第18話:糖分とろうよ
壊滅的な被害を受けた広場に、ボロボロになったカメレオン・スーツを脱ぎ捨てた男がふらりと姿を現した。外交大臣ベルナルドの右腕、ヴェイルだ。彼は脇腹を押さえ、苦悶に表情を歪めながらも、レンに向かって鋭い視線を向けた。
「……そこまでだ。相良レン、およびその仲間たち。無駄な抵抗はやめてもらおう。これより君の身柄は、ギルガデス王国外交部が『保護』する。大人しく同行願いたい」
レンはフライパンを持ったまま、怪訝そうに首を傾げた。
「……え、誰?」
「主を連れ去ろうとした魔族の次は、王国の犬か!」
琥珀が低く唸り、黄金の魔力を爪に宿す。
「いい加減にして! ここには普通に暮らしている人たちがいるのよ! 魔族の誘拐だの、勇者のワガママだの、今度は王国の強制連行!? あんたたちの都合で、この場所をめちゃくちゃにするのはもうやめて!」
ミナが涙を浮かべながら叫んだ。その背後では、怯えきった獣人の子供たちが、破壊された家々の陰から震えながらこちらを見ている。
「主に指一本でも触れさせてみろ。貴様ら全員、この砂漠の塵にしてくれるわ」
琥珀の殺気がヴェイルを射抜く。ヴェイルは冷や汗を流しながらも、任務を遂行しようと魔法障壁を構えた。
緊迫感は最高潮に達し、再び血が流れる直前。
レンが両手を高く上げ、親指と人差し指で「T」の字を作った。
「ちょ、ちょっとタンマ! 皆、一旦ストップだ!」
場が凍りついた。レンは屋台のカウンターを叩き、深呼吸をしてから突飛な質問を投げかけた。
「……なあ、そこにいる精鋭部隊の皆も、避難してる獣人の皆もさ。……今、何か食べたいもんとかあるか?」
「はあ!? 何を言っている、この状況で……」
ヴェイルが呆然とする中、レンは続けた。
「皆、多分冷静じゃないんだよ。殺気立ちすぎてて、脳に栄養が行ってない。……決めた。一旦、お菓子パーティーを開く。戦うのも連行するのも、その後だ」
「レン様、お菓子……ですか?」
ミナが目を丸くする。レンはスマートフォンの画面を操作した。
「ああ、糖分が必要だ。マイナスポイントは……くっ、15,000が限度か。ギリギリまで突っ込んでやるよ!」
緊急開催:砂漠のスイーツパーティー
レンは万象市場の「最高級パティシエ・セット」と「業務用乳製品・果実パック」を同時注文した。
北海道産極上発酵バター(1kg)
濃厚な純生クリーム(5リットル)
完熟ハニーナッツと特製メープルシロップ
ベルギー産ダークチョコレート
契約農家の極上薄力粉と地鶏の卵
合計:6,600ポイント
累積債務:マイナス15,000ポイント(限度額到達)
「よし、これが最後の一勝負だ!」
レンは熱した鉄板の上に、たっぷりのバターを滑らせた。
黄金色のバターが泡を立てて弾け、ナッツのような香ばしい匂いが広場全体に広がる。
そこに、空気をたっぷり含ませて混ぜ合わせた「特製パンケーキ生地」を、厚みを持たせて落としていく。
じっくりと弱火で熱を通すと、生地はみるみるうちに膨らみ、赤ちゃんの肌のような柔らかそうな質感へと変わっていく。
「……いい匂い。なんだか、怒るのが馬鹿馬鹿しくなるくらい甘い匂い……」
リクやセーラが、吸い寄せられるように屋台へ近づいてきた。
レンは焼き上がったパンケーキを高く積み上げ、その頂上に冷たい生クリームを山のように絞り出した。仕上げに、熱々のチョコレートソースをこれでもかと回しがけ、砕いたハニーナッツを散らす。
さらにもう一品。余った卵黄と牛乳、バニラビーンズを使い、その場で「即席濃厚カスタードプディング」を蒸し上げた。
実食:甘美なる静寂
「さあ、食え! 精鋭部隊の皆も、ヴェイルさんも、タカシも……あと、そっちの魔族の嬢ちゃんもだ!」
レンは、いつの間にか目を覚ましていた魔将の少女と、戦意を喪失しているタカシの前にも、特大のスイーツプレートを差し出した。
「……私に、食べろというの?」
魔将の少女が、震える指でパンケーキを口に運んだ。
フワッ……。
噛んだ瞬間、雲を食べているような軽やかな食感と共に、バターの塩気とメープルの甘みが脳を直撃した。
「…………っ!!」
少女の紫の瞳が潤み、禍々しい魔力が霧散していく。
「甘い……。温かくて、甘くて……魔界の毒々しい果実とは、全然違う……」
タカシもまた、泣きながらパンケーキを頬張っていた。
「これだよ……これなんだよ、俺が食べたかったのは……っ! 王宮の不味いメシのせいで、俺、頭おかしくなってた……!」
ヴェイルも、部下たちの手前、最初は拒んでいたが、レンに無理やり皿を握らされ、一口食べた瞬間に膝をついた。
「……負けた。この幸福感の前で、忠誠心を維持するのは……不可能だ……」
琥珀とミナも、レンの隣で幸せそうにプリンを堪能している。
広場を支配していたのは、殺気ではなく、カチャカチャというフォークの音と、甘い香りに満たされた安らかな沈黙だった。
レンは空になったカゴを眺め、満足げに微笑んだ。
ポイントはどん底。借金は限界。
だが、目の前では人族も、亜人も、魔族も、そして勇者も、同じ「甘い」という感情で結ばれている。
「腹が満たされたら、少しは建設的な話ができるだろ?」




