番外編 十五歳のダンス
灰色がかった淡い茶色の髪に鮮やかな赤茶の瞳。
エリシアの友人アジャはなかなか印象的な外見をしている。常々エリシアはアジャの外見の構わなさをもったいないと思っていた。きちんと整った美貌というわけではないが、生き生きとした身のこなしと豊かな表情は、鮮やかな瞳の色と相まって強い印象を与える。それは確かに種類で言えば野の花の美しさだが、しかるべく植え付ければ庭園にあっても人目をひくに足る花となるだろう。
ところが、無頓着なのだ。
普段の服装と言えば毛織の魔術師の衣の下に、ぎりぎり常識の範囲内の長さの毛織のドレスを着て、下から見える長さのズボンにしっかりした革の靴。
刺繍は得意じゃないので最低限しかはいってないし、ズボンやドレスの裾にレース一つつけようとしない。
塔の女子部の中でアジャが一番身なりに構っていないのは間違いなかった。
もちろん、アジャだけが出身階級が違うという事実はある。リリカスの塔の女子部は実質貴族の令嬢のための高等教育機関だ。リリカスに暮らす平民の女性が魔術師を目指す場合、大抵はグレインの塔に入る。グレインはリリカスから一番近い魔術師の塔で、グレイン侯領にある。
アジャも最初に入った塔は実家に近いマティアスの塔だった。
アジャはマティアス侯領の郷長の娘だ。マティアス侯領は遊牧の盛んな地域で、広い草原から西の果ての砂漠へと続く。アジャの出身地は冬営地として、冬には人口が膨れ上がる。
アジャの実家は身分こそ郷長でも、草原の交易の多くを担っており、裕福な家庭だった。下手な貴族よりも経済力なら勝っている。だからアジャが服装に構わないのは経済的事情からとは考えにくい。
そして申し子であり、魔術師の位階を駆け上りつつあるアジャのことを、貴族でないという理由で弾く者はリリカスの塔にはいない。
いや去年の春、塔に入ったばかりの頃なら多少の隔意というか違和感のようなものがあった。何と言っても一人だけ貴族出身でないのは事実だ。階層が違うということは触れてきた文化が違うということで、その違和感自体は仕方ない。ただそれも一緒に生活し、学ぶうちに「リリカスの塔」という新しい文化に上書きされて薄れていった。一番決定的だったのは秋の感謝祭だ。
アジャが得意の連動魔術を駆使した術は、華やかに光の宴を彩り、塔と女子部は大いに面目を施した。アジャの術はまさに女子部の誇りとなったのだ。
そして迎えた初めての新年。
エリシアは友人を新年の宴にふさわしく着飾らせなければならないという使命感に燃えていた。
アジャの新年用の魔術師の衣の刺繍は、エリシアが口も手も大いに出して完成させた。ドレスの丈は流行りの長めのもの。ズボンは裾にレースを縫い付けた。アジャは濃い緑でエリシアは渋めの赤。二人で並べばとても映えるに違いないと、エリシアが考え抜いた衣装だ。
アジャも単に面倒くさがりなだけで、着飾ることが特に嫌いというわけでもないようで、準備してしまえばそれなりに楽しみにしていたようだった。
それで今日、年も明けてめでたく揃って十五歳になったその朝の明けきらないうちに、エリシアは自分の分の衣装を抱えてアジャの部屋に押しかけたのだ。
放っておけば単にいつもと違う服を着るだけになってしまいかねないアジャの支度を、強引に手伝うつもりだった。
寝ぼけまなこのアジャの髪をすき、両横の髪を幾つかに分けて編む。編んだ髪は緩く後頭部にまとめ、後ろ髪をその上にかぶせるようにぴっちりと結いあげた。
とっておきの香油を使って結い上げた髪は思い描いていた通りアジャによく似合う。髪を纏めた後頭部に、ドレスと共布で作った髪飾りを注意深く留め付けた。
未婚の少女は化粧をしないものだから、髪を適当にすませると凝る場所がない。逆に既婚の夫人は盛装になると帽冠に押し込んで髪を見せないものなので、髪に凝るのは少女の特権でもある。しかも十五歳という年齢は髪を上げ始める年齢だ。それより下の年齢だと髪は下ろしておかなければならない決まりだった。
アジャに髪を潰さないように厳命して、エリシアは自分の髪にとりかかった。
エリシアの髪はアジャの髪と違ってふわふわした癖っ毛だ。とろりと背に流れる真っ直ぐでツヤツヤしたアジャの髪は、エリシアにとっては羨望の的だった。
アジャのような髪型はエリシアの髪では上手くいかない。エリシアは自分の髪をゆったりと編んで纏め、髪飾りの角度を慎重に定めた。
二人分の髪型を作ると、あとはそれぞれ晴れ着に着替える。晴れ着が凝ってるのは刺繍やレースなので、着付けはいつも通りだ。
少女らしい淡い灰色の魔術師の衣には、それぞれの模様の他にお揃いの花と鳥を象った刺繍が施され、ドレスとズボンのそれぞれの裾に縫い付けられレースが重なり合って、足元を花のように飾っている。首と袖につけたリボンは二人で色を取り替えて、アジャが赤、エリシアが緑。こうなると魔術師の輪に下げた記章や晶灯の類さえ、装飾めいて見えてくる。
エリシアはアジャと並んで得意満面だった。
新年の宴は感謝祭と並んで未婚の少年少女が参加を許される稀有な機会だ。社交というのは大人のもので、結婚するとか宮廷での位を授かるとかして、初めて社交界に入ることができる。特に貴族の女性は、女官として宮廷に入るのでさえ、たいていは結婚してから夫の家名で入るのだ。例外は魔術師の位階だが、これも上級魔術師となると国家から結婚に制限がかかるので、貴族の子女が取ることはほとんどない。そうでなくても上級魔術師の資格を取れるものは少なかった。
だから、新年の宴は少女たちが華やかに着飾る数少ない機会であり、十代も後半の少女たちにとっては結婚相手を見つける場でもあった。結婚話は親たちの間で進められるが、本人達の意向がまるっきり無視されるわけでもない。さらに言えば、さり気ない見合いの場としても活用される。
未婚の男性達ももちろん少女たちに注目するので、ここは気合を入れないわけにはいかない。
エリシアがアジャと一緒に女子部の談話室へ行くと、すでにロザンナとヴァイオラ、それから上級魔術師のアマリエがいた。みんな、晴れ着を着ている。
「かわいい。二人で色違いにしたのね。」
アマリエがにこにこと目を細める。アジャが塔に入る直前に上級魔術師の資格を取ったアマリエは女子部の最年長者だ。年齢から言っても、上級魔術師という立場から言ってもそろそろ女子部というのはおかしいのだが、毎日談話室に現れるし、頼れるお姉様として後輩たちにも慕われて仲間扱いされている。
ついで年嵩なのがまだあらわれていないセリアとキャデリン、ついでロザンナとヴァイオラになる。その下にはアリアとマリーダが続き、一番年少なのがエリシアとアジャだった。
年齢こそ下だがエリシアは塔に入ってすでに五年目だ。在籍年数ならアマリエに次ぐ。アジャが上級魔術師候補であることといい、一目置かれる年少組なのだ。年長者のアマリエの人柄もあり、女子部の仲はいたっていい。
他の四人も次々と談話室にあらわれ、全員揃って塔の玄関ホールに赴いた。
「まあまあ華やかなこと。花が咲いたようだわね。」
塔主代のアイラが嬉しそうに目を細めた。まるでさっきエリシアたちを見たときのアマリエそっくりだ。アイラとアマリエは親子ほどに年が違うけれど、仲が良く、不思議に似たところがある。
「似合います?」
ロザンナが魔術師の衣をつまんでくるりと回った。
裾のフリルがふわりとひろがる。
「ええ、ええ、みんなとっても素敵よ。」
そう言うアイラは普段はあまりかぶらない帽冠を被り、刺繍をした薄絹のベールを背に流している。魔術師の衣の下の緑のドレスも落ち着いた意匠で上品にまとめてあった。リリカスの塔の重鎮に相応しい。
玄関ホールにはすでに男子部やそれ以外の中級上級の魔術師達が集まっていた。全体に男性や年長者が多く地味な色目なので、確かに女子部の面々が交じると、花の咲いたように目立った。
新年や感謝祭の折の塔主は、早朝から妃としての儀式に追われるため、女子部の少女たちを含む塔に暮らす魔術師たちを率いるのは塔主代の役目だ。
未婚の少年少女である男子部、女子部だけならともかく、リリカスの塔に居住する魔術師をなぜまとめて率いてゆくかと言えば「威儀を示すため」だ。リリカスの塔に所属する魔術師は多いが、中でも塔に居住するのはリリカシアの側近として扱われる。外国の大使や国内外の貴族の集まる宴で、彼らがリリカシアの足元にずらりとならぶことには、馬鹿にならない示威効果があった。特に他国では一国を上げて十人はいないことも珍しくない上級魔術師が、リリカシアその人を抜いてもリリカスの塔の所属だけで八人うち並ぶ光景は圧巻だ。そもそもリカドの民は魔術資格を持つものが多く、貴族ともなれば魔術師の衣を纏わない者はいないので、外国からの来訪者などはまさに魔術王国よと、ため息をつくような光景になるのだった。
広々とした謁見の間に、アイラの先導で入ったリリカスの塔の魔術師は、まだ王族のいない上段の間のすぐ下の左側に並ぶ。続けて上級女官が居並ぶが、全員が中級魔術師の資格保持者だ。
右側には近衛の儀仗兵が並ぶ決まりで、こちらも率いる将以下すべてが魔術師の輪をつけている。
やがて王族が上段の席についた。
壇上の王族は四人。
王と王太子とリリカシア、さらにリリカシア所生の第二王子だ。現王のリアーナは王太子の出産後身体を壊し、若くして身罷って空位となっている。今も王の右隣には誰も座らない玉座が一つ置かれていた。
寵姫がいるが、王族とはされないので壇上に上る資格がないし、寵姫腹の第三王子と第一王女はまだ幼いので公式の場には出ない。
大臣、将軍たちがまず入場し、それから位に従って百官が入場してゆく。
最後が外国大使などの来賓で、その頃には謁見の間は人でいっぱいになっていた。
謁見のあとは王宮中の広間を使った宴にうつる。
一番広い大広間の、庭園への扉をすべて開放しての舞踏会の他に、国王臨席から軽い立食まで無数の食事会があり、五つ六つ掛け持ちする猛者も少なくない。
数少ない機会ということもあって、舞踏会の会場にも少年少女の姿が多い。エリシアもアジャや他の女子部の仲間と繰り出したのだが、親に連れて行かれたりはぐれたりで、いつの間にかバラバラになってしまった。
もっとも、エリシア自身はそんな事では困らない。女官長の母を持ち、半ば宮廷で育ったようなものなので、王宮のことなら知り尽くしているのだ。
むしろ、王宮にも貴族の社交界にも不慣れなアジャが一人はぐれて困っているのではないかと気になって、エリシアは会場を小走りに探し回った。
ただ、そうはいっても素直にはいかない。王宮で育ったということは知り合いが多いということで、どこでもすぐに呼び止められる。
焦りながらアジャを探して庭園に出たエリシアは、そこでアジャを見かけた。一人ではない。第二王子エドウィンと一緒だった。
第二王子エドウィンもまたエリシアにとっては親しい。
エドウィンの乳母はエリシアの叔母だし、乳母子である従兄弟たちと共に幼い頃から親しんだ、幼馴染とも言える仲だ。まして今のエドウィンは塔の男子部に所属しているので日頃から顔を合わせることも多い。アジャもエリシアを介してエドウィンとは親しんでいる。
二人に声をかけようとそちらに向かいかけて、ふとエリシアの足が止まった。
「そう、そこでスリ足。次にジャーンとなったら回るからな。よし回れ。」
二人はダンスに興じているようだった。いや、エドがアジャに教えていると言うべきか。
「足揃えて。一歩右。そうそう、ここは繰り返しだ。」
アジャのドレスが翻り、ぎこちないながらも一応ダンスらしくなってくる。アジャはとにかく必死の表情だ。エリシアだけでなく女子部の誰彼もアジャにダンスを教えようとしては逃げられていたのに、エドはどうやってアジャを捕まえたのだろう。
必死のあまり相手役のエドの顔など見ていないアジャと違い、エドはアジャを見ていた。
いつもの、軽口を叩くときと同じ口調でアジャに指示を出しながら、その表情はあまりに柔らかかった。アジャの手を取り身体を支える腕も、ひどく優しい。
それはエリシアが今までみたことのないエドで、その事実が二人に駆け寄るエリシアの足を止めたのだった。
エドは、アジャが好きなんだ。
それはあまりに当たり前の事実としてエリシアの胸に落ちた。
今日、着飾らせたアジャの姿がもしかしたらエドに何かの変化を与えてはいるかもしれないけれど、そもそもエドはアジャのことが好きなのだ。見ていればそのことはよくわかる。エドの柔らかな眼差しは見守る者のものだった。
そして、もう一つわかったこと。
私は、エドが好きなんだ。
見たことのないエドの表情に衝撃を受けたことで、自分が無意識のうちにどれほどエドを見つめていたのかに、気がついてしまった。
「あ、エリシア。」
音楽が終わり、顔を上げてエリシアに気づいたアジャが手を振る。アジャの後ろのエドはもういつもの表情に戻っていたけれど、心なしか名残惜しげな気配をひいていた。
「アジャ、探したのよ。エドと一緒だったの?」
エリシアもいつもの表情でアジャに駆け寄る。見てしまったこと、気づいてしまったことを決してエドに悟られないように。
「聞いてよ、エドがひどいのよ。無理だって言ってるのに無理やりつきあわすんだもの。」
アジャが本当に嫌そうな顔でうったえる。
「いや、それはあんたも付き合えなきゃだめよ。だから教えるって言ったでしょ。」
真面目に諭すと、ちょっとむくれた。
「来年までには最低限は叩き込むからね。」
「ちょっとっっ、なんでそうなるのよ。」
構わずに宣言すると、抗議してきたけど相手にしない。エドがその様子を見ておかしそうに笑っている。
いつも通り。
もう少し、このいつも通りが続けばいい。いつかは大人になるのだとしても、あともう何年かの間でいいから。
誰が誰を好きとか、結ばれるとか、まだ考えたくはなかった。
エリシアは結局のところアジャのことだって好きなのだ。
大好きな二人を、ずっと好きでいたいと思うのはいけない事だろうか。
一時止まった音楽が再び鳴り始める。陽気な旋律は男女関係なく輪になって踊るためのものだ。
逃げようとしたアジャの手をエドと二人で左右から捕まえる。空いた片手同士も結び、小さな輪になるとアジャにステップを教えながら回り始めた。アジャとエリシアのドレスが同じタイミングで翻る。
できることならずっと、このままで。
エリシアの密かな思いをのせて、陽気なダンスがはじまった。




