7.☆ 『星になっても愛してる。』
『人は死んだら星になるのよ』
微笑みながら、彼女はそう、言った。
「いーやいやいや。日本では死んだらよっぽどのことがないかぎり火葬だから。死んだって星になんてなれねぇよ」
だいたい死んだ人間が星になったところで燃えて宇宙で消滅するし。
あえて付け加える。
最近俺はこの女の摩訶不思議とも言える発言に慣れてきたんだと思う。
「ちょぉっとォ……なんでそんなこと言うかなぁ? こんな可愛くて健気な彼女の夢をブチ壊さないでよ」
「お前は俺の彼女じゃない上に可愛くも健気でもないけどな。俺はメルヘンに染まってるお前の頭を現実に戻してやってんだろが」
「ナっちゃんてばひどーい」
しくしくと泣く真似をするメルヘン女。朱瀬 ウタ。
ちなみにこの女、8年間病院生活で、なんか頭がおかしい。
そのくせパソコンで勉強なんかしてるからIQだけ高い(らしい)。ありえない。
そうやって言うと「天才とバカは紙一重なのよ」と言われるが。
「あっ、そうそう! まーちゃん28日退院だって!!」
「あっそう」
「なによぅ、もーちょっと喜んであげれないのぉ?」
まーちゃん。日高 マヒロ。
俺の悪友で、1ヵ月まえ交通事故に遭い九死に一生体験をした奴。
なのに軽い性格はかわらず看護婦をナンパする日々を送っている。
「なんか、お前としゃべってると俺は疲れる」
「やっだぁ☆ 病気うつっちゃったっ? おそろっ!?」
カラカラと楽しげにウタが言う。
……それ、伝染する病気なんですか。しかも、なんで嬉しそう?
どうせ何の病気か聞いても答えてくれなさそうだから、聞かないけど。8年間も入院してるくらいだから、ひどい病気なんだろうけど。
「……俺帰るわ」
「えー? もう??」
「もうってなぁ…、俺はマヒロの見舞いに来たのにそれをお前が無理矢理つれてきたんだろ。しかも見てみ? 8時だぞ? 面会終了時間だぞ? 俺の貴重な休日をなんだと思ってんだ?」
そーゆーわりには午前11時からずっといてくれてるけどネ★ やっさしーね! ナっちゃん!! 愛してるわ!! 要領悪くてクールなとこも大好きよ!!
「……いや、声に出てるから。」
「あらん?」
やはり、メルヘンに染まってるようだ。
「……ものすごく世の中の理不尽さを感じる…」
「なにに?」
なににって。そりゃ学校行ってないのに頭の良いキミにですよ。世の中はどーなってんですかね? 真面目に学校行って密かに皆勤賞狙ってる俺はなんでこいつより頭が悪いんですかね。
「……お前、何歳?」
「15歳っ★ ぴっちぴちの今が食べ頃の高1でス!!」
なんでこんな元気な女が8年間も入院しているのでしょうか神様。
「……なんで高3の問題が解けるわけ?」
「それはもう奇跡だね!! あたしってばやっぱ天才!?」
俺は溜息をつく。
夏休みもそろそろ終わる頃、課題もまだ終わってないというのに、俺は1日100通ものメールを送りつけてくるこの女にわざわざ会いに来てやった。持参したもの、勉強道具。
思いの外病院の個室というものは快適だから許すとしよう。
「んふっ」
語尾にはハートマークなんかつけてウタが笑った。
背筋に悪寒が走る。
「ナっちゃん、あたしね、あさって死ぬの」
唇が綺麗に弧を描いて微笑む。
「……あっそう」
別にこいつとは友達でもないし、ましてや恋人同士というわけでもないから、そんなことどうでもよかった。俺には関係ないと思った、その時の俺は。
「ナっちゃん大好きよ☆」
死ぬの、とか言ってるわりにはこの明るさ。
「嘘だろ」
言ってやった。
「いやんっ! あたしはナっちゃんにうそなんてつかないよん☆」
「じゃあお前なんの病気なんだよ」
「あれ? 言ってなかったっけ。心臓だよ。心臓病。穴があいてるの」
ウタはさらりと言った。
嘘とも、本当ともとれなかった。
「ナっちゃん愛してる〜☆ あたしと結婚して〜」
無邪気に笑って、そう、言う。
そこで、なにかが切れる音がした。
俺は帰る支度を始めた。今は、こいつと会っていたくない。
「帰るのォ?」
「あぁ」
「つまんな〜い」
ウタは口を尖らせたが、いつものようにしつこく俺を止めはしなかった。
俺はとにかく、ウタから離れたかった。何故かは、わからなかった。
ただ、無性に苛立った。
部屋を出る時、ウタはつぶやくように言い、俺に微笑んだ。
「人は死んだら、星になるのよ」
時間とは、それでも無情に流れて行って。
「あさって」なんかすぐに過ぎて行った。
あれから俺はウタの見舞いにも、マヒロの見舞いにも行かなかった。
しかし悪友の退院の日にはさすがに病院に行かないわけにはいかず、「のぞくくらいなら行ってやるか」くらいの軽い気持ちでいたんだ。
「よぉ。九死に一生男。退院おめでとさん」
お前はずっと入院してるくらいがいいんだけどなー、と冗談を言ってみたりする。
返事はない。ただマヒロは俺を見ていた。
「マヒロ?」
「なんで来なかった」
「は?」
突拍子もないその言葉に思わずマヌケな声が出る。
「来たじゃねぇか、花だって買ってやっただろが」
「オレのことじゃねぇよ」
悪友の、初めて見る顔だった。マヒロは怒っていた。
「ウタちゃんだよ。死ぬこと知ってたんだろ」
「……それ、何の話?」
時は、無情に過ぎていったんだ。
気付けなくてごめん。
気付かなくてごめん。
気付こうとしなくて、ごめん。
俺はマヒロに渡された手紙を握り締め、ウタがいるはずの病室へ走る。
途中、看護婦に怒られたが、気にしている余裕なんてなかった。
俺は無性に腹がたったんだ。
「死ぬ」だなんて、容易く言う彼女に。
──容易だったかなんて、俺にわかるわけもないのに。
病室は、願っていたよりももっと静かだった。
彼女の姿は、なかった。
死んだんだ。彼女は。
握り締めた手紙には、ほんの、1行。
それは何度も見た、達筆な彼女の字だった。
ただ一言だった。
初めての彼女からの手紙を読み、俺は彼女を想った。狂いそうなくらいに。
──泣いた。
「愛してる」とか、「好き」だとか。
簡単に言うから。
──泣いて、
笑ってる彼女が、好きだったんだ。
──泣いてんの誰だよ。
──俺だよ。
──なんで。
彼女を、俺は好きだったんだ。
手紙にはただ1行。
『星になっても愛してる。』
そう。
彼女は星になったんだ。
なぁ、星になったってんなら、今すぐ俺んとこに落ちてきてよ。受け止めるから。