16.息ができない
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春日井、ユイカ、夏。
彼らもオーディエンスに混じっていたらしく、楽器を片付け始める演奏メンバーに近づいて、何か話し始めた。
春日井たちがぼくの幼馴染と親しいのは一瞬、不思議に思えたが、春日井は色々なコミュニティを動き回るタイプだし、ユイカも第一印象よりは社交的な性格だから、あり得ない話ではなかった。夏については言うに及ばず。
彼らが話しかけたことで、幼馴染たちの興味がぼくから逸れたのが分かった。
今こそ、今こそ彼らに話しかけないと。すでに取り返せないほどの不義理をしたが、今ならまだ間に合う。そのはずだった。
あの輪の中に入ろう。光の差すステージへ、ぼくは歩き出そうとした。
意外と、脚を持ち上げることができた。
鉛のように重たい革靴を引きずって、一歩、歩き出す。
しかし、その瞬間、彼らの名前に含まれる季節の名前に気がついた。
智明、アキ、秋。郁乃の苗字は冬坂で、冬。二人のハル、すなわち春。
そして、彼女の名前は夏。
春日井とユイカ、夏、智明、郁乃。彼らで季節が一巡りしている。
その調和は、ぼくがそこに混ざることで消えてしまう。
和音に一つ外れた音があるだけで、ハーモニーが不協和音に様変わりするように。
名前にたいした意味なんてない。偶然、揃っているだけだ。
だけど、四つで完結する四季と、ぼくの遠くで楽しげに言葉を交わし合う彼らは、限りなく似ているように見えた。
遠い。
彼らが、限りなく遠かった。
ぼくは歩こうとしていたのだったか? それすら曖昧になる。
高揚した人々の他愛ない会話が巨大なノイズになって、聴覚を奪う。否応なく増幅する声、声がぼくの内部に反響して、ぼくの身体が共鳴で壊れるような錯覚を覚えるほどに音が飽和したとき、突然、無音が訪れた。
きぃんと耳鳴りがした。
ぼくの周囲に声が溢れているのは分かるのに、聞こえない。
質量のある無のなかを泳いでいるようだった。全ての音は遠く、砂の層を通したように霞んでいて、一挙一動が非常に重たく感じられた。
深海の底のような。
あるいは、真空の中のような……
ものいわぬ空白に押しつぶされそうになる。
あるのかも分からない酸素を求めて、息をした。
世界の全てが灰色に混じってしまうような感覚のなか、春夏秋冬を名前に持つ彼らの笑顔が、どこまでも鮮明に残り続けた。
眩暈がした。雑菌が繁殖するように、視界が濁っていく。
平衡感覚を失い、自分の身体のなかで意識がどんどん縮小していくのが分かり、腹の底に心臓が落ちていく。
全てが遠のいていく感触。
自分の身体の輪郭を失いそうだった。
まだ、どうにか自分の足を足だと認識できるうちに、後ろの茂みを突っ切り、ぼくは家に向かって走り出した。
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