第九話 道義への冒涜
「相手さんの武器から『地球外マナ』の反応があった、すか」
「らしいっすよ。ってことは、天才肌の海くんは説明しなくてもわかるね?」
「……『地球外マナ』そのものに搭乗するのが難しい状況だから、そいつらの武器や体を使って別のモンを造ったほうが早い」
「ビンゴ」
ばちん、とそれはそれは綺麗な音を立てて指を鳴らした上司の奥で、いやに神妙な面持ちの――まるで怒っているように眉間に皺を寄せるのが美人なものだからなんともギャップが怖い――少女が視線を伏せる。俺はまだまだ病院のベッドから離れられない状況でぼうっと眠っているばかりだったのだが、急なことに御美川大尉が見舞いにとやって来たのだ。神出鬼没の技術部務めの上司が持ってきたのは、出現した『アライジア製マナ』が持つ異端の武器の情報と、あろうことかアライジアのお嬢様であるヴィオラ様、その本人だった。お嬢様について問いただしたいのは山々だったが、つらつらと情報を伝えてくれた上司の話を切るわけにもいかない。それに、それはとても興味深い内容だった。
「……で、そいつのせいで少尉たちはズタボロになった、と」
「かわいそうになあ、『地球型マナ』本体にあんだけ深い傷がついたことってこの三十年ないんじゃねえの」
並みの弾丸も爆弾も通しはしない異質の金属を殺せるのは、同じ異質のみ。つい先日顔を合わせた幼い少尉が重体を負っているという事実は、彼がそれに対処できなかったということだ。それは誰もが予想していなかったことだし随分とかわいそうなことだと思う。それに、それは、道徳的にどうなのだと胸糞の悪いニュースだ。
『マナ』はすなわち生き物だ。その武器や体を引きちぎり、改造してしまうことなどあってはならない。だが、もうすでにその技術が行われているというのなら、その意識を敵方に求めるのはもはや愚考だろう。
息を深くついて丸椅子をグラグラ揺らす大尉の目的はよくわからないが、さて、話が切れたあたりこちらが問い詰めてもいいだろうか。
「御美川さん」
「なんでしょーか」
「その娘っ子は例のご令嬢っすよね」
「はい、ヴィオラ・マークエル・ハイネスと申します」
はっきりと応答したのはお嬢様本人である。重体だったと聞いているがそれも数日前の話だし、見た目やや包帯と傷跡が目立つが、まっすぐな背筋と視線を見るに動いていてもさして問題はなさそうである。しかし問題としてはそういう面でなく、彼女が着用しているのが日本防衛部の隊員服であるということだ。
そして、まるで親について歩く子ヒナのようにぺたぺたと御美川についているというのは。
「いやー、この子技術部で預かることになったんだわ」
「は?」
「海くん、俺上司。年上。は?はさすがにアウト」
「……はい?」
「まあそれでいいや……まー朗報なんだって、この子『マナ』には詳しいわべっぴんだわ胸もそこそこあるわで活気づくこと間違いなしって」
「御美川さん」
状況を理解するのは得意である。伊達にガキの頃から日本防衛部技術部門に務めちゃいない。だがそれとこれとは関係ない。その俺のガキの時からあいも変わらぬだらしない笑顔を、普段ならば両手で思い切り掴んでやるところだが、今は唯一ある左手で頬を力任せに掴んだ。
「マジでお嬢様にも手出すとかシャレになんないんでやめた方がいいっすよ、あとあんたレナを入れた時にも同じこと言ってあれそれ手出してんすから信用ないっすからね」
「あだだだだだ、かいく、海くん、あいだだだだ!!ヴィオラちゃん見てる!!めっちゃ見てる!!」
「俺がこうなってんだから技術部今人足りてないんすよ、またナンパとか行って仕事しないとかマジで俺が許さないっすよ」
「わーってる!わかってる!だからあの新しいアライジアの武器は俺とヴィオラちゃんのベストカップルで頑張って調べ、いっでえ!!」
「何もわかってないっすわあんた。これでも利き手じゃないっすし片手なんで加減はできてると思うんですけど」
痛い痛いと涙目になるいいおっさんを睨んでいると、それが教材でもあるかのような目で現場を眺めていたヴィオラがあの、と小さく声を出した。
「海さんとおっしゃるのですね」
「うん?そうっすけど」
「もし足りないようでしたら、私が、こちらを」
「待ってヴィオラちゃん、まさか君そういう人?!」
すっと伸ばされた右手が御美川の空いた頬を摘もうとするのに、また上司は悲鳴を上げる。ふと数年前、こんな場にいたレナはおろおろと俺たちを見ていただけだったのだが、それとは異なるにしろ和気藹々としたこの空気をやけに懐かしく思って。
ぶっと吹き出して笑った俺に上司が汚えと叫ぶ中、お嬢様が真面目に摘もうかと上司を眺めている中、俺はなくなった三肢のことを一瞬忘れられる程度には前向きになれた、はずだと思う。
お嬢様の身柄については、まあ、俺が構えていても仕方ないことだとさっさと切り替えることにしようか。
第九話 道義への冒涜
驚いたことに、この鬼塚定清という男は友人がいないという雰囲気をまとっているが、存外に見舞いには人が訪れるのである。
昨日の出撃もあってか今日のお前の仕事は休むことだ、と早見少佐からの指示を受けた俺はというとそれでも常の時間に起床してしまい、暇を持て余していたところ不意に頭に昨日の光景が浮かび、病院に朝一でやってきた。
昨日の光景というのは、『地球型マナ』から引き摺り下ろされた鬼塚の姿だ。
『地球型マナ』もろとも腹部に深いダメージを負った鬼塚定清は、長時間の出血と傷を負った状態で何やら無理をしたらしく、それはもう傷が抉れに抉れ、ひどい有様で病院に運び込まれた。戦場で何があったか、詳細は、まだ聞いていない。聞けていない。一心と顔を合わせないで過ごすのは随分と久しいことだった。
機械である『日本製マナ』で負った傷は、主に神経系の怪我だ。筋肉や神経が外の機械に呼応して、疲労、もしくは壊死する。実際に切れた腫れたはありはしないが、それでも腹に穴の開いた感覚を受けた俺が数日は治療を必要した程度のダメージがパイロットにはかかる。
それが、純正になると、ああなのか。俺はぞっとした。鬼塚の腹にあいた生々しい傷は、恐ろしいほどに『マナ』の傷とそのままだったのだ。流れる血の色さえ。
鬼塚の手術は昨夜のうちに終わり、彼はまわりを防菌の透明なシートに囲まれたベッドですうすうと眠っていた。面会時間開始直後にその傍らにやってきた俺に看護師の女がやけに驚いた顔をしていたが、安静にさせるならば構わないということでかれこれ数時間居座っている。暇なのである。仕方ない、一人でトレーニングするにも休めという上官からの指示に背くことになるとなれば、本当にすることもないのだから。目前の人物に声をかけても返事はないのだから。
しかし案外に暇ばかりでもなかった。前述のとおり来客が数人、数十分おきにやってきたからだ。
「あら、珍しい顔もいるものね」
最初にやってきたのは菅田マリという、鍋をなぜか一緒につついたメンバーにいた女だった。聞くに管制塔務めの彼女は鬼塚と同い年でそれなりに仲がいいらしい。顔色悪く眠る鬼塚を見て不機嫌をあらわにした顔になったかと思うと、彼女は手土産らしい菓子パンの山を棚の上に置いてすぐに帰ってしまった。
「うわあびっくりした。えっと、瀬尾さんですよね。どうも」
次に来たのは鬼塚の幼馴染である藤堂だった。彼も鍋を食べた時にいた上、普段から鬼塚の隣にいる人間がいるとすればほとんど彼であろうと囁かな噂になっている男である。もちろん悪い意味での噂だろうが、俺は単に鬼塚と親しい男なのだな、とプラスの感情を持って彼と顔を合わせた。彼は「これ定清の好物なんで、起きたらあげてやってください」と駄菓子の清涼菓子の小箱を置いていった。とても懐かしいが、これだけの量を食べたら腹を下さないか、というような爽やかな菓子だった。菅田よりはしばらく長く鬼塚の顔を眺め、帰るまで常ににこにこと人のいい笑みを浮かべていたが、鬼塚を見るときの目の色が変わっていたのは俺にはよくわかる。彼が来たら鬼塚の目も覚めるだろうか、と思っていたが鬼塚は静かに眠ったままであった。
「あれ、瀬尾くんじゃない。珍しいね」
そして驚いた続く来客は、十朱城大佐である。綺麗な顔立ちに完璧な微笑みを浮かべた様は畏怖さえ覚え、俺は思わず立ち上がって身構えた。十朱城大佐といえば俺たちの一世代上のパイロットで、その戦績は過去三十年の中でもトップに躍り出るほど。噂では抗体値は並みの52程度だというが、それだからこそ叩き出す記録に兵士たちからは英雄と呼ばれ畏れられ、憧れられている存在だった。
護衛もつけずに来たあたり仕事の一環ではないのだろうが、その人にも見舞われるような人間だというのか、鬼塚定清という男は。
十朱城大佐は鬼塚に繋がるチューブやその設備を眺め、ふむ、と口元に指を添えた。
「参ったな、これじゃ当分起きそうにないね。早く回復してくれないと困るよって激励しに来たんだけど」
「やはり、パイロットが足りませんか」
「うん、とてもじゃないけど純正の『マナ』を任せられるような人間はあんまりいなくって。おまけに今その『マナ』もズタボロなんだ、少尉くんレベルの子が山ほどいたら連戦の心配もないんだけどさ」
昨日俺たちが倒した『二体目』の『アライジア製マナ』の行動を見るに、日本防衛部にヴィオラ――だったか、あのアライジアのご令嬢だ――がいると踏んで純正『マナ』なしの基地に飛び込んできたのだろう。あらかじめ俺たちが待機していたからよかったものの、また純正『マナ』なしに猛攻をしかけられた日には、と考えると息を呑むものがある。『日本製マナ』の数も限られている上、抗体値が51、49の台を踏む者はネスト全体でも両手で数えられる程度しかいない。抗体値が50より差が大きければ大きいほど、『マナ』を操縦する感覚は苦しくなる。それは人工の『マナ』であっても再現されているシステム。どうしてかというと、今回のように純正『マナ』に故障が出た際に優秀な純正『マナ』パイロットが、優秀に人工『マナ』に乗れるようにするためである。数を数えるよりも、『マナ』という奇跡のシステムに合わせる方がよいと考えられたのだ。それもまた、数々の兵士が鬼塚を憎む原因でもある。悪いのは技術部の方だと思うのだが。
それらを踏まえると、この鬼塚定清の働きは恩恵とさえ呼べるほど重要だったと再認識することになった。
ふと、陰った思いがよぎる。不安だ。目を細めた。
「……鬼塚が目を覚ましたら、伝えた方がいいでしょうか」
きっとそうすれば鬼塚は己の怪我など無視して動こうとするだろう。それを止めて休養させるべきか。それとも。俺よりも少し背の高い大佐を見上げると、やはりこの人は誰よりもきれいに微笑む。
「うん、頼んでいい?まあ、もしあんまりにアレだったら僕も昔みたいに出るけどね」
持っていた果物入りの籠を空いた椅子の上に置くと、じゃあ、と大佐は手を振って病室から出ていった。緊張した。あの人はきれいだが、だからこそどこか怖い。息を吐きながら椅子に座りなおすと、数時間ずっと変わらず緊張もせず眠り続けている鬼塚を見やる。
先程までの思考を振り返って、ため息をひとつ。
「……部下というのはつくづく肩身が狭いな」
その時ばかりは鬼塚が目を覚まさなくて良かったと思ったものの、それから一時間ほど経っても鬼塚に変化は一切なく、来客の姿もなかった。もうすぐ昼飯の時間だ。普通の訓練も終わるだろうし、もしかしたら誰か隊員が来るかもしれない。不思議にも自分は飽きというものをあまり覚えない人間で、次の来客が誰なのだろうかとむしろ好奇心ばかりが強くなっていった。
しかし食事もとらなければ、と時計を振り向いた時、ちょうど扉が開いたのに驚いた。しかもそこにあったのは、俺にとっては見慣れた顔である。
「……何してるんだ、こんなところで」
童顔は一気に不機嫌色になった。一心は俺を無視はせず、もうすでに山盛りの土産置き場となった棚と椅子まわりを不審そうに眺めながらもその中にこつんと小さな箱を置いた。よく見るとそれは種類は異なるものの数時間前にも見たようなラムネ菓子で。俺の方は少しはそれで気分が和らいでしまったものの、一心をそのテンションを保ったまま見上げてしまうとふん、とやはりやや睨むように見下ろされる。俺はそっと首をかしげた。
「……お前も今日は休暇か」
「まあ、な。どうしてもやることがなく、仕方なく来ただけであってだな」
「その菓子は鬼塚の好物らしいが」
まっすぐ見上げていればわかる、一心は目に見えて焦りだした。いや、見えているのは視線の動きだけだが、それでも彼にとっては大きな反応である。一定に定まらない視線は、ふと眠る鬼塚を捉えてすっと痛々しく細められる。こいつも、やはり大概律儀なものだ。
「……つてから聞いた。せめてもの土産だ」
「それは、俺と同じような、恩恵に対する贖罪か」
俺は鬼塚に助けられてからというもの、ほんのすこし自分を落ち着かせて視点を変えてみた。すると見つからなかったのは鬼塚定清を嫌うまでに至る理由と、逆に見つかったのは鬼塚定清という男に対する道義だ。命を助けてもらった者に不躾な態度をとるなど言語道断。あってはならない行為であると。あの時治癒を受けていなかったならば、自分は昨日ネストを守ることなどできはしなかったはずだ。その偶然か必然か、上手く当てはまったパズルのピースのような出来事たちは、こうでなくてはならなかった。
あの時は俺に随分と腹を立てた様子だった一心も、鬼塚の状態を見てか静かに椅子の一つをとって座り込む。誰もが黙ると、心拍数を数える古めかしい機械が一定のリズムを刻む音だけが聞こえるようになる。
「……あの時俺が真っ先に敵の腰を折っていれば、鬼塚が動く必要もなかった」
そのリズムを遮って、一心はぽつぽつと、俺に対してか独り言なのか、もしかしたら鬼塚に対してかもしれないが呟き始める。
「やはり俺はこいつを好きになれん。戦場での動きがまるで俺たち違う。純正の『マナ』に俺が乗ってもあんなふうにすんなりとは動けやしない。訓練をしてどうにかなる感覚ではないなんだろう」
一心の抗体値も50に限りなく近い51で、理想といえば理想である。49コンマ4を数える俺にほど近く純正『マナ』に乗ったときの動きはスムーズなはずだが、そのどれも鬼塚と比べれば意味のない比較となる。正直なところ、俺は人工の『マナ』であっても敵とは互角の動きができるから、もう気にすることではないと思っているが一心はそうはいかないんだろう。一心とはもう長い付き合いになるから。そのくらいはわかった。
「……だがそれが、あの時に、こいつたちの傷を見ても助けようとしなかったのに十分な理由であったというのが、俺は」
そしてどこまでも真面目で、努力で好成績を叩きだしてきた男にとっては、その自分の考えがどうであるかも本来どうするべきかもわかっている上に、そうであっても改めたくない心があるのだろう。
「悔しいか」
小さく問いかければ一心の顔が俯く。
「悔しいな」
何に対しての悔しさかなどとはもう聞かない。そうか、と相槌を打てばこれこそが彼の贖罪だったのかもしれない、と思って静かに息を吐く。
「……あとジュリオ、この間はひどい態度をとってすまなかった」
「お前、俺にはすんなりと言うな」
「親友だろう、それくらいは許してくれ」
「親友だから叩き直したいと思うこともあるんだ」
小さく笑うと一心はきっと睨んでくるが、先ほどのような鋭さはない。その背をパンとひと叩きすれば、小声ながら騒がしい起こしたらどうする、などとお小言が飛んでくる。ああ、こいつはやはりいいやつだ。見限ってしまうなんて俺にはとてもできないし、したくない。それが親友というものなんだろう。
ああ、そうだとも。
早くこのことを伝えてやりたいと、俺はビニールの中の寝顔を横目に眺めた。
どうかその時にも、俺の『親友』が隣にいてくれればいいと小さく願いながら。