番外・帝国の真実と降り立った姉妹
今まで触れてこなかった帝国の実態と如月姉妹の登場です。
彼女たちが本格的に登場するのはまだ先の話ですが……。
仕事を終えた若者で溢れかえる酒場と娼館に入る貴族に冒険者。屋台が出すオリジナル料理に舌鼓を打つ職人たち。加工された石で舗装された道に赤煉瓦で作られた建物。葉月がこの光景を見たなら日本の歓楽街みたいだと言っただろう。
セダス国とは敵対関係にある、大陸一の軍事力を誇るハーレム至上主義帝国。前皇帝は領土的な野心を持っていたが現在の皇帝はそのような野心は持ち合わせていない。
名前の通り、帝国は一夫多妻制を採用している。因みにこれは過去、戦争で多くの男を失い国の人口が激減したことに対する処置として国が採用した案だったりする。それは現在でも受け継がれており、一般家庭でも妻が二人というのは珍しくない。勿論、人が増えれば食い扶持も増える訳だがそんなのが問題にならないくらいに帝国の生活水準は高く、教養も高い。
世界的に見ても脅威の識字率を誇るのは勿論、全ての民が平等に教育を受けられるようにと平民向けの学校もいくつか存在する。一校だけならともかく、学校が複数存在するとなると経営者はこぞって学費を安くし、或いは是が非でも入学したくなるようなオプションを付ける。
はっきり言ってしまえば、帝国のように教育に力を注いでる国はこの大陸にはない。何故、地球では馴染みのある数々の体制を帝国が敷いているかと言えば──
「……ふぅ」
賢者タイムから帰って来た若者の先祖が地球出身だからだ。
東海林疾風。祖父の意向により、代々皇帝となる者は本名とは別に日本人の血を引いていることを証明する為に日本流の名前を付ける。尤もこれを知るのはごく一部の者で、世間ではハヤテ・ローゼンバルト・フォン・ショウジ三世という仰々しい名前で通している。
疾風は今、何も着てない。正確に言えば彼の周りには一糸纏わぬ姿のまま、乱れた呼吸を整えてる女性が何人か居る。さっきまで何をしていたかを語るのは野暮というもの。
ベッドから降りると、それに気付いた女性陣がすぐさま反応して着替えの手伝いをする。それも使用人にありがちな事務的なものではなく、恍惚とした表情を浮かべながら。まるで自分という存在は彼の役に立つ為にあるんだと言わんばかりに。
「状況は?」
「セダス国とア・キーバ共和国は既にリヴァイアサン討伐に向けて動き出してます。部隊の編成もほぼ終わり、明日にはロクサスへ向けて出立するそうです」
「完全に封印が解かれてませんが徐々に力を取り戻している影響からか、ア・キーバ共和国の海域でリヴァイアサンの取り巻きとの小競り合いが多発してます。今のままの状態が続けば合同討伐はほぼ間違いなく成功するでしょう」
ツーと言えばカー。本当によく出来た侍女だと感心しながら彼女たちに身を委ねる。セクハラすることも忘れずに。
今回、帝国はリヴァイアサン討伐には参加意思を示さなかった。セダス国とは未だに対立状態にあるのもそうだが、ア・キーバ共和国とも仲が良いとは言えない。まぁ一番の理由は疾風の能力によって出した結論が『帝国が討伐に参加しなくても問題ない』という答えが出たからなのだが。
「セダス国については?」
「魔王は早ければ十ヶ月後には封印が破られる、というのが情報部の見解です。異界の英雄は未だに力を制限された状態です。あと、経緯は不明ですがかつてセダス国で行われていた実験体が行動を共にしています。容姿も申し分なく、陛下のお気に召すかと」
「うむ。男はどうでもいいが女は大事だよな!」
仮にも一国を預かる男の発言とは思えないがそれを咎める者はいない。
そもそも疾風は前皇帝のように領土的な野心を持っている訳ではない。そんなことをする必要がないくらい国土が広大だし、そんなことに力を注ぐぐらいならやりたいことをやりたいだけやった方がいい、というのが彼の持論。
実際、現皇帝はやりたい放題だ。上層部、身の回りを世話する侍女らは全て女。それも強力な魅了による支配を受けている。ただ、完全な支配だと融通が利かなくなる場面が出てくるので自我は残す必要があった。
そのお陰、というのも少々おかしな話だが軍全体の動きは早い。仮に何処かの国へ侵略戦争を仕掛けろと気紛れで命令しても翌日には全ての準備が整い、いつでも進軍できる体制が整うほどだ。
そんな彼が何故魔王という、核爆弾に匹敵するような危険分子に接触しようと試みるのか?
理由は単純明快。セダス国に封印されている魔王が絶世の美女だと文献にあったから。要するに、自分のモノにしたいだけなのだ。
因みにセダス国にはそれほど感心がない。長年対立してきたこともあるが、さりとて本気で侵略しようとも思わないし、かと言って今更セダス国と和睦しても……という思いがある。
「しかし、セダス相手に本気で戦争すんのもなんか恥ずかしいな。魔王が出てくるまでいい暇潰しはないもんかねぇ」
「また愛人捜しの旅に出ては如何でしょう? 執務の方は宰相に任せれば問題ないでしょう」
実際、魅了で多くの人間を支配している彼の元にやってくる仕事は多くはない。せいぜい書類に目を通して印を押すか、会議で発言するぐらいだ。サボッていると思われても仕方ないが、疾風を支える重鎮たちがケチの付けようがないくらい優秀なのだ。ならば自分がやるよりは彼女たちに任せた方が確実。自分は有事の際に戦場に出ればいい。まぁこれは周りの人間が猛反対しているのだが、同時に彼が戦場に出れば戦術級の兵器を投入するよりも早かったりする。
「んー、それもいいけどそろそろ内政に力入れないといかんだろ。この前の報告じゃ失業率が38パーセントまで増えたって言うし、就職できない若者だって多くはないからな。愛人と仲良くヤるのは大事だけど流石の俺も国民は大事だわ」
がしがしと頭を掻きながら執務机の引き出しから数枚の羊皮紙を取り出して近くの侍女に渡す。昨晩、彼が走り書きしたある計画書だ。
「これは……?」
「いやな、昔俺の祖父が言ってたの思い出したんだ。祖父が住んでた国じゃジョーキキカンで走る……えっと、えーっと…………うん! まぁとにかくアレだ! その祖父の話を元に俺なりにジョーキキカンの原理を調べた。凄いぞこいつは。なんたって魔力なしで動くんだからな!」
初代皇帝が異世界出身という話は上層部の者なら誰でも知っている。元より地球の優れた文化をこの国に伝えたのが他ならぬ初代なのだから。色々と性格に問題のある為政者ではあったが、彼なくして今の帝国はあり得ないと言う声は多い。民への人当たりが良かったのも一役買っている。
「予算を捻出して技術が確立したら生産に入る。無職の人間を優先しつつ学校側にもそれとなく伝えといてくれ。必要なら専門学校も作る」
「分かりました。早速技術部に開発要請を出しておきましょう」
「うむ、頼んだぞ。俺は少し出掛けてくる」
どちらへ、と訊く者はいなかった。部屋を出て行く主の背中を見送った後、羊皮紙を受け取った侍女は技術部門へ向かい、残った侍女たちは後片付けを始める。
(ハヅキ=キサラギ……一体どんな人間なんだろうな。必要なら帝国に取り込んでもいいけど詰まらない男なら斬ってもいいな)
早足で廊下を歩きながら思うのは祖父と同じ異世界出身の少年。名前からして祖父と同郷の人間だろう。そういう意味では興味があるし、有益ならあれこれ条件を付けて取り込むのもいい。間者の報告では既にア・キーバ共和国が引き抜き工作をしているそうだが、疾風の見解は時期尚早。何となくだが、その男はセダス国に居る人間、そして同行してるホムンクルスに思い入れがあるように思える。
(まぁ魔王を愛人にするような皇帝が済む国から勧誘されたところで靡く訳ねーな)
本音を言えば男はどうでもいい。亡命するなら歓迎だができれば周りの女は欲しい。魔王をこちらに付ける手筈は整っているが正直、心許ない。
魔物の捕獲をもう少し積極的にやるべきかと、本気で検討する。帝国が保有する戦力のうち五割は魅了、或いは隷属の鎖によって支配された魔物で占められている。人間と違い簡単に替えが利くし使い潰しても道徳に反すると主張する者は一人もいない。
残り四割が正規兵で一割は傭兵や盗賊ギルド、そして闇ギルドの人間。公にされてない事情だが帝国では闇ギルドの存在を認めている。勿論、公になれば相応の裁きが待っているのは言うまでもない。
殺人、密売、人身売買は認めない。但しそれは帝国内限り、他国での行為はその限りではない。寧ろそうした活動が円滑に進むように手を貸しているし、上納金も良心的。但し、招集には必ず応じ要請には必ず答えるのが条件とされてる。流石に頭ごなしに犯罪を禁止するのも問題なので情報の売り買い程度は帝国内でも認めている。
傭兵に関しても面倒見がいい。と言っても傭兵の大半は冒険者との兼業だったりする。そもそも帝国における傭兵とは国が身元を保証している人間を指す。傭兵登録をした冒険者は最低限の寝床と騎士団長の署名が入った身分証明書が与えられる。国から認められた人間というステータスは大きな力を発揮し、帝都から離れた都市や村で仕事をするとき、信頼できる人間ということで優先的に仕事を受けることが出来る。
(……出費は痛いが依頼、出すだけ出すか)
しばし黙考した後、出した結論は捕獲依頼を出すことだった。ただ、後々のことを考えると国費から出すのはまずいので自分の財布から出す必要はある。どうせ使う機会なんて殆どないのだからこういう時に使った方が有意義だし、金を落とさなければ経済は回らない。皇帝とは言え、一個人の資産を落としたところで大きな経済効果を生むとは思えないが、それでも何もしないよりはマシだ。
そうと決まれば善は急げだ。早速その旨を伝えるべく、冒険者ギルドへと向かう疾風。可愛い受付嬢が多いギルドへ向かったのは言うまでもない。
夏の甲子園に向けて練習に励む野球部の声。いつまでも校内でダベッてるグループ。吹奏楽部の演奏。他人の話し声。親の小言。
私・如月葵にとっては全てが雑踏でしかない。全てはそう、私がこの世で唯一愛してると言っても決して誇張でもないはっちゃんこと如月葉月が行方不明になってからだ。如月家の面汚しでしかない奴のことなんか気にするなとかほざいた親と大喧嘩したのは記憶に新しい。
以来、私は不調の極みと言ってもいい。今まで五番以下に落としたことのない成績は初めての二桁。一日の食事は朝と昼の二回に落ち込んで体重が軽くなった……のは結果オーライ?
でも勉強に身が入らなくなったのは少し痛い。成績は落としていいものじゃない。これは長年に渡って染みついた習慣と言ってもいい。
「はっちゃん……何処行っちゃったの?」
近頃の私ははっちゃんの部屋で過ごすことが多い。整理整頓された私の部屋と違って、はっちゃんの部屋は乱雑だ。昔はおいてあるものの大半がよく分からないものだったけど、今は違う。はっちゃんとの距離を縮める為に密かに勉強した日本のサブカルチャーとも言えるオタク文化を勉強した私に隙は無い。……はっちゃんが居なくなったせいで全部無駄になったけど。
なんでもっと早く距離を詰めなかったのか。今はそれが悔やまれる。テストが近いなら勉強を見てあげれば良かった。ゲームが好きというなら私も同じゲームをやって共通の話題を持てば距離が広がることなかったというのに……。
妹・奈々もきっと同じことを思ってる筈だ。陸上部に籍をおいてる妹の得意種目は走り幅跳び。親や親戚に将来を期待されるよりもたった一言、大好きな兄から貰う声援の方が何倍も価値がある。言葉を交わさずとも私にはそれが分かってしまう。
そんな私は今日もはっちゃんの部屋で宿題を片付けてはっちゃんの残り香がするベッドで一夜を過ごす。やましい気持ちとかは少ししかないし姉弟だからセーフ。しばらくはっちゃんの臭いを堪能してからベッドから起き上がる。勉強の為とかじゃなくて、はっちゃんの部屋の掃除。それもなるべく今のままの状態を維持して。
……毎日掃除してるから十分ちょっとで終わっちゃうんだけど。
(会いたいよ、はっちゃん……)
こんな退屈な世界なんてどうでもいい。今すぐ家を飛び出してはっちゃんのところに言って、ドラマみたいな駆け落ちをしたい。でも何処に居るのか──というか考えたくもないけど、もしかしたらはっちゃんは死んでいるかも知れないことを考えると、そうした行動は全部無意味なんだって、憎たらしいほど賢い私の理性が告げてる。
そんな悶々とした日々を送っていた私だけど、転機が訪れた。正確に言えば私と妹、なんだけど。
その日は何十年振りという、記録的な大雪だった。田舎と違って都心で降る雪は最悪だ。だけど私たちにとってはこれが運命の転機だったし、そのことについては少しも恨んでない。
結論から言うと私たち姉妹は横滑りて横転した大型トラックに巻き込まれて死んだ。
いや──死ぬ筈だった
「……あれ? お姉ちゃん、ここ何処?」
「知らないわよ」
「だよね……。奈々も見たことない」
横滑りしたトラックが視界を覆って、身体中を強い衝撃が走った……ところまでは覚えている。だけどその後の記憶はぷっつり切れていて、気付いたら私たち姉妹は見覚えのない部屋にいた。
白い壁に囲まれて、椅子に座る私たち。そして向かい側の机には7:3でキッチリ分けた眼鏡を掛けた執事風の男。まるで企業面接みたいだ。
「初めましてお嬢さん方。私は神様代理補佐を務めている者です」
あまり偉くない役職だと、内心でこっそり思ったのはここだけの話。
「そう。それで、奈々たちをこんなところに連れてきてどうするつもりなんです?」
私と違って少し気の強い妹が口を開く。正直、私たちにとってこの状況は本当にどうでもいい。
「その前の一つ確認をするが、君達は甲州街道沿いを歩いていたところを横滑りしたトラックに巻き込まれて死んだ……間違いないね?」
黙って頷く。なんでそんなことを知っているんだという突っ込みはしない。
「実のところ、あの事故で死ぬのは君達ではなく全く別の人間だ。勿論、その人間を殺すなんてこともしないし、君達をこのままにしておくこともしない。これは私たちの責任だから君達が望む、望まぬにしろもう一度人生を──」
「ヤダ」
マナーを欠いた行為だと分かってても、私はそう言わずには居られなかった。
「はっちゃんがいない。だから死んだ方がマシ」
「奈々もお兄ちゃんが居ないならこのまま死んだ方がいい。あんな両親いらない」
私も、勿論妹も、今更二度目の人生になんて未練はなかった。少なくともこの瞬間までは。
私たちがそう断言すると目の前の自称・神様代理補佐はぺらぺらと書類を捲っていく。
「はっちゃんとは如月葉月のことか?」
「そうだけど?」
「ふむ……彼は非常に珍しいね。世間では失踪扱いになっているけど、彼はちゃんと生きている」
……ッ! 生きてる……! 私のはっちゃんが、生きてる……!?
「本当ですかッ! お兄ちゃんが生きてるなら話は別です! 今すぐ生き返らせて下さいッ!」
堪らず、席から立ち上がって神様代理補佐に詰め寄る私達。彼はそんな私たちをどうどうと宥める。
「少しは落ち着きなさい。生きていると言ってもそれは君達の住んでいた日本ではない」
「日本じゃない? ……まさか、お兄ちゃんは拉致されたんですか?」
考えたくはない。だけど日本に居ないとなるとそう考えるのが自然だ。けど、男の口から出て来た言葉は私たちの予想を遙かに超えるものだった。
「違う。彼は今、地球にすらいない。……俗に言う異世界だ」
「い、異世界……?」
「神隠しと言った方が分かり易いかな?」
「…………」
何となく想像が付いた。そして似たような話を思い出した。
はっちゃんの本棚にあるライトノベル。その中に地球生まれの日本人が相手側の勝手な都合で異世界に召喚されて活躍する話があった。だとしたらはっちゃんも同じ運命を辿っているかも知れない。
「…………私たちをその世界に送ることはできますか?」
「元々こちらのミスだ。被害者である君達が強く希望すれば送ることは……まぁ可能だ」
但し……と、言葉を付け足し眼鏡の位置を直して言葉を続ける。
「私が把握しているのは彼が異世界で生きている、ということだけだ。管轄外だからそれ以上の情報は手元にはない。調べれば何処で何をしているのかを知ることは出来るが、その頃には君達の魂が朽ち果てて人生のやり直しそのものが出来なくなる。それでも彼と同じ異世界へ行くというなら止めはしないがこれだけは覚えておいてくれ」
そう前置きしてから神様代理補佐は語り始める。
人生のやり直しと言っても、それは赤子からやり直すという意味ではなく死ぬ直前の状態で異世界に送られるということ。私たちが向かう異世界では、私達は異分子ということで常時、魔力を消費しなければならないがそこはサービスするらしいがこの男の権限ではその辺が限界。はっちゃんは常時魔力を消費してるけど何らかの手段で補充している上に簡単には死なない身体になってるからすぐにどうこうなることはないとも言ってた。
だけど問題は私達だ。異世界でも普通に生きることが出来るが、言ってしまえばそれだけ。身体の強さは死ぬ前のものに依存する。そしてその世界は魔法や魔物が当たり前のように存在する世界。仮にその世界に降り立ったとしても生き延びる確率は低いからお勧めはしないと忠告される。
だけど──
「私は行くわ。お兄ちゃんに会えるかも知れないなら、絶対に会って、今度こそ仲良く暮らすんだ」
「例え万が一でも、億が一でも、可能性があるならそれに賭ける。愛は見返りを求めないから愛って言うんだから」
「…………。良いだろう、そこまでの決意ならもう止めない。君達姉妹の旅路に幸あれ」
こうして私と奈々ははっちゃんと同じ世界に降り立った。地球に一ミリも未練がない──と言えば嘘になるけど、それでもはっちゃんの方が何百倍も大事だから。
元々葉月以外の人間が異世界にやってくるという設定はありました。で、どうせなら見知った相手がいいということでこうなりました。
彼女たちがどの時期に、何処に降り立ったのかは敢えて書きません。その方が自由に設定作れますし。