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真空のなかのドレス  作者: 織野 帆里
カリストの孤独
34/45

5.チケットの取り方

 ☆


 その日の放課後だった。


 担任に頼まれたので、ぼくは職員室に掲示物を取りに行った。職員室の扉を開けたすぐ隣に、縦横に区切られた書類棚がある。自分のクラスの番号が振られた棚を見ると、くるりと筒のように丸められた紙が入っていた。どうやら、ポスターのようだった。


「――本宮」


 後ろから声をかけられる。


 振り向くとそこには、大量の書類を胸元に抱えた春日井がいた。それは何、と興味本位で尋ねると「委員会の資料だ」と教えてくれる。彼はうちのクラスの学級委員なのだ。成績優秀で真面目で、そのくせ人当たりの良い春日井は、誰が見ても適任である。


「悪いな」


 そんな彼は、ぼくを見て小さく頭を下げた。


「えっと……何の話?」


 春日井がぼくに謝る理由が分からない。呆気にとられて聞き返すと、彼はぼくが今まさに手にしたポスターを指さした。


「それ。貼るの、本当なら僕もやるべきだろう」

「ああ――なんだ。それか」


 ぼくは頷く。


 春日井は学級委員であるが、同時にぼくと同じ係を兼任してもいるのだ。たしかに、このポスターを貼るのは、彼の仕事でもあるわけだけど。だけど、委員会をやっている彼に、同等の仕事量を押し付けて憚らないほど、ぼくは神経が太くない。


「いや、いいよ別に。俺は暇だから」

「だけど、その大きさだと一人で貼るのも大変だろう。本宮、そこで少し待っててくれないか。僕はこの書類を置きに来ただけだから、貼るのを手伝うよ」

「――え、えっと」


 ぼくが言い淀んでいる間に、じゃあ、と片手を上げて、春日井は職員室の奥に行ってしまった。制服をきちっと着こなした後ろ姿が、書類棚の向こうに消える。待っていてくれ、と言われてしまったからには帰ることもできず、ぼくはポスターを抱えて廊下の壁に寄りかかった。見知った顔の教員が職員室から出てくるたび、中途半端な場所で立っているぼくを見つけては「おう本宮」と気さくに声をかけてくる。向こうは良かれと思ってコミュニケーションを取っているんだろうけど、ぼくとしては放っておいて欲しいのが正直なところで。ぼくは彼らに会釈みたいな浅い頷きを返しながら、どことなく気まずい時間を一分か二分かやり過ごした。


「悪いな、待たせて」


 そう言いながら春日井が扉から出てきた時は、心底ほっとした。


 雑然とした会話をしながら、ぼくたちは教室に戻る。


 教室はまだ無人ではなかった。ホームルームが終わってずいぶん経つというのに、まだ残ってお喋りをしているグループがいる。彼らを横目に見ながら、教室の後ろにある掲示スペースに向かう。春日井が古くなった掲示物を剥がしてくれている間に、ぼくは教卓のなかをかき回して、押しピンを探す。書類やファイルがごちゃごちゃに重なりあっていて、探すのにやたらと時間が掛かってしまった。


 ぼくが掲示スペースに戻ると、そこには。


「――ああ」


 ポスターを広げていた春日井が、ぼくを見てにやりと笑ってみせた。一拍置いて、ぼくは彼の、意味深な笑いの意図を察する。


 A0サイズの巨大なポスター。


 それは、宇宙留学の一次選抜への出願を募るものだったのだ。


「あれ……」


 書かれている内容を見て、ぼくは首を捻る。


「一次選抜って、終わったんじゃ」

「いやいやいや――何を言ってるんだ」


 春日井が苦笑する。分厚いメガネの向こうで、目元にしわが寄った。


「自分が選ばれたんだから、もっとちゃんと調べた方が良いぞ、本宮。たしかに、作文の推薦枠は、本宮が持っていったけど……宇宙留学の選考基準はそれだけじゃない。一次選抜は、本当に色んな部門があるんだ」

「あ……そうだったんだ」

「王道だと、理数科目の成績上位とか、科学系のグランプリで入賞したとか。奇抜なところだと、芸術系とかスポーツなんかもあるな――例の、宇宙に関する経験の作文だって、どっちかと言えば奇抜寄りじゃないか」

「そ、そっか、まあたしかに」


 顔が熱くなるのを感じながら、ぼくは頷いた。


 考えてみれば当然だった。たった数千字の作文で、その生徒が宇宙留学に行く適性があるかどうか、判断が付くわけもない。なんだか思い上がっていたような気がして、ぼくはやけに早口になりながら言う。


「ちょっと文章が書けるくらいで宇宙に行けたら、苦労しないよね」

「いや――まあ、本宮がこのクラスで一番いい文章を書いたのは事実なんだから、そこを自虐されると、同じクラスの僕としては立つ瀬が無いわけだが」


 そう言いながら、春日井がポスターの一端をぼくに渡す。


 ぼくらは近くの椅子を引いてきて乗り、ぴんと伸ばしたポスターを壁に固定していく。石膏ボードの壁に押しピンを刺しながら、ぼくはポスターの内容に目を通す。どうやら、物理の実験とレポートで評価を決める『第一次選考:物理学部門』というのの宣伝らしい。実験は数人のグループでやるけど、レポートは個別に作成する……と書いてあった。


「物理か。こういうのが春日井が言うところの、王道ってことになるのかな」

「たしかに。そうだな」

「なんか、春日井なら行けそうだよね」


 ぼくは何の気なしに言った。


 春日井なら成績も良いし、人と話すのも慣れているから、複数人のグループで実験をするのもそつなくこなしそうだ――という意味だった。連休の少し前、新入生の学力を測るための全教科テストがあったのだけど、春日井はそのテストでもかなり好成績を収めていた。学年順位はたしか五本の指に入っていたはずだ。


「……あれ」


 ポスターのしわを伸ばしていて、ぼくはふと不思議なことに気がついた。


「あのさ――春日井って」


 横でポスターを貼っている、春日井の横顔を見て問いかける。


「なんで、辻ヶ丘高校(ツジコー)に来たの?」

「……なんで、とは?」

「だって、中学までは都内にいたんだろ。逢水野がSPCだからっていうのは、前に聞いたような気がするけど」


 SPC――というのは、国から指定を受けた「科学技術推進都市」の略称だ。沢並に先進的な技術研究所がいくつも並んでいるので、ぼくらの住む辻ヶ丘が属する市、逢水野市はSPCに指定されている。全国に十ほどしかないので、たしかに希少性は高いと言えば高い。


「でもSPCならさ、都内にだってあるじゃん」


 ポスターの上辺を止め終わり、下辺を止めるために屈みながら、ぼくは言った。


「なんでわざわざ、逢水野に来たの……ってか、春日井の頭なら、沢並の汐ノ音高校(シオコー)だってぜんぜん狙えただろ」


 自分が落ちた高校の名前を、妙にフラットな気持ちでぼくは口に出した。ぼく自身の話ではなく、春日井という他人の話だからなのか、それとも、あの春がぼくのなかで遠ざかりつつあることの証なのか――淡々と、ただの事実の組み合わせとして、話すことができた。


汐高(シオコー)ならさ、都内からも通えたかもしれないのに、辻高(ツジコー)だと、そのためにわざわざ引っ越したことになるだろ。なんで?」

「それは……ハルが――」

「春?」

「……いや」


 春日井は首を振って、何でもない、と呟いた。


「それより」


 そう言って、分厚いメガネの奥から、冷静な視線がぼくを見下ろす。


「本宮に聞いてみたかったことがあってな。君、たしか、例の作文……提出日に慌てて書いたんだろう。それで選ばれたんだから、凄いが……あの短時間で、いったいどんな内容を書いたんだ。あまり吟味している暇もなかったんじゃないか?」

「ああ、それね」


 ぼくは頷く。


「あの日さ、俺……春日井と、遥山さんと一緒に、昼、食べただろ。そのときに遥山さんが言ってた作家が気になって。ほら、加洲トオルっていう――その人の本を、図書館で見つけたんだ。試しに読んでみたら、面白かったから、そのまま、それの感想文を書いた。宇宙に人間が進出することに批判的な目線で書かれててさ、それが、目新しいなって――」


 そこでぼくは言葉を止めた。


 春日井が言葉を挟まないので、つい長々と喋ってしまったのだ。一方的に喋っている状況が気まずくなったぼくが「春日井?」と言いながら彼を見上げると。


「え――」


 見たことのない顔が、こちらを見ていた。


「……いま」


 冷たくて低い声が言う。


「いま、何て言った。本宮」

「へ……?」


 間抜けな声をあげたぼくを、鋭い視線が睨み付ける。


「つまり、本宮、きみは……ハルのアイデアを、盗んだのか?」


 ☆

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