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真空のなかのドレス  作者: 織野 帆里
四季の外縁
10/45

10.三日月の残像

 ☆


 ぼくらはショッピングセンターを出て、沢並(さわなみ)駅へ向かった。

 時刻は六時前で、街を包み込む夕闇がオレンジ色から臙脂色に変わろうとしているところだった。

 天球の半分が赤々と燃え上がり、昼でも夜でもない夕方という時刻を彩っている。


 建物の二階から連絡通路に出たぼくは暫し、それに見とれていた。

 こんな綺麗な夕焼けは久しぶりに見た。


 黄色からオレンジを経由して僅かに桃色のニュアンスを含み、藍色へ続く。


 思わず歩みがゆっくりになるぼくを、夏は数歩進んでから振り返った。冷たい風に括った髪をなびかせ、無表情でこちらを見つめる。


「どうかしましたか」


「いや」


 綺麗な夕焼けだね、と感動を素直に伝えることも考えたが、この美しさの前にはどんな言葉もしらけて響いてしまうように思われた。それに、百人いたら百人とも思い付くようなつまらない言葉を彼女に投げかけることが申し訳なかった。


 連絡通路の脇で何人か、露天商がいた。人が多く集まる駅ならではのものだ。

 

 多くは地面に布を広げて、手作りのインテリアや縫いぐるみを売っている。

 正直なところ、ぼくはこういう手合いにあまり近づきたくなかった。ほとんど立ち寄る人はいないし、下手に近づいたら言葉巧みにいらないものを買わされそうだからだ。


 なので、ぼくは極力そちらに目をやらず、彼らのせいで狭くなった道をまっすぐ通り抜けようとした。

 だが、意外にも彼女が歩を緩め、ひとつの売り場をのぞき込んだ。


「夏さん」


 ぼくは慌てた。

「あんまり時間ないけど」と、彼女を引き留めようとする。

 彼女はこちらを振り返り、目を細めて照れるような笑顔を浮かべた。


「ごめんなさい。五分だけ」


 そんな表情もするのか、と驚いた。


 ☆


 そこは露天商のなかでもひときわ店構えが小さく、陳列されているものも種類が多いとは言えなかった。手作りのアクセサリーを売っているらしいが、大して目新しい感じもせず、彼女が惹かれるような要素はないように思われた。


 売り子をやっている、中年と思わしき女性がにこやかに挨拶をしてくる。


「こんにちは。何か気になるのがあったら見ていってくださいね」


「ありがとうございます」


 と、夏がよそ行きの声で答える。スカートを押さえてしゃがみ込み、綺麗に並べられている商品のひとつをそっとつまみ上げた。


 それが彼女の目当てらしい。


 ぼくは、一体なにが彼女の興味をそこまで引いたのかとのぞき込む。


 それは、プラスティックと金属を組み合わせたリングのようだった。

 細長い弧のような形をした金属のパーツが、プラスティックと咬み合うようになっている。他の商品をちらりと見ると、多くは細かいビーズをテグスで編み上げたチャームで、そのなかで彼女が手にしたリングは異質だった。


 極めてシンプルで、思い切ったデザインだ。

 しかし、何故ひとつだけ系統の違うものを置いているのか疑問に思った。


「ちょうど、今日の月みたいですね」


「あら!」売り子の女性が高い声を上げた。

「鋭いね、お姉さん。そうなんですよ、気づいてもらえると嬉しいもんですねぇ」


「どういうこと?」ぼくは説明をつい求めてしまった。


「この銀色のパーツが、三日月の形になっているんですよ」


 そう言って、リングがこちらにも見えるように向けてくれた。なるほど、プラスティックの部分は透明なので、たしかに細い月が浮かんでいるように見えた。


「私はね、ほら、普段はビーズばっかり触ってるんですけど。これは……娘のアイデアで、面白いなと思いましてね、試しに作ってみたんです」


 楽しそうに喋りながらも、娘を慈しんでいるのか、一瞬女性は遠くを見るような目になった。


「なんせ、作り慣れていないもんで、あんまり数がなくて。でも、試作品ですけど、もうひとつあるんですよ。良かったらお兄さんも彼女さんとお揃い、なんてどうです? 試作ですからね、おまけでお付けしちゃいますよ」


 どうやら学校帰りのカップルとでも思われているらしい。

 ぼくは差し出されるまま、女性が差し出すリングを受け取った。こちらは金属部分の色が金になっている。手のひらに乗せると夕日の色を反射して、まばゆく輝いた。次に片目を閉じて、空を透かし見てみた。

 上手く角度と距離を調節すると、まるで指先で月をつまんでいるような錯覚をすることができた。


 月は、あの宇宙留学生たちですら行けない場所だ。それを身に纏うなんて、何だか申し訳ないというか、分不相応に思えた。


「月、かぁ……。ぼくには不釣り合いだなぁ」


「やだぁ、不釣り合いって」と、売り子の女性が笑い出す。


「あっ、すみません。ちょっと気になってしまって……」


 ぼくは独り言のつもりで言ったので、慌てて謝る。

 幸い、彼女は笑顔だった。


「そんな、釣り合いなんて考えなくていいんですよ。私も、とくべつ宇宙が好きとか詳しいってわけじゃないけどね。やっぱり宇宙は素敵だなって思いますよ」


「リングに対して、不釣り合いって……」


 夏の言葉の語尾が震えていた。「優治さん、そんなこと考えてたんですか? ちょっと、面白いですよ、それは」


 彼女は笑いを堪えているのだ、と気づく。それもまた、初めて見る彼女の姿だった。

 ぼくは女性二人に笑われてどうしたらいいか分からず、結局勧められるまま、そのリングを受け取ってしまった。

 

 ☆


 そのリングは女性向けのサイズであったらしく、小指にすら通らなかったので、代わりに同色のチェーンを通してペンダントのように加工してもらった。

 売り子の女性はひとつぶんの価格でもうひとつオマケに付けてくれるつもりのようだったが、それを断って定価で買った。


 決して高くはなかったものの、姉からもらった交通費は帰りの電車賃を残してほぼ使い切ってしまった。


 ペンダントは制服の中に着けているので外からは見えないが、歩く度に揺れているのが慣れない感触だった。空に浮かぶ月を仰ぎ見て、ぼくは今、あれと同じものを身につけているのだ、と少し誇らしく思った。

 いや、同じものじゃないけれど、月を象ったペンダントを着けているという意識は、案外悪いものじゃなくて、ぼくの曲がりがちな背筋を少し伸ばした。


「なんだか……夏さんがああいったものに惹かれるのは、意外だった」


 彼女も自分のリングを買っていた。ぼくのはゴールドだが、彼女のはシルバーだ。

 右手の人差し指に着けたリングをくるくると指で回している。


「そうですか?」


「いや……そういえば、シンプルなものが好きなんだっけ。それに、夏さんは天体望遠鏡を持ってる」


 シンプルを愛し、宇宙への興味もある。

 それらの情報を組み合わせれば、確かに彼女らしいのだが、彼女が装飾品に対して興味を示すのが意外だったのだ。彼女の、真っ白なものしか纏わないファッションは個性的で、外見に気を遣っているのは確かに分かるのだが、それはお洒落というよりはこだわりに近いものだと思っていた。


「こういう、下品さがない……純粋に美しいものは、ほとんどないと思っています」


 彼女はリングを外し、紺色になりつつある宵の空に透かした。


「特に装身具は、他人からどう見られるかという視点が先行していて、シンプルな綺麗さは感じないものが多くて。そうかと思うと、逆に何の意匠もないつまらないものであったり。このリングのように、テーマに誠実でありながら品のあるものは、そばに置いておきたいと思うんです」


 ☆


 幼馴染と別れるときに演じた奇行を思い出し、おそるおそる翠緑荘に帰ったが、住人の対応は極めていつも通りだった。


 ちょうど、桜まつりの何かの準備が終わったところらしく、人々は晩ご飯の準備でバタバタとしていた。幼馴染はぼくの行動についてはとくに触れず、代わりに「ギター勝手に持ってくなよ。お前が帰ってくるまで死ぬほど不安だったろうが」と真っ当なお叱りをいただいた。


 自分の部屋に戻って制服を脱ぎ、ペンダントを首から外してもう一度眺めた。


 窓ガラスの向こうの夜空に、金色の月が浮かぶ。

 しばらくそれを眺めていたけど、そのうちに飽きてカーテンを閉めた。ペンダントの置き場にしばらく悩み、勉強机のいちばん目立つところに置いた。


 ふぅ、と息を吐いて、ベッドに倒れ込む。

 自分の部屋をなんとはなしに眺めた。

 彼女の言葉を思い出し、ものが多い部屋だな、と思う。


――きっと優治さんの部屋には、ベッドや机や本があって、それはぜんぶ貴方のものなんでしょう。だけど、私の持ち物と言えるものは、本当にあれだけなんです。


 生まれてから十五年間、少しずつ増えていった私物。

 今さら減らせるようなものでもない。しかし、彼女の言葉を聞いて、後ろめたさのようなものを覚え、同時に洗練された彼女の身辺が、人として本来あるべき理想郷のようにも思えたのだった。


 ぼくは部屋の電気を消し、目を閉じて、三日月の残像を脳裏から消し去ろうとした。


 しかし、見ないようにすればするほど月はその明るさを増して、ぼくの視界に宇宙が広がっていく。


 いつしかベッドの存在を感じなくなり、自分が宇宙に漂うデブリと同等に感じられたころ、ぼくは眠りに落ちた。


 ☆

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