていること、知らないこと


 自動改札にICカードを読ませて、駅の構内へ入る。

 決して安くはない金額が、移動という形に残らない消費によって消えていく。


 甘ったるい売店の匂いを通り過ぎ、帰宅するサラリーマンに混じって、帰路を急ぐ大人に負けないくらい急ぎ足でぼくは電車に乗り込んだ。今日ばかりは、駅のホームで時間を潰す気にはなれなかった。

 

 一刻も早く、この町を離れたかった。


 寒川と交わした言葉が耳の奥で反響する。

 とんでもない質問を飛ばしてきた彼に向かって、自分はなんと言ったのだったか。思い出そうとする。


「そんなの分かりませんよ」


「うん、想像で良いんだけど」


「そうじゃなくて……結局、相手の意思と、自分のエゴのどっちを取るかってことでしょう。そんなの、そのときにならないと分かりません」


 秘密にしていることを聞かれたときのように、心臓の音が高まっていた。

 ぼくは、正論を言ったつもりで、判断を下すことから逃げたのだと思う。ぼくの答えを聞いた寒川は、曖昧な笑顔のまま、「そう。ありがとうね」と言った。


 まるでシャッターを下ろされたように感じた。


 結局ぼくは、きわどい判断を迫られたときに何もできないのだろう、と思う。寒川はぼくの答えに肯定も否定もせず、吐息のような笑いを零したが、それは失望の溜息のようでもあった。


 その笑い声を思い出したとき、ぼくは何か煌めくものを脳裏に得たような気がした。ひんやりと冷えたその感覚を辿って具体化しようとする。そうだ、その笑い声は、どこかで聞いたトーンのような……そんな気がしたのだ。

 だが、記憶の奥底をさぐっているうちに、そのデジャヴは霧散してしまった。

 

 とりあえず、高鳴っていた心臓は治まった。


 春の冷気で冷えた頭で、寒川はなぜそんな質問をしたのだろう……とぼんやりと考える。 

 寒川が、とくに理由のない禅問答を好む人間ではない限り、おそらくぼくの意見が聞きたかったのだろう。一番まっとうな考えとしては、寒川にとって特別な人が、つまりぼくの幼馴染である彼女が、彼に死にたいと零したのだろうか。


 彼女が?


 そうは思えないけど、とぼくは満員列車の中で考える。前述したように彼女はスポットライトを浴びているタイプの人間だ。彼女のように、毎日を楽しく生きる方法を知っていたなら、ぼくだって死にたいとは思わない。

 

 本当に?


 と、普段ならここで完結するだろう思考が、行き止まりの壁をすっと通り抜けた。自分の部屋のように分かりきった思考回路から一歩踏みだして考えてみる。


 ぼくがあの幼馴染を見ている時間は、大目に見ても一日二十四時間のうち、平均して一割。残りの九割の彼女をぼくは知らない。

 例えば、寒川と一緒に出掛けていく彼女であるとか。自分の部屋で一人きりの彼女であるとか。出会ってから流れた時間ばかり考えて、彼女のことをよく知っている気になるが、実のところ彼女の日々のほとんどは、ぼくの視界の外側で営まれているものだ。


 つまり、何も知らないんだろうな、ぼくは。


 結局は無知に集約される問題。そういうものがきっと、沢山ある。

 そう思って窓の向こう側を見遣った。

 窓枠の一面に流れていく、真っ暗闇にぽつぽつと浮かぶ街灯り。

 しかし、灯りがない場所に何がしかのモノがあり、誰かしらが暮らしているように、ぼくの長い余生を使い果たしても、何かを丸ごと理解することは到底かなわない。


 ひょっとしたら、ぼく自身についてだって理解はできないままかもしれない。


 自宅の最寄り駅である辻岡駅についたので、ぼくは電車を降りる。

 ここまで来ると、かなり車内は疎らになっていた。ここから、電車は川に沿って終点まで山中を行くため、ほとんどの乗客は辻岡駅までに降りてしまう。

 人々が緩やかに群れをなして改札へ向かう。


 その流れの中に、ぼくは見間違えようのないシルエットを見かけた。


 丁度、ぼくが彼女に気づいたことに気づいたかのように、ぴったりのタイミングで白いワンピースを翻し、振り返る。彼女は川の中州のように、人波を割り、ぼくは彼女の元まで導かれるように辿りついた。


 ぼくはナンセンスな質問を投げかける。


「偶然?」


「ええ、偶然です」


 それはきっと嘘だろう。

 だけど、ぼくが聞きたかったのはその嘘だ。彼女が偶然だと主張するのを確認しておきたかったのだ。理由もなく嘘を吐くような、人をもてあそぶ非合理な人間味が魅力的だった。


 よく分からないことを、何とかして分かろうとしているからこそ、彼女のように分からなさに振り切っている存在は、素敵に見える。


 ☆

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