14 恋する少女 ①
残酷な表現がございます。
□一樹 22:35
僕は一人、夜の学校を走っていた。
まだ理解できたとは言えないけど、友好的とは見えなかったあの三人……。その中で小花ちゃんはエレナさんの言葉を聞いて、
……その場から逃げ出した。
神様に恋してる。……そんな言葉が僕の耳に強く残っていた。
そして小花ちゃんが前に言ったあの言葉。
『所詮は夢見る少女の戯言としか思えませんでしたか?』
夢見る少女。白馬の王子様的な感傷。
僕は違和感の正体が分かったような気がした。
小花ちゃんは自分の為じゃなくて、救ってくれた『神様』の為に生きたかったのか。
神に恋する少女は、神を誘うために花の香りを身に纏う。
その神様を想ったせいで、小花ちゃんの命が縮められている……。
小花ちゃんを追って僕は走り出した。でも、彼女を見つけて何を言えばいいのだろうか? 僕は何がしたいのだろう?
ただ僕は小花ちゃんが……あの儚げな女の子が、このまま本当に消えてしまいそうで怖かった。
***
「…邪魔をするなっ」
ハンナはその場から動けずにいた。
本心としてはエレナと決着を付けたかったが、今はあの使徒の少女を追うべきだと判断したハンナを、『黒い霧』が行く手を阻む。
「それはこちらにセリフよ」
どこからか、黒い霧の中からエレナの声が聞こえた。
「あの時に言ったでしょ? 綺麗に死にたいのならこのままお帰りなさい。…まだ司祭になっていないあなたなら、今は見逃してもいいのよ?」
「…………、」
あの、おぞましい神の力を見に宿す、使徒の少女。
まともに対応するなら【黒神】の司祭よりも厄介な相手だが、理由は分からないが今の少女は精神を乱している。
今の状態なら、ハンナだけでも捕らえることは容易だろう。
それなのに……。
忠告以上に『挑発』とも取れるエレナの言葉に、ハンナは奥歯が軋むほど歯を噛みしめた。
神の声が聞こえないハンナは、エレナの敵にすらなり得ていない。
ハンナも【光神】の司祭が使う魔法を見たことがある。それに憧れると同時に、戦闘だけなら勝てない相手ではないとも感じていた。
相手は初めて会った他神の司祭。それも【光神】の天敵と言われる【黒神】の司祭。
罪人を狩る光神教団……それを狩る者達、黒神教団。
それでもハンナは、やり方次第では充分に戦えると思っていた。
司祭は神に『祈り(レイヤー)』を捧げ、願いを述べて、神を敬うことで【神】の『力』が与えられる。
それを言葉にすることで『真神魔法』と言う奇跡が生まれるのだが。
「双尾……お前なんかに、何故、神の声が聞こえるっ!?」
ハンナは叫んでカミソリの刃を投げ放つが、それらはすべてが出鱈目な軌跡を描いて複数の木の幹に突き刺さった。
一瞬の沈黙と静寂……。
そのすぐ後に、すべての闇から含み笑う気配が流れた。
「あら、私は本当に神を信じていますもの…」
エレナは嘲るように笑い、魔法の詠唱につなげる。
「двадваодинтри 我は求め訴える…」
「っ!」
嫌な予感に勘だけで飛び避けると、次の瞬間、三つの闇礫がそれまでハンナが居た地面を貫いた。
ハンナは一本の木の陰に身を隠して、それでも…こちらの位置がバレようとも、言い返さずにいられなかった。
「私だって…信じている! 神の光を!」
司祭の使う『真神魔法』には、形式的に詠唱が長くなる欠点があり、エレナはそれを数字に置き換えることで詠唱を短縮していた。
数字にすることで暗号化され、敵には魔法の種類すら分からない。
おそらくエレナは、『狩り』を専門に行う、戦闘に特化した司祭なのだろう。
だからこそ…。
「貴様はそれで、本当に神を敬っていると言えるのかぁああああああっ!」
祈りとは『心』で行うもの。
本当に心から神を敬っていれば、形式や言葉はさほど問題ではない。
だが狂信的とも言えるハンナの神への想いは、そんなものは到底受け入れる事が出来なかった。
そんなハンナの叫びに、周囲の闇からまた嘲るような気配が流れ。
「……ねぇ、ハンナは何を信じてるの? ハンナは神の何を知っているの…? 私たちが神と呼んでいる『真神』が、何を思い、何のために存在しているのか、ハンナは知っているの…?」
「…………っ」
それは、あの日に読んだ、『黒髪の少女』が書いた一冊の本……それに記されていた本当の『真実』…。
それを知ってなおハンナは、……尚更に神の教義に盲信した。
知りつつも目を背け、ハンナは自分の思い描いた理想の神を信じた。
それが、……さらに神の声から遠ざかる結果となっても。
「私は、あんな教典さえ碌に覚えられない、莫迦な司祭どもとは違う…。私だけが神の本当の光を…」
そして唐突に、
「…ふふ……ふはははははははははははははははははははははははははははははっ」
エレナの笑い声が、ハンナの言葉を遮る。
「…ぁあ可笑しい…。まさか、本当にその程度だったの? ただ教団の司祭を見返したいだけだったの? ハンナが万が一でも司祭になれたら、その時に殺してあげようかと思っていたけど……その必要もなさそうね」
「き、貴様…ッ」
心の底にある本意を嘲笑われたハンナが激高して飛び出すと、その出鼻を挫くようにエレナが優しい声をかける。
「ねぇハンナ…。私、大学では言語学を学んでいたのよ…」
「……なにを」
今まで以上の、あまりに唐突すぎる話題の変化に気を削がれて困惑するハンナに、エレナは静かに言葉を続け、
「様々な国の言葉や、名前の意味も知っているのよ。ハンナ…あなた自身や周囲も、あなたをそう『認識』したのではなくて…?」
エレナの声は止まることなく、嘲るように……哀れむように…。
「……ハンナ・司祭の召使……」
暗い霧の中で……虫の音が消えた。
「ぅおぉあぁあああぁああぁぁあああああああああああああああぁぁあああっ!」
我を忘れ、ハンナは手が傷つくのも構わず大量のカミソリをつかみ、血まみれの手で、血走った目で、血を吐くように呪いの言葉を吐いた。
「醜い、異形の化け物がぁあぁあああああああああぁあああああああああああっ!」
憎しみの叫びに、ざわり…と闇が鳴って…。
「…また言ったな……ッ!」
ざわめく暗闇の中から、夜よりも暗い漆黒の修道服を、毛鳥のようにはためかせた金色の髪がまっすぐハンナに迫り来る。
「双尾ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
憎しみのままに投げ放つハンナのカミソリは、そのすべてが不自然な軌道を描いてエレナを襲う。
エレナは真っ直ぐに夜を駆け抜け、いくつかのカミソリが黒い修道服を切り裂いた。
修道服がはらりと地に落ちて…。
目の前に迫る白い裸身に、追撃も出来ずに一瞬で目を奪われたハンナは、そこでエレナの二つ名の意味を悟る。
「……異形の…双尾…」
二つの尾を持つ者……。ハンナがそこに見たのは、女であり男でもあるエレナの異形の裸身だった。
「одинодинодиншесть 我は求め訴えたりッ!」
真神魔法の詠唱が流れ、放たれた六つの闇礫が、ハンナを一瞬で引き裂いた。
(………私は…)
緩やかに……吹き上げる血飛沫と、横倒しに流れる景色を見つめながら、沈んでいく意識の中でハンナは思う。
(…ただ……正義のために戦いたかった……だけだったのに……)
18時に次話予定です。




