5.チケットの取り方
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その日の放課後だった。
担任に頼まれたので、ぼくは職員室に掲示物を取りに行った。職員室の扉を開けたすぐ隣に、縦横に区切られた書類棚がある。自分のクラスの番号が振られた棚を見ると、くるりと筒のように丸められた紙が入っていた。どうやら、ポスターのようだった。
「――本宮」
後ろから声をかけられる。
振り向くとそこには、大量の書類を胸元に抱えた春日井がいた。それは何、と興味本位で尋ねると「委員会の資料だ」と教えてくれる。彼はうちのクラスの学級委員なのだ。成績優秀で真面目で、そのくせ人当たりの良い春日井は、誰が見ても適任である。
「悪いな」
そんな彼は、ぼくを見て小さく頭を下げた。
「えっと……何の話?」
春日井がぼくに謝る理由が分からない。呆気にとられて聞き返すと、彼はぼくが今まさに手にしたポスターを指さした。
「それ。貼るの、本当なら僕もやるべきだろう」
「ああ――なんだ。それか」
ぼくは頷く。
春日井は学級委員であるが、同時にぼくと同じ係を兼任してもいるのだ。たしかに、このポスターを貼るのは、彼の仕事でもあるわけだけど。だけど、委員会をやっている彼に、同等の仕事量を押し付けて憚らないほど、ぼくは神経が太くない。
「いや、いいよ別に。俺は暇だから」
「だけど、その大きさだと一人で貼るのも大変だろう。本宮、そこで少し待っててくれないか。僕はこの書類を置きに来ただけだから、貼るのを手伝うよ」
「――え、えっと」
ぼくが言い淀んでいる間に、じゃあ、と片手を上げて、春日井は職員室の奥に行ってしまった。制服をきちっと着こなした後ろ姿が、書類棚の向こうに消える。待っていてくれ、と言われてしまったからには帰ることもできず、ぼくはポスターを抱えて廊下の壁に寄りかかった。見知った顔の教員が職員室から出てくるたび、中途半端な場所で立っているぼくを見つけては「おう本宮」と気さくに声をかけてくる。向こうは良かれと思ってコミュニケーションを取っているんだろうけど、ぼくとしては放っておいて欲しいのが正直なところで。ぼくは彼らに会釈みたいな浅い頷きを返しながら、どことなく気まずい時間を一分か二分かやり過ごした。
「悪いな、待たせて」
そう言いながら春日井が扉から出てきた時は、心底ほっとした。
雑然とした会話をしながら、ぼくたちは教室に戻る。
教室はまだ無人ではなかった。ホームルームが終わってずいぶん経つというのに、まだ残ってお喋りをしているグループがいる。彼らを横目に見ながら、教室の後ろにある掲示スペースに向かう。春日井が古くなった掲示物を剥がしてくれている間に、ぼくは教卓のなかをかき回して、押しピンを探す。書類やファイルがごちゃごちゃに重なりあっていて、探すのにやたらと時間が掛かってしまった。
ぼくが掲示スペースに戻ると、そこには。
「――ああ」
ポスターを広げていた春日井が、ぼくを見てにやりと笑ってみせた。一拍置いて、ぼくは彼の、意味深な笑いの意図を察する。
A0サイズの巨大なポスター。
それは、宇宙留学の一次選抜への出願を募るものだったのだ。
「あれ……」
書かれている内容を見て、ぼくは首を捻る。
「一次選抜って、終わったんじゃ」
「いやいやいや――何を言ってるんだ」
春日井が苦笑する。分厚いメガネの向こうで、目元にしわが寄った。
「自分が選ばれたんだから、もっとちゃんと調べた方が良いぞ、本宮。たしかに、作文の推薦枠は、本宮が持っていったけど……宇宙留学の選考基準はそれだけじゃない。一次選抜は、本当に色んな部門があるんだ」
「あ……そうだったんだ」
「王道だと、理数科目の成績上位とか、科学系のグランプリで入賞したとか。奇抜なところだと、芸術系とかスポーツなんかもあるな――例の、宇宙に関する経験の作文だって、どっちかと言えば奇抜寄りじゃないか」
「そ、そっか、まあたしかに」
顔が熱くなるのを感じながら、ぼくは頷いた。
考えてみれば当然だった。たった数千字の作文で、その生徒が宇宙留学に行く適性があるかどうか、判断が付くわけもない。なんだか思い上がっていたような気がして、ぼくはやけに早口になりながら言う。
「ちょっと文章が書けるくらいで宇宙に行けたら、苦労しないよね」
「いや――まあ、本宮がこのクラスで一番いい文章を書いたのは事実なんだから、そこを自虐されると、同じクラスの僕としては立つ瀬が無いわけだが」
そう言いながら、春日井がポスターの一端をぼくに渡す。
ぼくらは近くの椅子を引いてきて乗り、ぴんと伸ばしたポスターを壁に固定していく。石膏ボードの壁に押しピンを刺しながら、ぼくはポスターの内容に目を通す。どうやら、物理の実験とレポートで評価を決める『第一次選考:物理学部門』というのの宣伝らしい。実験は数人のグループでやるけど、レポートは個別に作成する……と書いてあった。
「物理か。こういうのが春日井が言うところの、王道ってことになるのかな」
「たしかに。そうだな」
「なんか、春日井なら行けそうだよね」
ぼくは何の気なしに言った。
春日井なら成績も良いし、人と話すのも慣れているから、複数人のグループで実験をするのもそつなくこなしそうだ――という意味だった。連休の少し前、新入生の学力を測るための全教科テストがあったのだけど、春日井はそのテストでもかなり好成績を収めていた。学年順位はたしか五本の指に入っていたはずだ。
「……あれ」
ポスターのしわを伸ばしていて、ぼくはふと不思議なことに気がついた。
「あのさ――春日井って」
横でポスターを貼っている、春日井の横顔を見て問いかける。
「なんで、辻ヶ丘高校に来たの?」
「……なんで、とは?」
「だって、中学までは都内にいたんだろ。逢水野がSPCだからっていうのは、前に聞いたような気がするけど」
SPC――というのは、国から指定を受けた「科学技術推進都市」の略称だ。沢並に先進的な技術研究所がいくつも並んでいるので、ぼくらの住む辻ヶ丘が属する市、逢水野市はSPCに指定されている。全国に十ほどしかないので、たしかに希少性は高いと言えば高い。
「でもSPCならさ、都内にだってあるじゃん」
ポスターの上辺を止め終わり、下辺を止めるために屈みながら、ぼくは言った。
「なんでわざわざ、逢水野に来たの……ってか、春日井の頭なら、沢並の汐ノ音高校だってぜんぜん狙えただろ」
自分が落ちた高校の名前を、妙にフラットな気持ちでぼくは口に出した。ぼく自身の話ではなく、春日井という他人の話だからなのか、それとも、あの春がぼくのなかで遠ざかりつつあることの証なのか――淡々と、ただの事実の組み合わせとして、話すことができた。
「汐高ならさ、都内からも通えたかもしれないのに、辻高だと、そのためにわざわざ引っ越したことになるだろ。なんで?」
「それは……ハルが――」
「春?」
「……いや」
春日井は首を振って、何でもない、と呟いた。
「それより」
そう言って、分厚いメガネの奥から、冷静な視線がぼくを見下ろす。
「本宮に聞いてみたかったことがあってな。君、たしか、例の作文……提出日に慌てて書いたんだろう。それで選ばれたんだから、凄いが……あの短時間で、いったいどんな内容を書いたんだ。あまり吟味している暇もなかったんじゃないか?」
「ああ、それね」
ぼくは頷く。
「あの日さ、俺……春日井と、遥山さんと一緒に、昼、食べただろ。そのときに遥山さんが言ってた作家が気になって。ほら、加洲トオルっていう――その人の本を、図書館で見つけたんだ。試しに読んでみたら、面白かったから、そのまま、それの感想文を書いた。宇宙に人間が進出することに批判的な目線で書かれててさ、それが、目新しいなって――」
そこでぼくは言葉を止めた。
春日井が言葉を挟まないので、つい長々と喋ってしまったのだ。一方的に喋っている状況が気まずくなったぼくが「春日井?」と言いながら彼を見上げると。
「え――」
見たことのない顔が、こちらを見ていた。
「……いま」
冷たくて低い声が言う。
「いま、何て言った。本宮」
「へ……?」
間抜けな声をあげたぼくを、鋭い視線が睨み付ける。
「つまり、本宮、きみは……ハルのアイデアを、盗んだのか?」
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