第6話:夢のキッチンカー
朝の心地よい冷気が残るシェルターの中で、レンは1つの悩みに直面していた。
それは、目の前にいる2人の「呼び方」についてだ。
「……あのさ、ミナ。あと琥珀も。もう『様』付けで呼ぶのはやめてくれないか? 俺はただの料理人だし、君たちはもう仲間なんだから」
レンが困り顔でそう告げると、ミナは灰色の耳をぴんと立てて、激しく首を振った。
「そんな、滅相もございません! レン様は、死にかけていた私を救い、あんなに温かくて美味しいものを食べさせてくださった恩人です。呼び捨てにするなんて、バチが当たります!」
ミナの瞳は真剣そのものだ。彼女にとって、レンが提供する料理はこの世界の常識を覆す奇跡であり、それを作るレンは聖者か何かに見えているのだろう。
『左様でございます、主。我も同じ思いです。貴殿が与えてくれる供物は、我ら魔物の魂を一段階上の階梯へと押し上げる神の雫。その作り手を呼び捨てにするなど、我らの誇りが許しません』
琥珀もまた、巨大な体を伏せながら重厚な声で同調する。
「いや、誇りとかバチとか大袈裟だって。レンでいいよ、レンで。……せめて、レンさんとかさ」
「い、いえ! レン様はレン様です!」
「主は、主でございます!」
結局、1時間ほど押し問答を続けたが、2人の態度は岩のように固かった。レンは深いため息をつき、後頭部を掻きながら諦めることにした。日本人の感覚としてはこそばゆくて仕方ないのだが、彼らにとってはこれが最大限の敬意の表し方なのだろう。
「分かったよ……。好きに呼んでくれ。その代わり、遠慮もしないでくれよ」
そう言ってレンは、キッチンのカウンターに置いたスマートフォンを手に取った。
現在の保有ポイントは、先ほどの杏仁豆腐や設備の追加で少し減り、12,300ポイント。
当面の生活には困らない額だが、この先のことを考えると決して潤沢とは言えない。
レンは、万象市場のアプリを隅々までチェックし始めた。女神から授かったこの能力には、まだまだ俺の知らない機能や商品があるはずだ。
「……ん? 車両・特殊移動ユニットのカテゴリー……」
そこをタップしてスクロールしていたレンの指が、ピタリと止まった。
画面に映し出されたのは、1台の車両だ。
それは、レンが日本で修行をしていた頃、自分の店を持つ夢を膨らませていた時に、何度も何度も雑誌やネットで眺めていたものだった。
「これ……キッチンカーじゃないか。それも、俺が理想としてた特注モデルの……」
それは、大型のキャンピングカーをベースに、厨房設備をプロ仕様に改造した「移動式レストラン」だった。
車体は堅牢な全天候型で、側面は大きく跳ね上がってカウンターになり、車内には高出力のコンロ、冷蔵庫、オーブン、さらには洗浄システムまで完備されている。
当時のレンは、資金面での不安から、店舗を構える以外の選択肢としてこのキッチンカーを真剣に検討していた。これがあれば、どんな場所へでも行き、飢えている人や美味しいものを待っている人に直接料理を届けることができる。
「50,000ポイント……か」
レンは、その価格を見て思わず声を上げた。
砂漠を爆走するために注文したあの4輪バギーが10,000ポイントだった。それと比較しても5倍の差がある。だが、画面を詳細に確認すると、バギーとは比較にならないほどの多機能性が備わっているのが分かる。
魔力駆動による永久機関(ガソリン不要)、自動修復機能、さらには居住スペースの拡張魔法まで組み込まれているらしい。
「今の12,300ポイントじゃ、全然足りないな……」
レンは、画面を閉じながら考え込んだ。
このポイントは、料理を誰かに提供し、その相手が「幸福」を感じることで加算される。
つまり、もっと多くの人に、もっと美味しいものを食わせれば、あの夢のキッチンカーに手が届くのだ。
だが、ここで問題が発生する。
ネットスーパーで食材を注文すれば、それだけでポイントを消費してしまう。
初期保有ポイントを使い切る前に、効率よくポイントを稼ぐ方法を考えなければならない。
「……琥珀、ミナ。ちょっと相談なんだ」
レンの声に、2人が居住まいを正した。
「今の俺たちの食料は、全部俺のスキルで呼び出してる。でも、それだとポイント……ええと、俺の力がどんどん減っていくんだ。だから、この世界の食材をうまく組み合わせて使いたいと思ってる」
レンは、ミナと琥珀に、この灰の砂漠の周辺で手に入る食材について尋ねた。
『主よ。この砂漠自体には、砂の下に生息する「サンドミート」や、水分を蓄えた「月光サボテン」程度しかございません』
「……ですが、レン様。この砂漠を抜けて北西へ向かったところに、ギルガデス王国の植民地となっている平原があります」
ミナが少し顔を曇らせながら、地図を指し示した。
「そこは人族の領土ですが、主に私のような『獣人族』が強制的に住まわされ、開拓をさせられている場所です。そこなら、人族の国では手に入らない珍しい山菜や、力強い肉を持つ野獣、それに質の高い岩塩が採れるはずです」
「植民地か……。人族の国が武力で支配してる場所なんだな」
レンの脳裏に、あの傲慢な王と騎士たちの顔が浮かんだ。
彼らが獣人たちを不当に扱い、美味しいものを独占している。
そしてミナの家族も、おそらくはそのような場所で今も飢えに苦しんでいるのだ。
「よし、行こう。こっそり潜り込んで、食材を調達する。ついでに、そこで腹を空かせてる奴がいたら、俺の飯を食わせてやる」
レンの言葉に、ミナの瞳が輝いた。
「いいんですか、レン様!? でも、あそこには王国の監視兵もたくさんいますし……」
「大丈夫だ。俺たちには、このバギーと琥珀がいる」
レンは即座に準備を整えた。
シェルターに留守番をさせることも考えたが、琥珀の移動速度と索敵能力、そしてミナの現地知識は不可欠だ。
砂漠用4輪バギーに、レンとミナが乗り込む。
琥珀は、目立たないように空高くから見守り、いざという時は急降下して支援する手筈となった。
「しっかり捕まってろよ、ミナ。バギーの揺れは結構激しいからな」
「はい! レン様!」
ブロロロ……ッ!
レンがアクセルを回すと、大排気量のエンジンが唸りを上げ、砂を高く跳ね上げた。
10,000ポイントもしたバギーの性能は凄まじく、砂丘の起伏を物ともせずに加速していく。
熱風が頬を叩き、視界の先には陽炎が揺れている。
だが、今のレンの心は、ポイントの節約という打算よりも、新しい食材への期待と、虐げられている者たちに「温かい飯」を届けたいという純粋な情熱で燃えていた。
「ポイントを貯めて、あのキッチンカーを手に入れる。そうすれば、世界中どこへだって飯を作りに行けるからな」
バギーのエンジン音に負けない声で、レンは自分に言い聞かせるように叫んだ。
数時間の走行の後、砂漠の砂の色が少しずつ褐色から土の色へと変わり始めた。
点在する岩山を越えると、眼下には広大な平原と、粗末な柵で囲まれた巨大な居住区が見えてきた。
そこが、ギルガデス王国の植民地「ハルナ準州」だ。
遠目からでも、監視塔に立つ騎士たちの光る鎧と、力なく農作業に励む獣人たちの姿が見える。
「……あそこです。私の仲間たちが、奪われ続けている場所」
ミナの声に怒りと悲しみが混じる。
レンはバギーを岩陰に停め、双眼鏡(500ポイントで注文)を取り出して様子を窺った。
「監視兵は……20人くらいか。あいつら、自分たちは日陰で酒を飲んでやがるな」
監視兵たちが囲んでいるテーブルの上には、豪華なパンや肉が並んでいる。
一方で、畑で働く獣人たちは、泥のついた根菜のようなものを生で齧っているのが見えた。
「……許せねえな。料理ってのは、誰かを笑顔にするためにあるもんだ。力で奪って、1人占めするための道具じゃない」
レンは、スマホの画面を見た。
残りポイント:11,800ポイント(双眼鏡代を差し引き)。
「琥珀、聞こえるか? 空から見張っててくれ。俺たちはこっそり裏から侵入する。……今夜の献立は、ここの連中の度肝を抜くような、最高にスタミナのつくものにしてやる」
『承知いたしました、主。我も、あの傲慢な者どもの臭いには反吐が出ます。主の「戦い」を、全力で支援いたしましょう』
レンはバギーを降り、ミナを連れて岩場の影を縫うように移動を開始した。
美食の王国の建国は、この不当な支配への「静かなる侵略」から始まろうとしていた。
レンの目的は、戦争ではない。
ただ、世界で1番不味い思いをしている連中に、世界で1番美味い飯を食わせること。
それが、結果としてどんな魔法や武力よりも強力な革命の火種になることを、レンはまだ確信していたわけではない。
だが、彼が握る「現代の調味料」と「真心を込めた技術」が、この国の理不尽な秩序を根底から揺るがすのは、もはや時間の問題だった。
第6話:記録
主人公:相良レン
相棒1:琥珀(琥珀の天龍)
新たな仲間:ミナ(灰猫族の少女)
拠点:砂漠のシェルター(現在留守中)
目標:50,000ポイントのキッチンカー獲得
保有ポイント:11,800ポイント




