12. ジャンキー、ぼくらに花束を
「3人で結婚できる国ってないかしら」
レナの頭の向くところであぐらをかいて、長い髪を靡かせるその小さな頭を規則的な動きで撫でるソラの手をぼんやり眺めていると、昼寝をしていたレナがつぶやいた。
「ソラとリョウとアタシで結婚するの」
グロスを塗った紅い唇で流暢な日本語をつむぐと、壁にもたれているソラのひざあたりを枕に寝返りを打って身体をよじり、より心地良い位置を探す。
「それで赤い屋根のおうちで、おおきな犬を飼うの」
まるで独り言のように、返事も求めずレナはつぶやき続けた。
ソラの右手は相変わらずレナの頭を優しく撫でていて、それが気持ちいいのか、つぶやきながらも瞳をあけることはない。
「夏には庭で花火をやって。おっきいやつよ。打ち上げるの」
いつかの夏の真夜中、3人でやった打ち上げ花火を思い出しているのだろうか。
ソラが空を見上げた。ソラの頭の中にはどんな花が彩ったのだろうか。
「仕事なんかしたくないわ。ずっと3人で遊んでいたいもの」
その言葉はぐしゃぐしゃに丸めて投げ出されたあの紙くずに向かっているのだろう。
高3のぼくらには、あまりにも敵が多すぎる。
「夏はクーラーを20℃にした畳の部屋で、お昼寝をするの。みんなでよ。みんな寝るの。ひとりでは淋しいもの」
赤ん坊のようにオレの人差し指をにぎっていた手が、『ねぇ?』と同意を求めるように小さくゆれた。オレはその人差し指を2回曲げて、返事をする。
「でもリョウだけは羽毛布団を被るのよね」
目の前で規則的に撫でていたソラの手が動きを変えた。耳から落ちて頬にかかったレナの髪を、そっと耳にかけ直してやっている。
「冬はこたつ。3人でみかんを食べるの。ソラは不器用だからリョウに剥いてもらってね。それでアタシはリョウにかき氷を作るの。シロップもたくさん用意してね」
ストロベリー、チェリー、レモン、メロン、ピーチ、グレープ、グレープフルーツ、ミゾレ、ミルク、ブルーハワイ、宇治金時。ひとつひとつ、思い付くままにレナは声に出して挙げていく。
「リョウは正反対が好きね。夏に羽毛布団とか、冬にかき氷とか」
別に正反対が好きなわけじゃない。ただ、逆のものが欲しいだけ。ないものねだりなだけ。
「だけど食べすぎちゃだめよね。みかんは指がきいろくなっちゃうし、かき氷はせっかくこたつであっためた身体が冷えちゃうわ」
頭の中で指折り数えただろう多すぎるシロップを全部平らげるには、冬のうちの何日を費やすのだろう。
「あとシシザリューセーグン。おうちの屋上でね、3人並んで夜更かしするの。きっと楽しいわ」
小4の夏、ソラと一緒に獅子座流星群を見たとき、レナはいなかった。
レナは、ソラとオレが小6のときイギリスから日本に来た。日本語をしゃべれもしないのに、必死に、カルガモのヒナみたいに後ろを付いて来たのを覚えている。ソラはそんなレナに日本語を教えて、覚えた日本語でレナはオレに話しかけた。
まだまだカタコトでしかしゃべれない中1の頃、ソラが話した獅子座流星群の話に憧れて、何度も何度も見たいと駄々をこねた。何度も何度も仲間外れは嫌とべそをかいた。
「そうやって毎日3人で過ごすの」
そう言うとレナはまた寝返りを打って、ソラと向き合っていた身体を反転させた。にぎられたままのオレの指はレナの寝返りと一緒に動いて、止まる。
「好きよ」
ソラの手はやっぱりレナの頭を撫でていて。
「2人とも大好き。愛してる。ずっと一緒にいたいの」
まるで小さい子供が拗ねるみたいに言う。
「でも春が来たら一緒にいれなくなっちゃう」
ぼくらは進路が違う。
ソラは頭が良いから、プラネタリウムを創りたいという夢を叶えるための道へ着々と進んでいる。オレは、夢なんて高尚なものじゃないけれど、テキトーに大学に入って、それから親が経営してるそこそこ繁盛しているバーを手伝って、ゆくゆくは親父の願いも聞いて継ぐつもりだ。
でもレナは、この高3の秋、就きたい仕事も将来の夢もなにもないと焦っている。
違う進路をとるだけで、それだけで一緒にいる時間はだいぶ減ってしまう。学校がちがったら、なおさら。クラスが違うと嘆けもしない。ろうかですれ違うこともない。屋上でサボったところで、ひとりぼっち。
「3人で結婚できたらいいのに」
その言葉は、それこそつぶやくような小さい声だった。
「なんで2人じゃないと結婚できないのかしら。愛は2人の間で成立するなんて偏った考えよ」
一夫多妻制という国があるけれど、妻たち全員が自分以外の妻を愛しているわけじゃない。
「本人たちがいいって言ってるんだから許してくれたっていいじゃない。ケチね」
レナは少しだけ唇を尖らせて言った。
「アタシはリョウとソラを愛していて、ソラもリョウとアタシを愛してくれていて、リョウだってソラとアタシを愛してくれてる。なんでそれじゃいけないのかしら」
なぜなのかその答えを求めるように、レナがオレの指をにぎる手に少し力をいれた。理解のない国に、力んだようにも思えた。
「単純なことなのに。法律は酷いわ」
法律という言葉に、その法律を決める頭のカタい人間への皮肉が入っているようだった。
「どこか遠くへ行きたいわ。法律とか、ルールとか、なーんにもないところ。3人で」
息を吐くように軽く、溜息を吐くように重く肩を揺らして言った。
「ウソ」
レナが一層身体を丸くした。
悲しそうな口調で言った言葉は、どこもセリフと噛み合っていない。
「今の全部独り言だから気にしないで」
にぎりしめていたオレの指をゆっくり離してそう言う。それでもまだ規則的なソラの手は動いたままだ。
「2人と離れちゃうのが淋しいからワガママ言っちゃっただけなの。聞かなかったことにして」
自分も言わなかったことにしようとしているのか、また昼寝をしようと身体をよじってひざを胸まで曲げて顔をそのひざにうずめるようにした。音の振幅の図のように波打つ髪が、頭の動きと一緒に流れる。
「……やっぱりウソ。忘れないで」
もう寝たかなと思うくらいに沈黙したあと、かすれてしまうくらい小さな声で言った。
その声が泣いてるみたいに悲痛だったから、人差し指の関節でレナの目許をぬぐってみると、まつげは濡れていたけど、こぼしてはいなかった。
「……好きよ」
忘れないでと言ったその願いはただのワガママでしかないとわかっているけど、その思いは決して独り善がりじゃないとも知っている。でもそれを確信するには言葉にしてもらわないと信じれないという気持ち。レナは臆病で淋しがり屋だ。
だからレナが淋しくないように、その細い手をにぎりしめる。にぎりしめて、あぐらのまま上半身をかがめてレナのこめかみに唇を落として、言葉もなく愛してると言ってみる。独り善がりなんかじゃないと伝えてみる。
唇を離すと、レナの頭を撫でたいたソラの手が、オレの頭を撫でた。ソラの手は、大きくて暖かい。不眠症のレナを眠らせてしまったくらい心地良い。まるで魔法の手ね。そのレナの言葉は、まちがっていないと思う。
ソラは自分の頬をオレの頭に寄せて、それから顔を隠して鼻をすするレナの頭に優しくキスをした。唇を離して顔を上げると、レナの肩をつついた。
「おいで」
優しい言葉。
ソラが手招きすると、レナは細い身体をよじって、小さい子供みたいにソラの腹に抱き付いた。それでも右手だけはオレの手をしっかりとにぎり返していて、離しそうにない。
「ん。リョウも」
ソラが左手を広げてオレを呼んだ。手首を動かして、おいでと言う。
オレはその手に吸い寄せられるようにしてソラの傍らに寝転がり込んだ。右側に座っているソラの影で、顔に陽が当たらなくて済んだ。
つないだままの右手を少しだけ持ち上げてみる。レナの手は太陽の光を透かしそうなくらい白くて、黄色人種のオレとはやっぱりちがった。
「…大好きなの。ずっとずっと、一緒にいたいの」
ソラの腹に顔を押しつけているせいか、声は少しくぐもっていて、小さい声は余計聞こえにくかった。腹に押しつけた目は泣いているようで、声と一緒に鼻をすする音と、しゃくりあげる声も聞こえる。
「今のところ3人で結婚はできないから、指輪をしよう」
ソラがそう言って、また空を見上げた。
ソラは、空。
薄い青に、ところどころ白がちらばっていて、その淡い色は、ソラにそっくりだ。でもきっとソラの空は、春の空。
「リングの内っかわに名前が彫ってあるやつ」
ソラの右手の定位置はやっぱりレナの頭の上で、髪を撫でるかすかな音が聞こえる。
「大丈夫だよレナ」
疲れたのか、うとうとし始めているレナの背中に手を回して軽く抱きしめると、聞こえているのかどうかわからない耳にソラがそう言った。
オレは左手でレナのきれいな髪を少しすくって、指先で遊ぶ。指を回す度に巻き付いていく髪がおもしろい。巻き付けては戻して。巻き付けては戻してをくり返していると、ソラがそれに気付いて、オレの頭を撫でた。
「レナが起きたら、裏庭の土を踏みに行こう」
春に見た裏庭には、たしか一面の白詰草が咲いていた。
「それで春になったら四つ葉を探そう」
地面を踏むと四つ葉のクローバーが咲きやすいという話が本当かどうかは知らないけど、レナはよろこびそうだ。ソラも、めったに笑わなくていつも無表情だけど、四つ葉を見つけたら笑うかもしれない。
そこまで考えると、あくびが出た。手の心地良さと陽の暖かさが相俟って、まぶたが重い。そんな極度の眠気と葛藤していると、ソラがおやすみと言った。
その言葉を聞いて、じゃあ寝ようかなと思うオレは、いつかソラが言ったように、確かにレナと似ているのかもしれない。
夢うつつの中、キンモクセイの香りがした。
愛なんてもんの実体は知らないけど、この2人が大切だって、馬鹿みたいにそれだけ。
きっと今日は春の夢。