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真空のなかのドレス  作者: 織野 帆里
四季の外縁
14/45

14.喧噪のなか

 ☆

 

 路地を抜け、もうすぐ坂道の大通りまで辿りつくといったとき、突然ざわめきがぼくの耳に届いてきた。


 普段は、時間帯に関わりなく、この道は静まりかえっている。

 だから最初、何か交通事故でもあったのかと思ったが、そういうタイプのざわめきではなく、むしろ賑やかさに分類されるものだった。


 非日常を楽しむ人々が交わす、笑い混じりの声。

 活気のある商店街のような、呼び込みの声。


 これは、まるで――


 ぼくは足を速め、大通りに飛び出した。

 まるで、桜まつりのような。


 大通りには出店が並び、貸衣装の着物を着た数多の観光客が行き来していた。

 

 一体どういうことなのだろう、と慌てて周囲を見渡した。


 桜まつりは明日からのはずなのに、既に出店が設置されている。

 タコ焼きやチョコバナナのような定番の出店から、漬け物にプリンなど変わり種のものまでずらりと並んでいた。坂の両脇に並んだそれらの店から、客を呼び込む声が盛んに交わされている。そして、その中央を、普段とはまるで違う道に見えるくらい、多くの人々が出歩いていた。


 街灯だけでなく、提灯が道の両脇に吊され、暖色の明かりが町並みを一変させていた。どこかにスピーカーがあるのか、楽しげな音楽まで流れている。


 そして、その音楽をかき消すほどの、楽しげな声、声、声。


 ぼくは呆然と、人がごった返す坂を登っていった。

 登りながら、徐々に焦りがこみ上げてきた。何しろ、ぼくは桜まつりの運営に多少なりとも関わっているのだ。


 明日からだと思っていたのに、この状況は何だ? 

 ぼくは何か聞き忘れていたのだろうか。


 何か、ぼくがいないことで迷惑をかけてはいないだろうか――


「おっ、本宮さんとこの、えぇと、ユージくんか?」


 ぼくは出店で呼び込みをしていた男性に声をかけられた。辻ヶ丘のふもとで商店を営んでいる、顔見知りだ。ぼくは足を止めて頷き、この様子について質問した。


「ああ、これは前夜祭だよ」と、事もなげに彼は言った。


「前夜祭?」

 ぼくはおうむ返しに聞き返す。彼はああ、と頷く。


「普段の桜まつりは、昼間じゃねぇか。だけど、折角なら夜桜も楽しんでほしい、っていう案が会議で出てな。まあオレも、仕事が終わった後に出店だすのかよ、面倒だな、って思ったんだけどな。この賑わいを見ちゃあ、やって良かった、と言うしかねぇな」


 一本やるよ、と串に刺さったリンゴ飴をもらった。


 男性は額に汗を浮かべながら、嬉しそうに人混みを見回した。


 確かに、例年の桜まつりよりも明らかに人が多かった。

 それに、貸衣装らしい着物をまとっている人が多いが、貸衣装屋なんて去年まではなかったはずだ。出店の種類も数も、増えているように思える。


「休日の昼間はムリだが、この時間帯なら出店に協力してもいい、って人が意外といたんだよ。呉服屋が着物のレンタルやったり、な。そういえば、この案を出したのは、あんたのとこの女の子だった気がするが、あー、何だっけな――」


「灯子さんですか?」ぼくは、翠緑荘の住人の名前を出す。


「そうそう、()西(さい)トーコちゃん」


 思い出した、というように彼が頷く。


「あの子、まだ大学生なのに、あ、院生だったか? えらい頑張ってたな。ユージくんも確か、トーコちゃんの手伝いをしてたんじゃなかったか?」


 そのはずですが、前夜祭の件は初耳でした。

 ぼくが呆然としてそう言うと、彼は僅かに驚きの表情を浮かべた。


「翠緑荘は仲いいんじゃないのか?」


 本心が、ぽろりと零れたようだった。彼は一瞬、そのことを後悔したような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻ってぼくの背を叩く。

 ほれ、手伝いに行ってやれよ。と、励ますかのように明るい口調で言う。


 教えて頂きありがとうございます、とぼくは頭を下げ、その場を立ち去った。


 もらったリンゴ飴の包装を剥ぎ、仮設のゴミ箱に捨てる。赤色に着色された飴はとても硬く、まったく歯が立たなかった。歩きながら食べることは諦め、うっかり誰かの服に飴をつけないように注意しながら、坂を登った。


 翠緑荘は仲が良い。


 彼が言ったことは正しい。ぼくもその通りだと思う。

 血縁のない他人だが、まるで家族のように共同生活を営んでいた。


 そこから距離を置いたのは、ぼく自身だ。


 だって、だって仕方ないじゃないか。この数ヶ月のぼくは、誰にも会いたくなかったのだから。誰よりも気軽に接していた、翠緑荘の住人にだって顔を合わせられなくなった。


 ぼくはやはり、あの高校に落ちて変わってしまったのだ。


 それが悪かったとは言わない。高校に落ちる前のぼくは、姉の後をついていくだけの人形だったのだから。かつて姉の通った道である、敷かれたレールから突き落とされたのだから、自分を見失ったのは必然だった。


 それでも、どうにか自分の居場所を作る術をひらめいた気がしたのに、いまそれが音を立てて瓦解するのを感じていた。


 他人の承認のなかにぼくは居場所を見つけようとしたのだ。

 翠緑荘の面々は、ぼくを認めて、肯定してくれるはずの人だった。


 だが、現にいま、ぼく抜きで翠緑荘は動いている。


 偶然か故意か、いや故意ではないだろうが、翠緑荘の一つのイベントである「桜まつり」の日程がぼくに知らされていなかったのは事実だ。


 つまり、今この瞬間、ぼくは翠緑荘において必要とされていないということだ。


 ぐらり、と身体が傾くのを感じた。視界がノイズのようなものに浸食されていく。


 立ちくらみだ。どうにか膝をつくのは堪えたが、立ち止まってしまった。

 立ち尽くすぼくの両脇を、人波がすり抜けてゆく。

 

 ☆

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