10.お命、頂戴
加藤が捕らえられ、 更に男爵位と領地は没収が決まってしまった。
桐野は断じて聖女なんかではない。
どれだけ、他人の努力と他者の人生を踏みにじるつもりなのか。
噂によると、聖女桐野の神聖力は既に落ちて来ているという。以前のような浄化をもうできなくなっているらしい。
焦った桐野は自分の専売特許になるもの、自分の影響力の誇示を無理矢理でも示す必要があったのだろう。
初豆はまだそれほど需要もないというのに、馬鹿げている。
聖女印の初豆を食べれば、無病息災、病や不調も回復するという効能を宣伝して販売するつもりだったようだ。
そんな効果を付与できる力は桐野にはもう無いのだから、これは詐欺行為でしかない。
桐野こそが犯罪者であり反逆者だ。
私は、魔王様から授けられた短刀を握り締め、王都へ急ぎ向かった。
ようやく到着すると、加藤は既に処刑された後だった。
──ああ、なんてことを。
どうして、なぜこんなにも酷いことができるのか。
この国は所詮、どうしようもない悪魔崇拝なのだろう。
仮にも勇者だった彼をこのような末路にさせるこの国は、終わっている。
他者を巻き込んでまで召喚した聖女がこれなのだから。
権力者だけがやりたい放題、富を搾取、横取りする腐りきった世界だ。
人ではなくなった者、人とは思えない者が跋扈している、この上なく不浄なる世界。
私は自分が戻りたいからという理由で桐野を殺すことにずっと躊躇して来た。
できればそれ以外の方法で戻りたかった。
でも今は、自分が戻るためではなくて、完全に桐野に鉄槌を下すためでしかなくなっている。
加藤の処刑を知ってから、桐野を殺す躊躇などとっくに消え失せた。
私が桐野を殺しても、加藤洵は帰っては来ない。
勇者なんかでなくていいから、ただの加藤洵として戻って来て欲しい。
王家も神殿もまともに機能しないこんな狂った世界なんていらない。
『やっとその気になったか』
「聖女以外も場合によっては屠っていいですか?」
『ああ、許そう』
闇色の微笑にぞわりとした。魔王様の言質は取った。
仮に言質を取れなくても私はやるつもりだ。
「ありがとうございます。それから、勇者加藤を蘇らせるには、どうすればいいのですか?」
『魔に堕ちた神官ヘイルを屠れ。お初の短刀は神聖力が込められている。ひと刺しすればそれで良い』
「承知しました」
私は武者震いが止まらなくなった。
人を殺めるって、こんなに変なテンションになるものなのね。
万能感みたいなものを感じてしまっている。
諸悪の根源の桐野を消せて、元の世界に戻れるし、加藤君も蘇らせることができるから。
人は大義名分があれば、こうやって何でもやってしまうのだろう。
神様どうか、お許し下さい。
***
勇者の葬儀が有志によって執り行われることになり、彼らは神殿に集まっていた。
「失礼致します」
一人で居室にいる神官ヘイルに、変装してお茶を手渡した私は、隙をついて彼には見えない短刀で胸元をひと刺しにした。
短刀は神聖力の強い光を放った。
「ぐうぅ······!あぁぁ······!」
ヘイル卿は顔を歪めると口元には鋭い牙、立派な巻き角が頭部に生えていた。
苦しみながら顔を覆う両手の爪は長い鉤爪のように変化している。
(つ、角は勘弁してっ!)
私が顔をしかめながら固まっていると、崩れ落ちるようにヘイル卿は倒れて動かなくなった。
葬儀の開始を待っていた会場では、勇者の復活に騒然とする声が上がっている。
私は短刀を抜き取ると鞘に収め、その足で神殿内の桐野の部屋に向かった。
葬儀場の歓声を聞き付けたのか、桐野は自ら部屋を出てこちらへやって来た。
護衛と侍女らには、先ほど配った睡眠薬入りのお茶でしばし休んでいただいているところだ。
私は喪服用の黒いベールを被っていたので、彼女は私が鳴瀬だと気づいてはいないようだ。
「騒がしいけれど何かあったの?」
「ヘイル卿が何者かに襲われたようです。危険ですので聖女様はお部屋へお戻り下さい」
私はベールの下で鼻をつまみ、いつもとは違う声色を使った。
「何ですって?」
桐野は狼狽えて踵を返した。廊下に誰もいないのを確認すると、私は桐野を背後から力一杯短刀で突いた。
「ぐっ·····!」
背後から刺したのは相手の顔を見なくて済むからだ。
桐野まで角を生やしたらたまらない。
桐野はドタリと床に倒れ込んだ。
ヘイル卿の時のように短刀から光が放たれている。
これもお初様の神聖力なのだろう。
使い慣れていないせいか力を入れ過ぎて、 自分の手も傷つけてしまっていた。
人を刺すって、やっぱり嫌な気分だ。高揚感などとは程遠い。
これで私は本当に戻れるのだろうか?
手の傷が痛い。出血も激しくなって来た。
この世界に来た時も、去る時も私は血まみれのようだ。
桐野が僅かにまだ呻いている。
桐野が絶命するよりも早く、私は元の世界に誘う光りに突然包まれた。
「鳴瀬!」
振り向くと蘇った勇者がこちらへ走って来るのが見えた。
「······加藤君、私だけ帰ってごめんね」
「待っ······!」
彼は必死に手を伸ばしたけれど、僅かに届かなかった。
光がまばゆさを増し、私にはもう何も見えなくなった。
私が戻ったのは、召喚に巻き込まれたあの日の更衣室で、ドアを開けても桐野と鉢合わせることはなかった。




