5 彼女のお願い ②
本日二話目です
□小花 9:30
「小花ちゃ~~~んっ」
桜崎中等部一年四組の教室で、一時間目の授業が終わると私の名前を呼びながら一人の女の子が窓際の席まで駆け寄ってきました。
「美夏ちゃんは今日も元気ねぇ」
のんびり口調で微笑むと、私の友達、小室美夏ちゃんもニンマリ笑う。
「もぉ、今朝は何処に行っていたの? 遅れてくるし、昨日も用があるって一緒に帰れなかったし…」
「…ごめんね、今朝も少し寄るところがあって…」
笑いながらも不満そうな顔をする美夏ちゃんに、申し訳なく思って謝ると、何故か美夏ちゃんが慌て始めた。
「べ、別にいいんだけどさっ。久しぶりに冬服着たから、私が勝手に一緒に帰りたかっただけなの」
すぐに機嫌を直してくれた美夏ちゃんは、冬服を私に見せるようにスカートの裾をつまんでクルリと回る。
「でさ、遅れたのは分かったけど、小花ちゃん…走ったりしてないよね?」
「うん……。急いだけど走ってないよ」
全力疾走じゃないから大丈夫。美夏ちゃんが心配するから言わないけど。
今日もお日様が心地よい。窓際の席は暑いから嫌だと言う人も居るけど、私はあまり気にならない。
そんな感じでのんびり微笑んでいると、美夏ちゃんが私をジ~~ッと見つめる。
「なぁ~んか、色が薄い気がするのよね……。ちゃんと朝ご飯は食べた?」
そんな風に聞かれると、私は誤魔化すように少しだけ視線を逸らしてしまう。
「……食べてないかも」
「ダメじゃないっ、ただでさえ小花ちゃんは細っこいのにぃ」
「美夏ちゃんったら心配しすぎ…。お腹減ったらお弁当つまんじゃうから平気だよ?」
「小花ちゃんのお弁当って、いつもの小さい奴でしょ? 私のお弁当は大きいから一緒に食べよ?」
「ありがと。……でも美夏ちゃんって、どうしてあの量が食べられるの…? 私より小さいのに…」
美夏ちゃんの身長は私よりも5センチ小さい148センチ。それなのに美夏ちゃんは女子中学生にあるまじき、三段お重のお弁当を持ってきているのです。
「お姉ちゃんが体育会系だからねぇ。お母さんが同じお弁当を作るから、いつの間にかあの量に慣れちゃったわ」
「高等部の…何部だっけ? 美冬さん」
「部活じゃないよ。何か空手…? みたいな道場に通ってるけど」
「そ、…そうなんだ…」
美夏ちゃんのお姉さんである美冬さんは私も知っているけど、明るくてスラッとしてて可愛い人なんですよ。
実は凄い人だったんですね……。喧嘩とかしないのかしら?
「おねぇのことはどうでもいいけど……、それが朝ご飯の替わりなの?」
呆れた顔で美夏ちゃんが見ていたのは、私がちびちびと飲んでいた缶入りのお汁粉でした。
「まだ暑いのに、よくそんなん売っていたわねぇ…」
これ凄く甘くて美味しいんですよ? だから大事に飲んでいたんですけど、美夏ちゃんは何故か腑に落ちないみたいです。
「美味しそ~に飲むね。……いや、嬉しそうに…か」
「……?」
不審げな美夏ちゃんの口調に、私が缶を口に当てたまま小さく首を傾げると、彼女は顔を少し引きつらせてギュッと拳を握りしめた。
「ひょっとして…男の人に貰った……なぁんて?」
「うん」
貰ったというか、はしたなくもおねだりしちゃったと言いますか。
私が普通に答えると、美夏ちゃんは面白い動きでふらふらと数歩下がった。
「それは、この近辺では大学購買部脇の自販機のみで販売している商品ですね」
「ふひゃっ!?」
突然真後ろから男子に耳元で囁かれた美夏ちゃんが、奇妙な声を上げて振り返る。
「ふ、深見くんっ!?」
美夏ちゃんが彼の名前を呼ぶと、美夏ちゃんより小さい可愛らしい容姿の男の子は、落ち着き払った仕草で、眼鏡をクイッと指で上げてから、私達にうやうやしく頭を下げた。
「朝の御猥談中、失礼いたしました。副学級委員長であります小室様に、本日のご予定を確認させていただきたく、少々お時間をいただけますでしょうか?」
「……猥談に敬語とか初めて聞いたよ…じゃなくて、そんなのしてないよっ!? それと勝手に人を“様”付けで呼ばないでっ」
「これは失礼いたしました。それと私めのことは行之丈と呼び捨てで結構です。それと出来れば『美夏様』と呼ばせていただきたいのですが」
「絶対に嫌っ。予定の確認も何も、深見くんが学級委員長でしょ!? それにえっと…え!? 大学?」
色々考えることが多すぎたのか、混乱したような美夏ちゃんが私を振り返る。
「大学って…大学生に貰ったの!?」
「うん」
また普通に頷くと、美夏ちゃんはまたふらふらと後ずさりながら背後にあった椅子に腰を下ろし、そこに行之丈くんがそっと語りかけた。
「美夏様、そこが小花様の良いところでございましょう」
「そんな風に呼ぶなぁっ! …え? 何で深見くんが小花ちゃんを、下の名前で様付けで呼んでいるの!?」
「以前、小花様にそう呼ばせていただく、お許しをいただいております」
「…は?」
美夏ちゃんがまた私に視線を向けたけど、私は気まずい顔で顔を逸らし、ついでに会話が聞こえていたのか近くのクラスメイト達が、私と同じように断り切れなかったのか微妙な顔で下を向いた。
「………ぁあああ、もぉ、分かったっ!」
ついに諦めたの吹っ切れたのか、美夏ちゃんが叫んで行之丈くんに向き直る。
「行之丈っ、今日の予定はあんたに任せたから上手くやりなさいっ。それに私のことも好きに呼んだらいいわっ!」
ああ…そんなことを言ったら……。
堂々と仁王立ちで腕を組んで命令を下す美夏ちゃんに、完全執事体質とか呼ばれている行之丈くんは、眼鏡を指で上げてからとても丁寧に頭を下げて、さらにとんでもないことを口にした。
「かしこましました、ご主人様」
本当に美夏ちゃんは面白いなぁ……。あ…れ…?
カコォン……ッ。
「小花ちゃん!?」
私の手から缶がすり落ちて、誰よりも早く美夏ちゃんが駆け寄ってきた。
「どうしたの!? 気分悪い?」
美夏ちゃん…嬉しいけどちょっと慌てすぎ。美夏ちゃんの動揺に他のみんながざわめきだしたので、私は何とか顔を上げる。
「……ごめん、手が滑っちゃった」
何でもない風に答えると、集まっていたクラスメイト達はホッとした顔で席に戻り、その中で一人だけ泣きそうな顔をしている美夏の頬を、私はそっと撫でた。
「本当に大丈夫だから、…ね?」
「ホント…? また倒れそうになったんじゃないの?」
笑顔を作る私に、美夏ちゃんが頬に触れている私の指を握りしめる。
「…本当よ。ちょっと目が霞んで落としちゃっただけで…」
「……全然大丈夫じゃないじゃない」
手だけじゃなく口も滑らせた私に、美夏ちゃんは顔を覗き込んで言う。
「手も冷たい……。ねぇ保健室に行こう? 授業なんて受けなくてもいいし…」
「ありがと…心配してくれて。でも私は、授業だけはちゃんと出たいの……お願い…」
「………うん」
ずっと休みがちだった私が、授業を休みたくないことを美夏ちゃんも知っている。訳を知っているから引き下がってくれたけど……。
いつの間にか缶を片付けて、床の清掃までしてくれた行之丈くんにお礼を言って自分の席に戻った私は、いつもと同じはずの教室が色褪せて見えるように感じられた。
時間がない……。本当なら昨日済ますはずだったことが終わってない。
……失いたくない。消えたくない。
……たとえ…何を犠牲にしてでも。