リャナンシーの村
遅くなって申し訳ありません。
「んん……ハヅキ、さん……」
「ハヅキ……行っちゃ、ヤダ…………」
「………………」
眠れん……ッ!
どうしてこんな状況になった? 寝る前にノワールが入り口で寝るのは嫌だと主張して、ミゼンが『ハヅキの隣がいい』と言って……あぁ、だからこうなったのか。てか冷静に考えると別に俺が真ん中にいる必要ないよな? ミゼンを真ん中にすれば万事解決したよな? 後の祭りだけど……。
「はぁ……」
できることなら寝返りをうちたい。でもうてない。
右を向けばシャクトリムシのように寝袋から上半身を出したミゼン。但し、俺の眼前に映るのはドアップされた美巨乳。それが鼻先を僅かに掠めて健全な青少年たる青い欲望を大いに刺激する。クレアだったら開き直ってセクハラできたのに……。
左を向けばノワールが艶めかしい声をあげながら時折、パジャマの隙間から谷間が見え隠れする。こちらも精神衛生的に宜しくない。よって、上を向く以外に選択肢はないがこれはこれで疲れる。
「…………夜風に当たろう」
ここ最近、眠れなかったら取り敢えず外に出ろ的な行動が習慣化しつつあるな、俺。
二人を起こさないよう静かに起き上がってテントから抜け出す。今夜は星明かりに加えて月が出ているから明るい……らしい。現代人の俺にはその辺の区別が付かないが。
なんかこう、こういうシチュエーションだと煙草吸ってふぅーって貫禄ある大人っぽいことしたい気分だけど俺は未成年だし、そもそも煙草なんて持ってないのでエア煙草でそれっぽいことをする。
……あぁ、昔見ていたアニメでエア友達と仲良くやってたヒロインもこんな気持ちでトモちゃんと遊んでたんだろうな。
「事実は小説より奇なりって言うけど本当なんだな……」
その言葉を初めて見た時の心境は『フィクションに勝る現実なんてある訳ねーよ』だった。絶体絶命の窮地で助かったり、ご都合主義的な展開で事態が好転したり、可愛い女の子に好意を抱かれたりするのは二次元の世界だけだと信じて疑わなかった。だからと言って今俺が立っているこの世界が二次元だと言っている訳ではないが、現実と言い切るのにも心の何処かで抵抗を感じている。自分の常識を覆すような世界だからそう感じるだけかも知れないけど。
(今更日本に戻ってもなぁ……)
帰れないと言われたときは……そりゃまぁショックを受けたさ。いきなり喚ばれた挙げ句、帰れないと言われたらショックを受けるのは当然のことだ。
でも、今から帰れると言われてもなんか素直に喜べない。あっちに俺の居場所があればまた違ったかも知れないが、少なくとも実家には俺の居場所なんてものはないも同然だった。
如月家の面汚しという烙印を押されて、親戚中から汚物を見るような目で見られ、何かに付けて姉妹のことを引き合いに出して嘲笑う親族連中。
そのこともあって、俺は姉さんと奈々との距離を計りかねていた。実の兄妹でありながら笑えるくらいにスペックが違う。姉さんが神から授かった子ならさしずめ俺は奈々という有能な妹を産む為に落とされた生贄という名の欠陥品に違いない。冗談みたいな話だが姉さんは高校入学の時点で有権者たちが頭を下げてお見合いを申し出る程の器量の持ち主で、妹は複数の実業団から声が掛かるほど将来を有望視されてる陸上選手。ぶっちゃけそこに俺が居たら彼女たちの付加価値を下げてしまう、なんて思い込んだ俺はオタクの世界にのめり込み、家族と接する時間を限界まで減らすことで自分を保った。
入念に溝を掘って、一般人には理解できないような分厚い壁で心を閉ざす。それが如月葉月という人間だ。
いや──だったと言うべきか。
「それが今じゃ異世界出身の英雄だもんなー」
ふぅーっと、息を吐いて空を仰ぐ。実家で卑屈に暮らしてた頃はとにかく力が欲しいと願っていた。そして今、俺には願っていた力がある。それで何かが変わったかと言えば、何も変わってない。結局、力を手にしたところで俺自身が変わりたいと本気で願って、それに沿った行動をしなきゃその力は宝の持ち腐れでしかないことに気付くことはできたけど、言ってしまえばそれだけだ。
そんな感じで夜の村を歩いていると、反対側から人が歩いてくるのが見えた。身体能力だけでなく、視力も一緒に強化された今の俺は月明かりさえあればうっすらではあるが十メートル先にいる相手の顔を見ることができる。
数にして五人。相手は村人ではなく夜間警備をしているセダス国の兵士。警邏の最中だから完全武装状態なのは当然と言えば当然なんだが──
(何故だ、嫌な予感しかしない……)
そしてこういう嫌な予感というのは望まずとも当たってしまうもの。向こう側から歩いてきた兵士たち五人は距離を詰めるとごく自然な動作で得物を抜いて、余裕を持って取り囲む。
……はい、完全に後手に回りました。オタク風に言うならまるで成長してない。
「こんな夜更けに喧嘩なんて感心しないな」
ダメ元で言葉を掛けてみる。返事が返ってくるとは思えないが──
「あなたを殺すよう指示された。軍人なら命令に従うのは当然のこと」
──意外なことにちゃんとした受け答えが帰って来た。いや、俺を殺すとか言ってる時点でぶっ飛んでるけど。
「俺、リヴァイアサン討伐の一員だよな?」
話が通じるなら対話の余地があるかも知れない。そう思った俺はまず話し合いから始めることにした。が、やはり殺る気満々の相手に話し合いというのは無駄であることを思い知らされる。
そもそも何故、このタイミングで俺を殺すのか理解できない。遠征の途中で殺すくらいなら自国内で殺した方が都合がいいし手間も掛からない。直感ではあるがこの命令はクレアのお姉さんでもその直属の部下が下したものでもないと思う。
「問答無用」
しゃらりと、金属の擦れ合う音をたてながら剣を抜く。流石の俺もこうして剣を抜かれたら応戦せざるを得ないので同じように剣を抜き、相手を観察する。
散開した五人は一定の距離を取ったまま俺を取り囲んでいる。見える範囲での得物は剣が三人。そこはいい。だが身に付けてるのが防具ではなく私服や寝間着というのは明らかに異常と言える。
(寝起きのまま武装したって感じだな)
狙ってやったかどうかは判断しかねるが、お陰でこっちは非常にやりにくい。女だからやりにくいとか、そういう紳士っぽいことは言わないし言うつもりもない。ただ、俺が持っている決意ってのは結局、何処まで行っても倒す決意であって殺す決意じゃない。人を殺して良いのは人に殺される覚悟のある奴だけだって、何かのアニメ(いや漫画か?)でそんなことを言ってたキャラがいたけどまさにその通りだ。
異世界に来て人外の力を得たところで俺は如月葉月という日本人なんだ。もしかしたらこの先、人を殺さなければならない状況に直面するかも知れないけど、殺さずに済む選択肢があるならそれを選ばない手はない。
「──っ!」
一呼吸で三人同時に踏み込んでくる。土煙を上げながら突進してきた三人の剣士。上段、中段、下段からそれぞれの刃が命を刈り取るべく殺意を孕んで迫ってくる。どれか一つでも捌き損ねれば待つのは死。そうでなくとも致命傷は避けられない。
そう、どれか一つでも当たればの話だ……。
「──ふっ!」
大きく息を吐くと同時に身体を動かす。時計回りに動きながら中段の剣をやり過ごし、下から迫る剣は力ずくで払い落とし、頭上からギロチンのように振り下ろされる剣は空いた手で手首をしっかり掴んで攻撃を阻む。
「な……っ!?」
「驚いてる暇はないよ」
手首を掴むと同時に、腕に渾身の力を込めて振り抜き、背後から迫ってくる二人目掛けて投げつける。我ながらとんでもない馬鹿力だ。いくら丸腰に近い女性とはいえ、片腕で棒きれを振り回す感覚で投げ飛ばすんだ。女性に乱暴している……ていう罪悪感がない訳じゃないけど状況が状況だし、そんな甘っちょろいことなんて言ってられない。何より相手は軍人だしね。
(それになんかヤバイ状況っぽいし……)
体勢を立て直した兵士たちに意識を向けながら聴覚にも意識を集中させる。始めは単純に俺を暗殺する為だと思ったが、どうやら違うらしい。耳を澄ませば遠くから慌ただしい声と剣戟音が聞こえる。セダス国の兵士が誰かと戦闘しているのは分かるが、問題はその相手だ。夜間とは言え、少なくとも上空にはドラゴンに乗った兵士が巡回してる筈だ。空からの監視を欺くなんてそう簡単なことじゃないと思うんだが……。
「考え事しながら戦うなんて、、随分と余裕じゃない」
「いやまぁ、実際余裕だし」
ここ最近、ずっとチートスペックな相手と連戦していたせいか、もうその辺の兵士が相手なら負ける気がしない。俺を相手にしている兵士の中に魔法使いがいたら話は全然違ってくるけどこいつらは全員、近接タイプの兵士だ。遠・中・近、全ての距離で戦えるミゼンや人外の領域にいファントムと比べたら可愛いモンだ。
(つっても、状況が根本的に変わる訳でもないんだけどね……)
迫り来る五つの太刀筋を動体視力と反射神経にモノを言わせて弾き、避けて、ときに防ぎながら考える。
敵を殺さず無力化するというのは存外難しい。それなりの覚悟があれば徒手空拳なり峰打ちでの強打して意識を刈り取るってやり方ができるが、意識を刈り取って行動不能にするというのは意外と高度な技術が要求される。ケブラーバントのようなものがあれば捕縛術まがいのことも出来たかも知れないがそんなものはないし都合良く捕縛術なんて会得している訳でもない。
よってここは逃げの一手。まともに戦う理由は一つもないなら逃げるに限る。幸いにも俺には逃げ切れるだけの足がある。適当に逃げ回っていればそのうち誰かが騒ぎを嗅ぎ付けて鎮圧するだろう。
──という考えは早々に捨てなければならないということをどうやら俺は未だに学習しきれていないようだ。
「あらあら。貴方の為に用意した舞踏会ですのにもう飽きてしまわれたのですか?」
まるで明日の天気の話でもしているかのようなノリで暗闇の奥から現れた一人の女。
肩を露出した、胸の谷間を強調するような真っ黒な生地をベースに背中に揚羽蝶の翼を模した飾りを付けたナイトドレス。こういう衣装はゲームや漫画の世界でのみ許されるものであって、現実世界でそれをやるのはただの痛い人にしか見えないのはきっとサブカルチャーで鍛えられまくったオタクならではの考えだろう。
相手はセダス国の兵士と違い、完全な丸腰。ドレスの裾の中に武器でも隠しているんじゃないかと思うくらい、完全な徒手空拳。だが相手の身体はあまりにも線が細い。見た目で敵を判断するのは愚考だと分かってはいるつもりだが、あんな華奢な身体で彼女はどう戦うつもりなんだ?
「そんな身なりでどう戦うのか、疑問に思っている顔ですわね」
「まぁな。ぶっちゃけアンタ強そうに見えないし」
強敵と連戦してきた賜物か、それとなく相手が身に纏う空気……というかオーラ? とにかくそういうのを感覚で理解できるようになった。全面的に信用するには危ういところもあるが、それでも何も情報がないよりはあった方がいい。
で、俺の見立てによればこの女はあまり戦闘が得意そうには見えない。構えを取る訳でもなく、武器を持っている訳でもない。例えるならそれは物見遊山を楽しんでいるかのような姿勢……というか殆ど棒立ちと言ってもいいんじゃないだろうか?
俺の疑問に答えるよりも早く、彼女に変化が見られた。両目が赤色の不気味な光を放ち、何かを考える間もなく頭の中で甘い声が囁きかけてくる。
『私の下僕になりなさい』
聞く人が聞けばそれはさぞかし官能的な響きだろう。実際、声を聞いた瞬間、脳の芯が甘く痺れて声に身を委ねるのも悪くないと思ってしまった。……本当に一瞬だけど。
(これって、もしかして魅了系か?)
出発前、俺は魔力制御と平行してタバサから魔法講義を受けていた。その中に相手の石を乗っ取る特殊な魔法が存在すると言われた。
それが魅了。これはもう読んで字の如くメロメロになって言いなりになってしまうって奴だ。相手を魅了する魔法は上級魔法に分類されるが、稀に魔眼と呼ばれる特殊な力を持った者がいる。
恐らくセダス国の兵士たちがおかしくなったのもこの魅了の魔眼によるもの。そう考えるのが妥当だろう。なら、俺が取るべき手段は一つ。
(魅了にかかったふりをしよう……)
実際、甘美的な声だと思う。けど身を委ねるほどの魅力があるかと言えばノーだ。何故俺がそういう風に考えられるのかは不明だけど。
相変わらず頭の中は甘い声が響き、勝手に情報を教えてくれる。
曰く、彼女はリャナンシー。名前は捻りも何もないナンシー。セダス国の兵士をできる限り魅了して魔力溜まりと呼ばれるスポットにぶち込んで強引に魔物化して戦力に加える……らしい。
村人は全員、ナンシーが魅了済み。軍勢を作る目的は魔竜十三騎士団の空席に座る為。十三騎士団、欠員があったんだ……。
「さぁ坊や、答えなさい。あなたの主人は誰かしら?」
「はい。私の主人は見目麗しいナンシー様です」
言ってから、ちょっとわざとらしかったかなと反省。だがナンシーは自分の魅了が成功したと思い込み、笑みを浮かべながらゆっくり近づいてくる。
「良い子ね。あなたの名前、教えてくれるかしら?」
「ハヅキです」
ナンシーが剣の射程に入った。まだだ、まだ耐えるんだ。確実に仕留められるその瞬間まで堪え忍べ。
「ハヅキ、あなたは私の何かしら?」
細長い、色白の指がつぅーっと頬をゆっくり撫でながら顔を掴み、物理的に固定する。元が非力なのか、単純に大した力を込めてないのか、この程度なら簡単に振り解くことができる。
この距離だと手に持った剣で応戦するのは無理だ。身体が密着している。となれば、残された武器は一つ。
「私はナンシー様の──」
一呼吸置いて気持ちを落ち着かせてから、俺は一気にそれを解放する。
俺とナンシーの間に身を焦がすほどの赤熱が迸る。間近でスタングレネードが炸裂したような赤い光が灼熱の奔流となってナンシーを襲う。
なんてことはない。奇襲攻撃の正体はレッドダガーを介した魔法攻撃……と呼んでいいか分からないがとにかくそれだ。一瞬で10割の力で魔力を注入してそれを放出する。イメージしたのは焼夷手榴弾。お陰でこっちも熱風に煽られてしまった。火傷とかしなかったから別にいいけど。
(やべ、威力過多だったか?)
やってから不意打ちすることに集中するあまり、周りへの被害とかを考える余裕がなかったことに気付く。レーザーだと急所を外す可能性があるし、かといってじっくりイメージを練る余裕もなかったと言えばそれまでだが……うわぁ、なんか盛大にやらかした感がするんですけど!?
(いやでも、流石に今ので死んだってことはない、よな……?)
レッドダガーを左手に持ち替え、剣を構えながら距離を取る。焼夷手榴弾もどきの魔法攻撃の余波は地面へ広がり、粘着性の高い火があちこちでメラメラと地面の上で燃え上がっている。
果たして、至近距離で直撃を受けたナンシーは──満身創痍ながらも無事だった。
「よくも……よくもこの私を虚仮にしてくれたわね……っ!」
先のような妖艶な態度から一変、憎しみを現したボロボロのナンシーが膝を曲げ、辛うじて立っていた。男心をくすぐる露出の高いドレスは跡形もなく燃え尽き、皮膚と顔がには真新しい火傷。血が流れてないのは出血箇所もろとも焼き切られたせいか。
だが──それもすぐに再生していく。それもミゼンの再生速度と遜色ない速さで。
見るに堪えない火傷は録画したテープを巻き戻ししているかのように新鮮さを取り戻し、あっという間に玉のような肌を取り戻していった。
「こんな屈辱初めてよ……。魅了を維持する魔力をカットしなければ全快できないなんて……。もう許さないわ人間!」
「いやアンタ、始めから許すつもりないだろ」
なんて軽口を叩きつつ、俺は距離を保ったまま相手の出方を窺う。一気呵成に勝負を決めても構わないが、相手の手札を把握してない以上、特攻するのはよくない気がする。勿論、相手が純粋な後衛タイプの魔物なら話は別だが生憎と俺にはその辺の判断が付かない。
「全ての生命に魔力が宿ってるのは知ってるかしら?」
ブスッと、勢いよく地面に向けて爪を立てて腕を突き刺す。狭い範囲ながら亀裂が入り、そこから自身の身長ほどの薄紫色の蒸気が噴き出る。かと思えばそれは忽ち形を成して球体へ姿を変える。
「魔力が減れば魔力を補充しようと三大欲求という形で魔力を補充しようとする。それが満たされれば欲求は消える。だけどそこに無理矢理、それも純度の高い魔力を注ぎ続けるとどうなる?」
そんなのは分からない。だがろくでもない結果になりそうだ。後手に回ったのが裏目に出たか。
「答えは、自分の身体で確かめなさい」
刹那。俺と球体は同時に動いた。球体を避けつつナンシーに斬り掛かるか。或いは回避に専念するか。直感に身を委ねた結果、回避に専念することにした。左手に持っているレッドダガーに魔力を充填して赤いレーザーを射出する。ぐらっと身体がふらつくが気力で耐える。この程度の倦怠感は日常茶飯事だ。
それなりの威力を孕んだレーザーは球体へ直撃──したかと思ったらそのまますり抜け、地平線の彼方へと消えていった。……マジかよ。
それなら機動力で……と思い、ジグザグに動き回るも、かなり優秀な追尾機能を付与された球体は最短ルートで俺との距離を詰める。結果、俺は呆気なく球体に捉えられた。
「……ッ!?」
球体が身体の一部に触れた瞬間、身体の中に大量の魔力が流れ込む。魔力を回復させるエーテルを飲んだときと同じ感覚。だが注入される量はそれを遙かに上回る。
(これ、は……ッ)
心臓がバクバクと早鐘を打ってる。なんだか良く分からないがこれはまずいんじゃないか。そう判断した俺は全力で踏み込み、ナンシーへ斬り掛かる。だがそれは中間地点に出現した土壁によって阻まれた。自分から突っ込む形になったのでそれなりのダメージを負う。ついでに頭から突っ込んだせいで脳を激しく揺さぶられた。
「どんな生き物も魔力を過剰摂取すれば、行き着く結末は二つに一つ。魔力を蓄える器が耐えきれず壊れるか、理性のない魔物に成り下がるか。あなたはどっちかしら?」
なんか頭の上で勝ち誇ったように言ってるがこっちはそれどころじゃない。泥でぬかるんだ地面に無理矢理水を注ぎ足しているような状態なんだ。まともで居られる筈がない……ッ!
(あ、これ死んだかも……?)
やけに自分の心臓が五月蠅く聞こえる中、他人事のようにそんなことを考えて、はたと気付く。
俺は今、本当に死にかけているのか? さっきから無理矢理魔力を注入されてる感じはあるけど倦怠感は全く感じられないし、身体が不調を訴えている様子もない。無理矢理口を開けられて水を注ぎ込まれてるような嫌悪感はあっても、それを危ない状態だと認識してない訳で……えーっと、これは俺の危機管理能力が低くなったってことなのか?
そんなことを考えながら早鐘を打つ心臓と嫌悪感に耐えること数分。俺の身体を包んでいた薄紫色の球体はフッと姿を消した。
「はっ……?」
顔を上げれば、ぽかんと口を開けたナンシーが俺を見ている。その気持ちはよく分かる。何故なら俺も全く同じ心境だからだ。
「……何がしたかったのか分からないけどさ」
いつの間にか落としていたレッドダガーを右手に持って、標準をナンシーの頭へピタリと合わせる。どういう訳か鉛のように身体の芯にこびり付いていた倦怠感はなくなっているが、原因を考える余裕はない。
「明日の行軍に響くから、さっさと死んでくれ」
気持ち五割程度の力を込めてレーザーを撃つ。完全に油断していたナンシーの頭は容易く吹き飛ばされ、息絶えた。
元凶が死ねば魅了が掛かっていた人間もすぐに正気に戻るだろう。そう思い、近くに居たセダス国の兵士に確認を取る。
「おい、だい──」
大丈夫かと、声を掛けようと思ったがそれは横から割り込むように入ってきた攻撃によって阻まれた。咄嗟のことなのでバックステップを踏むだけで精一杯だった。
(嘘、だろう……)
まだ正気に戻ってないのか。そんな気持ちで攻撃対象に目を向ければセダス国の兵士──ではなく、子供だった。
「もぉ、駄目だよお兄ちゃん。しっかり当たってくれなきゃ殺せないでしょー」
ケタケタと笑いながら、末恐ろしいことを口走る幼女。手にしているのは草刈りようの鎌と、武器と呼ぶにはあまりに拙い代物。だが俺にはそれが死神の鎌に見えてしまった。
戦える訳がない。下手しなくても殺してしまうかも知れない。だから俺は迷わず回れ右をする。ヘタレだろうが何だろうが相手できるほど俺は器用な人間じゃねぇ!
「逃げてもいいけど、そうしたらこの娘が死ぬわよ?」
「……っ。誰だ!?」
突然、闇夜に響く女の声。振り向けばついさっき、俺を殺そうとした幼女の首に細長い指を絡めたままこちらを嘲笑うかのような表情で睥睨する女の姿。
「ナンシーに任せたのは失敗だったわね。……でもまぁ、目的の一つは果たしているからそれでイーブンということしましょう」
「目的だって?」
「えぇ。あなた達、リヴァイアサン討伐部隊でしょう? 私の目的はその討伐部隊の足止め。あとついでに審査も頼まれてるけど……」
言いながら、ジッとこちらを見つめてくる新手のリャナンシー。……まずい、こいつさっきのナンシーと違う。見られただけでぶるりと寒気がしたぞ……ッ!
「……駄目ね、不合格。見ず知らずの人質を取っただけで動けなくなるっていうのは勿論だけど、覚悟がまるでなってないわ」
「殺さない覚悟だ」
「そういうのを甘ちゃんて、世間では言うんだけど……まぁいいわ」
パチンと、指を鳴らすリャナンシー。すると物陰から目がうつろな村人や兵士が武器を持ったままわらわらと集まってくる。まさかこいつ、これだけの数の人間を一瞬にして操ったとでも言うのか?
「遊んであげるわ、坊や」
空間が歪み、何もない場所へ手を突っ込むとそこから骨と鉄で出来た大鎌を取り出す彼女。ものっごく悪趣味な鎌だけど、全体から僅かに滲み出る赤黒いオーラを見ればそんな軽口すら叩けない。
「覚悟を持たない、力だけを与えられた甘ちゃんが何処まであがけるかしら?」
いつからリャナンシーが一体しかいないと思ってた?
……一度言ってみたかっただけです。