いつも通りに素行調査をするだけの簡単な任務、余裕ですわ
とある貴族が住む、邸宅の中の一室。
私の視線は机に向かう彼の背中を、完全に捉えていた。
——ヨシ! 潜入成功ねッ!
ホッと、息を吐くのも束の間。
ここは敵地であり、一つの油断が身を滅ぼすことだってある。
もし、見つかればどうなることやら——
ヘマをして見つかった者の末路は、私もいくつか耳にしたことがある。
あれやこれやと剥がされて、身一つで放り出される——だけなら、まだ良い。
最悪の場合、人の尊厳を踏みにじられて、好き放題された挙句、極刑確定の裁判へと駆り出される——考えるだけで恐ろしい。
だけど、そんな裏の世界で私は辛うじて、まだ生きながらえていた。
息を呑んで、調査対象者に悟られぬように観察を始める。
私はとある任務を遂行するために、危険を冒してまでこの場に来た。
その任務の内容は——
——婚約者のカイゼルという、伯爵令息の素行調査をして欲しい。
とのことだった。
依頼主はカイゼルの婚約者。
要するにだ。依頼者から見て、カイゼルが不穏な行動を取っているので、調べて欲しいとの話だ。
最近は、この手の依頼が割と少なくない。
男女関係なく、婚約を結んだ後でも他の異性を欲し、良からぬことに身を興じる、不純な者が多いのだろう。
依頼者からの話を聞いた時。この手の依頼がまた来た、と思うと同時に、それでも内心では笑みを浮かべていた。
——だって、簡単だもの。私にとっては、だけど。
今もそうだ。
カイゼルの部屋の中に、堂々といすわっているにも関わらず、全く気づくそぶりも見せず、私には目もくれない。
まるで私がこの部屋の中に、存在していないかのように彼は過ごしている。
けれど、気づけないのも無理はなかった。
私を視認出来ない——だからカイゼルにとっては、いつも通りの日常でしかない。
透明化の能力——
私の持つこの能力を使用すれば、伯爵家のどんな警備体制であろうと簡単に潜入可能。
こうして調査対象者の最深部へと、易々と忍び込める。
侵入難易度もそれほど高いものではなかった。
とまあ、こんな感じで幾度となくこなしてきた素行調査なら、私にとってはお手のもの。
数々の実績が、裏の世界の中で噂となっていった。
仕事の早さ、正確性——そして、高い成功率。
どれをとっても文句を言う余地すら与えない、完璧な仕事ぶりだ。
私への依頼は次第に増え続け、一依頼に対する単価も相応の額へと膨れ上がっていた。
今回の依頼主からも、多額の報酬の一部をすでに前払いで貰っている。
依頼を受ける受けないの判断は、当然ながら私が決めることだ。
そうなると、全て引き受けるわけにもいかず、断りを入れなければならない——だが、彼らも引くつもりはない。
私に頼みたいとの思いから、依頼者たちも好条件の提示祭り。
依頼者同士で火花を散らし、取り合いとなって熱を帯びていた。
依頼者からすれば、それほどまでに私は価値のある存在らしい。
何かあった時に先手を打つ必要があり、相手の弱みを先に握っておく。
そのためにはどんな手段も厭わず、彼らは躍起になっていた。
私からすれば、どんな任務であろうと天秤にかけた上で、利益があるなら問題ない。
まあ、ぶっちゃければ——儲かれば私は何でも良いのだけど。
しばらくカイゼルを観察していると、ちょっとした違和感に気づく。
何かに向けて、話したり、笑ったり、時折大声を出したり、と。
はたから見れば、異常とも取れる言動を繰り返していた。
「——はははっ、ハハハッ!」
遠くから覗き込むようにして、探っていると。
あれは——魔導具の一種だろうか?
誰かと話をしているように見えるけど、裏の世界に属する私でもそのような魔導具は聞いたことない。
離れた場所でも会話が可能な魔導具。上流階級の貴族様の間では、そんな高度な物が出回っているというのか——はぇえ、凄っ。
「それでさぁ〜! 俺もう婚約者とやっていける気がしないのよ〜!」
何やら話題は私の依頼主のようで、魔導具の相手と会話が盛り上がっているようだ。
私が聞いているとも知らずに、ベラベラと——
そのほとんどが聞くに耐えない残念なものばかり。
性格がどうだの、顔がどうだの、淑女としての振る舞いがぁ〜、みたいな話で、カイゼルの人間性を疑いたくなる。けれど——
——まあ、確かに。
カイゼルの愚痴にも、妙に納得する部分が私にはあった。
依頼主がどことなく、他者を見下しているような印象は、依頼の相談の際にも感じていた。
「だからさぁ〜、そろそろ乗り換えようかなッ、てね。シャルロットとか良いよなっ!」
依頼主にも問題があろうと、引き受けた以上はきっちりとこなす。
けれど、依頼主が抱いていたカイゼルに対する不信感は、どうやら当たっていたようで率直に感心したわ。
——しかし、依頼主の次がシャルロットとは、随分と差がありませんかね〜?
貴族の中では一番の人気を誇るとされる令嬢。
数多の異性が玉砕され、その敷居が高く、近寄りがたい存在と言われている。
まさしく、”難攻不落の令嬢“と異名を付けられることだけあった。
まあ、頑張ってね。
私は今回得た情報を、依頼主の元へと持ち帰るだけ。
素行調査としては十分な成果だ。
後はこの情報を持ち帰り、依頼主がどう行動に移すかだが——
「——あっ、そうそう!」
それは突然の出来事だった。
瞬間、私の鼓動が一度、大きく跳ね上がる。
唐突にカイゼルは立ち上がって、空間の一部を指差していた。
なんてことは無い。
今誰かが部屋に入って来て、この状況を見れば、カイゼルが一人で決めポーズをしている痛い奴にしか映らないはず——
しかし、彼の指先はキッチリと、寸分違わず私の頭部を捉えていた。
——ぐ、偶然……よね……?
試しに、その場で横歩きをして、カイゼルの指先から逃れようとしてみるが——
——はぁ!? なんで!?
内心で絶叫した。
どれだけ慎重に、音を立てずに部屋の内部を動いても、ピッタリと追いついて来て、彼の指先の照準からは逃れられない。
透明化の能力は、今もしっかり発動しているにも関わらずだ。
一度、部屋に設置された姿見に視線を移すが、やはり私の姿は無かった。
「おっと、動かないでね? 動くと簡単に、君の四肢は毟れる」
耳元で囁かれているような優しい声音だが、途轍もなく恐ろしい言葉を口にする。
だけど、それが何だと言うのだ。
これくらいの修羅場、幾度となく潜り抜けて来た私には——イッタッ!
試しに指先の一部をゆっくりと軽く曲げてみたら、糸で引っ張られたような細く切れた傷口とともに、血が滲み始めていた。
「ボクくらいになると、気配で察知できちゃうんだ。この部屋には異物が混じっていることをね」
安易には動けない。
理屈は分からないけど、カイゼルがこんな化け物染みた力を持っていたなんて、私は知らないっ!
カイゼルの話通りなら、些細な指の傷だけでは済まない。
その場で硬直するしかなかった。
「透明化を解除してくれないかな? 君をこの部屋のオブジェとして飾っておくわけにもいかないんだ」
諭すように優しく微笑みかけるカイゼルだけど、私には逆に不気味に思えた。
透明化の解除、それはもう私の負け——すなわち、任務の失敗を意味している。
任務成功率百%を誇っていた私にとっては、屈辱以外の何者でもない。
そして、任務の失敗した者の末路は——考えたくもない光景が、頭の中に過っていた。
「へぇ〜、意外だな……」
「——なッ、何がよっ!」
感情が昂り、思わず怒りを撒き散らしてしまう。
私はカイゼルの言う通りに、透明化を解いていた。
「もう、動いても大丈夫だよ、拘束は解いたから。けど、逃げようと思わないのが懸命だね」
恐る恐る、ゆっくりと身体を動かしてみる。
普段使わない筋肉に無理させたせいか、全身に凝り固まったかのように重い。
「一つ、訊いてもよろしいですの?」
「——いいよ。訊きたいことは何だい?」
「最初から、私の存在に気づかれていたの? 貴方が誰かと会話している時もずっと——」
「——ああ、これかい?」
そう言って彼は手に持った魔導具を私に見せてくる。
細長い薄い板のような形状。あんなので会話が成立すると言うのだから驚きだ。
「ボクは初めから、誰とも話してなんかいないよ」
「——えっ……でも、ずっと貴方……一人で……」
「あれは全て独り言だ」
あれはただの板でしかない、とクルクルと指先で器用に回す。
いたずら好きの子供のように、笑いながらタネを明かしていた。
「あんな表に出せないような陰口を、誰かに話してたと知れたら、それこそ我が伯爵家一族の格式が下がる」
それが私の疑問に対する、彼の答えだった。
一芝居を打った時点で私の存在自体、彼は気づいていたのだろう。
踊らされた上での完全敗北だった。
「そう、でしたのね……参りました…………」
したり顔のカイゼルに、ポツリと言葉を発することしか出来なかった。
本能的にこの人には勝てない。そう実感させられた。
これからの流れは、もう一つしかない。
失態を犯した私は、彼の思うがままに蹂躙され、見るに耐えない姿へと変えられて——
「——エクセリア。ボクの右腕として使える気はない?」
「…………ふぇっ?」
すでに、どんな処分が下されようとも覚悟を決めていた私に、カイゼルは問いかける。
けれど、それよりも。
エクセリア、と。久々に自分の名前を呼ばれたような気がした。
「なぜ、私の名を……」
「一目見ればすぐに分かる。ルーリット家——令嬢エクセリア。位は男爵。噂通りいろいろあったようだが」
正確には元男爵令嬢、だけど。
私はすでに、ルーリットの家から追い出された身。家名を名乗る資格はない。
両親の期待に応えられなかった私は、すでに見限られた存在だった。
「このまま処分を下すのは容易い」
気づけば彼は、私に手を差し伸べていた。
一点の曇りもなく、純真無垢な真っ直ぐな眼差しで見つめ笑みを浮かべる。
「——なにを……情けをかけるつもり…………?」
「その能力は使える。ここでエクセリアを終わらせるのは惜しい、そう思ってな」
「けれど、私は貴方に不利益を被ろうとした存在。そのような者を右腕にするなど、狂っているとしか——」
正気を疑う私からの言葉に、カイゼルは本当に狂ったように笑っていた。
「エクセリアが伯爵家に加わってくれるのなら、ルーリットの人たちを、見返すことも出来るだろう。お前にとっても、悪くない話だと思うがな」
まあ……確かにね。
彼の提案はこの絶望的な状況から、突如垂らされた蜘蛛の糸だった。
都合が良すぎるような気もするけど、魅力的な提案には違いない。
「その透明化の能力——これからはボクにために振るってくれないか?」
どの道、私には選択肢は無いようで。
そのキラキラと輝かせた目を向けられて、断れるほどの胆力は持ち合わせていない。
故に、私は覚悟を決めた。
「飼い犬に噛まれたとしても、文句は言わないことねっ」
「その時は、その時だ。しっかりとしつけさせて貰う」
私はカイゼルの手を取って立ち上がる。
彼は最後に一言、「よろしくっ」と小さく呟いていた。
こうして私は伯爵家の一員となっていた。
初の任務失敗。
当然ながら依頼主の逆鱗に触れ、熱いお言葉で罵られてしまったが、後にカイゼルに尋ねると、依頼主は婚約者でも何でも無かったらしい。
一方的に依頼主が好意を寄せていた、言わばつき纏い(ストーカー)だった。
それから月日は流れ、カイゼルの右腕として尽力する日々が続いていると、巷では妙な噂が流れ始めていた。
——エクセリアがカイゼルと婚約関係に至った、と。
一緒に行動する機会が増えた弊害なのだろう。
その噂を耳にした両親からは、家に戻ってくるようにと、鬼のような量の手紙が送られて来た。
これに関してはいい迷惑だったのだけれど、それ以外は悪い気はしない。
手紙は全て無視し続けたけど。
カイゼルからしてもこの噂によって、以前のような変な虫に悩まされることなく、穏やかな日々を過ごしているようだった。
何やともあれ、全て解決——したのかな?
心身とも、カイゼルに尽くさざるを得なくなったわけだけど。
まあ、いいや。
ルーリットの過去に終止符を打てたのだ。手を差し伸べてくれた恩義には報いると誓った。
その後、王都を席巻する二人は稀代の名夫婦として、後々にも語り継がれていることを今の私はまだ知らない。
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