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真空のなかのドレス  作者: 織野 帆里
四季の外縁
11/45

11.逢水野市の新客

 ☆

 

「僕は、これでも宇宙飛行士に憧れていたんだ。昔の話だが」


 これでも、というよりはいかにも、の間違いではないだろうか。


 子供に将来の夢を聞いたら五本の指には入るだろうな、と思いながらぼくは春日井の話を黙って聞く。係の仕事で、何がしかの書類を取りに職員室に行った帰りだ。


「幸いにして僕の周りには、そんな夢は無理だよなんて言う無粋な大人はいなかった。逆に、丁度宇宙が身近になり始めていた頃合いで、いいじゃないか、お前なら行けるよって担ぎ上げられたよ」


「ま、そういう世代だよね。俺らは」


 ぼくたちが育ったのは、まさに宇宙時代の黎明期。

 宇宙に行くことが現実的なロールモデルとして与えられた、最初の世代だ。


 七年前。


 ぼくたちが小学生のころ、宇宙ステーション『天京』が完成した。


 明らかに『天京』のできる前と後で人々の宇宙に対する距離感は変わったと言える。

 それ以前は、宇宙飛行士のような、宇宙に行く職業に就いていない、いわゆる民間人で宇宙に行くとなれば、それ自体がニュースになった時代だった。

 ぼくには考えられないようなお金を積んで行く、当時の宇宙旅行は、観光と言うよりはビジネスであり、著名人が自社のプロモーションを兼ねてするものだった。


 『天京』が完成した時期は、世界的に見ても宇宙旅行のハードルが下がり始めた時期だった。


 世界的なアーティストが宇宙に行き、その経験を糧とした作品を作ることが一種のトレンドになっていた。それでも最初は金持ちが大金を積んで行くものだったが、いつの間にか必要な金額は下がり、反比例するように宇宙旅行の枠は増大した。


 いつからだろうか。


 文字通り雲の上の存在だった宇宙旅行は、それなりに頑張れば手が届くところまで降りてきた。

 噂の宇宙留学しかり、宇宙はカジュアルに訪れることのできる場所になりつつあるのだ。


 ぼくは遠い遠い『天京』から、今ここにいる自分まで意識を引き戻した。

 書類がずしりと重たく、地球の重力を嫌でも感じてしまう。


 たしかに時代は少し変わった。だから、何だというのだろう。


 ぼくは、こうやって書類を移動させているだけのしがない存在だ。

 何かを新しく作り出すことのない、平行移動。


 ☆

 

 渡り廊下に差し掛かる。

 春の頼りない太陽が床に四角い陽だまりを作っていた。しかし、その輪郭は淡く、今にも消えてしまいそうだった。


 ぼくは窓の外に目を向ける。ほのかな桜色に染まりつつある木々。


 その上を覆う雲を見て、ぼくは思わず「あ」と声に出してしまった。

 春日井が気づいて立ち止まる。


「大丈夫か、本宮」


「あ、ごめん。別に何でもないよ」


「ちょっと分け方が雑だったな」

 と言いながら、春日井はぼくの持っている書類の一部を受け取ろうとする。大方、書類を落としかけたとでも思ったのだろう。

 ぼくはそれを遠慮して、窓の外を指さした。


「荷物は大丈夫。それより、あそこの丘の上に、白い雲があるだろ。すごくボヤッとした」


「……ああ、確かに」


「あの場所にぼんやりした雲がかかると、雪が降る前触れなんだよね。この辺りでは大体当たる」


「そういうことか。確かに、ツバメが低空飛行すると雨だとか、朝の虹は雨だとか、そういう言い伝えはよくあるよな。所詮は伝承だが、先祖代々が口伝えで統計を取ったようなものだからな、科学的に見て正しいものも多い。まぁ、しかし、四月にもなって雪か? 珍しいな」


「そうでもない。この辺りはよく春に降るよ。まぁ、数年に一度あるかないかだけどね」


「へぇ。それは面白い話を、どうもありがとう。しかし本宮はそんな悠長なことを言っていられないんじゃないのか」


「え、どうして?」


「雪が降ったら花が散るだろ」


 春日井は当然のように答えた。

「桜まつりを目前にして、桜が散ってしまったら困るんじゃないのか」


 ああ、とぼくは腑に落ちて呟く。普通はそう思うのだな、と納得した。

 辻ヶ丘に生まれ育った人間は違うのだが。


「このあたりではね、桜隠しって言って、むしろ歓迎される天気なんだ」


 桜隠し。


 季語でもあるこれは、桜と雪が同時に見られ、雪が桜の花を覆い隠すという、春なのか冬なのか分からなくなる現象を指す。これが、地形の影響か辻ヶ丘では比較的よく発生するのだ。


 条件が整っていないと見られない希少な景色である上に、桜と雪という、何れも風流への憧れをかき立てるモチーフの競演。そういう条件が積み重なって、辻ヶ丘の桜隠しを待ち望んでいる人間は地元の人間以外にも意外と多い。


 ぼくがそのことを説明すると、春日井は感心するリアクションを取った。


「なるほど。本来は逆境だが、それが客を呼ぶわけか。辻ヶ丘の人間にとってはかえって福音なんだな」


 大げさだな、と思いながらぼくは黙っていた。

 最近、この春日井という人物像が大体分かってきたのだ。彼は口調が固い上に多少表現が大仰なのだが、それが本来のしゃべり方であるらしい。

 そこに目を瞑れば、大体何に対しても好意的な反応を示してくれるので話しやすい相手と言えた。


 春日井と二人で掲示物を貼り終わると、ちょうど食堂が空きはじめる時間になっていた。


 昼休みが始まってすぐは決まって超満員なのだが、十五分ほどたつとピークが過ぎ、空席ができ始める。


 ぼくは春日井を昼食に誘った。


 それが社交的な人間の取るべき選択肢だろう……という計算による、いわば演技である。

 だけど一日にとる大抵の行動は、こういうときはこういう行動をすべきである、というモデルが予めあって、それを再生しているだけに過ぎない。


 ともあれ、ぼくは友好的な態度として春日井を昼食に誘ったのだけど、彼は、構わないが、と言ってしばし言い淀んだ。


 彼にしては珍しいことだ。


 かける言葉を誤ったかと不安になりながら彼の返事を待っていると、「ハルちゃん!」と場違いに明るい声が飛んできた。

 声の主は教室の扉から勢いよく飛び出してきて、春日井にあふれんばかりの笑顔を見せ、その隣にいるぼくを見て、完全に凍り付いた。


 ☆

 

 なんだかんだで彼女、遥山ユイカとぼくらは一緒に食堂に向かうことになった。

 喋ったことこそないが、ぼくは彼女のことを知っていた。


 いつも春日井と一緒にいる女の子だ。


 ただの友人なのか、それ以上の関係なのかは分からない。


 彼女は、ぼくらの会話に割って入ってしまったことに始終申し訳なさそうにしていたが、とにかく成り行き的にぼくらは一緒に食事をすることになったのである。


 正直、初対面の女性と一緒に食事をするのは平静ではいられない。


 いくら共通の知人である春日井がいるとはいえ、彼だって出会ってから大して時間が経ったわけでもない。どちらかと言えばむしろ、居づらさを助長させる要素だった。


 ぼくは食堂の、くすんだピンク色をしたトレーを遠慮がちに春日井の隣に置き、斜め前に座っている彼女に視線を投げかける。

 不躾ではなく、無視もしないような程よい視線というのは、難しい。まっすぐ見つめるのではなく、春日井を見ているのか彼女を見ているのか分からないように、その中間辺りに目を向けた。


 いただきます、とユイカが行儀良く手を合わせた。


 自宅の食卓ならともかく、学校の食堂でそれをするのは目新しくて少し驚く。しかし、礼節のなっていない人間だと思われたくはなかったので、素知らぬ顔で彼女の真似をした。


 春日井とユイカは楽しげにお喋りをしていた。


 ぼくには分からない話題が多いのだが、二人とも気を遣って、会話のバックボーンにある彼らの生い立ちだったり、趣味だったりを補足しながら喋ってくれた。

 おかげで、ぼくはこの二人組の素性をだいたい理解することができた。


 彼らは、去年まで都内の中学校に通っていたが、春からこの街に引っ越してきたらしい。


「なるほど、中学から知り合いなんだ」


 それで二人は親しげなのか、と合点を得る。ついでに、二人の具体的な関係についても多少は野次馬的な興味を持ったが、そこは態度に出さないでおく。


「それにしても、どうしてこんな辺鄙な街にきたの?」


 ぼくの質問に、二人は目を見合わせた。


「都内にいたなら、そっちに幾らでも高校があったんじゃないの」


「ああ、そういう意味か」春日井が味噌汁の椀から口を離して頷いた。「何の自虐かと。僕から見れば、辻ヶ丘は魅力的な土地だ。自然があり、それでいて人もいる」


「ふぅん?」


 ぼくは、少しこそばゆいような、誇らしいような気がして、落ち着くために茶を啜った。


「まあ、一つには――本宮、君はどうも複雑に感じているようだけど、この市がSPCだからだ。新しい技術のあるところには、新鮮で清浄な空気があり、若々しい活気がある。この学校も、そんな雰囲気がある」


「二人のいた学校はちがったの?」


 何気ない質問のつもりだったが、春日井は口ごもり、ユイカは唇を噛んだ。それだけで、彼らがどういう理由でこの高校に来たのか何となく察せてしまい、ぼくはそれ以上聞くのをやめた。


 代わりに、ユイカが別の話題を出した。

 一瞬、三人とも感じていただろう暗い空気を払拭するがごとく、明るい声で。


「ハルちゃんと本宮くんは、作文はなに書いた?」


「作文……ああ、例の。宇宙に関する経験についての作文、だっけ」


「ああ。あれ、今日のホームルームまでだよな」


「え、そうだっけ」ぼくは慌てる。


 心臓が冷える気がした。ぼくは書く内容に悩んでしまって、結局まだ手を付けていないのだ。慌てて記憶を辿るが、作文の締め切りがいつだったかは思い出せそうになかった。


「俺、まだ書いてないんだ。忘れてた」ぼくは早口で言った。目の前には手付かずのうどんが残っていたが、ご飯を食べるような気分では既になかった。


「それは気の毒に。本宮は今日は居残りだな」

 春日井が肩を竦めて、同情するように笑った。


「何を書くかはもう決めたの?」

 ユイカが、手を自分の頬に添えながら訊いてくる。


 二人は、ぼくの失敗を責めるでも馬鹿にするでもなく、極めてニュートラルに扱った。

 ――もしかしてこれが、都会人、という奴なのか。

 彼らがそういう落ち着いた反応なので、ぼくの焦りも徐々に遠のいていき、ではどう対処するか、という具体的な対策に頭が及んだ。


「まだだ。不味いなぁ」


 作文なんてどうでも良かったのだが、高校に入って早々に失敗するのは嫌だった。贅沢を言うならそれなりに見栄えのするものにしたい、と、ぼくの自尊心が呟いている。


「僕は、無重力が人体に及ぼす影響に興味があるからそのことを書いたな。陸上をやっているから、そこと関連付けて。ハルはどうした?」


「私は……」ユイカは少し口ごもった。「最近、宇宙に関する小説を読んだの。それについて、って感じかな」


「小説かぁ。そういう書き方もあるんだな」


「若干、ズルっぽいけど……」ユイカが下を向く。


「誰の小説で書いたの?」


「あのね、加洲トオルって人。私、いちばん好きな作家さんなんだ」


「カストール?」


 外国人作家だろうか、とぼくは首を捻る。


「おい、ハル」と、何故か春日井が口を挟む。ユイカがどこか悪戯っぽい笑顔をする。春日井は、なにか言おうとして、そのまま黙り込んだ。


 これら一連の、視線のやり取りの意味は、ぼくには分からなかった。


 ☆

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