17.捕縛
桐野が脱獄したという報せは、私と洵を震撼させた。
「あいつ、救いようがないな」
「黒髪村を見つけたら大変だわ」
「陛下が追手を放っているさ」
私は、桐野を短刀で差した時以来、彼女の姿は見ていない。
投獄後も差し入れをする義理もないから放置して来た。
私の中ではもう桐野という人間はとうに存在しないことになっていたのだ。
『桐野は黒髪村へ向かった。そなたらも行くのだ』
双子達が生まれてから一度も子ども達と離れたことがない私は、二人を置いて行くのは断腸の思いだった。
『初音と甚の心配はいらぬ』
神様の声を聞くのも久しぶりだ。今も神様の加護を受けていることを思い出した。
私達は急ぎ黒髪村へ向かった。
***
「何よ、しょぼい村ね」
桐野は口を開けば嘘か文句しか言わない。
「黒髪村なんて、八墓村みたいじゃないの。横溝正史の世界じゃないんだから!」
村の入口で何やらお冠の桐野の姿を見つけた村人が、長老のタエを呼びに走った。
既に転移魔法で美帆と洵、そしてアルベルトの配下の者も到着しており、手筈通りの対応をするようになっていた。
「どのようなご用向きでございましょうか?」
「あんた誰?」
アラサーでこの口調、元聖女とはまったく思えない態度だ。
日本でだって、これはない。
「私は長老のタエにございます」
「そう。私は日本から召喚されたあなた方の仲間よ。だからよろしく、お・も・て・な・しして頂戴」
「では、まずお風呂はいかがでしょうか」
案内役のキヨエが桐野を連れて湯殿へ連れて行った。
「まっ、まさか、これは温泉!?」
桐野は湯煙に歓声を上げた。
「まあ、まずまずね」
湯上がりに浴衣に着替え、私達が歓待を受けた時と同じ料理が運ばれていた。米好き酒好き桐野は大感激していた。
「何よここ、いいわぁ、生き返る~!」
気をよくした彼女は暴飲暴食を堪能し、そのまま寝込み、鼾までかいていた。
「······酷い寝相だな」
「リアルな鼻提灯なんて、初めて見たわ」
私と洵は板の間に大の字で眠る桐野を見下ろしながら顔をしかめた。
桐野は時折体をボリボリ掻いていた。行動の諸々がまるでオッサンだ。
浴衣の前がはだけて見苦しかったので、肌掛けをそっと被せた。
翌朝叩き起こされた桐野は、作務衣を着せられ野良仕事に駆り出された。
「なっ、私はお客様でしょ。客に何をさせるのよ!」
「ここを訪れる方はみな、必ず次の日から村で働くのが決まりになっておりますゆえ」
「そっ、そんなの聞いてないわ」
「村の規則でございますので、守っていただけない場合はどうぞお引き取り下さいますように」
「何ですって!?」
逃亡中で行く宛のない桐野は、渋々草取り作業を手伝った。村ではチートで作業をするのは禁止されている。
昼食兼朝食は塩むすびと漬物と緑茶のみだったが、二日酔い気味の桐野には丁度良かった筈だ。
「午後は水汲みと水撒きをお願いいたしますね」
「ちょっと、あまりにも私をこき使いすぎじゃない?」
「この村での暮らしは毎日この繰り返しでございます」
「聖女の村なんでしょ?何でチートを使わないのよ」
「この村は力を失った聖女の墓場なのです」
「力を失う?聖女の力って失くなるものなの?
「そのように伺っております。ここでは誰も聖女の力は使えません」
キヨエとタエは桐野をなんとか説得しようと試みた。
桐野は、聖女について何も教えてくれなかった神官達に憤慨し悪態をついた。
「ヘイルの野郎、あの糞ジジイ!」
何も教えなかったのは確かに神官だが、桐野自身が何も疑問を持たず、何も聞かずに何も確認しなかったせいでもあった。
桐野は黒髪村での生活に、二日目にして根をあげてしまった。
桐野は聖女時代も日本で暮らしていた時も、何事も三日として続かず、三日坊主ですらないのだった。
「もう無理!こんな生活は嫌。だから私は自分のやりたいようにやらせてもらうわ」
チートで作業をするのではなく、桐野は村人達を操って、怠けることにチートを使い出したのだ。
「そこまでだ、桐野志摩子」
刑部から派遣された男達が桐野を捕縛した。
「わ、私は玲奈よ、志摩子じゃない!」
桐野の頭上に「嘘です」「嘘」「嘘だっちゃ」という吹き出しが虚しく浮かんでいた。
「もう観念しなさいよ」
「いい加減にしろよ、桐野」
遠巻きで様子を窺っていた私達も、桐野に近寄った。
「なっ、あんた達がどうしてここに!?」
「ここは俺の領地だからな」
「黒髪村のことを二人とも今まで私に教えなかったなんて酷いわ!しかもこれじゃあ一人占めじゃない!」
「あなたに村を滅茶苦茶にされたくないからよ」
「お前、俺達にあれだけのことをしておきながら、よくそんなことが言えるな?」
初豆を独占し、抗議した洵を反逆者として処刑させた張本人が桐野なのだから。
「······あんなこと?私があんた達に何をしたっていうの?」
信じられないが、この時桐野の頭上には嘘だと証明する吹き出しが全く出ていなかった。
「鳴瀬のクセに私に隠し事なんて、許さないから!」
「私はもう鳴瀬ではなくて、加藤よ」
彼女にとって都合の悪いものは完全完璧に忘れてしまい、本当に記憶にすらないのだ。
そして自分のことは棚上げにして、相手には逆恨みしか抱かない。
「うるさい!そんなのどうでもいいでしょ。加藤なんかと結婚して子どもまで産むなんて、びっくりするほど安直なのね。ねえ、加藤のどこが良かったわけ?」
「お前な······」
「本当に失礼よね」
とにかく何でもいいから相手を悪く言わないと気が済まないのだ。
嘘つきも迷惑だけれど、よくこんな人が聖女として召喚されたものだ。
他人を都合のいいサンドバッグにするような人を聖女に崇めるなんて終わっているわ。
でも、もうこの世界にはこれから聖女はいなくなるのだ。
こんな劣化した聖女なんて誰もいらない筈だ。
「黙れ、咎人は大人しくしてしろ!」
屈強な騎士が桐野を制止した。




