06
発見された莉緒が搬送されたのは、奇しくも1ヵ月半前と同じ病院だった。
克之が京浜島の倉庫前で見かけた不審人物を見失ったとき、脇から出てきた大久保から大和が莉緒を発見したとの知らせを受けた。しかし、発見時の状況や莉緒の容態などの情報はなく、倉庫前で待つ俊輔を大久保に託すと、取るものもとりあえず搬送先の病院に向かった。
不本意ながら、見慣れてしまった病院の外観。
人生でそう何度も経験することのないはずの、救急外来。
しかも、この1ヵ月半で2度も愛娘のことで経験することになるとは誰が思うだろうか。
病院に到着するなり、克之は迷うことなく救急外来窓口に走った。
「すみません……。城南島から救急搬送された木下莉緒の父親ですが、娘は……」
「莉緒ちゃんのお父様ですね? 現在処置室で治療をしています。そちらの待合でお待ちください」
看護士に案内され待合に移動すると、そこには大和がいた。待合のソファに座ることなく、処置室の前を落ち着きなく行ったり来たりしていた。
「大和くん、莉緒は……」
「あ、克之さん……」
克之の声に肩が跳ねると、大和はゆっくりと振り返った。
「克之さん、申し訳ありませんでしたっ! 僕が莉緒ちゃんを送って行けなかったばっかりに、こんな事態になってしまって……。隼人にも莉緒ちゃんを守ると約束していたのに、俺は……!」
大和は克之の顔を見るなり土下座し、手が白くなるほど強く握りしめ、肩を震わせ謝罪した。
大和の肌はところどころ煤けており、その身が纏う衣服も焦げていたり埃や煤・血で汚れていた。
感謝こそすれ責める気はまるでなかった克之は、一瞬驚いたもののすぐに我に返り、額を床に押し付けて土下座する大和の体をゆっくりと抱き起こした。
「大和くんの責任ではないよ。本来なら親である私が負うべき責任だ。君が気に病むことではない」
「でも、克之さん……」
「それよりも、衣服を焦がし煤けるような状況で莉緒を見つけてくれたことに感謝してるんだ」
克之は待合の椅子に座るよう促すと、大和は1人分のスペースをあけて克之の隣に座った。
「それで、莉緒の様子は……?」
克之は、つとめて落ち着いた声で尋ねた。
「莉緒ちゃんを発見したとき、手足を縛られ床に倒れていました。素人所見ですが……、頭を強打、額が割れて血塗れ、頬には殴られた痕があり、首を絞められたような圧迫痕が見られました……」
大和は、莉緒を発見した状況から容態まで、ポツポツと話し出した。
大学でゼミの説明会が終わった頃、父から連絡が入りました。
莉緒ちゃんが、朝から登校せず行方不明だと……。
俺は、父に頼み込んで莉緒ちゃんの捜索隊に加えてもらったんです。
父の配下と合流したところで、城南島の空港が見えるエリアの工場・倉庫を重点的に探すよう指示を受けました。
現地に到着し、手分けして捜索していたときのことです。
何やら焦げるような臭いが鼻をつき、その臭いの元を辿ってみたところ「火事だっ!」と叫ぶ声が聞こえました。駆けつけると、錆びれた倉庫から黒い煙が上がっていました。既に消防への連絡は済んでいたようで、野次馬で集まったご近所さんが遠巻きに眺めながら現場の状況を話していました。
「空き倉庫で良かったわね〜。篠宮さんとこが引き揚げてから、半年くらい経っているでしょ?」
「え、空き倉庫なの? 次のテナント、決まってるのではなくて……?」
「ちょっと、それ、どういうことなの?」
「今朝そこに車が停まってて、お嬢様然した女子高生ぐらいの子と現場作業員風のいい体つきした男が入っていくのを見たのよ〜」
「それで、それで?」
――空き倉庫、篠宮、女の子、今朝荷物を搬入……?
俺は、妙な胸騒ぎを覚えてご近所さんの会話に耳を傾けました。
「ただね……。男の人が抱きかかえていた荷物が大きな麻袋だったんだけど、気のせいかしら、中身が動いたような気がしたのよね~」
「えぇ、何それ! 動物でも入っていたのかしら。それとも、アンタの見間違いじゃないの~?」
その瞬間、頭が沸騰して黒煙吹き出す倉庫に飛び込んでいました。
「倉庫の中は煙が充満していて、偶然足を引っかけて転んだところで莉緒ちゃんが横たわっているのを見つけました。莉緒ちゃんを抱きかかえて逃げようとしたとき、消防の人が救助に来てくれたので助かりました」
克之は「大和くん、ありがとう……」と小さく呟くと、大和を抱きしめた。
待合に通されてから、どれだけ時間が経過しただろう。
処置室の扉が開き、中からベッドに寝かされた莉緒が出てきた。
「莉緒っ!」
「莉緒ちゃん!」
大和とともに克之は莉緒の枕元に駆け寄った。
頭と喉、手足は包帯でぐるぐる巻きにされ、頬には大きなガーゼが貼られている。
意識がないのか眠っているだけなのか、呼びかけには応じずぐったりとしていた。
続いて、前回の入院で主治医だった外科の山本医師が出てきた。
「木下さん……」
「先生……。莉緒の容態は……?」
「とりあえず、別室でお話ししましょうか……」
大和は「ひとまず父に状況を連絡してきます」と言って席を外した。
山本医師は莉緒を病室に連れていくよう看護士に促すと、克之を別室へと案内した。
「今のところ、命に別状はありませんのでご安心ください」
山本医師は、穏やかで力強い口調で断言した。
その言葉を受け、克之は安堵のため息をついた。
「搬送された莉緒ちゃんを見たとき、小学4年生の女児が受ける暴行の程度ではないと憤りましたよ。はっきり言って、これは殺人レベルです!」
山本医師は「失礼、私にも同じ年頃の娘がいるものですから……」と顔を曇らせ、言葉を続けた。
「顔や頭、肩から腹部・大腿部にかけて暴行を受けた痕が見られ、肋骨にはひびが入っています。他にも、額は割れて出血、首を絞められた痕、手足を拘束された際にできたと思われる傷もありました。また、火災現場で発見されたということもあり左大腿部の火傷が認められるのと、煙もかなり吸い込んでいます。処置中に意識が戻ったので大丈夫だと思いますが、容態が安定するまで集中治療室で様子を見ることになるでしょう」
医師から詳細な説明を直接聞き、実は莉緒がどれほど危険な状態あったかを知った克之は苦悶の表情を浮かべた。
「……暴行を受けた傷は、2~3ヵ月もすればきれいに完治することでしょう。しかし、この短い期間に二度も暴力を受けた莉緒ちゃんの心の傷は、そう簡単に癒されるものではないと思います。木下さんのご都合が許すなら、莉緒ちゃんの置かれた環境を変えてゆっくり静養することも考えられてはいかがでしょうか」
愛娘を守り切れなかった自責の念と掌中の珠を傷つけられた怒りと哀しみが綯交ぜとなり、克之は山本医師の言葉を取り乱さずに受け止めるので精いっぱいだった。
「妻と……、よく話し合ってみます……」
ようやく振り絞って返事をすると、山本医師は頷き「では、今後について看護士から説明をさせますので、このままお待ちください」と言って退室した。入れ替わるように看護士が来て色々と説明をしたが、その言葉は克之の頭に入ることはなかった。
その晩、克之は集中治療室で眠り続ける莉緒を言葉もなく見つめていた。
そして、静かに退室し廊下の椅子にドカッと座ると、ゆっくりと天井を仰ぎ見た。
何故、非のない莉緒が傷つけられなければならないのか――。
固い絆で結ばれた許婚がいる男に、金持ちの甘ったれ娘が横恋慕した。
粉をかけてみたものの相手にしてもらえず、その腹いせに男の許婚に暴力を振るった。
暴力事件で大きなスキャンダルにまで発展したことは他ならぬ甘ったれ娘の自業自得であり、矛先を莉緒に向けるのは御門違いにもほどがある。
誘拐・監禁・暴行傷害を引き起こした犯人逮捕は今後の警察の捜査に委ねることになるが、克之も内藤家も十中八九篠宮家が元凶だとみている。決して篠宮を許すことはできないが、しかし、追い詰められれば人間何をしでかすかわからない。今回は甘ったれ娘が暴挙に出たが、一族の他の者が第二の甘ったれ娘として危害を加えてくる可能性がゼロとは言えない。そうなると、「一族の令嬢を唆した男に天罰を」と標的が隼人に向けられるかもしれないし、篠宮コンツェルンをつぶされた会社関係者によって内藤家もしくは土方コーポレーションに仕掛けてくるかもしれない。
「くそっ!!」
克之は悪態をつくと、両手で顔を覆った。
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