16.脱獄
新しい王になってから神殿への打撃は大きく、地下牢に投獄されていた元聖女の桐野にもその皺寄せが来ていた。
ヘイル卿が処刑されてから、神殿との関係は断たれてしまい、差し入れも思うように届かなくなってしまったのだ。
湿気と埃まみれ、寝るのは狭くて固い寝台という劣悪な環境において彼女の唯一の楽しみは差し入れだった。
しかしそれを奪われて苛立った桐野は、牢番達に罵詈雑言を吐いて当たり散らすようになっていた。
「ケッ、嘘つき聖女の癖に、何様のつもりだ」
相変わらず嘘つきだったが、桐野の頭上の吹き出しを見ればそれが嘘であると一目瞭然で判断されるので、桐野の思惑通りになることは激減した。
それで一層不満が募った。
そんな桐野は新王アルベルトが遷都を計画しているようだという噂を耳にした。
その遷都のどさくさに紛れて逃亡できないか桐野は考えた。
だが、遷都が決まれば、牢の罪人は連れて行かず処刑するだろうという憶測が牢内で囁かれるようになった。
(不味いわ······、何とかしなければ······!)
桐野に粗末な食事を運んでくる若さで満ち溢れた下女が、徐々にやつれていった。
「ありがとう、美味しかったわ」
そこに嘘は無く、吹き出しも表示されることもなかった。
次第に体調を崩し、老化して行くようになった下女は次々に交代して、四人目になった頃、桐野は老婆のようななりから生来の容貌を徐々に取り戻していた。
「ご馳走様」
満足げに告げる言葉に嘘はなかった。
桐野は下女達の生気を奪っていたのだ。
若い下女が老婆のようになっていくと、交代して行くのだ。
桐野は生前のヘイル卿のような不自然な程に蝋人形の如くヌラヌラ、テカテカとして、活力に漲っていた。
桐野が生気を充分に補充すると、異様に艶めいて見えた。桐野の豊満な肢体による媚態に魔が差し助平心を出した牢番と懇ろになった。
桐野は牢番を手懐け、外の情報を牢番から聞き出した。
新聞も毎日閲覧できるようにしてもらい、世間で何が起きているのかを収集するようになった。
元婚約者のダレル王子が結婚したことは以前に聞いて知っていた。
けれど勇者加藤と鳴瀬が結婚し子どもが生まれたこと、加藤が新王アルベルトから目をかけられていること、そして加藤男爵領に黒髪村が付与されたことを知った。
そして、ヘイル卿の後釜に収まったラングの失態で、神殿が断罪されたこと、それによって聖女召喚が禁止されたことも。
「ねえ、黒髪村って何なの?」
「よく知らんが、聖女の末裔だかの村で、そこにいる村の者は皆黒髪なんだと」
「何ですって!?」
神殿は聖女の末裔についてなど何も教えてはくれなかった。王家も同じだ。
黒髪村の存在すら今まで一度も聞いたことがなかった。
なぜ加藤の領地になったのだろうか。
どうして私ばかりがこんな目に遭わないとならないの?
鳴瀬なんかが幸せになっているのが許せない。
あいつは私の踏み台にするためにこの世界に無理矢理連れて来たっていうのに。
見てなさい、絶対に鳴瀬達の幸せを壊してやる!
不敵な笑みを浮かべる桐野を牢番は恐々と見つめていた。
桐野は他人の生気を吸い取ることでチートも回復させることに成功した。
ある晩、食事を届けに来た下女を牢に押し込めて自分の身代わりにさせることに成功した。下女に自分は桐野だという暗示をかけ、散々世話になり利用尽くした牢番には口止めの魔法を使い、脱獄した。
桐野が目指したのは黒髪村だった。
だが、生気を奪われ体調を崩す若い下女達を不審に思った刑部の人間が桐野を以前から張っていた。そのため脱獄はすぐに知られることになった。
既に桐野を追跡する追手は放たれていた。
見つけ次第、問答無用で処刑するようアルベルトは指示を出した。
黒髪村の存在を公にする時が来たことをアルベルトは悟った。
聖女制度自体の本格的な見直しを急務にさせたのは、最後の聖女桐野だった。
そしてアルベルトの妻は現在第二子を妊娠しており、もうすぐ臨月だ。
黒髪の子が産まれる可能性もある。長子が金髪でも、次の子もそうであるとは限らない。
自分はダークブロンドで、妻が金髪でも油断はできない。
黒髪の子が産まれることを危惧し、黒髪では産まれないように願うなど馬鹿馬鹿しい。
もしも産まれた子が黒髪ならば、黒髪村へ預けなければならないなどあり得ない。
何よりも、黒髪の祖父母の存在を隠蔽してきたことが心苦しい。
母ですら祖父母の死に目にも会わせてもらえなかったのだ。
聖女以外の黒髪が許されないなんて、そんな愚かなことが長い間まかり通って来たのがそもそもおかしいのだ。
悪しき因習は、自分の代で絶対に終わらせて見せる。
加藤男爵の子は黒髪であるというのはごく自然なことだ。彼の妻も黒髪なのだから当然だ。
以前から村と親交があった彼に黒髪村を任せたのは、ゆくゆくは黒髪村を廃止し、自由に暮らせるようにするためだ。
国に尽力した者を力を失ったからと言って、僻地へ遠ざけるなどどうかしている。
それではまるで罪人の島流しのようなものではないか。
嘘吐き聖女ならばまだしも、真っ当な聖女達なのだから。
だが、玲奈の愚行のお陰でこれで聖女召喚を終わりにする口実ができたことになる。
遷都の計画を散らつかせて、遷都されては困る者達を炙り出すには好都合だ。
元聖女玲奈の脱走は、アルベルトには僥倖でもあったのだ。




