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真空のなかのドレス  作者: 織野 帆里
カリストの孤独
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9.カストール

 十五分後。


 白い磁器のティーカップに、綺麗なブラウンの紅茶が注がれる。担当編集にメールを返したという加洲トオルも私室から戻ってきて、ぼくたちは三人で紅茶を飲んだ。ユイカが話を振ってくれたので、ぼくは「カリストの孤独」を読んだ経験を元に作文を書いたら、宇宙留学の一次選抜に通った――という内容を加洲トオルにも伝えた。


「あの……面白かった、です」


 ティーカップの細い取っ手を握りながら、ぼくは思い切って言った。


「その、どう伝えたら良いのか分からないし、筆者の加洲先生に比べたら、俺はあの作品のこと、何も分かってないとは思うんですけど……とにかく面白かったです。これしか言えなくて、すみません」


 語彙の乏しさが不甲斐ない。


 あまりにも陳腐な感想に顔が火照ったけれど、加洲トオルは「どうもありがとう」と応じてくれた。どうにも、形式的な言葉だけをやりとりした感じが拭えないけれど、面白かったのは本当なのだ。


「じゃあ、本宮くんは」


 うまく感想が伝えられず言葉に詰まっていると、ユイカが助け船を出してくれた。


「結局『カリストの孤独』の、何をテーマにして書いたの?」

「ああ、それなら――」


 なるほど、とぼくは内心で彼女に感謝する。


 そうか、ぼくの作文の内容が、そのまま感想と言えるのか。


「あの話って、宇宙ステーションってものが、逃げ場のない密室であることを、批判って言うか……すごく危惧してる話に思えて。ほら今って『天京』ブームで、宇宙ステーションに行くのが素晴らしい、みたいに皆が言いますけど、そっか、こういうリスクもあるんだなって、気づかされて……それが面白かったです」

「なるほど。そうだね」


 今度はいくらか明瞭に、加洲トオルが頷いた。


「あの作品は、サイエンス・フィクションの名を借りてはいるけど、実態としては密室ものサスペンスに近いかもしれない。ただね……私は、それだけ怖いことだと思っているんだ。何も縋るもののない真空、息が出来ないどころか、晒されるだけで身体が破裂するような、生命を極限まで拒絶した空間と、すぐ隣り合わせで存在する……ということは」

「えっと……先生は『天京』に批判的なんですか?」

「とんでもない。素晴らしいことだよ……それだけ恐ろしい環境を、人間は技術で克服したんだから」


 彼は首を左右に一往復させてから「ただ」と声をひそめた。


「何事にも絶対はない。あの作品は、ありとあらゆる不幸が重なり合って生じる、最悪中の最悪の展開を、いかにもセンセーショナルに煽ってみせた、意地悪な物語だ。ただし、この超低確率で発生する『最悪』は、人間が本来の生存圏から遠ざかるほど、より最悪の度合いを増していくけどね」

「最悪の度合い、ですか……」


 ぼくがごくりと唾を飲み込むと「なんてね」と加洲トオルは両手を広げて見せた。無精ひげの残る口元が、にやっと笑いの形に変えられる。


「なんてね。これは、私の言葉ではないよ」

「そうなんですか?」

「あれを書くときに、宇宙ステーションの設計開発をやってる企業に取材に行ってね。そのときに聞いた話が印象に残っていて……それを元にして書いたんだよ」

「取材……」


 職業作家ともなると、そういうことができるらしい。ぼくが「そういうこともやるんですね」と驚きつつ相槌を打つと「そりゃあ、もちろん」と加洲トオルは肩をすくめた。テーブルの上に置かれているゼムクリップで止められた紙の束を、それが手癖なのか、彼は指先でくるくると弄んだ。


「あんなもの、私だけの知識で書けるわけないからね……やっぱ、その道のプロってのに聞くのが、いちばん手っ取り早いんだよなぁ……あ、そうだ、本宮くん。宇宙留学の一次選抜に合格したってことは、きみ、もちろん夏の二次選抜にも出るんでしょ?」

「え? はい、多分」


 とつぜん飛躍した話に驚きながらも、ぼくが頷くと「じゃあさ」と加洲トオルはこちらを指さした。指に挟まれたスティックシュガーが、ぼくの方を指している。


「二次選抜の様子。終わったら、私に教えてよ」

「え……?」

「あ、もちろん、守秘義務とかあったら断ってくれて良いけどね。二次選抜、情報を見る限り面白そうなんだけど、調べてもあんまり情報が出てこないんだよねぇ……」


 加洲トオルはそう嘆きながら、机に乗せた両手の指をパタパタと動かしてみせる。多分、キーボードのタイピングを模したジェスチャなのだろう。


「これだけ書き込みがないってことは、試験内容を外に持ち出すのが禁止されてるのかなぁって思うから、あんまり期待はしてないんだけど。まあ、もし、平気そうなら、ぜひ君のことも取材させてちょうだいよ。お礼に、ご飯くらいなら奢るから」

「は――はい」


 いろいろと度肝を抜かれていたぼくは、ようやく頷いた。


「まだ分からないですけど、その、俺で良ければ」

「おお……! ありがとう」

「二次選抜って、そんなに変わった感じなんですか?」


 横からユイカが尋ねてくる。


 その問いに答える代わりだろうか、加洲トオルは手元の端末を操作して、可動式のディスプレイをぼくたちの方に向けてくれる。ユイカと一緒に画面をのぞき込むと、そこには、宇宙留学の公式ホームページが表示されていた。


 宇宙留学の二次選抜。


 ぼくも参加することになるので、さすがに少しは調べていた。多種多様な選抜方法がある一次選抜と違い、二次選抜はすべての参加者が同じ課題をこなすらしい。その課題というのは、どうやら自然の中で地図を持って歩き回る、いわゆるオリエンテーリングみたいな感じらしいのだけど、加洲トオルの言うとおり、詳細は明かされていなかった。


「へぇぇ……」


 選抜の概要に目を通したユイカが、感嘆の声をこぼす。


「なんだか楽しそうですね。森のなかで、みんなで宝探しみたいな」

「そう。まるで小学生の遠足とかみたいでしょう。でもね……」


 そこで加洲トオルは声のトーンを下げた。


「例年……その選抜で、ほとんどの応募者が落とされるんだよ」


 そうなのだ。


 連休で出かけたときに夏さんとも話したことだけど、宇宙留学の一次選抜は、そこまで難関ではない。二次選抜へのチケットを獲得できるのは、だいたい総応募者数の十パーセントくらいだ。入学試験なんかだと、倍率十倍といったら相当の難関に思えるけど、一次選抜はいろいろな部門があって、複数の部門に重複して応募したりもできる。それなりの熱意と、多少の運があれば、かなりの高確率で突破できると言える。


 だけど、二次選抜は違う。


 全員が一斉に同じ試験を受け、その一回で合否が決まる一発勝負だ。そして、試験の詳細も、採点基準もよく知らされていない――のだけど、その二次選抜だけで、千人ほどいた候補者が三十人にまで絞られる。ざっくり三十倍の倍率だ。


「いったい、何が……合格の決め手なのか」


 関節の目立つ指をぐっと組んで、加洲トオルが目を伏せる。


「一次選抜は、あらゆる才能の分野から光るものを見つけるステップ……言い換えれば、何でも良いから何かに秀でている人間を集めているわけだね。そして二次選抜では、すべての参加者が同じ試験を受けるということは、このステップは『宇宙留学の参加者に必須と考えられるスキル』を問うていると思うんだ」

「必須……ですか」

「そう。私は、それが何なのか知りたくて仕方がなくてね。いったい宇宙留学の主催は、何が、宇宙に行く人間にとって必要不可欠なスキルだと思っているのか……オリエンテーリングで、本当は何を観察しようとしているのか」

「どうして……そこまで、気になるんですか?」


 ぼくが問いかけると、彼は肩をすくめて「そりゃあ」と、薄い唇を曲げて微笑んだ。


「それが分かれば、より、リアリティのあるものが書けそうだろう?」

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