黒のワルツ・後編
酔った勢いで書いたので気に入らないところがあれば修正するかも。
あくまで経験談に基づく話だが、オタクというのは挫折した人間が行き着く場所だと俺は思う。
子供の頃、誰もがあこがれの職業についてきらきらと目を輝かせながら雄弁に語る。努力なくして達成することは叶わなければそれが報われるとも限らない。そういう、実現に向けて具体的な行動をしてきた人間はオタクにはならない。これは勝手な思い込み。
ではどんな人がなるかと言えば夢を叶える為に誰もが通る最初の道。才能の有無だ。
例えば、漫画家になりたい子がいる。絵を描くのが好きだから漫画家になりたいという、至ってシンプルな動機。絵を描くのが好きだから当然、毎日のように絵を描いて想像の世界に耽る。だけどその子には絵心がなく、あまつさえ友達からそれを指摘され、自分より絵の上手い奴にヘタクソな絵を晒され、罵倒されたらどうなるか?
それを起爆剤にして一念奮起する奴もいるかも知れない。しかし年頃の子にはなかなかキツい出来事だ。かくして、絵が好きだったその子は漫画家になるのを諦め、次第に絵を描かなくなった。ソースは俺。
前置きが長くなったが、要は俺には才能がないって言いたいだけだ。それも困ったことに我が家で才能がないのは俺だけで後はいわゆる勝ち組って奴だから余計にオタクの世界へのめり込んだ。ただ、才能がないというのはあくまで比喩で、世間から見れば俺は……まぁ中の上ぐらいの能力はあるらしい。人間止めてるレベルで優秀な人間と比較され続けてきたせいでそれに気付くのには随分時間が掛かったが……。
「姉の──は本当に優秀だね。きっと将来は引く手数多だろうね」
「いやいや、妹の──だって負けてませんよ。将来はきっと金メダリストは間違いないでしょう」
「それに引き替え、如月家の長男は本当駄目な奴ですな」
「勉強も駄目、運動も駄目。まるで残りカスみたいな子ね」
親戚や親の知り合いと会うのは嫌だった。必ず姉妹(内訳は姉と双子の妹)のことを引き合いに出されるから。
自然と、姉妹との仲も疎遠になる。誤解しないよう言っておくが喧嘩とかじゃなくて、俺が意識的に接触を避けた結果だ。オタク文化に感化された俺はもっぱら部屋でファンタジーもの(とにかくファンタジーなら何でも良かった。小説やゲームもその手のやつが殆どだった)を読み耽ってたりゲームの世界に没頭した。物語の中でしか俺の心は自由になれなかった俺を、大人達はさぞかし嘲笑っただろう。
憧れ──いや、羨望と言っても良い。
剣を手に取り、恐ろしいドラゴンに向かって先陣を切る勇者になりたいと思った。
脇役でもいい、パーティーの中に入って苦楽を共にして心から笑い合いたい。
鉄と排気ガスが充満する世界なんて嫌だ。俺を剣と魔法が支配する世界へと連れて行って欲しい……ッ!
(──そんな風に考えていた時期が、私にもありました)
あの頃に戻れるなら迷わず俺は自分を殴ってやる。拳骨なんて生温い、ハンマーで記憶が吹き飛ぶぐらい強烈な奴を見舞ってやる!
ミゼンとフィリー、合わせて三人でファントムなる男と戦い初めてから既に三分が経つ。
三人掛かりで挑む総力戦は──絶望的な状況だ。
特に酷いのは前衛のミゼン。俺と違い桁違いの再生力を誇る彼女の服と装備はズタズタ。髪の毛に至っては血と泥で濁った血がこびり付いてる。身体は平気でも体力の消耗は避けられないようで、肩で息をしてる。贔屓目を抜きにしてもミゼンの機動力は侮れるレベルじゃないというのに、あの男はそれに完全に対応している。
フィリーは俺と似たような状況。いや、傷口が再生しないという意味ではフィリーが一番手負いと言って良い。
「何か手はないの?」
ダメ元でフィリーが意見を求めてくるのに対して短く『考え中だ』と答える。
やれることは全部やってみた。
砂埃を使った目つぶし。
大量の小石を至近距離から投擲。
三方向からの同時攻撃。
それら全ては悉く無力化され、手痛い反撃を受ける形で終わる。明らかな実力差のある相手に勝利をもぎ取るには不意打ちしかない。素人なりに出した答えだが多分間違ってない。
だがその不意打ちが難しい。何処から攻撃しても完璧に対応してくるのは先の同時攻撃が証明している。
「もう終わりですか?」
一方で、あちらさんは余裕たっぷりの態度でこちらの出方を伺っている。
冷静沈着で質実剛健。違いはあれど、こいつは俺の嫌いな親父に似てる。ミゼンが真っ赤に染まったとき、思わずぶち切れた理由の半分は嫌いな奴に似てるから。
──だからこそ、余計倒して泣かせてやりたい……ッ!
グッと握り拳を固く作る。元の世界では何一つ誇れる物を持つことのなかった俺だがこの世界は違う。
王族でありながら俺を気遣ってくれたクレア。例えそこに思惑があったとしても、俺は彼女の善意を信じて良いと思える。
ドジッ娘メイドのノワール。あまり話せなかったのが残念だ。無事セダス国に戻れたら遊びに行くのもいいかも知れない。
ノーマルの皮を被ったガチレズのフィリー。……これからもプライベートでは対立していくだろう。公私を分けられるからできれば仲良くなりたい。
研究所育ちのミゼン。色々訳アリだがそんなのは関係ない。簡単にミゼンとの関係を終わらせるつもりはない。
こんな、今にも死にそうな状況だってのに不思議とやる気が満ちている。普段の──いや、昔の俺からは想像すらできない。
才能が与えられたから?
……違う。これは才能でも何でもない、ただのチートだ。そんなものを与えられて無邪気に喜ぶのは何も知らない子供だけ。
自分の価値を証明できるから?
これも違う。そもそも俺は自分に価値があるとは思ってない。卑屈とかじゃなくて、純粋にそう思う。
(……いや、そんなのはどうでもいいか)
非常時だというのに浮き足立つ心をどうにか抑えて深呼吸一つ。腹は決まった。やるべきことも。これで駄目なら万策尽きたと言って良い。藻掻きに藻掻いてラッキーパンチに期待するだけだ。
「作戦がある」
「さっきは無いって言わなかった?」
「今思い付いた。つーかこれで駄目なら今度こそホントに終わりだから」
「私はハヅキを信じる」
「期待はしないでおくわ」
本当、二人揃うと両極端な反応だなオイ。
まぁいい。あいつがああやってあぐら書いている間に俺は手短に作戦の概要を伝えた。
現実では不可能と言ってもいい強襲と奇襲の掛け合わせ。だが幸いにも、俺はこの作戦を実行する為の魔法を、既に知っている。
終始己の優位を維持しているファントムはそろそろ切り上げようと思っていた。
将来性を見ればハヅキとミゼンは元より、フィリーにもある。その内に秘めた才能が開花する瞬間を見たいという欲求がないと言えば嘘になる。
しかし忘れてはいけない。目の前に立つ彼らは敵であり、目的の妨げとなる可能性を秘めてることを。個人的にはその方が面白味が増すから敢えて見逃すという選択を取るだろう。仕事中でなければ。
(おっと、いけませんね。自重しなくては)
結果を出す為ではなく、過程を楽しむ為の仕事。その理屈に沿えば彼らを殺すのは流儀に反するが、だからと言ってクライアントの意向を無視するほど自己中ではない。金銭的なものには興味はないが、信用を失えば面白そうな仕事にありつけなくなる。
一呼吸で逸る気持ちを落ち着かせて、さぁこれから殺ろうと思い立ったまさにそのとき、変化が起きた。
(おや。もう作戦会議は終わりですか)
ファントムの眼前で起きた変化は一つ。ミゼンとフィリーが同時に【ファイヤーボルト】を撃った。バスケットボールほどの大きさをした十五の火球。内訳はミゼンが十でフィリーが五。
放たれた火球の大半は地面に着弾し、黒煙を上げる。僅かに残った火球がファントムを狙う。回避するまでもなく、ジュラルミンケースで打ち落とす。
と、タイミングを計ったようにジュラルミンケースを持つ腕の反対側から葉月が特攻してくる。黒煙で輪郭のみの目視しかできないが振りかぶってくるバトルソードが彼だと教えてくれた。
下半身による捻り、腕力、武器の重量、それ等全てを合わせてファントムへ振り下ろした一撃は反対の手に持ったナイフで無造作に捌かれ、喉元へ突き刺す。心臓を狙わなかったのは単純に狙いづらい位置だったからだ。
「……?」
ふと、そこでファントムは違和感に気付く。柄を通じて伝わる筈の、肉の感触が伝わってこないことに。ミゼンも葉月も、再生能力があるからと言って刃物が通じない訳ではない。局所的に肉体強化を施せばその場限りではないが、この手応えはそうしたものではない。
鋼鉄のように固く、それでいて柔軟性を併せ持ったような手応え。これは──
「残念。私は男じゃないわ……ッ!」
宣言と同時にファントムの腕を取り封じる。なるほど、目の前の葉月は【ディスガイア】で変装したフィリーかと納得する。だとすれば先の【ファイヤーボルト】は奇襲ではなく変装の為の煙幕。
相手の手の内は読めた。フィリーにファントムの腕を封じさせ、残った二人のうち一方が、或いは同時に攻撃を仕掛けてくる筈だ。それもフィリーが仕掛けた直後に。
黒煙が立ちこめる悪条件の中、ファントムは正確に敵の出方を見抜いた。ミゼンの正面突破と、真横から迫る葉月。なるほど、フィリーに気を取られた一瞬の隙を突く作戦か。発想は悪くないが、それはミステイクだ。
(一瞬とは言え気を取られたのは事実ですが、あなた方が相手では大した意味はありませんよ)
これが近い実力者同士の戦いなら有効打になり得たが、彼我の実力差は絶望的だ。故に、僅かに生まれた勝機を活かすことができない。ミゼンと葉月の接近に気付いたのがその証拠と言ってもいい。
まずは厄介なミゼンから落とすべく、ジュラルミンケースを横薙ぎの軌道で殴りつける。彼女を攻撃した後に葉月へ追撃を加える。多少、綱渡り感があるが決して不可能ではない──筈だった。
「……ッ!」
ここに来て初めて、ファントムの目が見開かれた。大地を踏み抜き、重力を振り切るように駆けたミゼンが急に加速した。
誇張でも見間違いでもない。それも滞空中に起きたことだ。ファントムの目論見を大きく上回って加速したミゼンはそのまま至近距離で魔法を唱える。使うのは【バーンストーム】と呼ばれる範囲型攻撃魔法。全員が巻き沿いを喰らうが承諾済みなので全く問題ない。
詠唱を止めるにはミゼンを攻撃するしかない。しかしそれは同時に葉月の攻撃を許す結果となる。二人との距離はもう30センチを切った。
加速された知覚の中、ファントムは一瞬だけ迷いを見せて、たった一言だけ呟いた。
レイヴン──と。
使うつもりなど毛頭なかったそれを思わず使ってしまったのはただの条件反射。ここまで自分にやらせたなら勝ちにしてもいいかと思ったところで、彼は気付いた。
足下に刺さってる消耗型の魔器・レッドダガー。何時、どのタイミングで地面に刺したか分からないが、重要なのはそこではない。
魔器に込められた魔力が、今まさに暴発しようとしている──
自画自賛するなら完全な手だ。そう言ってもいい。
ミゼンの【ディスガイア】でフィリーを擬態させ、限定竜化で急所を守りつつ敢えてそこを攻撃しやすいようナイフを誘導する。すかさず俺とミゼンが同時攻撃を仕掛けるがこのとき、ちょっとした細工をした。
ミゼンの特製をゲームに例えるなら魔法剣士。文字通り、剣も魔法も万能にこなせる人気職だ。しかもミゼンの場合はより高度な魔法剣士ときた。
だから俺は考えた。煙で視界を塞いだあの一瞬の隙にミゼンは時間差で【ウォーターブレッド】を自分自身へ放った。わざわざ【ファイヤーボルト】で目くらましをしたのは黒煙を作り出し、ナイフを撃ち込む瞬間とミゼンが魔法を使う瞬間を目視させない為だ。
ファントムから見ればミゼンがいきなり空中で加速したように見えたに違いない。事実、俺もミゼンも決まったと思ったが──
(舐めプレイじゃなかったのかよ……っ)
首だけ動かして、ファントムを睨み付ける。手にしていた筈のジュラルミンケースはない。代わりにあるのは真っ黒な鞭。
それはまるで蛇のようにうねうね動きながら奴の周りを囲むように移動してる。鞭としての形状も相当えぐい。普通、鞭ってのは叩くのが目的だがあれは違う。有刺鉄線のように等間隔に生えた鋭利な刃。あんなもので叩かれたら肉が削がれる。
吹き飛ばされたのは俺だけじゃない。魔法を放とうとしてたミゼンも、腕を拘束してたフィリーも、一瞬で吹っ飛ばす。レッドダガーに付与されてた魔力を暴走させて狙った不意打ちも歯牙にかけずに。
こちらの目論見としてはミゼンの自爆特攻で主導権を握った後、足下に刺したレッドダガーの魔力暴走で機動力を削いでたこ殴りにする筈だったが──
「いやいや、実に良かったですよ今のは。あのまま受けてゲームを終了しても良かったのですが、思わず使ってしまいましたよ」
──ここまで実力差があるのは完全に計算外だ。
「…………さっきまで使ってたケースか」
状況的に考えてそれしか考えられない。ジュラルミンケースがどう変形したらあんな物になるのかはこの際考えないでおく。
「ご名答。私の武器はただのケースなどではありません。大剣、戦斧、槍、弓、鞭、盾……108の形態へ姿を変える悪魔の武器。私はこれを【デスペランサ】と名付けてます。名前に関しては【パンドラ】という案もありましたが、それだと相手に希望を持たせてしまうので【デスペランサ】で落ち着きました」
しかもどうでもいい解説まで入れやがって……これが強者の──いや、勝者の余裕ってやつか。
「それより少年、少々お伺いしたいことがあるのですが、何故出し惜しみをしてるのです?」
「……質問の意味が分からない」
「額縁通りの意味ですが?」
この状況で俺が出し惜しみをしてるって? 寝耳に水もいいとこだ。
手加減をする余地なんて微塵もない。どのみち相手は全力を尽くしても死にそうにない奴だ。殺したらどうしようとか、そんなことを考える余裕なんてなかった。
「ジャック・ザ・リッパー殿。彼の者は指定封印を受けている」
ここに来て初めて、一言も喋らなかった魔術師っぽい男が口を挟んできた。
その言葉を受けたファントムは意外そうな表情を浮かべるがすぐに呆れたように溜め息を吐く。
「事の重大さが分かってないのですかね、セダス国のお嬢さんは。帝国としては好都合ですが、私個人としては不満が残ります」
何を言ってるんだ、こいつらは……?
「なに、そう悲嘆することもない。磨けば光るものがあるならお主としてはこのまま放置しておくのもありだろう。第一、その者たちを殺せとは命令されてない」
「まぁ、そうですね。……ですが、見逃すに値するという確信が欲しいところです」
言いながら、ファントムは武器を構える。但し、それは先の鞭ではなく黒い霧。
それがどんなものなのか考察する余裕はない。ただ本能的にヤバいと感じた。脱力感と疲労がのし掛かる身体に鞭を打って魔石を使い、身体を起こす。
事態を重く見たフィリーがバトルソードを投げ渡す。奇しくもそれは黒い霧が襲ってくるのと全く同じタイミング。
霧が迫る。条件反射で振り払うように剣を振る。それだけで霧が弾けた。
「おや。聖属性を付与してますか。でしたら……」
黒い霧からコンバウンドボウ──アーチェリーで使うような弓──へ瞬時に姿を変える矢と思われるそれは魔力が具現化したものだろうか。そんなことはどうでもいい。
迷わず俺は駆ける。後先考えず、ひたすら全力で。
早鐘を打つ心臓の音も、痛みを訴える身体の悲鳴も全部無視してフィリーとミゼンを掬い上げるように担ぎ上げて駆け出す。
矢が背中に刺さったような気がした。アドレナリンが大量分泌されてるせいか、思ったよりも痛くない。棒きれのようにがちがちになった足で荒野を駆けるだけの惨めな敗走。傍から見ればそう思われても仕方ないがそれでいい。
例え今がどんなに惨めであっても、疲労で倒れて指一本動かせない状態になったとしても、生きていれば次に繋がる。それは勝ちと同義だ。
故に俺は逃げを選択する。叶わないという現実から目を背ける為ではなく、生きる為の逃避。
この時の俺は追撃のことを考える余裕などなかったが、今にして思うと追撃されなかっただけで一生分の幸運を使い切ったのではないかと思う。
「惨めな、敗走ね。……私も、アンタも」
「次会ったときに倍返しにすりゃいいだろ」
「簡単に言うわね。……倍返しってのは同意だけど」
「私も……友達を傷付けられたまま終われない…………」
三者三様。胸に秘める想いに差はあれど、思いは同じ。
やられたらやり返す。
文明人としては短絡的で好きにはなれない言葉だが、やれれっぱなしなのは性に合わない。いずれ訪れるであろう再戦の日に向けて、俺たちは決意を固めるのであった。