第十四話 戦争への招致
「よう」
ただ片手を挙げただけなのに、その手に拳銃でも握られていたんじゃないかというふうに、一心はがたがたと音を立てて後ずさった。しかしその表情は子供のように目をまん丸にしているものだから、なんだか俺は可笑しくなって喉を鳴らして笑った。一心はそれからやっと俺だと気づいたらしく、まさしく髪から足先までをたどるように視線を動かしてきた。そののちに、非常に頑固にも睨むような顔にわざわざ作り直してから口を開いた。
「……なんの用だ鬼塚定清」
「用も何も、世話になった節があるし一応顔出しとこうと思って」
「わざわざ外出許可をとったのか。その格好では、まだ退院というわけでもないだろうに」
「わざわざとってでも来たかった、とでも言えば満足ですかね」
「う、いや、別にお前がそうであるというなら俺には関係のない話だが」
やっぱこいつ、ジュリオの律儀さにめんどくささを掛けて子供っぽさで割ったみたいな性格してんな。
病院患者御用達の白い衣服を揺らして俺は髪を掻いた。だが俺もこの面倒を見越さないままここにやってきたわけでもない、むしろどんと来いの心持ちだ、だからこうしてここにいる。
「そういうことにしといていいから。あーあと、もうすぐ固形物も食べれるようになるんだ、あんたが何をくれたのかわかんないけどありがたく貰うわ。どれ?フルーツじゃないよな、果物はもう別の患者さんに食べられちゃったんだってさ、腐るから」
「まだ食べられてなかったのか、果物なぞ日持ちもせんだろうに嫌味だな、持ってきたやつは」
「あれ、やっぱり果物はあんたじゃなかったのか。じゃあどれだ、パンはどうせマリだろ」
「な、なんでもいいだろう!」
と、妙に慌て出した一心にまさか菓子の方だろうか、と思った。安司がくれたもんだとばかり思っていたが――だいたい俺がああいう妙に腹に貯まらない菓子が好きだってのを知ってんのは安司くらいのもんで――、いやあいつは俺なんかに土産くれないよなあ、と納得することにする。『そっち』に思考を寄せたくはない。今は。
綾瀬一心という男のことだ、マリなり安司自身になりなんか聞いたのかもしれない。というよりこの目の前の男が、俺を嫌う軍人筆頭みたいな男が普通に俺と言葉を交わしてくれるだけでも、この七年間の進歩および奇跡というものだ。
さて、一心本人があまり乗り気でないなら詮索せずとも、どうにも彼が俺なんぞになにか持ってきてくれたらしいというのは事実というのがわかる。変わろうとしてくれている、というよりもう既に彼はずいぶんと変わってしまった。
お前はいつもそうだ、だったっけ。
「……なんだ、いきなり黙りこくって」
俺はなんにも変わってなかったんだなあ。
不審げに見上げてくる一心に、眉を下げて笑ってみる。
この七年の間に、俺から彼らに接触しようとしなかったわけじゃない。だけど、ちょっと、12歳のガキが大人や先輩、そして仲間にされた待遇は、それなりにきつかったのだ。だからそんなんなら触れないほうがいいやって、声を掛けようともしなかったし最低限戦場で必要な協力をするだけだった。でもそれが次第に、それでは留まらなくなってきている。敵の猛攻は激しさを増し、必然と、否応なしに仲間と顔を合わせる機会は増え、俺は無視を許されなくなってきた。
そんななかに敵のお嬢さまがやってきたり、幼馴染にああだこうだと言われたり、激動の一ヶ月ですわ。
俺はぽすんと、一心の胸に拳をぶつけた。
「お礼」
「……」
「今はこれで勘弁。わりと、頑張ったから許して」
またあんたが変なことしたら、怒るくらいは、できるようになりゃいいんだけど。
今度は一心が目を丸くしたまま口を噤んでしまった。あ、怒っただろうかとそろり、顔を覗き込んでみると目があった。驚いてるって、書いてある。おうおうお前が散々殴れって言ってきたんだぜ。不満だってか。それともこんなん俺ができると思いもしなかったってか。
「……こんなん誰にもやったことねえの、ほんとに頑張ってこれなんだって」
「はあ。いや、呆れた。度胸がなってない、いやそれ以前だ」
「だ、いやー、うん、それ言うならあんたはジュリオとかぶん殴るのかよ……」
「殴ったことはある、殴られもしたしな」
「あ、あいつ殴るんだ……」
普通の友人はそんなもんだよな、というどこかでした声を無視する。
そっか、あの大人しそうなジュリオも手、出せるのか。
声を、無視しようと、する。
するけども。
一心が膨大にため息を吐き、頭を抱えた。
「わかった、わかった。そんな顔をするな、お前が殴られたみたいな情けない顔を。全く、誰もが恐れる『マナ』のパイロット様だと思っていたがこんな奴だとは思わなかった!」
「嫌にでもなりましたかい」
「嫌なのは元々だたわけ。いいか、これからはお前に直接文句も言ってやるし何かあれば殴ってやる」
「そりゃ贅沢だ」
「そうだろうとも、どうでもいい人間にこんなことはせん」
そう言われた瞬間に、ぱちんと視界が揺れる。一秒ほど置いてから今俺の頭を軽く横薙ぎに叩いた一心の手をぽかんと見つめる。
なんつった。
「一心」
「なんだ」
「痛くないな」
「ああもういい、帰って寝ろ、そういう話はまた聞いてやる」
「痛くない」
「……」
いつからこうも、俺笑ってただろ。そうしているうちに「いいから帰れ、俺は寝る!」と一心――は、心なしかちょっと恥ずかしそうだった気がする――に押し出されてしまったけども、やっぱり来てよかった。真っ先にそう思った。あの綾瀬一心が俺に親しくしてくれようとした。その事実で体温が上がってしまいそうだった。
しかしそう思った反面、瞬間、脳裏に、一人の顔が浮かんでそれまでの笑顔が一気にこわばった。
――藤堂安司。
孤児院からの付き合いで、防衛支部に引き抜かれた俺についてきてくれた、唯一の親友。
の、はずだった。
そうだとも思っていた。
俺は。
「……あー、やめとこ」
喉が嫌にきゅ、と絞まるのを感じながら、俺はゆっくり松葉杖を頼りに歩くのを再開する。いつ止まったんだっけ。まあいいや、もう考えるのはめんどくせえ。
今は、傷を早く治して、仲間の役に立てるようにするのが先決ってな。
そう思うのに、十何年という歳月はあまりにも長すぎて、どうしても浮かんでくるもので。
動けるようになったら管制塔職員の寮まで行こうと思ってたのに、と勝手な苛立ちがやってくるのは、やけ食いにでも回してしまえ。そうしてしまうのが、ああ一番だろうとも。
第十四話 戦争への招致
日本の技術力は、それ単体でならアライジアにも勝る。だが明らかに足りていない工業力および人口のせいで、実力の何割も発揮していない状態であることがわかった。日本防衛支部に勤めている者のうち、恐らく最も重要であろう技術部に所属している人数が末端を含めても1万人前後。たった、たったそれだけだ。全国で。このネストと呼ばれる基地以外の全てにいる戦争関係者を数えてもおそらく十万に到達は、しない。その事実が何よりも衝撃だった。
人口の減少。アライジアが日本と戦争を始めたのが一番大きい原因のはずだ。
それだけ、アライジアの多くの戦士が人を殺しそして彼ら自身も死に行ったが、その何倍以上、日本の人間は死んだ。アライジアが恨まれて然る理由だ。だって、アライジアの民は、戦士以外ろくに日本に殺されてなどいないのだから。日本は、何十年もずっと下手くそな防衛体制を守っているだけなのだから。
お互いに決して相容れないその溝は、果てしなく深いはずだった。
「もっとゆったりしてよ、僕らが君を利用しきらないまま殺したりしないって君もわかってるでしょ」
――いや、そうだ。明らかに深いのだ。
「ええ、わかっています。だからこそ不思議なのです、何故もっと手っ取り早く利用しないのかと」
「ふうん?」
フォークにもナイフにも手をつけない私を見ながら、日本防衛支部において大佐の地位を持つ十朱城恋、その男は箸を使って綺麗に肉を切っては口に運んでいく。私の前にも全く同じ食事が並べられているが、それらはただ熱を失っていくだけのためにそこに置かれている。きっとこの今の国では、この食事すらとても珍しく高価なものであるはずなのに。
私は、十朱城恋に呼び出されていた。むしろ、招かれたというほどに丁寧に。
恋は傍らにやってきたメイドに空のコップを渡してから口を開いた。
「そういうのじゃないんだよなあ。僕と君、わりと境遇似通ってると思うんだよね、だから心を開いて欲しいというか」
「そうなのですか」
「名家の出身で『マナ』にも明るい、これだけ揃うのはなかなか珍しいよ、たぶん」
水の注がれたコップを受け取るかわりに、恋は目配せをメイドに投げる。すると女性は一礼を主と私に向かってしてから、部屋から出て行った。その意味は、詮索するまでもない。
この男、金、というよりはくすんだ茶の髪だろうか。顔立ちも日本人離れしていて、容姿や仕草といい、なんとなく兄さまを彷彿とさせるのが、気に入らなかった。
兄さまはもっと、もっともっと優れたお方だった。
だけど私はその人を。
「といっても君がなんでそこまで『マナ』に詳しいかをこっちはまだ知らないんだよね」
はっとする。一瞬でも思考をそらすと、記憶ごと持って行かれそうになる。ここ最近よりそれが顕著になっている気がして、危機感を覚えないわけではない。だけれど、恐怖というのは、あまり感じられなかった。もうそれも『彼女』に喰われてしまったのかもしれない、兄さまや妹たちが好きだと言ってくれた私の笑顔や、それから、もう覚えていないものも、多分。
そうではなかった、思考がそれた。この男は、今なんと。
ああ、と納得する感覚がする。こっちだ、こっちが私だ。ふう、とひとつ溜息を吐いた。
「それを聞き出そうというのですか。食事会だなんていわずとも、軍の方で聞き出せば良かったのに」
「いやいや、それじゃ君の思い通りだ」
「……?」
「あえて君が嫌がることしないとね。思いのままアライジア潰したって、こっちにはおいしい所が無さ過ぎる。絞れるだけ絞る準備ができてから、全部もらわないと」
「……そうですか」
日本人というものは、よくわからない。また苦い感情がふつふつと沸き起こってくる。ようやく水を口にはするものの、やはりそれに薬物の関連は混じっていないようだし、いや、もしかしたら遅効性かもしれない。そうだとしても、いや、この男の台詞からするにそれもなさそうだ。
作れ、強くなれ、壊せ、倒せとまっすぐなアライジアと、日本は相反しているのかもしれない。人口のせいか、そうならざるを得なかったというのか。だが意地悪さが垣間見える対応は、ある種の好意という意味を併せ持って私に幾度となくぶつかってきた。
看護師といい、この男といい、あの少尉といい。
「それで、何が聞きたいのでしょう。情報を渡す代わりに、この食事はいただきます」
「冷めたでしょ、替えようか」
「いえ、こちらの分の食事をいただき、その分の情報を渡します」
「はは、いいんじゃない。じゃあ何にしようかなあ……」
半ば諦めたつもりで言ったものは恋にとって随分好印象だったらしく、彼は笑うと背もたれに体重を預けた。私は冷えたシルバーを握ると、冷えてもなお柔らかい肉の繊維に刃を差し込んだ。監禁されて質素な食事ばかりを与えられた後の食事、であったならば思い切り頬張っていたであろう。漂ってくる香りも唾液の分泌を確かに刺激するし、さらりと切れた肉を口にしてみれば染みた出汁は濃すぎもせず隠れ過ぎもせず、肉の味と綺麗に重なっていてとても、とても美味しかった。
これの、対価とは。私も冗談が言えるようになったか。
ちらりと恋を見上げると、またコップの水を空にしていた。
――緊張だろうか。
「じゃあ、まずはこれについてだ」
掲げられたボトルに、緊張する番はこちらに回ってきた。
残りはまだ『八本分』ある。自然と視線を指に落として確認してしまったそれは、奪い取られた私の、安全装置だ。やはり落としたのではなく彼らに奪われていたのだと、そう思うと敵対心がまた張り付く。
私は、味を失った肉を飲み込んだ。
「……解析でも済ませましたか」
「ううん、これこっそり取ってきたばっかりでね。御美川大尉が何にも教えてくれないから」
取ってきた。すなわち御美川大尉がそれを持っていたということか。一体いつから。あの男は。やはり私が怪しいのを存分に知っていて、傍らに置いたというのか。疑問が、疑惑がふつふつと浮かんでくる。だが今『私自身が搭乗しない状況』においての『抑制剤』であっても、必要だろう。今レナや、海や、御美川らに迷惑をかけてもなんの得にはならないし、それ以前に私が整備中に『マナ』に喰われてしまっては意味がない。そして、私が死んだとして、『彼女』がどうなるかわからない現状では、死ぬ意味は全くないのだ。
「……それは、ただの液体ではありません」
「うん」
「私の体液にのみ反応して、私にのみ効果を発揮する抑制剤です」
「……抗体値の、かな」
「はい……いえ、抑制剤という言い方には語弊がありました」
真実を告げて、どうなるか。悲しいことに、予想は全くつかなかった。だから賭けてみることにした。
「それは『抗体値』を50にまで上げる薬です」
恋はそれまで液体越しに私を見ていたのを、すっと横にずらして視線をまっすぐぶつけてきた。まばたきを、ひとつ、そしてふたつ。時はゆっくり流れた。さあ、冗談だろうと笑い飛ばしてくるか、それとも詮索に入るか。いつの間にか互の間にある料理は、冷えに冷えていた。
「……ということは、君の本来の抗体値は50コンマゼロの数値じゃないわけだ」
「それはあくまでも薬を使っての数値です」
「抗体値がジャスト半分の神体質だったから、あっちでパイロット訓練を受けてたって説はおじゃんだな。なるほど」
「わっ」
恋の言うことは、私が技術部で測った抗体値の話だろう。
抗体値を測った瞬間、騒ぎになった。前代未聞の50ジャストの数値のふたりめだと。皆があれそれと詮索を始めあわや論争になろうとしたが大尉が止めた。以降、あまり騒ぎは起こらなかった。恐ろしく静かなほどに。
不意にこちらにものが飛んできて反射的に手を伸ばし、一度手にあたって弾かれるもそれはぽとんと腿の上に落ちた。抑制剤のボトルだった。
「あわよくば達也さんのとこから引っこ抜こうと思ったのに、軍人にはできそうにないな。じゃあ元の抗体値は低いんだね」
焦ってボトルを手の内に握り締めた私を見て、恋は頬杖をついてくすくすと笑う。
あっさり返してくれた。そしてその笑顔にやっぱり、なんとなく兄を重ねるのだ。
アライジアの情報は外に流れないよう規制がかかっているが、日本側の情報というものは楽なほどに手に入る。純正『マナ』のパイロットが鬼塚定清という少尉であることや、十朱城という世界的にも名の通った名家があることも。その十朱城の息子が、彼だ。兄弟がいるかまでは知らないが、彼が十朱城の顔であるといっても過言ではない人物の上、パイロットの経験と実力も兼ね備えているときた。
アライジアからすれば、大きな敵だ。
だが今の私にとっては。
「……そう、ですね」
思わず開きかけた口を一度閉じる。持っている弾丸を、全て打ち込んで不利になるわけにはいかない。
私の抗体値は低い。そしてその抗体値を安定させる薬がある。その薬を作るだけの力がアライジアにはある。渡したものはそれだけだ。それではまだ、この場を切り抜けるには足りないだろうか。まだ、追い打ちを掛ける必要があるだろうか。
こちらの仕草に気づいたのか、恋の表情がすっと落ち着く。撃たなければ撃たれる。今まで有利な立ち位置であったはずの私がなぜこんなに焦っているのだろう。こちらをまっすぐ見つめる灰色の瞳に、反射的に口を開きかけた。
瞬間、バイブレーションの音が響く。
「なんだ、こんな時に」
腕の端末からだった。恋にも、私にもその伝達はやってきた。私よりも早く慣れた動作で端末を操作すると、恋の端末上に映像が浮かんだ。映像が転送されてきているのだとわかったが、左右反転したスクリーンを後ろから眺めているとわかったが、その映像は非常に重要で、緊迫していて。そして、私にとってよく知らざるを得ない人物が映りこんだ。
古い眼鏡の奥の、緑の瞳。
もう老いて細まった、それなのに、人をどこまでも畏怖させるエメラルド。
「お父さま……!!」
その人を自国の外で、見ることになるとは。
――違う。
「どうして、お父さまが、テレビなんかに……」
身を乗り出した私を、スクリーンの奥から恋が見つめてきているのに気づいた。
緊張した意識の外で、映像は生放送だが内容は大して普段国の中で流しているのとかわりのない、国政についてのものであるとなんとか認識する。
問題はそこではない。
なぜ日本で、アライジアの、それもハイネス家の当主であるような男の映像が流れるのか。流すことが許されているのか。許しているのは、ほかでもないアライジアのはずだ。
恋は綺麗ににっこりと微笑む。
「……前言撤回かもしれないなあ。君は思ったよりも大事な身柄なのかもしれない」
そうさせたのは、誰か。
スクリーンの緑の瞳と視線があったような気がして、急に私は、この人を敵に回したのだと、ぞっとした。その私のすぐそばで力強い気配が、その心を支えてくれるのが、今ばかりは頼もしかった。