第250話:エルシオン争奪戦3
「ゼノス……」
ゼノスはサヤに一礼だけすると、そのままずかずかと闘技場の中へと入ってきた。あの……まずは、その頭の怪我をどうにかした方がよいのでは? 見ると服にも血がべっとりと付いており、一見しただけで大怪我をしていることが分かるレベルの酷さだった。
そんな俺の心配を余所にゼノスはローゼの前まで来ると、ローゼの胸元を掴み強烈な左フックを食らわせた……えっ、そこは平手打ちとかじゃないの? 思いっきりグーで殴ったのですけど……。しかも殴ったときに聞こえた音は、コンとかパチンとか生易しいレベルではなくゴンという重い音だった。その音だけでもどれだけの強さで殴ったのか想像に難くないが、殴った直後にローゼの口から血が飛び出すかのように吹き出た光景が、その強さを更に強調していた。
やだ……ゼノスさん怖い……。俺は率直に思った。
「……クロウ様。勝負は……?」
ゼノスはローゼの胸元を掴んだまま、こちらに聞いてきた。
「……既に勝負はついたよ」
俺はそれだけ言った。
「そうですか……」
ゼノスは目を瞑りしばらくの間黙り込んでしまった。ローゼはというと余程殴られたのが衝撃だったのか、自らの口からこぼれる血を拭うことすら忘れて唖然としていた。
やがて、ゼノスは掴んでいたローゼの胸元からそっと手を離すと、こちらに体を向け、深々とお辞儀をした。
「……ローゼ様が多大なご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「……その様子だとローゼが何を言って、こんなことになったのか知っているようですね」
「……はい、ローゼ様から私の方に一回お話がありました」
「そうですか……とりあえず、まずはその頭の怪我を治しましょうか」
正直そのまま話を聞く気にはなれないのよね。というか、なんでそんなことになっているの? 見た感じかなり強く殴られたかのような傷に見えるのだけど。
「いえ、この程度の傷なら問題ありません」
「いや、大問題です。いいから頭を出してください」
「……では、お言葉に甘えて……」
俺はゼノスの傷口付近に手を近づけ、そのまま治療を開始した。彼女に多少近づいたからか、彼女の方から汗くさい? とでも言えばよいのだろうか、異様な匂いがするのを感じられた。よくよく見れば服もかなり汚れているし、本当にここに来るまでに何があったの?
そんなことを考えているうちにローゼの頭に出来た傷は塞がり綺麗に元通りとなった。
「……終わりましたよ」
「ありがとうございます……」
「いえいえ、お礼なんて結構です。それよりもゼノスさんはこの薬の出所を知っていますか?」
俺はそういうと、先ほどローゼから奪った紫色の錠剤を見せた。ゼノスはそれを一目見ると即座に首を横に振った。どうやら彼女も知らないようだ。
「……この薬はですね。魔族が作った薬なんですよ……飲めば自身の能力を大幅に向上させる能力があります。ただ、飲んだ者は最後には死んでしまいます。かつて魔法学園の魔闘大会で現れた化け物やハルマネを襲った際に現れた黒い化け物は同じ薬を飲んだと推測しています」
俺の言葉を聞いていたのかローゼの顔色が一気に悪くなるのが見えた。どうやら、この薬の効果は知っていても、副作用までは知らなかったようだ。
「……クロウ様はローゼ様がそれを飲む前に止めたのでございますね」
「まあ……その時の化け物たちには結構ひどい目に遭わされましたから」
そりゃあ、腕一本潰されていますからね。出来ればもう二度とあんな奴とは戦いたくないのだが。
「……ありがとうございます。ローゼ様の命を救ってくださって……」
救う……まあ、結果的にはそうなるのかな?
「……さて、ローゼ様」
自分の名前を呼ばれたローゼの体がビクッと跳ねた。
「なぜ、ここまでしたのですか?」
ゼノスは体を180度反転させ、ローゼと改めて向かい合う。
「……」
「これがローゼ様の祖父からの意思であることは知っています。ローゼ様が先祖の意志を無駄にしたくないことも知っています。ですが、それが果たしてあなたのため……そしてテルファニ家のためになったのでしょうか?」
ゼノスは淡々と言葉を口にしていく。俺は特に口を挟むことなく話を伺っていた。
「……何が言いたいので?」
「この数日間、牢獄にいる間にゆっくりと考えさせてもらいました。確かにテルファニ家が今後、エルシオンを再度治めるとなれば必然的にクロウ様とは敵対しなければなりません。そして、クロウ様がどんな方向に街を治めて行くかは分かりませんが、少なくとも今までよりも急速に発展していくでしょう。クロウ様にはそれほどの力を持っていると確信できます」
いや、それは買いかぶり過ぎじゃないですかね……。俺、そもそも街経営とかしたことないのですよ、それこそシムシ〇ィぐらいしかやったことがないのですよ。現在進行形でミュルトさんに色々教わっている最中なのですよ。
「そうなれば、ますますテルファニ家の付け入る隙は無くなる……ここまではローゼ様の考えも一理あると私は思います。ですが、ここでクロウ様に負ければ最後、テルファニ家はどうなると思いますか? ローゼ様はここで死ぬつもりだったのかもしれませんが、残った者はクロウ様と戦わなければなりません。私がクロウ様と同じ立場であったのなら、自分に歯向かった一族を放置などはしません。良くて資財没収して遠い所への追放、最悪一族全員処刑されるでしょう。ローゼ様はそこまで考えておられましたか? 物事は常に良い方向や自分の都合では進みません。いくらクロウ様が奴隷に対して寛容な心を持っていようとも、それが必ず自分に当てはまる訳では無いことぐらい、聡明なローゼ様なら分かっているはずです」
「……」
「なのに、ローゼ様はクロウ様と戦うことを選んだ……何故ですか? 私にはそれが分かりません」
「……悔しかったのよ……」
「……?」
「ゼノス、あなたには前に言ったことがあるでしょ? クロウとエリラが仲良くしているのを見て私に悔しかったのか? って」
「……確かに言いました」
「……当時クロウは5歳でござましたわね」
「そうだけど?」
「5歳……その頃の私はまだ何も考えず一日中楽しく遊んでいるだけでしたわ。ですが、クロウは違いました。5歳にして独り立ちをして冒険者になって、しかも実力もあって……羨ましい以外に何もなかったわ」
……すいません。5歳と言っておりますが、その時に私の精神年齢30歳なんですよ。いい年した成人男性なのですよ。しかも、神様からチートなスキルを持って生きているのですよ。
「あのとき、クロウの力は借りないってあなたに言いましたが……どこかで強がっていたのでしょう。5歳児の力なんて無くても出来ると。それがご覧なさい、今では私と同じくらいの年になってさらに都市一つを自分の力で物にした……正直、焦燥感以外にはありませんでしたわ」
「……今回の件も、その焦燥感から出た行動……と言いたのでございましょうか?」
「……そうよ。あなたは聡明と言ったけど、それは違うわ。結局のところ劣等感に負けて周りも見ずに突っ走って、挙句の果てによく分からない薬にも頼った駄目な人間ですわ……クロウ」
「ん?」
「私の完敗でございますわ。約束通り私を好きになさって」
「あー……そういえば言ったな」
「……クロウ様」
「心配しないでくださいゼノスさん。別に殺したりはしませんよ。ですが、ケジメはケジメです」
「……」
「ローゼは今後一切エルシオンと関わらないでもらおう。もし、次再び襲ってくるというのであれば……その時は全力で消さしてもらうからな。当然、魔法学園からも退学してもらう」
「……分かりましたわ」
「……ローゼ様……」
「ゼノス、あなたはあなたのやりたいようにやりなさい。こんな小娘の下にいるのは勿体ありませんわ」
「……ローゼ様……歯を食いしばって下さい」
「えっ、何をいきなり―――」
ローゼが言い終わる前に本日二度目の左フックがローゼの顔を襲った。時間がある程度たち口からの出血は止まっていたのだが、今のパンチでまた口から血が出て来ていた。
……鬼やゼノスさん……。
「何を言っておられるのでございますか? 私はローゼ様の元を去るつもりなど一切ありません」
「イタタタ……で、でも私はあなたに―――」
「はて……私に何かなさいましたでしょうか?」
「え、いや、牢獄に閉じ込めたり―――」
「恥ずかしながら私には一切覚えがありません。何かの間違いではありませんか?」
「え……」
「ローゼ様、私はテルファニ家……いえ、ローゼ様にかつて命を救われました。行く当てもない私を助けて下さったのはあなたでございます。そのような命の恩人にこれからも尽くせないのであるならば、私は今ここでこの命を絶ちます」
「ゼノス……分かりました……これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ。精一杯尽くさせてもらいます」
ローゼがペコリと一礼するとゼノスもまた一礼する。
「……話は終わりましたか?」
「……はい、クロウ様。改めまして今回は本当に申し訳ございません」
「ゼノスが謝る必要はありませんわ。私が悪いのだから、私が謝りますわ」
「……左様でございますか」
「……クロウ、今回の件は本当にごめんなさい。私の身勝手な我儘でこんなことをしてしまって……」
「んー、まあいいよ。被害に遭ったのが俺だけだし。これが他の家族にも被害が出るようならまた話は変わっていたけどな」
「……あなたの仲間が羨ましいわ……私にもそれだけ言える力があれば……」
「そうか? 俺はローゼの方が羨ましいけどな」
「えっ? 何故……?」
「だって、自分をこんなに慕ってくれる人がいるじゃないか。理由は知らないけどあんな大怪我をしてもローゼのためにここまで来てくれたんだぜ? そんなこと簡単には出来ないよ……大事にしろよ。その繋がりを」
「……ええ、分かっていますわ」
「……じゃあ、俺は帰るわ……と、その前に、ローゼこの薬はもらっていくからな? あと、この薬をローゼに渡した人物は誰だ?」
「薬はあげますわ。あと、その薬ですが……ハルマネでは有名な魔法道具店の店長から勧められましたわ」
「名前は?」
「アルクラミ魔法商店。アルクラミはその店の店長の名前ですわ。私もよくお世話になっていましたの」
「……分かった。ローゼ、今後そいつとは関りを持つな。かなりブラック……最悪、魔族と直接かかわっている危険があるからな」
「……忠告感謝しますわ」
「じゃ、今度こそ帰るわ。じゃあな」
俺はそれだけ言い残すと、静かに闘技場を後にする。入り口付近にまで来たとき待機していたサヤは俺に向かって一言呟く。
「……甘い……」
「……まあ、知っている顔やし、俺だけに被害が来ただけだからな。まあ、今後街に近づこうものなら容赦しないけど」
「……そう……ところで……」
「ん?」
「……剣……掴んだ時の音はなに……?」
「あっ……」
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クロウがサヤに問い詰められながら闘技場を後にしたのち、ローゼとゼノスも静かに闘技場を後にした。
「……ローゼ様」
「? 何かしら」
「……先ほどの暴力の件は申し訳ございません。どんな罰でも受ける覚悟です」
先ほどというのはローゼに与えた左フック2発のことだろう。
「……あら? 何の事かしら? 私にはさっぱりですわ」
だが、ローゼは何のこと? ととぼけた。
「えっ……」
唖然とするゼノス。そんなゼノスの手を掴むと笑顔でこう言った。
「さ、帰りますわよ。私たちのお家へ」
「……かしこまりました」
「……何泣いているのよ」
「……えっ」
気づけばゼノスの目からは涙が流れていた。本人も気付いていなかったらしく慌ててローゼとつないでいる手とは反対の手で涙を拭った。
「……初めて会った日もあなたは泣いていましたわね」
「……恥ずかしいことを思い出させないでください」
「あら? 私には大切な思い出ですがあなたには恥ずかしい思い出でしたか?」
「……ふふ、あまりからかわないで下さい」
卑怯ですよとゼノスは笑った。それにつられローゼもまた笑った。
この日、テルファニ家のエルシオン奪還の夢は幻へと消えていった。だが、そんなことよりもっと大事な物を改めて手に入れたとローゼは感じていた。
過去の栄光、焦燥感。そんなものより素晴らしいものを―――。
グーで殴られると痛いですよね。
===2017年===
08/29
・薬のお話が盛大に抜けていたので加筆修正しました。
・誤字を修正しました。
08/30:誤字を修正しました。




