繰り返す悪夢
彼は、濃密な闇の中で目覚めた。
ひどい汗。
また、あの夢だ。
ここ一ヶ月程、ほぼ毎日の様に見る夢……
涼介は高台にいる。
どこなのかは分からない。
砂なのか、石灰なのか、もっと人工的な何かなのか、
とにかく白い大地に、たった一人で立っている。
そこから下を見下ろすと、蟻のように多勢の人々が
右往左往しているのが見える。
涼介は、根拠のない不安に駆られる。
なぜが、そこに放置されてあった白い旗を、
力いっぱい振りながら叫ぶ。
「早く!こっちへ来い!避難所はこっちだ‼︎」
叫んでいる。叫んでいるはずなのに、全く声が出ない。
こんなに力いっぱい叫んでいるのに……
やがてその蟻のように多勢の人々がいる大地に亀裂が起こり、
パックリと大きな口が開く。
人々は、そこへ次々と飲み込まれていく。
一人残らず……
涼介は、絶叫して、その場にしゃがみ込む ……
いつも、ここで目がさめる。
どうして こんな夢を繰り返しみるのだろう ……
僕はきっと疲れているんだ。
ここのところ、よくない事が重なったから……
僕の名前は 加藤 涼介。
30才を目前に、職を失ったばかりだ。
貯金も ほとんどない。
こうなったら何だってやるつもりで、必死に職を探しているが、
思うようにいかない。
ここ最近は、外へ出るのも億劫になってきている。
もう、生きているのに辟易していた。
そんな中、つい一週間前、
学生時代からの友人、後藤 宏樹 が亡くなった。
彼は、涼介の近況を知って、景気付けに飲みに行こうと
誘ってくれた。
学生の頃の懐かしい話や、今の思いを、お互いに吐露し合い、
大いに盛り上がった。
また近いうちに会おうと約束し、彼等は別れた。
その帰宅途中、宏樹は 信号無視の車に撥ねられ、亡くなった。
ほぼ、即死だったそうだ。
涼介は
今だに彼がいなくなった事が信じられず、思わず電話してしまいそうになる。
また会おうと、笑顔で別れたのに……
約束したのに……
約束は、果たせなくなってしまった。
どうしようもない焦燥感にさいなまれる。
歩んでいかなければならない日常と、心にポッカリと空いてしまった穴は、
どこまで 行っても相入れない気がした。
涼介は、永遠に抜けないトンネルの中にいるようだった。
それでも、馬鹿みたいに正確に、朝はやって来る。
涼介の気持ちなんか、お構いなしに……
彼は、かぶりを振りながら、小さく「くそッ」と、つぶやいた。
どうにか思いを外に向けるべく、無理矢理 靴を履いて外へ出た。
今日は職探しではなく、気晴らしのためだ。
アパートから15分程歩いたところに、見慣れない小さな薬局が
ひっそり建っているのを見つけた。
年季の入った店構えから、最近建った物ではないと分かる。
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
看板には「くすり」と書いてあるだけで、屋号は書かれていない。
入り口のガラスの張り紙に
「あなたの元気、取り戻しませんか?」
と、書かれてある。
取り戻せるなら、取り戻したい。
涼介は、フラッと店の入り口に立った。
自動ドアが「ウィーン……」と重たい音を立てて ゆっくり開く。
狭い店の中には、白衣をまとった
年の頃は60代後半から70代前半と思しき男性が、ガラスのショーケース
の向こうに、笑顔で立っていた。
「何かお探しですか?」店主が尋ねた。
「何と言うわけでは…あの、入り口の張り紙を見て 少し気になって……」
涼介が答えると、店主は笑顔で
「少し お待ちください。」と、店の奥へ消えた。
しばらくして茶色の小瓶を持って戻って来た。
「栄養ドリンクですか?」涼介が尋ねた。
「まあ、似たようなもんですが、そんじょそこらのもんじゃないですよ。
心の疲れも、身体の疲れも、本当に ふっ飛ぶんです。」
店主は自慢げに言った。
「心の疲れって…こんな物で解決するわけないだろう……」涼介は心の中で、そう思っていた。
「お客さん、お疲れなんですか?」店主が言った。
「ええ…まあ…色々ありまして…」
「そうでしょうね。生きていれば色々あって当たり前です。このドリンク、評判いいんですよ。
買って行かれた方は皆さん元気になられて…」
そこへひとりの中年女性客が入って来た。
客が何か言う前に、店主は
「ああ、これですね。どうぞ。」
そう言って、箱に入ったドリンクを客に渡した。
客は急いでいるのか、無表情のまま、その箱をひっ掴んで、後ろも見ずに出て行った。
店主は、女性客の背中に向かって
「お大事に!」と声をかけた。
「ね?評判いいんですよ、これ。」店主は笑顔で言った。
涼介は少し気になりながらも、胡散臭いドリンクを飲む気にはなれず、
「また来ます。」と言い残して店を出た。
店主は、とても残念そうにしていた。
夜、ベツドに入ってもなかなか寝付けず、やっと浅い眠りに就いた。
しばらくすると、また あの夢……
一体いつまで続くんだろう。
翌朝、とりあえず、ハローワークへ行こうと、バスに乗った。
バスは、思いの外 空いていて、涼介は、前の方の席に座った。
しばらく乗っていると、後ろの方からゴロゴロと音が近づいて来る。
涼介の真横を通過して行ったのは、キャスター付きのキャリーバッグ。
運転士の真横にある料金精算機に衝突するまで、誰も止めに来ようとしない。
涼介は、後ろを振り返った。
若い女性が一人座っていた。他に客は居ない。
彼女のキャリーバッグで間違いないだろうと、涼介は、バス停車中に、
そのキャリーバッグを引きずって、彼女の前まで持って行った。
「あなたのじゃないですか?」涼介は聞いた。
「……」女性は何も答えない。
涼介はどうしていいか分からず、その女性の前にキャリーバッグを置いて、
自分の席に戻った。
ところが、バスが再び走り出すと
またもや、キャリーバッグが転がって来た。
涼介は呆れた。彼女はちょっと普通じゃない。
振り返ると、女性は顔色ひとつ変えずに座っている。
もう関わりたくない。
申し訳ないが、今の彼に、そんな気持ちの余裕は無かった。
バスを降りて、ハローワークに向かう途中、若者と老女がにぶつかり、
老女のほうが、派手に転倒するのを見かけた。
涼介はさすがに驚いて「大丈夫ですか?」と声を掛けた。
老女は何も答えない。
ぶつかった若者は知らん顔で去って行った。
が、彼を引き止める勇気は涼介にはなかった。
愛情の希薄な世の中に、吐き気をもようしながら、
それでも何とか老女を抱き起こした。
老女は何も無かったような顔で、ゆっくり歩き出した。
耳が遠いのかもしれない。
どうやら無事のようだし、ま、いいか。
涼介はハローワークへ向かった。
思った通り、凄い人だった。職探しをしているのは涼介だけじゃない。
とにかく混雑している。混雑しているが、何かがおかしい……
何だろう、この違和感……
みんなパソコンの前に座って検索しているが、とにかく静かだ。
人の声がしないのだ。
受け付けに係の人間はいるが、前を見つめたまま無表情で座っている。
そこへ相談に行く人もいない。
パソコンのキーボードの音や、椅子を動かす音、人の足音などは聞こえるのに、
誰の声も聞こえてこない。
気持ちが悪い……
涼介は、居たたまれなくなって外へ飛び出した。
落ち着こう。とにかく落ち着かなければ……
涼介は、自分に言い聞かせながら、近くのコンビニに逃げ込んだ。
入り口を通ると、独特の電子音が鳴り響き、客が来た事を知らせる。
でも、やはり「いらっしゃいませ」の声、人の声は聞こえてこない。
誰もいないのか……
そう思ってレジに目をやってギョッとした。
店員はそこにいた。
無表情で、微動だにせず、一点を見つめて つっ立ってた。
世の中、こんなに無気力な人間ばっかりなのか…
みんな人形の様に生気がない。
涼介は冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出しレジへ向かった。
商品を出すと、能面の様な顔の店員が、ペットボトルのバーコードを
バーコードリーダーに読み取らせ、小さな声で「120円…」と言った。
やっと声を発した。喋れないわけではないらしい。
涼介は会計を済ませ、出口に向かった。「ありがとうございます」の声は
またもや聞こえて来なかった。
チラッと後ろを振り返ると、店員はまた能面の様な顔をして、一点を見つめて立っていた。
「居心地の悪い店だ。」涼介は心のなかで思いながら、ミネラルウォーターを
乾いてはりつきそうな喉に
一気に流し込む。喉を通り抜ける冷たい感覚に「自分は生きている」
と実感し、苦笑いした。
「生きるのが面倒になってたんじゃなかったっけ…」
身体は正直だ。こんな時でも 喉が乾く。空腹も感じる。
腹が立ったり、ホッとしたりもする。
涼介は、また苦笑した。
涼介は、ふと思い立った。
久しぶりに実家へ行ってみよう。
先回帰ったのはいつだっけ?2年?3年位前?
前、勤めていた会社は、社員を歯車としか考えていない
いわゆるブラック企業で、なかなか まとまった休みをもらえなかった。
働きづめだった。
給料は全く比例しないのに。
それでも、まだ働き口がある間は良かった。
今の涼介には、それすらない。
目的がない日々が、こんなに辛いとは……
やはり実家へ行こう。
久々に母の手料理が食べたい。
「お前、何やってるんだ!」と、父に喝を入れてもらいたい。
涼介は、その足で実家へ向かった。
行きの電車の中で、何度か実家へ電話をしたが、不在なのか誰も出ない。
母の携帯にも連絡してみたが、留守電になってしまう。
母は専業主婦で家にいる事が多い人なのに…
少し不思議だった。
実家に着いたのは夕方だった。もう日が沈む間際だ。
さすがに母も帰宅しているだろう。
「ただ今!」涼介は元気に玄関のドアを開けた。
返事がない。とりあえず中へ上がってみる。
キッチンから物音がする。
安堵した気持ちでキッチンのドアを開けた。
母が立っていた。
せっせと夕飯の支度をしていた。
母の後ろ姿を見ていたら、涙が込み上げて来た。
必死に、その涙をこらえて、もう一度母に、
「ただ今!」と声をかける。
母は振り返らない。
涼介母の真横に立って「母さん。」と呼びかけた。
涼介は凍りついた。
能面の様な顔で、機械の様に夕飯の支度をしている。
どうしたっていうんだ…
一体何が起きているんだ…
涼介が動揺していると父が会社から帰宅した。
涼介は父に駆け寄って、説明を求めた。が、父も同じように無表情で
能面の様な顔をしている。
涼介の言葉に何の反応もない。
「もう、どうなってるんだよ‼︎」
涼介は、怒りと絶望感で叫びながら実家を飛び出した。
自分のアパートにも帰る気になれない。
それでも、どこも行くあてはない。
涼介は再び電車に乗り、アパートへ向かった。
駅のホームから出て、アパートの方へ向かって歩く涼介を、
夕立ちが襲った。
夕立ちに打たれながら、涼介は泣いた。
仕事を失った時のショックや、宏樹を失った時の空虚感、
そして、今、自分を取り囲んでいる状況……
涼介の脳は、完全に飽和状態だった。
アパートに着き、ずぶ濡れの身体をシャワーで温めた。
まだ涙が止まらなかった。
「誰かと会って、話がしたい…」
涼介の中を、どうしようもなく溢れ出す、その感情が支配していた。
着替えを済ませ、近所のファミレスへ出かけてみた。
予想通り、「いらっしゃいませ」の声はない。
席への案内すらない。
涼介は、勝手に窓際の席へ座った。
店員がやって来て言った。
「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのブザーでお呼びください」
涼介は、機械に接客されている様に感じた。
メニューを見て、パスタとサラダ注文した。
出てきた料理は、いつもと同じように見えた。
が、なんて無味乾燥な料理なんだろう…
ファミレスの食事に完璧さを求めてはいないが、
明らかにこれまで食してきた物とは別物だった。
感情のないまま調理をすると、こうなってしまうのだろうか …
早々に食事を済ませ、レジで支払いをする。
金額のみしゃべる、能面の様な店員。
結局、涼介は誰とも血の通った会話が出来ないまま、アパートへ戻った。
何をする気にもなれず、ベッドに潜り込んだ。
あっという間に眠りに落ちた。
が、また あの夢によって目覚めさせられる。
「何だ!何なんだ‼︎」
涼介は気が狂いそうになりながら夜明けを待った。
本当に待っているのか?
何の希望もない夜明けを……




