1.転移は突然に
桐野志摩子という同僚には虚言癖があった。
今日も発注をしたしないで揉めて残業に。
先週もまだ終わっていない作業を終わったと虚偽の報告をし、結局納期が間に合わず、得意先へ謝罪に行くことになったばかり。
しかも私が嘘をついたからこうなったとか責任を押し付けるようなことを言いふらす始末。
彼女とは金輪際一緒に仕事はしたくない。
高校の同級生でもある彼女は、怒り心頭な私には全くお構い無しで、一緒にランチ行こうとか、買い物に付き合ってよなどと何食わぬ顔で言って来るからたまらない。
本当にいい加減にして欲しい。
仕事以外も、私が好きだと言っていたと嘘をついて、男性社員を唆したり、あり得ない迷惑を被っている。
呼吸をするように平気で嘘をつき、そして罪悪感すら無いという典型的な虚言癖だ。
そんな嘘の被害者は私だけでなく、同僚達は誰もが一度は経験済みだ。
裏口入学で入ったらしい大学も卒業できそうになかったので、お金を積んでなんとかしたと同じ大学だった人が言っていた。
口だけは達者で、ぶりっ子キャラで上司や男性に取り入るのだけは誰よりも上手い。
遅刻の常習犯で、毎日嘘の言い訳のオンパレード。
彼女は同僚達に『嘘つき桐野』と呼ばれている。
「お先に失礼します」
ようやく業務が終わり、更衣室のドアを開けると、更衣室から出ようとした桐野と鉢合わせになり、ぶつかってしまった。
その拍子に私の肩に掛けていたバッグが床に落ちた。
「ごめんなさい」
こんな時、桐野が謝らないのはわかっていても、彼女と揉めたくないので、内心面白くないけれど、早く帰りたいから先手必勝で謝っておく。
私は落ちたバッグを拾おうと身を屈めた。
私の横を通りすぎた桐野の周辺が突然光り始めた。
桐野の方を見ると、異世界ストーリーの漫画などでよく見かける魔方陣みたいなものが床に浮かんでいた。
私は咄嗟に飛び退いて、光るそれを避けた。嘘つき桐野の召喚になんか絶対に巻き込まれたくなかったからだ。
「なっ、何これ!?」
まばゆい光りは桐野を包んでいた。
これが異世界召喚の瞬間なのかと息を飲んだ。
何目的で彼女が召喚されるのか全くわからなかったけれど、嘘つき桐野がここからいなくなってくれたら助かるなと、極めて冷静に思っていた。
「ちょっと、見てないで助けなさいよ!」
桐野がなぜかキレた。
「あなた、異世界に呼ばれているんじゃないの?」
「はあ?!」
魔方陣が一段とまばゆく輝き出したので、私は更に後ずさろうとした。
「一緒に来なさいよ!」
「何言ってるの!?あなただけが呼ばれているのよ」
「そんなのわからないじゃない」
桐野が私の制服のブラウスを引っ張った。
「やめて!私は異世界なんかには行っていられないのよ!」
私は抵抗した。
「いいじゃない!」
両手で思い切り腕を引っ張られてしまい、短躯の桐野の予想外の力の強さに魔方陣の中へ入り込んでしまった。
「いやっ!やめて!」
ヴーンと言う音が響き、焦った私は魔方陣から出ようと手を伸ばした。
弾き飛ばされ、両腕に激痛が走った。
「うっ······!」
血の滲むブラウスを見て桐野が顔をしかめた。
「ちょっと、何しているのよ」
「···っ、私は、どうしても行けないのよ······」
掌と腕に裂傷ができ、傷口が熱かった。ドクドクと血が流れ落ち、次第に意識が遠のいて行く。
「私は······、異世界なんて行きたくない······!」
私には父がいるから。意識不明で入院している父を置いてゆくなんてできない。
更に強い光に包まれて、周囲が何も見えなくなった。
「······お···とうさ······」
私は意識を失った。