第八話 金色の鋭鋒
普段はすぐに返ってくる連絡が、五分待ってみても帰ってこない。まさかもう寝てるのか、とも思うが出撃もなかったこの日和に、20時に寝るだろうか。昨日は鍋ももらったことだし、お返しに飯屋にでも連れて行ってやろうかと思ったのに。まあ今日でなくともいい話だし、と端末を見るのをやめたがそうすると暇になる。長引いた仕事もきっちりと片付け、せっかくだし定清も誘って外食にしようと思って、思ってやっとの事で仕事を仕上げたというのに、とまた思考が繰り返しになるのに自分でため息を吐く。
「藤堂くん、お疲れ様ですか?」
今日のペアだった副島兵吾に声をかけられ、あ、なんか勘違いされてるな、と感づく。俺より随分年上だけれども、去年ここに入ったばかりの一応後輩。変なもんだよ、ガキの時からいるせいでいろんな人が後輩になる。俺にとってはいい感覚ではなかった。
「いえ、まあ、そうですね……帰って早く寝ます」
「あ、でも夕食の予定とかあるんですか?もしよかったら東部街に食べに行きませんか」
東部街。最後に行ったのはいつだっけか。ああ、なんかの打ち上げで行った気がするけど人混み嫌いだしめちゃくちゃ早く帰った覚えがある。それを始めまったくもって東部街にいい思い出がない。そりゃ美味しいものもあるだろうけど、それが果たして人混みを耐えてまで得る価値のあるものなのだろうか。そう思ってしまう自分は相変わらずだなあって呆れの感情がふつふつと湧いて出る。
でも、定清をじゃあ、どこに誘おうとしてたんだ自分は。
いや、そうじゃなくて。
定清だったら。
「……すいません副島さん、また今度でもいいです?ちょっと体調が心配で……次は俺から誘ってもいいなら、声かけさせてもらうんですけど」
「あ、そうだったんですか?それはすみません……はい、ぜひ食べに行きましょう!」
副島の眼鏡越しの笑みを見ても、これは満面の笑顔じゃないよなあと思ってしまう。そりゃ十何年も一緒に居れば当たり前に浮かぶ馬鹿みたいな満開笑顔がいるからで、仕方ないことで。俺になんの非もない話であって。
じゃあ、と先に部屋から出ていった副島の背をしばらく見ているうちに、やはりあの男と比べてしまうのだ。
考えれば考えるほど、嫌になるくせに。
俺は今度こそ確かなため息を吐いて、部屋の冷蔵庫に適当に押し込んだ煮物でも摘もうかと気持ちを切り替えることにした。
第八話 金色の鋭鋒
翌日の朝。起きるなり――といっても今日の午前中は休みだったので本来は起きなくてもいい時間だったのだけれど――腕の端末に連絡が入っているのに気づいた。差出人は、鬼塚定清。なんだと思ってみればそれは一般的な軍兵が起きそうな朝方に入っていたもので。いやいやバカじゃないのこいつ、俺今日は寝てるんだからそんな早朝に電話でれるわけないだろと思った。そう思っては見たが、定清に今朝方は休みだからとなど伝えていなかったのは自分だから、責めるにも責められないでうーんと悩む。入っていたのは電話だ。留守電も入っていないかわり、電話の後に必死で土下座をする動く絵のマークが送られてきていた。
昨日の連絡がなんもなかったことについてかな。気付かなかったんだゴメンって連絡だろう、どうせ。
寝ぼけ頭を働かせ、いいよいいよと手を振る絵を返信する。ネスト職員に配布される一種の枷のようなものが、この腕の端末だ。移動した場所もわかるし、連絡も耳にイヤリング状に取り付ける無線を利用する以外に、この端末で気軽に個人で行うことができる。こういった連絡手段における装飾は近年になって盛り上がってきて、俺たちが日本からそう簡単に逃げられない鎖だっていう認識は薄れてきた。
まあ別に逃げたいわけじゃないんだけども。仕事は慣れてるし、お金ももらえるならなんの不便もないんだから。
だけど、それでも、自分に拘束具が付いてるってのはいい気分じゃないでしょ。
それを思えば幼馴染につく『少尉』なんて官位も可哀想だと思うけど。
あ、また定清のこと考えてるって嫌になるが、なんで嫌と捉えるのかってがんじがらめになる思考は、この際無視できたらそりゃあ楽な話だ。
安司から入った連絡に気付かなかったなんて、この何年でもなかった話だ。
焦りに焦っている俺はというと、また緊急での出撃要請に走っているところだ。向かうは『マナ』の倉庫。今日はまだ昼飯の前に『アライジア製マナ』の襲撃にあったものだから、昼飯のときに安司に謝りに行くかなあと思ってた計画がまっさらだ、どうしてくれる。いやそんなことよりもまた『アライジア製マナ』の襲撃ペースも早くなっている。一週間も経ってないのにもう二体目だと。その工業力を考えると末恐ろしくなるが、ヴィオラのことを勘づいての行動だと思うとより背筋に冷たいものが走る。
緊急時には端末からそういうパスの電波が発されているとかなんとからしく、俺は自動で開いた収納庫の扉を抜け倉庫に足を踏み入れる。すると、白い白い『マナ』が二体そこに準備されていた。二体ってことは。奥側に配置された『日本製マナ』を見ると、ちょうど頭部に乗り込もうとしていた一心を見つけた。扉の音を聞きつけてか一心もこちらを振り向いたが、遠目でも随分わかるレベルで睨みつけられ、一心はコックピットに消えた。
わー、気まずい。でも一心が乗るってことはまだジュリオは本調子じゃないんだな。酒飲んだくせに。
俺たちを出撃に向かわせた上司たちが俺たちの私事など知る由もなく。俺は防護のためのフルフェイスのヘルメットを着用。前に海を助けるための時は初めてこれ無しに乗ったもんだが、案外大丈夫だっただけど。少尉、と呼びかけてくる技術部員に従い、いつものように頭部まで上がるための浮遊機に足を運ぶことにした。その心持ちはまあ随分と、持ち上げられるにしては重いもので。
『マナ』の心臓に腰掛け、さあ行こうかと心を傾ければ侵食が始まる。触れる掌から神経が食われ、半分までの許容をひたひたと進んでいく。しかし半分の抗体値が完全に食うことは許さない。指一つさえ動かせない本能からの葛藤の重みが完全に浸透しきり、むしろ清々しささえ覚えたところで瞼を上げると、その視界は人間に比べ明らかなスケールの違いがあった。脳はこちらにあるが、もはやそれはただの演算機械にすぎず、神経が到達する末は全て『あちら』にある。『人工マナ』も再現したがるシステムだが、それはあくまでも機械的な侵食で、俺の側の心臓が恐怖と緊張と高揚とで昂ぶるまでに至る熱はない。こうでなくては、『お前』でなくては。
『どうも少尉。出撃のオペレーターを務めます菅田マリです』
俺がこの状態で俺として認識できるのは味覚と聴覚のみ。耳についた無線から飛んできた声はやはり安堵する。まだ俺でいられるのだと。またお前か、と言うと仕事中であるからかマリはそれについては反応してくれなくて、さっさと次の話に移ってしまう。
『……なんか綾瀬の方の機嫌が悪いんだけど』
「おいおい、そんなこと無線で喋っていいのかよ」
『あんたにしか通じてないわよ、……です。ともかく戦場で下手な動きし合ったりしないでくださいね』
それは俺に言うことだろうか。
管制室に足を踏み入れたことはほとんどないが、まわりには何人か仕事をしている同僚がいるのだろう、訂正されたマリの言葉を受け入れはするものの、視界の横で先に動き出した『日本製マナ』を見て果たして何も心配なくやれるだろうか、と不安になる。一心らを追いかけるように俺たちもブーストを爆発。今回もアライジアの方面、だが今回は海上での戦闘になる。日本海に『アライジア製マナ』が侵入して早い段階で俺たちが出撃できたのもあるのだが。
『敵のスピードが普段に比べて遅いのに注意してください』
「なんでまたそんなことになってんだ?」
『さあ……こちらにハイネス家のご令嬢がいるとふんでの危惧なのか、これが囮なのかはわかりません』
「囮って、そんじゃあ俺こっちにきてよかったのかよ」
『こちらにも数体待機させてあります。それに、『純正マナ』なら片付け次第飛んでくるのも早いでしょう』
おう、俺に山ほど働かせりゃいいって寸法なのねと頬がひきつるが、マリ一人の考えでもないはずなので文句を言うわけにもいかず、そのままオペレーションの方角に従って飛び続ける。まだ下には荒地と時折遠くに住宅地帯が見える。こんな場所にまで侵入させるわけにはいかない。すると『マナ』の視力で捉えられる最前方に機体を察知。それはアライジアに改造された純正の『地球外マナ』かもしれない。現在唯一の純正『マナ』を所有する日本が唯一危惧していることとすればそれであり、アライジアの工業力をもってすれば捕獲した『地球外マナ』を改造することも可能の範囲であろう、と。
それを確かめるには、斬って爆ぜるか死ぬかの区別を見るのが早い。
足元の影が海に入った瞬間、ブーストを加速。右前方にいた機体を追い抜くと同時、右手から刀状に桃色のビームを伸ばす。それを見てこちらが純正だと理解したのか、アライジアの黄色い機体は腕からライフルを取り出し海上をホバリングしたまま遠距離発砲した。反動でその機体が背面にややぶれる。遠距離からビームを飛ばせば殺すのも容易いが、今回は、試したいことがある。
腿の、裏。
視線を向ければまるでターゲットロックをしたかのように神経が尖る。弾丸を直前に一瞬だけバリアを張れば手刀へ送るエネルギー供給は一切ぶれることもなく、最大限のエネルギーをもって『マナ』に接近。いやほんとすいませんなあ、弾丸くらいじゃなんにも届かんのがこいつのすごいところでして。フッ、と細く強く息を吐くのに合わせ、力を乗せ振るったエネルギーは受け止めようとしたライフルを砕いた。火薬の匂いは全て海に沈み、常の戦場のように邪魔になることもないが、逆に地を蹴って反動をつけることもできない。そうなってくると番が回ってくるのはアライジアになるが、得物はたった今叩き壊した。ならばパス。次はこちらだと左手のひらを黄色い機体の頭部に突き出した。
しかしその脇からガン、と俺たちを押しのけて白い機体が刃を突き立てる。
「ぐっ、お、おま……!」
揺れた体制を整えるも、『アライジア製マナ』の腹に刃を差し込んだ『日本製マナ』は無線に応答することもなく柄を握りこんだまま黄色い機体をブーストの勢いで蹴飛ばす。かわいそうに、黄色い腹から赤がだばだばと溢れ出す。おいおいおいおい、いくら怒ってるったってやっぱそういうのはないと思うぜ。やや苛立ちはするものの今その矛先を向けるべきなのは敵さんの方で、俺たちは手刀のエネルギーを一旦切りはするものの集中は切らさない。
さて、得物のなくなった機体がどう動くのか。
「……こほん、あのさ一心、『アライジア製マナ』の腿の裏には爆薬庫があるんだってよ。たぶん自爆用の緊急のだ。だから下半身を切り離せば……とくにここは海だし、沈めたらあれを回収できる」
無線を飛ばしてみるが、返答はない。ぜひとも今回試してみたいものだが、たった今も得物無しにこちら向かってブーストを飛ばしてきたあたり、俺だけでできると安心はできない。もちろん、敵が狙うのは常と同じ『俺たち』白い機体。そう大して広くはなかった間を一気に詰めるとなると反射神経も追いつかず、黄色い機体の体当たりをそれも体で受け止めることになった。思い切りその体を掴むが強い力で動きそうにもない、おまけにエネルギーを振りかざす間合いはない。ならばエネルギーを直接打ち込む――それではいつもと同じだ。一心、と目を向けるも白い機体はホバリングからブーストを爆発させ上空に発進。刃を狙いを定めるように固定、その先は心臓である『アライジア製マナ』の頭部だった。おう、俺が動けないからかわりにってか。やや感じるものはあったが仕方ねえなやってやれ。そのあとに下半身引きちぎりゃあいいから、お前がやってやれ。
その時、ふと、神経がざわついた。
俺の神経じゃない。
どこか遠いところの。
ということは。
黄色い機体の影の腕から、きらめく光の反射を見た。そいつはまるで俺たちが手からエネルギーを伸ばすかのように、内蔵された刃を機械的に現す。
ただの金属じゃない――『マナ』の感覚が悲鳴を上げるのを理解する頃にはもう、上空に飛んでいた白いもう一機が刃を頭部に叩き込もうとしていた。
だが。
『マナ』の指が震える。横腹をまるで肉でも裂くかのような勢いで刃が突き抜ける。『アライジア製マナ』を押さえ込んでいた手の力はなく、俺たちの代わりのように日本製の人工の刃が黄色い機体を頭から貫いた。頭から、そしてこちらの脇腹から、赤が溢れ出る。
そこでやっと、痛みが認識された。
「いっ、だあぁああぁ!?」
己の肉体にも内部から爆ぜるような熱と痛みが走った。待て、待てこれは。これはなんだ、痛い、痛い痛い痛い。痛い、刺された、これが、こんな、どうして純正の『マナ』だというのに。血濡れの手で患部を押さえようとしたがそこには黄色い機体の右手から直接伸びた刃がまだ押し込まれている。それに降り立ったもう一体の白い機体も気づいた。純正の『マナ』に、傷が。『日本製マナ』は一秒ほどこちらに目を止めた、だが無線から声が通ることはない。心配はない。一心だからか。怒っているからか。そんな、そんなにもか。
チッ、と何かの起動音のようなものが聞こえた瞬間まずい、と気力をたたき起こす。だがその瞬間、はるか上空に別の気配を察知。ばっと見上げればマリの言葉で聞いたとおり、もう一体の『アライジア製マナ』が日本防衛部方面に向かって急速で通り過ぎた。
俺が早く片付けて戻ればいい。もうこの目の前の機体はすぐにでも爆発するだろう。ならば海に沈めてしまえばいい。その考えを実行しようと黄色い機体の肩を掴んだが刃はまだ『マナ』を俺を抉ってくる。引き抜こうとしても腕は一切動かない。このまま爆発されると、普段通りにはいかないはずだった。一心に腰からたたっきってもらえばきっと大丈夫だ、だがあいつにそれをさせようとするのも何か、それはどうなんだと、エゴが出っ張った。あいつはそれをしたがらないだろうし、それをまた見るのも、嫌だった。
「一心」
思いのほか声が震える。やはり無線は返ってこないけど、痛みもあってか普段のように無視もできない。そんな気力がない。そうだよなあ嫌だよなあ、俺みたいなやつが頑張ってるのも嫌になるってか。ただただ俺は他のやつと同じことしかしてきてないのに、見えない能力ってのがそんなにもでっかいもんなのか。理不尽な世の中だ、そのせいで俺たちはこんなにも痛くて痛くてたまらない。
ならば。
ならやっぱり、俺は、俺たちは、俺たちだけでやるしかない。
「ネストの方、頼む!!」
腹がえぐれる痛みに目を見張りながら、俺たちは黄色い両肩を掴むと自分たちごと海の中に落とし込んだ。痛い。神経が悲鳴をあげて、至るのは脳だ。人間の脳よりはるかに巨大な神経の痛みを受けるのはこんなにもつらいのか。
何も言わない無線のことはもう気にしないし、気にしてどうにかなる話じゃない。
落とし込んだ衝撃で刃が体から抜けたものの、溢れ出る赤が海に広がっていく。気味の悪い光景だ、と思うまもなくふらりと目眩を感じ、一瞬気を飛ばす。
爆発は、防げたか。静かな黄色い機体を眼下に眺めていたが、繊細な聴覚はまだ起動する機械の音を拾う。まだ『マナ』は生きている。頭部にいたパイロットがどうであれ、その意識の有無を問わず、ならば『アライジア製マナ』は必ず自爆して全てを壊そうとする。腕を伸ばそうとするが、意識がまたも揺れた。あれ、もしかして俺たちわりと深く刺されたかなって黄色い機体の右手を見れば、異質と感じる刃があった。
これだけ違うんだよな。
なんでだろなって、そりゃあ、じゃあ、そうなんだろ。
回収しなくては。そして早く脱出しなければ。回収を、あの下肢を切り離して、回収しなければ。
沈みゆく黄色い機体に伸ばした腕は、ただ水を掻くだけに終わった。
遠くの方で、重い爆発音が聞こえたような気がした。
『こちら瀬尾。もう一体の『アライジア製マナ』を撃退ののちに捕獲した。腿の裏の情報は早見少佐から預かったぞ、鬼塚』
無線がやけに明瞭に聞こえる。あれ、なんだ、俺、寝てたっけ。
『帰ってこないということは言わなくてもいいだろうが、一心、鬼塚は無事だろうな?』
うすら視界を開けば、俺たちは宙に浮かんでいた。だがブーストは燃やしていない。そんなエネルギーはもうない。じゃあ、とはっとした時に俺たちの腕を掴んで浮かんでいる機体から声がして俺たちは固まる。
『当然、かっこいいことお前ばっかに持ってかせるわけないだろ。こちら綾瀬一心、負傷した少尉及び『地球型マナ』と、特殊な武器を使う『アライジア製マナ』の確保完了です』
その機体は左腕に俺たちを、右手には黄色い機体の上半身のみを掴んでいた。
助けて、くれたんだろうか。
俺たちを抱える機体が全身ずぶ濡れているのにぽかんとしているも、意識を真っ白にえぐるような目眩を再三に感じてかくんと頭を落とす。それに気づいた一心たちがこちらに顔を向けてくる。パイロットの顔なんか見えなくても、コックピットでそいつが本当に嫌そうな顔をしているのがわかった。
『……言っとくが、本当にあんた達が使い物にならなくなったら困るだけだからな。重いしわけのわからん武器も出てくるし、頭が痛くなる』
そう言っても実質助けてくれたのはこの男だ。
あれだけ嫌だ嫌だと真正面から言ってくれたようなやつが、今言うこともそりゃ本当だろうけど、俺たちを放置せず助けてくれたのが傷身には染みる。
ありがとう、と果たして声を出して言えただろうか。
帰ってからの面倒事のことも全部全部忘れて、俺は意識を奪おうとしてくる魔の手にすんなりと従うことにした。