12 甘い蜜の香り ②
長期滞在で借りている狭いホテルでシャワーを浴びていたハンナが浴室から出ると、ベッドに放り投げていた携帯電話に着信のランプが付いていた。
黄色のランプなら京人から。そして今着いている青色は。
「……教団か」
【乱神】・ミコトの『使徒』の存在が確認されたのは数ヶ月前。
大乱の世に戦乱が起きると、己の使徒ただ一人を送り込み、戦を掻き乱したあげく、その命を貪り喰らう『魔』の神。
誰も【乱神】の本体を確認できず、たった一人だけ現れる『使徒の少年』のみが、その存在の証だった神に『二人目の使徒の少女』が現れた。
「碌に信じなかったくせに……、全部任せたのなら口を出すなっ!」
ハンナは髪を拭っていたバスタオルを、憤りと共に壁に叩きつける。
光神教団英国支部に属するハンナの上司、…その『司祭』は、【乱神】の危険性は承知していながらも『二人目の使徒の少女』の存在には懐疑的だった。
【乱神】・ミコトの存在が知られてから八百余年。
現れたのは、いつの世も同一人物とされる『使徒の少年』ただ一人。
それが何故、今になって二人目の使徒が選ばれたのか?
そして【乱神】が伝承通りの存在ならば、どうして平和な日本国に現れたのか…?
使徒の情報を得たハンナは独自に調べ上げ、司祭に『世のため人のために』その使徒を捕らえるべきだと進言したが、返ってきた答えは…。
『君が調べたんだろ? なら君がやればいいよ、ヴィッカー』
要するに『司祭様』達は忙しいので、居なくなっても無駄のないハンナが一人でやれと、上司である司祭に言われた。
他の教団は分からないが、少なくとも『光神教団』では『神の声を聞く司祭』は絶対の存在であった。
幼い頃に両親に連れられ、初めて司祭を見たハンナは強く憧れた。
神の力で行う『魔法』という奇跡。
そして、【光神】と同じ色と言われる銀色に輝く瞳。
ハンナは神に認められるべく努力した。…けれど、ついにその声は聞こえなかった。
「私が、…あれを読んだからか」
神を正しく認識する『存在認識力』を祈りとして捧げることで、司祭は神に自分の存在を『認識』して貰う。
ハンナも正しく神に存在認識力を捧げていたつもりだった。
だがそれだけでは足りず、他にも何か理由があるはずだとハンナは禁忌を破り、司祭のみに閲覧が許された、ラテン語で書かれた一冊の本を盗み読んだ。
三千年も昔、『黒髪の少女』と呼ばれる存在が書いた一冊の本を……。
それには、神に愛された少女が暴いてしまった、神々の『真実』が記されていた。
ハンナは信じたくなかった……。
自分が信じたものが、あんなモノだとは知りたくなかった。
けれども、その真実によって司祭達の力は増す結果となり、神に仕える司祭や使徒でさえも、伝説の『黒髪の少女』を敬い崇める者もいる。
真実を否定することは、司祭にとって、神を否定するに等しい。
だからハンナには神の声が聞こえなかったのか。
だからハンナの上司のように純粋に受け止めたからこそ、たった十歳で神の声を聴いて司祭になれたのか。
教団で絶対であるとは言え、そんな子供にいいようにあしらわれ、何も言い返せない自分をハンナは激しく憎んだ。
一時の迷いで『黒髪の少女』の本を読んでしまった自分を憎んだ。
神の真実を暴いた『黒髪の少女』を激しく憎悪した。
それでもハンナは。
「私は、神の光を信じる…」
その存在を…、その教えを…、神の光が照らす正しき道を。
そのためには絶対に手に入れなければならない。
教団にも知らせていない【乱神】の真実……。
失われてしまった『【時神】・タルタィユァ』の奇跡に替わる、『蘇りの秘密』を得られれば、光神教団もハンナ自身も他より一歩先んじることが出来るはずだ。
「【乱神】の秘密を手に入れるのは、この私だ…っ!」
***
「美夏ちゃん…こっちの道、通らない?」
「…ん? いいけど」
夕暮れの道で手を繋いで歩く二人の少女。
いつもと違う帰り道…。また少し道を変えると、懐かしい景色が茜色に染まって少女達を迎えた。
「……そっか、小学校に通ってた道だ」
「うん」
ほんの半年前まで毎日通っていた道。……それなのに何故か懐かしく思うのは、秋の夕焼けのせいだろうか。
「初めて小花ちゃんが声をかけてくれた時……よく覚えてる。嬉しかったから…」
美夏は嬉しそうに…少しだけ苦しげに、イジメの原因となった、左右で結んだ自分の髪に触れる。
小花はその髪の一房に、香りをかぐように顔を近づけ。
「きっと、みんな嫉妬してたのよ。…ほら、栗色が茜色に染まって、とても綺麗…」
そんな台詞とそんな仕草に美夏は照れたように笑う。
そんな美夏に柔らかな笑みを返す小花は、夕日のせいか琥珀色の瞳が血のように紅く見えて……美夏を少しだけ不安にさせた。
□小花 16:30
「まぁまぁ、小花ちゃんいらっしゃいっ」
到着した小室家で、妙にテンションが高い美夏ちゃんのお母さんの出迎えに、私は両手を腰の前で合わせて丁寧にお辞儀をする。
「お久しぶりです、おばさま。今日はお世話になります」
「やっぱり小花ちゃんの雰囲気良いわぁ……。何でうちの娘達は、こんなに『がさつ』になっちゃんだか」
「すみませんねぇ、母親似で」
そんな文句も言いつつも、美夏ちゃんとおばさまは互いに笑い合う。
仕方ないことだと分かってるけど…、いつもどこかで気を使い合っている私達母子と違う、この姉妹のような二人を見るのは好きだった。
「そうだ、二人ともご飯の前に着替えてらっしゃい。美夏、用意してやって」
「あ、私もお手伝いを…」
「いいのいいの、小花ちゃんは私の部屋でお着替え~~♪」
今日突然決めて、いきなりお泊まりに来た私をこの家の人達は温かく迎えてくれる。
それどころか、いつも全力で『お構い』してくれるので、私も心苦しくなる時があるんですが、せめてお手伝いをしたかったけど、美夏ちゃんに手を引かれて彼女の部屋まで引きずっていかれた。
二階にある美夏ちゃんの部屋はいつもと同じ……だけど。
「…また増えた?」
「がっつり増えた」
前よりも二割増しで増えている大小様々な『ぬいぐるみ』は、美夏ちゃんが趣味で集めている物で、ブランド品からクレーンゲーム、可愛い物からリアルなは虫類まで、もの凄く多岐にわたる。
「小花ちゃん、着替えはコレとコレで良い? それともこっちがいいかなぁ」
「……え?」
やたらとリアルなカメレオンのぬいぐるみと睨めっこをしていた私は、言われてハッと正気に戻る。
「て、適当にスエットでも貸して貰えれば……」
美夏ちゃんが選んだ、これからお出掛けするようなコーディネートに、私の額に思わず汗が浮かんだ。
「そんなっ、小花ちゃんにスエットなんて着せたら、神様のバチが当たるわっ」
「……そんな神様は、やだなぁ」
私のミコト様はそんなことしないよ? だってあのヒトは私の……。
とりあえず美夏ちゃんを説得して彼女の部屋着を貸してもらえたので、私がそれに着替え始めると。
「……美夏ちゃん、どうしたの?」
制服を脱いだ美夏ちゃんが、同じく下着姿になった私をジ~ッと見つめていた。
「小花ちゃん…、夏より背が伸びてない?」
「うん、夏休みから2~3センチ伸びてるかも」
普通に答えた私に美夏ちゃんが何故か一歩後ずさる。
「また離されたぁ~…。私なんて中学入ってから、あんまり伸びてないのにぃ~」
「そんな…美夏ちゃんだってすぐに伸びるよ。…あ、ほら、男の子とか背の低い子が好みだって言うよ」
小さいほうが可愛い…なんて思うのは自分のことではないからでしょうか…? そんな私の言葉に美夏ちゃんは唇を尖らせる。
「私はおねーちゃんより、でっかくなりたいんだよぉ」
ちなみにお姉さんの美冬さんは、美夏ちゃんよりも10センチ以上背が高い。
「それにさぁ……、お昼に抱きついた時も思ったんだけど」
「………?」
首を傾げる私にジリジリとにじり寄り、そのまま抱きついてきた美夏ちゃんは私の胸に顔を押し付けた。
「…やっぱり乳も育ってやがる」
「チチとか言わないでっ」
夏休みに美奈ちゃんと一緒に買った下着は、この間同じお店に行った時、『そろそろ上のサイズを』と店員さんに言われてしまった。
「うぬれ、悪いのはこの乳かぁ」
「ちょ、」
ぐりぐりと美夏ちゃんは私の胸に顔を押しつける。…が、それはピタリと止まり。
「……小花ちゃん…」
「…なに…?」
「……………胸の谷間に…キスマークっぽいのがあるんですけど……」
「………………」
昨晩、一樹さんに『お願い』したばかりなので、その痕が残っていたみたい…。
神様の『使徒』である私の身体は、ミコト様の存在認識力に満たされているので、痛みはあってもほとんどの傷は一時間程度で消えてしまう。
でも、日焼けでさえも『傷』と認識されて治ってしまうのに、『痣』だけは傷と認識されなくて、治りは普通の人とあまり変わらない。
「……虫さされ…かも」
「……私の目を見て話せ」
半裸で抱きついたまま、徐々に二人の間で奇妙な緊張感が高まり。
「みっなつ~~、いる~っ?」
ドアを蹴破るように美夏ちゃんとよく似た女性が現れて、
「……百合中、失礼しました」
部屋の光景を見てそのままそっとドアを閉じた。
「おねぇ、ちょっと待ったぁあああああああああああああああっ!」
美夏ちゃんの叫びに閉じたドアがまた開くと。
「いや~、美夏は、ずいぶんと斜めに大人の階段あがっちゃったんだねぇ……」
四つ上の美夏ちゃんの姉、美冬さんがしみじみとそんなことを呟く。
「だから、そんなんじゃないってば…」
私から離れた美夏ちゃんが美冬さんと並ぶと、本当に二人は良く似ていた。
美夏ちゃんの左右で結んでいる髪を一つに束ねて、身長を十数センチ足して、頬辺りをすっきりさせれば、そのまま美冬さんが出来上がる。
「こんばんは、美冬さん、おひさしぶりです」
私がお辞儀をして挨拶すると、美冬さんはニンマリと笑みを返してくれる。
「小花ちゃん、やっほ。うちのママンが機嫌良かったから、もしかしたらと思ったら、やっぱり小花ちゃんだった。晩ご飯期待できそうだねぇ」
「お姉ちゃん、結局、何しに来たん?」
「そうそうこれこれ、可愛い妹にお裾分けしようかと思って」
部屋着に着替え終えた美夏ちゃんが、ちょっと不満げな顔で尋ねると、妹の不満顔にもまったく気にせず、美冬さんは携帯電話の画像を美夏ちゃんに見せつけた。
「……写メ? 誰の?」
「最近、うちのクラスに転入生が来たって言ったじゃん? ガード固かったけど、やっと写真撮れたんだよぉ」
「それって盗撮……いや、これは……なかなか切れ長な目の美少年」
「でしょでしょ、一見感情無しの冷たい感じなんだけど、それがいいのよねぇ…。出来れば『俺様』的に言葉責めするような性格だと最高なんだけど」
「そんな深い趣味は知らないけど……、でも、おねぇが珍しいね」
「何が? 私だって美少年を愛でるくらいするわよ」
「だって……ショタコンなのに…」
ボソッと呟いた妹の台詞に、一瞬動きを止めた美冬さんはすぐにニッコリと笑って、
「…あらやだ、美夏ちゃんったら」
指先で美夏の額を『ゴスッ』と突いた。
「いてぇええっ!」
ちなみに後で聞いたところ、美冬さんは、四本貫手でサンドバッグに穴を開けたことがあるんだって…。
「あの…」
額を押さえてうずくまる妹とニコニコとそれを見下ろす姉に、私は若干引きながらも美冬さんに話しかけた。
「私にも見せてもらっていいですか…?」
「いいよいいよ~、小花ちゃん、『こちら』の世界にようこそっ」
「小花ちゃんを変な世界に引き込むなっ!」
姉の言葉に反応して美夏ちゃんが速攻で復活する横で、私が半笑いで写真を覗いてみると。
(……やっぱり)
低級魔神達を呼び寄せた夜に見た、使徒の少年。
あの時はおぼろげな姿しか確認できなかったけど、美冬さんの話を聞いて、私が感じた疑念は当たっていた。
写真は夕暮れ時の校門近く。その向こうに小さく映っていた、帰宅する生徒達を睨むように見つめている短い金髪の女性に、その疑念は確信に変わる。
…私を捜してる。きっと今夜も……。
そんな事実に私の口元に浮かんだのは、不安でも恐れでもなく薄い笑み。
私のところへ『果実』が集まってくる。
まるで食虫植物に誘われる、哀れな虫のように……。
***
□一樹 22:05
「…ふわぁぁ~~……」
アトリエに居残って絵の続きを描いていた僕は、欠伸をしながら大きく背を逸らす。大学生になって運動量が減ったせいか背中がパキパキ音がしそうで怖いなぁ。
今の時間は夜の十時。
この大学は学生には比較的寛容なので、酒盛りや夜遊び以外なら、遅くに残っていても滅多に文句は言われない。
今日は東や薫子先輩の姿もなく、僕の他には卒業制作中の四年生が数人しか残っていなかった。
僕が大学に居残っていたのは、今夜、約束があったから。
いつもみたいに家で夕食を食べてから、こっちに戻っても良かったんだけど、今日は一人で考えたいことがあったんだ。
「…心臓の病気か…」
まるで物語りのような話だけど、言葉に出すと心にじわじわと喰らい不安が押し寄せてくる。
昼に聞いた小花ちゃんの病気…。たぶんそれが原因で小花ちゃんは命を落とした。
そんな小花ちゃんを救うために神様が力を与え、そのせいで歪みが生まれて、それがまた小花ちゃんの心臓を圧迫して苦しめている。
ちゃんと助けてやれよ……神様なんだろっ! …って言っても僕の声じゃ届かないんだろうけど。
そして小室さんに言われた言葉……。今なら心臓の病のことがあるので気を使うことだと分かるけど、あの時の僕は違う意味に聞こえた。
僕が小花ちゃんのことをどう思っているのか…?
妹みたいに思って、助けてあげたいと思った。
歳に似合わず礼儀正しくて、おっとりしているけど芯が強くて、思っていたよりも表情豊かで、……泣き虫な女の子。
最初に感じた、消えてしまいそうな儚げな印象から、それほど外れていないけど、良い意味で少しだけ驚いた。
僕の幻想なんかじゃない、生きている一人の女の子なんだ。
生きることに一生懸命な女の子。文字通り死なないために必死になっている。
そうでなければ、数回会っただけの男に、小花ちゃんのような女の子が肌を見せるなんてあり得ない。
でも……何か違和感があった。
あそこまで一生懸命な『理由』は何だ?
確かに死ぬのは怖い。でもそれだけなんだろうか?
自分の為に生きたいと願うのは正しいことだけど、小花という女の子を知れば知るほど、違和感が大きくなる。
僕に血を抜くことを頼むのは、単純に痛みに対する恐怖もあるけど、一番の理由は、確実に毒を処理して、生き延びるためだろう。
僕の能力なら、小花ちゃんは無理をせずに確実に延命出来る。
小花ちゃんは、何のために生きたいのか?
ただ生きる為だけに、僕にお弁当を作ったり、肌に唇が触れることを許すような女の子には見えなかった。
小花ちゃんが時折見せる、あの熱っぽい潤んだ瞳を思い出すと、勘違いしてしまうそうになる。
僕に好意を持ってくれているから、恥ずかしいことも平気なのかと考えるのが簡単だけど、僕が小花ちゃんを妹のようにしか見られなかったのは、あの瞳が僕に向けられたモノではないと、何となく気付いていたからだ。
「…………」
結局、考えても自分の気持ちが良く分からない。
答えは目の前にあるような気もするのに、僕にはそれが見つけられなかった。
「……?」
その時……誰かが閉め忘れた窓から微かな風がながれて、アトリエを仄かな花の香りが包み込んだ。




