12.宇宙へ、綴る言葉
☆
ホームルームで、担任が例の作文の回収を呼びかけた。
ぼくは内心、忘れていてくれれば良いと思っていたのだが、まあ、こういう時に限って担任は覚えているものだ。他の生徒が書き上がった作文用紙を持って教壇に向かうなか、一人だけ手ぶらで行って「まだ書けていません」と申告するのは予想以上に気まずかった。
「今日中に提出できるか」
という担任の問いかけに首肯すると、「よし」とだけ言って解放された。
もう一言二言は叱られると思っていたので、少々肩すかしを食らった気分だった。
放課後、教室は施錠されてしまったので、入学して以来初めて、高校の図書室にやって来た。三階の校舎の端、まるで人目を避けるような場所にあり、どことなく埃っぽい。
空気中に漂う塵芥が、春の穏やかな陽射しを受けてほのかに輝いていた。
自習している生徒が二、三人いたが、しんとした空間が広がっていた。全くの無音ではなく、何かを書くような音が断続的に響いているのがかえって静かさを感じさせる。
ぼくは、いちばん窓際の席に陣取り、冷たい机に真っ白なままの原稿用紙を広げる。
六時には校門が閉まり、生徒は追い出されてしまう。
残された時間は二時間ほどしかなかった。
何か参考になる本はないかと、図書館の本棚を物色していると、先ほどユイカが言っていた「加洲トオル」の名前を見つけた。
本棚にある彼の本は一冊しかない。それは薄めの文庫本だった。
ぼくは、何気なくそれを手に取り、裏表紙にあるあらすじを見た。
『宇宙で人が暮らし、宇宙で人が産まれるようになった時代。木星ステーション第四居住ブロックの食品工場で働くリヤは――』
これこそユイカが言っていた小説ではないだろうか、とぼくは驚く。
はるか遠い、ある居住区に住んでいた人々が事故のために取り残され、事故を発生させたのがお互いではないかと疑い、あらゆる物資を奪い合い……そして、死んでいく。
主人公は最後にひとり残り、そして救出されるのだが、あまりにも救いのない小説だった。
宇宙を扱ったフィクション作品というと、宇宙を舞台に戦うとか、地球とは全く異なる星を探検するとか、そういうものかと思っていたが、加洲トオルの小説はもっと狭い世界を究極的なリアルに描ききることに注力しているようだった。
宇宙で人が暮らす。
本来人が住むべきではなかった場所に、どうにかこうにか暮らすこと。
閉鎖的な社会で、家族とすら隔離され、生きるために生きること。技術も、人間関係も綻びがあってはならず、しかし――綻びるものだ。
そういう教訓を書いているようにも思えた。
宇宙探検やサイエンス・フィクションを扱った本は、図書館の入り口辺りにコーナーを設けて置いてあるのだが、この本はそこに選ばれず、本棚の片隅にあった。
それは、宇宙進出に浮かれているこのご時世と相容れないから、ということなのだろう。
だからといって、こんなにあからさまに分けるなんて、と腹が立った。
学校が、SPCである逢水野市に媚びているとしか思えない。市立の高校だから仕方ない、という言葉で済ませたくはなかった。
賛成と反対、どちらの意見もあってもいいのではないか。
片方の意見をわざと隠すなんて、ずいぶん暴力的なやり方だし、ぼくたち高校生の考え方をコントロールしようとしているようにしか見えない。
ぼくは、そういう反抗心からだったことは否定しないが、この本を参考にして、宇宙で人が暮らす危険性について論じてみたくなった。
時刻は四時半になっていた。
ぼくは急いで机に戻り、思い付くままに文章を書きはじめた。
☆
気がつくと、眩しいほどに差し込んでいた陽射しは蛍光灯の白い光に取って代わられていた。
ペンを握っていた親指が凝り、痛み始めていた。ぼくはシャープペンシルを置き、窓の外を眺める。すっかり暗くなったグラウンドで何かの部活が練習をしているのが窺えた。
どうにか、五枚の原稿用紙に文字を詰めることができた。
かなり急いで書き上げたので、細かい文法的なミスや単語の食い違いなどはあるかもしれないが、それなりに内容のあるものを書けたのではないか、と思う。
うん、及第点だろう。
ぼくは、図書委員を除いて無人となった図書室を出て、暗い廊下を足早に歩いた。
人感センサーが、ぼくの後を着いてくるように点灯していく。職員室に行き、書いた作文を手渡すと、担任はぼくの目の前で作文に目を通し始めた。
良い気分ではないが、遅れて提出したのだからあまり文句は言えない。
「うん、良いじゃないか」と担任は言った。
ぼくが原稿用紙に密かに込めた反抗心は、彼に伝わったのだろうか。
「本宮は授業態度も悪くないし、こんなにいい文章が書けるのに、今日はうっかりしてたのか?」
気がついたら提出日になってました、とぼくは作り笑いをする。
「そうか。なかなかいい作文だね。代表に選ばれると良いな」
「代表?」
いったい何のことを言っているのか分からなかった。
「先生、代表とかあるんですか? この作文は」
「聞いてなかったのか?」彼は目を丸くする。「てっきり、それで気合いを入れて書いたんだと思ったよ。この作文は、宇宙留学の第一次選抜の材料になるんだよ。とはいっても、まあ、これだけじゃないけどな」
思わぬところで、思わぬ名前が出てきた。
ぼくは適当に会話を切り上げ、下駄箱で冷え切った靴に履き替えた。終わりかけの夕焼けのなか、部活動の連中が練習をしていた。
その、いかにも青春のエネルギーといった、溌剌とあふれ出す活気がここまで届くのを感じながら、ぼくは校門に向かった。
宇宙留学の選抜材料になる、と担任は言っていた。
あれを聞いたとき、微かに――しかし確かに胸が高揚した。
とはいえ。あの寒川ですらダメだったのだ、もしあの作文が上手く評価されたとして、それが宇宙への切符に続く道であるはずもない。
限りなく狭い門を奪い合う、そんなことに労力を割く気にはなれなかった。
☆