第二話 戦場の華
2100年に入ってすぐ、ヨーロッパおよびアジアの一部の国が連合国――『アライジア』として成立した。宗教概念からひとつの国になったらしいそいつらは世界一の統治面積を誇る国家となり、その工業力も技術力も、世界のトップを常に維持するレベルになった。我らが日本が足元にも及ばないレベルであったが、それもものの100年ぽっちの歴史となる。
2190年12月25日。それが、『地球型マナ』の誕生日と全ての始まりの日だ。『マナ』を入手した日本は元来の技術力で調べ上げ、パイロットの法則をいち早く発見し『マナ』に『好かれもせず嫌われもせず』の立場を築き上げた。そりゃもう他国は嫉妬に軽蔑にカンカンで、かといってそれを表出したのはアライジアくらいだった。別に日本は戦争を仕掛けたわけじゃない。『マナ』を大切に保管してたんだ、アライジアに戦争を仕掛けられるまでは。売られた喧嘩を買えば両成敗のムードですもんで、今となっては最初の引き金がどっちだとか言える余裕はどの国にもなく、求めるのは利益と力、それだけしかありはしなかった。
だがそんな戦争も歴史にあるような被害を被る大戦争とはいかなかったのにはいくつか理由がある。日本が完全に防衛の立場から動かなかったこと、アライジアを完全に防衛しきっていたこと、そして2217年の3月3日に『地球外マナ』が襲来したことだ。
まあ、そっから他国は他の星のものをメインターゲットにするわけだが、日本の『マナ』を狙うよりも効率がいい理由はなんだ。誰だってわかるだろう、だってどこのとも知らない星の『誰のものでもないマナ』なら奪っていいと思ってやがんだ。だから日本は現在、全てにおいて防衛のかたちをとっている。地球外からも、地球の中からも、全てに敵対の矢印を向けられているし向けてもいる。まさに窮地なわけだ。
なあ日本さんよ、今の俺ならあんたの気持ちがわかる気がする。なんたって俺も今袋の鼠だ、袋叩きだ、なんたってこんなことに。
「おい、聞いているのか鬼塚。あの戦場での詳細を教えろと言うんだ」
机を挟んで目前に居るのは、日本防衛部の少佐を務める上司・早見哉太
(はやみかなた)。本部に戻ってからというもの、俺は速攻で対談室に押し込まれた。相手はコイツだ。俺の倍くらいの年齢はあるだろうか、この防衛支部におけるいわゆる『七年前の戦争世代』で、その巨漢からくる威厳と眼光はとんでもねえが、だぁから、と俺は気だるげに口を開いた。
「再三言ってるじゃねえか、あの女はふつうに足元にいたんだ。踏み潰しちゃいなかったが、『アライジア製マナ』が来る前からいたのかもしれねえ。爆発からは防いだつもりだがそれでもなんか悪かったってのか?人を守ったのがダメだってのか?」
「そうじゃない。彼女がどうやってあの戦場に侵入したのかがわからんのか」
「侵入ぅ……?外人なのかやっぱり」
「……待て、お前、彼女を知らないのか」
「はい?」
頬杖をついたまま見上げると、鋭い目が丸くなってそこに俺が映っている。面白くてじっと見上げていたが、上司の顔には信じられないって書いてある。彼女、というとあの金髪女のことだろう。天然の金髪が珍しいのは種族が入り乱れた今の日本でも変わらないはずだし、となると彼女はやはり外国人だ。外国人で有名な人物なのだろうか。俺テレビとか見ねえしなあ。
最早呆れの色を含ませて早見が息を漏らした。
「……ヴィオラ・マークエル・ハイネスの名くらいは知っているだろう」
「……ハイネス?」
自分とて最低限の学を叩き込まれてきた軍人のはしくれだ、だが教科書に載るくらいのこの場で聞くとは思わなかった。ん、待てよ、そんな名前が出てくるということはつまりはどういうことなのだろう。重ねて問いかけようとしたところ、外の廊下から女の声が飛んできた。よく聞けば複数の足音もぱたぱたと駆けていく。早見がいち早く立ち上がると、外からガラス越しに上司の姿を見つけたのか女の――よく見ると医療班の看護師が少佐、とか弱い声を漏らした。
「これはなんの騒ぎだ」
「それが、お嬢さんの姿がなくなっておりまして……」
「お嬢さん?」
ひょこっと早見の影から頭を出すと、看護師は俺がいたと思わなかったのか驚いたように肩を跳ねさせた。俺も一応は官位持ちとあってすぐに小さく会釈をしてくれる。にっと笑って手を振っていたが、早見がさらに鬼の形相になって看護師の横を通り過ぎていくのに阻まれた。あれま、と肩を落とす。そういえば怖い上司から助けてくれたこの看護師はお嬢さんって言ったな、誰のことだ?問いかけようとして自分の脳みそが勝手な演算を始めて、出てきた答えにぽんと手を打った。
ヴィオラ。ハイネスの名を持つ娘。世界有数の大富豪で、アライジア建国の助けとなった――
「えっ」
パズルが頭の中でパチンと音を立てて埋まったとき、俺は慌てて駆け出していた。また驚かせてしまった看護師に振り向いてごめんな、とだけ叫んでコンクリート製の廊下を走っていく。
コンクリートと森林とが共生した日本防衛支部、通称『ネスト』。その地に俺はとんでもない娘を連れてきてしまったのかもしれないが、それどこじゃない。あいつが誰であるかと言う前に、俺たちが自ら感じ取った生命のか細さまで落ち込んだ女なのだ、どんな状態なのかは、『俺たち』ならよくわかる。
第二話 戦場の華
アライジア建国の際、多額の寄付金をもってそれを助けた貴族がふたつほどいたという。一方はアルシュエンド家、もう一方がハイネス家だ。中でもハイネス家は現在でも資金面からアライジアを援助しており、絶大な地位を得ているというのは日本でも有名な話だ。
ヴィオラ・マークエル・ハイネス。そのハイネス家のご令嬢にして、時期当主とも名高い高貴なお方だ。テレビを一切見ない自分が知っているのはそれくらいで、何故お嬢様が敵国である日本の土地でボロボロになっているのか、そして治療を受けていたであろうに行方しれずになるのか、というかそんな動ける状態でもなかったであろうにどうしてそこまで動こうとするのかと疑問は山ほどあった。それらは今のところ、後回しだ。
おしかりの途中で抜け出したというものの、相手の少佐どのもお嬢さん探しに必死ときた。お咎めはたぶん、ないだろう。また今回の騒動もどうにかすりゃあもうちょっとお釣りがついてくるだろう。
ひきずるような音と荒い呼吸が聴こえてくる。黙って息を殺して、視界ではなく聴覚で存在を探る。うん、予想はばっちり。
壁伝いのはしごから、金色の髪が姿を見せた。その華奢な身体ぜんぶで必死に息をして、生きるのだけで精一杯というような様子の娘がなんとか給水塔のはしごを登りきった。
「よう、おつかれさん」
先に上で腰掛けていた俺は、なんでもないようにひょっと手を挙げる。すると、それまで全く警戒すらもしていなかったらしい緑の瞳と目線がかち合う。美人さんだが俺とどっこいどっこいくらいの若い顔立ちをしている。それがまあ悲痛にこわばって、色気もへったくれもない悲鳴が上がった。
「わっ、ぎゃっ?!」
「っと、危ない危ない」
瞬間ずるりと彼女の体が壁の下に消えかける。力が抜けたのかずり落ちそうになったヴィオラの腕を慌てて掴んで引き上げ、体が見えたところで脇の下に腕を差し入れて全身を引きずり上げた。まあ随分と軽い体をしている。女にしては小柄というわけではなく、標準そうな体格だが、この重さはいささか心配になるくらいだ。
全身包帯ぐるぐる巻きの、細っこいこの体が、よくもまあ戦場でぶっ壊れてしまわなかったもんだとどこかにいる女神さまに小さく感謝した。だがその腕が、ほとんど力の入っていないような手が隊服の袖を掴む。拒絶が見えた。
「触れないで、いただけますか」
「おいおい、いくらご令嬢だってそりゃないぜ。俺はあんたの命の恩人だぞ、しかも今とさっきの二回分もだ、お釣りのいくらで足りるかわかんねえよ」
こちらを押そうとしているらしい手は添えているだけにも等しい。腕の中にすっぽりおさまるよう抱えてやると、ヴィオラはやや陰った瞳で見上げてくる。なんのことだと問いたいのだろう、だってさっきあんたを助けたのは俺ではなく『俺たち』なのだから。
「俺の名前は鬼塚定清。日本防衛支部で少尉をやってるもんだ」
あれそれと言う前に名乗るのが礼儀であろうと、胸を張って宣言する。といってもこちらは名乗られもしていないのに彼女がヴィオラなんたらとかいう娘だと断定しているが、それはそれだ。
エメラルドの瞳がほんのり丸くなって、すぐにさっきよりも力なく細められた。
「おに、……」
「ん」
「では、あなたが、『マナ』を――」
「『マナ』を知ってるのか?」
女の口から聴き慣れた単語が聞こえてきたのに思わず身を乗り出したが、小さな頭がとんと胸に倒れ込んできた。余りにも軽くて、あの鉄の指で掴んだら砂よりも繊細に粉々になってしまいそうな印象を覚えた。か細い息が倒れてもなお言葉を紡ごうとするので耳を寄せたが、彼女はうわごとのように繰り返すだけだった。
「あわな、ければ……『マナ』、『マナ』に……」
ただ、ひたすらのように『マナ』と。
本当にこの娘がアライジアの国のお嬢様だというならば、まさか、スパイだろうか。今日襲ってきたあの黄色い機体が送り込んだのかもしれない。わざと姫に怪我をさせて、俺みたいなやつに拾わせて、内部に潜入させようとしているのかもしれない。ありえない話じゃない、なんたって相手はアライジアだ、全世界で日本に、『地球型マナ』に対して誰よりも早く戦争を仕掛けてきたのはアライジアだ。工業力で『人工マナ』と戦争を量産しては、もっと巨大になろうと躍起になってやがる。そして山ほど日本を殺してきた、もしかしたら俺の親も、殺されてきた。そんな国だ、所詮、所詮はそんなもん。
だが。
女の吐息に違和感を感じ、その額に手をやると明らかに体温が上昇していた。息も荒い。発熱している。抱えた体も熱い。
参ったな、こりゃ。
それまでぐるぐるがんじがらめになっていた思考がどこへやら、日の傾いてきた空を見上げた。高い場所にいけば目的のものが見つかるかも知れないという考えは見事探し人の女と同じだったらしいが、彼女を抱えたままこの高さを飛び降りる身体能力はない。まずはどうであれ、彼女を助けるのが先決だろう。
生身の俺は治癒の力など使えないが、せめて安心くらいは与えてやれるだろうとしっかりと体を抱え込み、まずは管制塔に連絡を入れるべきかと無線の電源をつけた。
「定清、アライジアのお姫様助けちゃったらしいね」
翌日もマリアの丘にて。購買で買ったパンをバリっと開いて、かじろうかとしている時に安司が目を向けてきた。とんでもなく鋭い棘が含まれている気がする。思わず首を縮こめて、かじる口の大きさを小さくしたから少しは許してくれないだろうか。恐る恐る顔色を覗いては、安司は別に怒っているわけでないらしく、丁寧に作られた弁当を箸でそっと崩していくあたり安心していいだろう。
「……なんでそんな言い方なわけ」
「あっちこっちで噂なんだよ」
「ほっほう?」
「どっちの意味でもね」
「悪い方は聞いたなあ」
なんてことをしでかしてしまったんだ、ヴィオラの所在が知られてしまった日には本格的な戦争も免れないぞ、という声をわざと聞こえるようなところで言われた記憶がある。昨夜とか、今朝の飯の時だ。ひそひそと話されるのには12でここに入った時から散々慣れさせられているからいいのだが、プラスの意味の噂なんぞはそうそう覚えがない。ちょっとだけわくわくして安司を見ると、小さく笑われた。同い年にしては大人びた雰囲気の安司は、子供を褒めるようなやわらかい声音で話してくれた。
「定清はさ、アライジアの兵を山ほど倒してきて、めちゃくちゃ嫌がってるじゃん」
「まあなあ」
「あの女の子がアライジアの人だってことも帰ってきてからは知ってたんでしょ」
「んおう」
「でも二回も助けた。普通は軍にとっとと殺せって突き出すよ。だからやっぱ定清らしくて馬鹿優しいなって思ったね、俺とか何人かは」
「馬鹿っつったろ今!というか誰だよ!そこを知りたいんだよ!可愛い子か!」
「マリとか」
「……あー……」
「ともかく定清らしいなって改めて思ったよ。搭乗者の人にも噂は広がってるんじゃないかな」
普段は笑顔でも毒ばかり吐く幼馴染がやけに甘い台詞ばかりを言うのがくすぐったくって、妙な体温上昇を感じた。鋭い言葉を吐くのは管制塔のマリも同じはずだが、その彼女が何と言ったんだろう。いや、あいつは苦手なタチだが一応女だし、そりゃ気にはなるわけで。頭をがしがし掻きながら、ジャムパンに大きくかぶりついた。となりからはくすくすと笑い声が聞こえる。褒められるつもりでしたわけじゃないってのに、なんだってこういう時に限ってこうなるんだか。
防衛支部の搭乗者たちの鍛錬は、朝と夕方に大きくわけられる。いつでも、誰もが人工であろうと純正であろうと『マナ』に乗れるように、と鍛えられている搭乗者の数は多いが、その数と『マナ』の数は残念ながら比例しない。抗体値と身体能力を考慮して優先順位をつけられ搭乗者は選ばれるが、抗体値がジャスト50である俺はそれらを無視して真っ先に純正『マナ』に搭乗させられる。無論基本的な訓練は受けているから戦闘の成果は保証する、だがそれとお国から厚い加護を受ける俺への世間の評判は残念ながら別である。冷たい対応を受け続けるのもそれゆえだ。
別に、それをいい方向に転がしたかったわけじゃない。
「あのお嬢、どうなったのかね」
ただ、己たちのせいで死にかけたかもしれない人間を、助けたかったエゴなのだ。
空になった袋をぐしゃぐしゃにしてポケットに突っ込み、腕輪の時計を起動させる。12時の20分。まだ一時間も次の訓練までの猶予はある。溜息を拾ったのは、偶然にも安司ではなく無線先の名も知らない女の声だった。
『す、すみません、鬼塚少尉でありましょうか』
「んむ?ああ、無線入った」
声を上げると安司が訝しげに首をかしげたので手短に説明してから、はいよ、と応答する。やけにかしこまった対応であるあたり医療部か技術部の人間かと思われる。俺への嫌悪がほぼない人間だ。
『休憩時間に申し訳ないのですが、その、病棟の二階の一号室に来ていただけませんか』
「一号室ぅ……?」
『ヴィオラ様が探していらっしゃるようなのです』
「お嬢さんが?」
予想は正解、医療部だ。だが事実はそれをはるかに超えてきた。医療班の看護師らしい女は、要件は伝えましたので的な勢いであっさり無線を切ってしまった。
残された俺は、ぽり、と頬をかく。最近この時間帯に呼び出しくらうの多すぎやしねえか。はー、と吐く溜息はどうにも癖になっている。安司は何を考えているかわからない顔のままもりもりと米と焼肉とを一緒にほおばっている。
「どしたの」
「……なんかヴィオラ様から呼び出しくらった」
「ぶっ、なにそれ、お姫様からお礼でもされるんじゃない?」
「きったねえな!知らねえ、なんかあんまいい予感しねえ……」
物の見事に吹き出してくれた安司に噛み付かんばかりの勢いで睨みをくれてやってから、再度時間を確認する。病棟があるのは東西南北に分かれたネストのうちの東部。南部向かいにあるマリアの丘からそう遠くはないし、顔を出したとて訓練に遅れることもないだろう。もし遅れたとしてもお嬢様が弁解してくれたとしたならなんとかなりそうだ。
だとしても、なんでこんなにも乗り気になれないのだか。
「……まあ、行ってくるよ。今日も最後までいられなくてごめんな、またな安司」
ともかく無視する理由もないとして俺は立ち上がり、尻についた若草を軽く叩いてから、昨日とは違ってゆっくりと歩き出した。またそこに幼馴染を置いて離れていくのに、少々心淋しさを覚えながら。
指定された病室に入ると、お守りの人もお付の人もその姿を見ることはなかった。点滴つきの真っ白な腕を出した女が静かに眠っているだけ。俺が部屋に完全に入るとドアの鍵が閉まる音がして、そこで改めて病室を見渡して広いひと部屋彼女一人が置かれているのを確認。こりゃVIPルームだな、と肩を落とした。ベッドに歩み寄り、白い布団の上に影を落とす。純正の金髪を見るのはそういえば初めてかも知れないなあ。傍らに置いてあった丸椅子を足に引っ掛けてずらし、かたん、と腰を降ろす。
「お呼びですかい、お嬢様」
果たしてあのボロカス状態だったヴィオラが俺のことを覚えていたのかどうか。事実はどうであれ彼女がヴィオラなんたらその人であるということも、彼女が鬼塚定清を呼び出したのも確実な話である。
カーテンの閉じられた薄暗い部屋では、横たわるヴィオラがまるで死人にさえも見えた。呼びかけても応答はなかった。自分の膝に頬杖をついて、綺麗な綺麗なお顔を覗き込む。呼吸は安定している。だがお前、いちいち人を振り回すなほんと、呼び出しといて寝るわ戦場でぶっ倒れてるわ勝手に脱走するわ。
「おいこらヴィオラなんとやら、起きろっての!」
苛立ちを込めて軽く、小声ながら叫んでみると、緑の瞳が全身を跳ねさせるとともに開いた。お、起きた。喜んだのも束の間。脳が揺れるほどの衝撃と破裂音を受けながら、俺は悲鳴をあげていた。
「ってえ!!」
「あ、あなたは!あなたは!なんですか、『マナ』のパイロットというものですから呼んだというのに!」
「いきなり叩くかよ!!」
「さ、先ほどといい破廉恥なのです、近いです!」
「起きねえあんたが悪いんだろうが!!」
ヴィオラは上体を起こしたと思えば、平手を思い切り俺の頬に叩きつけていた。きっと赤くなっているであろう頬を押さえながら俺が睨みつけると、女はひるんだように生唾を飲み、それから自分の上がった手を見て、静かに腕を下ろした。落ち着いたらしい。じわじわ赤くなりだしたヴィオラはあの、だとかその、だとかしばらく言葉にならない声を漏らしてからひとつ咳払いをした。
「……申し訳、ございません。まずはお礼を言うべきでした」
「んー……?」
「二度も助けていただいて、ありがとうございます。わたしの命の恩人です。それを言おうと思って、呼び出した所存です」
存外素直に頭を垂れた彼女につられて、金の長髪がぱさりと揺れる。ちょっと意外だった。どんなかたっくるしいお方なのかと思ったら、素直に謝れるやつにそうそう悪い奴はいない。どんな反応を見ても彼女が素直だというのはよくわかった。身を持って知った。それはそれとして顔がすげえ痛い。細い腕のどっからこんな力が出てくんだ。
「……あー、まあ、いえどうも。体調はどうっすか」
「体調……あっ、おかげでとても安定しています。怪我はまだ、痛みはありますが」
「そうかい」
男を殴れる元気がありゃいいだろう。時計に目を落とし、ほとんど時間が進んでいないのに息をつく。ヴィオラの方を見れば何やら頭を抱え、ああわたしったらなんてことを、だとか言ってやけに後悔している様子だ。見たところ、育ちのいいお嬢様だというのはなんとなく匂う。姿勢もよければはきはきとした口ぶりも俺たちなんかとは身分違いの高嶺の花だ。
そんな女が、なんのために、と考えるのは性に合わない。
「なあ」
声をかけるとエメラルドと視線が重なる。ほんと、綺麗な娘だと思う。何もかも俺たちから遠い。戦争なんてもんとは、より一層、程遠くて真っ逆さまのところにいる。
「あんたは『地球型マナ』を狙ってるのか」
『マナ』を知っているのは珍しくもない。むしろ知らないのは赤子かボケた老人くらいだ。だがそうではない。この娘は、自ら『マナ』に近寄ろうとしている。こいつがそういったのだ。静かに目を向け、腕輪の録音機能を静かに起動させる。人質にされるかどうか、その先は俺の知ったことじゃない。健康体になったならば人間は等しく人間だ。それがアライジアの人間であるなら、もっと俺の知ったところにはいやしない。
ヴィオラは驚いたような顔を素直に浮かべる。動揺は見えない。しかしそこで表情が消えた。何かが変わった、まちがいなく彼女の中で。そして静かに呼吸を二度重ねてから、しなやかに澄んだ声を発するのだ。
それは、その答えにしてはあまりにもすんなりと彼女の口から飛び出た。
動揺したのは、俺だったかもしれない。
「わたしは、アライジアを売りに来たのです」
あまりにもはっきりと言うものだから、こりゃ解析なんぞしなくたってだれでも聞き取れる音源になってしまったことだろう。
ヴィオラ・マークエル・ハイネス。
なぜかこの時だけ、彼女の威厳あるフルネームを明確に思い出せた。
その彼女のすべてが、彼女らしくて、今俺が全身で彼女という存在を感じ取っているせいかもしれない。
俺は、ただひとりの俺であることを、ひどく不安に思った。戦場ではそばにあるあの巨大な傍らが今ここにいないだけで、俺は、もしかしたら、この娘よりも弱い存在なのではないかと思うと、この女が戦場にいるのが、どうしてか、こんなにも納得のいくものに感じた。