8 喰らうモノ ②
内容と合わない気がしまして、タイトルを変えてみました。
□小花 12:35
うろうろそわそわと、お弁当箱を抱えて教室を駆け回っていた美夏ちゃんは、私が教室に戻ると勢いよく駆け寄ってきた。
「小花ちゃん、どこ行ってたの!?」
自分の席に戻りながら私は……ちょっと話すは恥ずかしいかな。
「えっと……ないしょ」
「っ!?」
私が困り笑いを浮かべると、美夏ちゃんはふらふらと歩き出して、数人の男子とお弁当を食べていた行之丈くんの頭をペチンと叩いた。
「痛いです、ご主人様」
「私をそんな風に呼ぶなっ」
「先日、お許しをいただきました」
「……ぐぬぅ」
歯ぎしりするような顔をしていた美夏ちゃんは、とって返して私の席に前に滑り込んでくる。
「小花ちゃん見捨てるなんてひどいっ」
「見捨てるって…」
そんなつもりはないんだけどなぁ…。私がまた困った顔をすると、美夏ちゃんは軽く溜息をついて、私の机に自分のお弁当を広げはじめた。
「まぁ…いいわ。それよりお昼休みはあと20分しかないから、さっさと食べよ」
「うん」
例の三段お重をモリモリ食べ始めた美夏ちゃんは、私が広げたお弁当を見て小さく首を傾げる。
「小花ちゃん……それ、自分で作ったの?」
普段の私のお弁当は、お母さんが小食な私のために栄養や鉄分などに気を使って……要するに茶色系が多いお弁当なんだけど、本日のお弁当は、アスパラとニンジンのベーコン巻きに卵焼きとプチトマト、シャケとそぼろの二食ご飯と、我ながら彩りよく出来たと思う。
「うん、今朝作った材料が余ったから、自分のも作ったの…」
自分で作ると大変だけどなんか嬉しい。普段よりも少し早めに食べている私を、美夏ちゃんがジ~ッと見ていたので、私は何となくお箸で摘んでいた卵焼きを美夏ちゃんの口元に差し出した。
美夏ちゃんは少し驚いて、少し照れたように素直に口を開ける。
「あ~ん…むぐ、……甘ぁあっ!」
目を白黒させる美夏ちゃんに、私も不安になって自分で食べてみたけど…
「……そんなに甘いかなぁ」
お菓子みたいで美味しいと思うんだけど。
でも不味くはないかな…? 美夏ちゃんも卵焼きを飲み込むと『お菓子みたい…』と同じ評価をしてから私を見つめた。
「小花ちゃん、さっき『作った』材料が余ったから自分の『も』作ったって言った?」
「うん」
「……もしかして、…さっきまで大学のほうへ行っていたとか…?」
「うん」
「……………」
何故か細かいことを突っ込んで、私がそれに答えると美夏ちゃんのお箸から、お芋の煮っ転がしがポトリと落ちた。
どうして美夏ちゃんは、固まったまま汗を流しているのでしょう…?
固まっていた美夏ちゃんは、ご飯の上に落っこちたお芋と唐揚げを箸に刺して一口で食べると、はぁ~~~…と深く溜息をついて、ボソッと声を漏らす。
「小花ちゃんってさぁ……付き合っているの? その大学生と…」
「…つきあう…?」
って何だっけ…? 私は首を傾げたままプチトマトを口に入れて、もぐもぐゴクンと飲み込んでから。……あっ。
「何その反応はっ!?」
たぶんトマトのように真っ赤になった私に、美夏ちゃんがガタンと席を立ち、私は慌てて彼女の制服を掴んで席に戻した。
「…い、いきなりそんなこと言われたら、誰だってビックリするよ…」
「ならどうして、大学までお弁当を届けたりしてんのよ…」
私が声をひそめて言い訳じみたことを言うと、美夏ちゃんも小声で話してくれた。
「それはね、…お礼…なの。先輩には『お願い』を聞いてもらったから…」
自分で言っておきながら、どうしてか『お願い』と言う言葉に恥ずかしくなって、私は火照った顔を両手で隠した。
「……………」
美夏ちゃんは無言のまま立ち上がり、食事を終えてお弁当箱を片付けていた行之丈くんに近づくと、唐突に重箱の蓋でパコンと叩いた。
「ですからご主人様、無体な折檻は…」
「……五月蠅い……」
低く唸るような美夏ちゃんの声に、彼と一緒にいた男子達が一斉に下を向いて、美夏ちゃんがいきなり吠えた。
「どこの馬の骨だ、こんちくしょーっ」
本当に美夏ちゃんは面白いなぁ……。
……ドクン…ッ。
「……、」
不意に胸の辺りに苦しみを感じた。
やっと手に入れた平穏な教室の光景から色が失われていく……。
どうして…?
やらなくちゃいけないことは、昨日済ませたはずなのに……。
もう……死にたくない。
無くしてしまう前に私は決めなくてはいけない。
それが愚かなことだと分かっていても……。
*
□小花 1:00
家族がみんな寝静まった午前一時。
目が慣れても暗闇に近い部屋の中で、私は静かにベッドから身を起こして。
「…、」
胸に苦しみを感じた私は、布団に顔を埋めるように声を押し殺して痛みに耐えた。
痛みを覚えるたびに感情が…心が消えていくような不安が押し寄せてくる。
「……………」
時計の秒針が一周するほどの間を置いて起き上がると、私は音もなく……本当に幽霊のように部屋を移動して、用意していた服に着替え始めた。
濃紺の長袖カットソーに暗朱色のスカート。黒のストッキングに黒いスニーカーを履くと、私は小さく闇に呼びかける。
「おいで……【死喰い蝶】…【鬼喰い蝶】…」
囁くほどの声に、黒と白の二頭の蝶がヒラヒラと部屋に舞う。
差し出した指先で羽を休める蝶たちに、私は真紅の瞳を向けて。
「お願い…運んで。…静かに……そっと…」
私の声に黒と白の蝶が舞い、ヒラヒラと羽根を振るわせると、私の姿は闇に消えるように部屋から消えていった。
蝶たちは夜の街を飛び、桜崎中等部の校舎屋上に辿り着くと、黒と白の霧を生み出して……
「…ありがとう」
霧の中から現れた私は蝶たちにお礼を言ってから、夜空と夜の街に真紅に染まった瞳を向ける。
「………」
そっとポケットから取り出したのは、小さな安全ピン。
ギュッと握りしめてから息を吐くと、私はシャツを捲って胸元に小さく傷を付けた。
「…っ、」
痛いのは慣れない……。痛みが辛いのではなくて、痛みが怖い。
私は肌に浮かぶ血玉を指ですくい口に含むと、吹き出すようにそっと『甘い息』を風に乗せた。
それは比喩じゃなく、本当に甘い香りが風に乗って、瞬く間に夜に広がっていく。
「さぁおいで。…甘い蜜は此処よ」
瞳を閉じて、それを待っていた私は、遠くから集まってくるある種の気配を感じて、再び真紅の瞳を開いた。
校舎の影から…、植えられた木々の合間から…、校庭に忘れられたボールの下から、
『蠢くモノ』。『這い寄るモノ』。『漂う暗いモノ』達が、音もなく近づいてくる。
それは人が持つ本能的な『恐怖』により生み出され、恐怖されながらも人から存在を否定され、他の命にすがりつくことで自己の存在を求める、可哀想な哀れな化モノ…。
神になりきれなかった、最下級の魔神たち。
花に群がるその害虫が、甘い花の蜜に誘われて現れた。
「…行こう」
屋上の2メートルのフェンスを一歩で跳び越えると、落ちる私を蝶たちがふわりと優しく地に降ろす。
『…ギィ…ッ』
私を待ち構えていたように襲ってくる魔神たちを、死食い蝶が一瞬で貪り喰らい、鬼食い蝶が存在そのものを食い散らかした。
「………足りない」
小さく呟いて音もなく前に出ると、感情さえ持てない最下級の魔神たちが怯えたように私に道を開く。
でも逃がさない。私は逃げ惑う魔神たちを二頭の蝶で刈り取っていく。
それでも……
「…足りない。こんなのじゃいくら食べても…」
この程度の『命』では足りない。
それでも哀れな魔神たちを喰らい続ける、校舎の窓に映る私の姿は、紅い瞳が蝶のように揺れて、まるで泣きながら笑っているように見えた。
***
深夜二時を過ぎた夜深く……桜崎中等部の校門を越えたハンナは、その異様な光景に戦慄を覚えた。
校舎のコンクリートや校庭の地面が不自然にえぐり取られ、その切り口は鋭利でありながらも、断面は数千年も風雨に曝されたように風化し、夜風に混じる黒い塵からは、無残に喰われた怨嗟の声が聞こえてくるようにも感じられた。
そして…。
大気に漂う、濃密で…甘い花の香り……。
ハンナは校庭の惨状よりも甘い蜜の香りに本能的な恐怖を覚えた。
「……これが…乱神…『ミコト』の力なのか……」
大乱に現れ、命を喰らう神……世の乱れを告げるモノ……【乱神】・ミコト。
その神に仕え、他の命を貪り喰らう乱神の『使徒』……。
ハンナが知識神の使徒から連絡を受けたのは数十分前。
大きな存在認識力と、それに惹かれるように集まる十数体の存在認識力があると聞かされたが、すでにそれらの気配は感じられない。
けれど、
「………」
ハンナの碧い瞳がほのかに輝きを放ち、右手の銃を左手に持ち替えたハンナは、腰のポーチから取り出した金属片を闇へ投げ放つ。
放たれた数枚のカッターの刃は、不自然な軌道を描いて校庭の樹木に突き刺さった。
「……外れた…?」
最初から何もなく、気のせいだったのだろうか?
だがハンナは、感じる違和感と直感を信じて暗闇に声をあげる。
「誰だっ!? 出てこいっ!」
ハンナの声が夜に響き……その余韻が消える寸前。
『…ふふ……怖い怖い…』
闇から届く女の声……。
その声からは『若い女』としかわからず、気配も闇に溶けて定かではない。
でもハンナには、その声に聞き覚えがあった。
「……黒神の司祭か…」
油断無く構えながら声にすると、闇の気配が微かに揺れた。
『…よくご存じで。ではあらためて、はじめまして。私は黒神・ヴァンロゥ様の司祭、名前は……そうですね、『双尾』…とでも呼んでくださいな』
夜の安らぎを与え、虐げられた者が救いを求める神……【黒神】・ヴァンロゥ。
そして闇を狩る者たちを狩る、黒神の司祭。
「いい加減に姿を現せっ!」
そう叫び、ハンナは取り出したカッターの刃を投げるが、それは数メートルも飛ばずに地に落ちた。
『あら、嫌よ。…だって、あなたの『異法』は怖いもの』
異法使いであるハンナの力は『物を認識した目標に当てる』…ただそれだけの力だ。
重さも大きさも鉛筆程度までで、距離も50メートルも届かない。
その替わり、『在る』と認識できれば、どこに隠れていようと今まで外したことはなかった。
おそらく、認識を阻害する『魔法』が使われているのだろう。
神の正しき魔法を使う者…『司祭』に。
『ところで…あなたは名乗ってくれないの…?』
揶揄するようなその声にハンナは拳を握りしめる。
正直に名乗る謂われもない。けれど名乗らないのは、自分自身を縛る『思い』に負けるような気がした。
「私はハンナ…、ハンナ・ヴィッカー。光神に仕える者だ!」
ハンナの名乗りに再び闇の気配が揺れて…。
『ほほぉ…それはそれは…』
双尾の声があきらかに色彩を変える。
それまでの警戒はしていても、共に神に仕える者への親しさは微塵と消え、敵を狩る者の声に変わっていた。
『些細な罪さえ、許されない呪いへ変える無慈悲な神……よぉく知っていますよ』
法と秩序を司り、罪を呪いに変える神……【光神】・フォーレィア。
立場が違えば善も悪となり、逆もまた然り。
昔からよくある話だが、ハンナもそれは理解している。
それでも、
「…異形の罪人風情が何をほざくか」
神に仕えていてもハンナの性格は穏やかなほうではない。むしろその激しいとも言える気性は、些細な罪を逃さない光神に仕えるには適任とさえ言えた。
黒神を崇める者は、姿が『異形』であるが故に他から虐げられ、生きるために罪を犯す者も少なくない。
吐き捨てるようなハンナの侮蔑に、周囲の闇から一斉に殺気が溢れた。
『……言ってくれたな、司祭にもなれなかった、一般信者風情が…』
「…っ!」
双尾の一言に、今度はハンナの顔色が変わる。
『司祭』とは本当に存在する『神』の声を聴いて、神の奇跡…『魔法』を行使する神の代行者。
そのため司祭は信者達を導く役目も担うが、逆に言えばどれほど信仰心が厚くても、どれほど有能でも、司祭でなければ教団の上位にはなれない。
「…き…貴様…」
音が鳴るほどに奥歯を噛みしめ、カッターの刃を構えるハンナに、闇の殺気も高まっていく。
するとその時。
ちらり…ちらり…と、満天の星空から雪が降り、大気を一瞬で真冬へと変えた。
『……ここまでのようね。悪いことは言わないから、あなたは、この件から手を引きなさい。……綺麗な身体のままで死にたいでしょう…?』
言いたいだけ言って双尾の気配が完全に消える。
横やりを入れたはずの知識神の使徒の気配も感じられず、気温が元に戻ると鳥肌さえ立っていたハンナの肌から一斉に汗が溢れ出した。
あのまま司祭と戦えば、死んでいたのはハンナのほうだろう。
それはハンナもわかっている。
自分のふがいなさは、自分が一番よく知っている。
光神信者であった両親は神に仕えるように娘を育て、その想いがハンナを異法使いにもした。
ハンナも想いを信じ応えようとしたが、神の声はついに聞こえなかった。
ハンナは自分が憎かった。
蔑視していた使徒の少年に救われた自分が……。
助かったことに安堵してしまった自分が……。
「くっそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」
誰よりも教義にのめり込みながら神の声が聞こえない自分に、怒りと憎しみを拳で大地に叩きつけて、ハンナは夜に吠えた。
*
「……見つけた…」
遠くから聞こえてくる、誰かの魂からの叫び…。
中等部から真っ直ぐに続く並木道。舞い落ちる木の葉が、少女の肩に触れる寸前に枯れ砕けて塵となって消える。
煉瓦敷きの道で小花は見ていた。
落ち葉舞う中、蝶の視界を使い、小花はすべてを見ていた。
「見つけた。……こんなに見つけた」
ひとつは大きな熟した果実。
ひとつはまだ固い青い果実。
もうひとつは…これは駄目……。
「でも見つけた。……二つも見つけた」
月だけが見つめる夜の並木道にたたずみ、薄い笑みを浮かべる。
黒と白の蝶が、そんな小花を揶揄するように音もなく羽を振るわせ、月の夜空へと舞い上がっていった。
「みんな…私が…食べてあげるから…」
折り返し地点です。
もうしばらくお付き合い下さい。