第246話:ネリーの思い
「えっと……ナニコレ?」
「見てのとおりですよ」
今俺はギルドに来ている。そしてギルドの応接室でミュルトさんと会っているのだが、俺の目の前には束になった紙が置かれていた。多分、枚数にしたら千はあると思う。そして、その紙一枚一枚に二人ほどの名前を始めとした個人情報が載せられている。
「昨日からギルドで公共事業に対する参加員の受付を開始したのですが、初日でこれほどの人が参加したいとやって来たのですよ。数にして2,092名です」
「2,000!? ちょっと多すぎじゃないですか!?」
「多いですよ!」
驚く俺にミュルトさんが乗っかるような形で叫んだ。
「と言うか、あの求人内容が良すぎるのですよ。なんですか日給1,500Sって? そんなの聞いたことないですけど!?」
「えっ、そうですか?」
確かに色々な人に聞いて日給は平均500~700Sだと知っていた。別にそこから3倍程度引き上げただけだよ? 《猫亭》レベルの宿に泊る訳じゃないにせよ、一日を過ごすならそれくらいの日給はないと駄目だろ? と思ったけど、日本で例えるなら最低賃金の時給700円台から三倍の2100円になったと思えば不思議じゃなかったな。というかそんな高額な仕事って絶対危ない仕事だろ。
「多分、今日も沢山来ますよ。一週間もあれば1万人は行くと思いますよ……」
「ワォ」
「私もギルドの仕事じゃなかったら受けたいレベルですよ……これ、賃金払えるのですか?」
「うーん、確かに1万まで行くときついですね。4,000人行った所で打ち切ってもらえませんか?」
「ふぁい!? まだ募集するのですか!?」
「そうですよ。4,000人程度なら1年ぐらいは払えますから」
「えっ、ちょっと待って下さい、仮に4,000人いたとして一人1,500Sの一年間……21億9千Sですよ!?」
「大丈夫ですよ。俺今22億持っていますから、建築関係は追加注文も来ていますし、半年後からはラ・ザーム帝国との交易も開始される予定ですから、十分かと」
「……」
「……? ミュルトさん?」
俺の話を聞いていたミュルトさんは完全に硬直してしまっていた。ブンブンと手を目の前で振ってみたがピクリともしない。そして、そのままミュルトさんはソファの上で盛大に気絶をしてしまったのであった。アレー?
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「ハッ!」
暫く立ったのち、ミュルトさんは無事目が覚めたようだ。良かった。仮にもあれでご臨終とかでもなったら洒落にならないからな。
「おはようございます。取りあえず生きてはいますね?」
「あれ? 私は何をしていたのでしょうか? 確かクロウさんに公共事業の参加募集人数のことを伝えてそれから……」
そして、そのままフリーズしてしまうミュルトさん。あっ、これアカン奴や、そのまま再度気絶してループ状態になってしまいかねん。
「ちょっと! また気絶しないで下さいよ!」
「ハッ!?」
ペチペチと軽く頬を叩いてあげると今度は気絶せずに現実に戻って来たようだ。
「えぇと……クロウ様?」
あっ、駄目だ。まだ混乱しているよこの人。
「落ち着いて下さい。あと俺に様付けしないで下さい」
「いやいや、クロウさんいつの間にそんな大金を!? いや、確かに最近ギルドにお金を簡単に納めたりしていましたけど、22億ってなんですか!? クロウさんはいつの間に大富豪になったのですか!?」
「大富豪にはなっていませんけど、領主にはなりましたね」
「あっ、そうですね……って違います! 領主になったって言ってもまだ数か月ですよね!? しかも税金取っていませんよね!? ハッ……まさかどこかで盗んで―――」
「ストォォォプ! 落ち着いて! そんな汚いお金じゃありませんから!」
「だ、だ、だったらどこでそんな大金を!?」
「落ち着て! ゆっくりと説明しますからまずは落ち着いて下さい!」
おかしい。彼女がここまで混乱するなんて……余程の事だったのだろうか? えっ、混乱の元凶はお前だって? ナンノコトカナー?
そこからは、ミュルトさんにお金を稼いだ経緯とやり方を事細かく説明した。元々家一軒50万Sは知っていたので、別に驚くことは無いかなと思ったのだけどな。
そして、一通り話を終えた頃はいつものミュルトさんに戻っていた。
「そうですか……ごめんなさいクロウさん、混乱していたとはいえ、失礼な事を言ってしまいました」
「いえ、気にしないでください」
「取りあえず、人数については承知しました。ご希望通り4,000で締め切らせてもらいます。ただ……」
「?」
「その4,000人を誰が指揮するのですか? いくら何でもクロウさん一人では無理があるような気がするのですが……」
「あー、それですか。大丈夫ですよ。既に準備はしているので問題は無いかと」
「えっ? えっと……まあ、準備されているのであれば問題は無いと思いますが……と言うか誰ですか?」
「私の知り合いですよ。ミュルトさんは会った事無いはずです」
「そ、そうですか」
まあ、会ったことがあったら、それこそ恐ろしいのだけどな。それにしても初日で2000人か。ちょっとそれは想定外だったな。出来れば全員受け入れてあげたい所だが、なんせこちらにも限界というものがある。やっぱり早めの人材確保が急務かぁ……。魔法学園移転は一か月後だったから、その時に魔法学園側から何人か臨時で借りてくるのも手だな。幸い、戦後処理と移転処理が済みさえすれば、魔法学園の教員は飽和気味らしいから何人か借りられると期待しておこう。
その後はちょっとした会話をしたのち、俺は次の目的地であるハルマネへと移動をするのであった。
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時間は巻き戻り2日前。
―――コンコン
「どうぞ」
魔法学園の理事長室で作業をしていたアルゼリカはドアのノック音に気付き作業の手を止めた。
ガチャリとドアが開き、そこに顔を出したのはネリーだった。
「……アルゼリカ理事長、ちょっと今いいですか?」
「ええ、構いませんよ」
移転まで残り1カ月を切り、アルゼリカ理事長の仕事量も必然的に増えていた。特にここ数日は泊まり込みで作業をしており、それを知ってかネリーも少々遠慮気味に声をかけたのだが、アルゼリカは笑顔で対応した。
「このタイミングで来たという事は決心がついたのかしら?」
先に口を開いたのはアルゼリカの方だった。話す内容が内容なだけに話を切り出しにくいだろうというアルゼリカなりの親切だった。
「はい……私は……魔法学園から去ろうと思います」
「……理由は?」
「……以前、お兄ちゃんが死んだとき、私はクロウに斬りかかってしまいました」
「そんな話をしていたわね」
「クロウに言われた通り、分かっていたのです。私があのときやったことはただの八つ当たりだってことぐらい」
「……それでやめると?」
「いえ、違います」
「?」
「私は……もっと強くなりたいのです。我儘な欲望かもしれませんが、もう二度とあんな思いをしたくないのです。でも、そんな事を言える権利も強さも今の私は持っていません」
「……冒険者にでもなるのかしら?」
「はい」
「だったら、魔法学園に残ってクロウ君に特訓をしてもらえばいいのでは? 確かサヤもクロウの従者のエリラさんと特訓したと言っていましたし―――」
「それは駄目です!」
「……?」
「私は……彼を超えたいのです。あの時、クロウは言いました。俺みたいな強い奴にただ助けを求めるだけか? と……違う! 私は自分の力で生きて行きたい! そして、自分の力だけで誰かを守り、助けたい……誰かの力を借りて強くなるのも必要かもしれませんが、私は誰にも頼らずに強くなりたいのです……我儘な事かもしれませんが……」
「……私は正直お勧めしません。強くなるのが目的ならクロウ君に頼んで稽古をつけてもらった方が早いと思います。彼を超えるのはある程度力を付けてからでも良いと思いますが?」
「それこそ我儘ですよ先生。言ったじゃないです。クロウに剣を向けてしまったって……どのような理由であれ彼に剣を向けた私が稽古をつけて下さいなど片腹痛いと思いませんか?」
「彼なら謝れば一度は許すと思うのですが……」
「例え彼が許しても自分が許しません」
「……そうですか……分かりました。どのような理由であれ、それがあなたの意志なら私は止めません」
「……ありがとうございます。では、私は失礼させてもらいます」
ネリーはそれだけ言い残すと、静かに理事長室を後にするのだった。後に残されたアルゼリカは仕事に手を付けることなく空を見つめる。
「……これで良いのかしら……」
それが自分自身の意志なら他人が止める理由などないと一度は思ったアルゼリカであったが、いざネリーを送り出してみると、本当に良かったのかと思わずにはいられなかった。
「間違っている道を正してあげるのが先生の役目であって、あれでは放置と言う事に……いえ、そもそもネリーさんの考えは間違えているの……?」
分からない。分からないから自分にはネリー止める理由も無い。しかし、それで良いのか? 一緒に考えてあげる道もあるのではないか? でも、私が一緒に考えてあげれば済む話なのか? そもそも私は一緒に考えてあげる立場にあるのだろうか?
自分はクロウの言葉に励まされ、もう一度立ち上がる勇気をもらった。彼のように意思強く、自分の思いをハッキリと伝え、信念を押し通す力を持っていれば、ネリーを止める資格はあったのか?
ぐるんぐるんと頭の中が混乱する。答えが分からない自問自答をつい繰り返してしまう。そうこうしているうちに気付けば時刻は夕刻へと変わっていた。
「……答えの出ない事をいつまでも考えても仕方がありませんね。今日はいったん切り上げますか……二日後には彼が一度来るからそれまでに準備しないと……」
少なくとも数日間ぐらいお風呂にすら入っていない今の状態を彼にみられる訳にはいかない。立場上の問題もあるが、何より女性としてそこだけは譲れなかった。
既に陽は山の向こうへと隠れ辺りは暗くなっていた。アルゼリカは早々と片付けを済ませると、自宅へと戻るのだった。




