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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

優しさがこわれてしまう時

作者: 歌池 聡


小桃綾様のお題『優しさが壊れてしまうのはどんなとき?』から考えてみました。

ちょっと鬱展開です、閲覧はご注意を。



 海に臨む公園のベンチでひとり、私は海に沈んでいく夕陽をぼうっと眺めていた。

 手にした飲みかけの缶ビールは、そろそろ冷たさを失いつつある。


 ──そう言えば、自分のためだけにビールを買ったのなんて、いつ以来だろう。


 数時間前まで夢想だにしていなかった現実を突きつけられ、私の頭の中はぐちゃぐちゃに乱れていた。

 病院を出てからこの公園に来るまで、どういう道筋を辿ったのか、いつビールを買ったのかすらよく覚えていない。

 思い出したようにビールを少し口にしてみるけど、爽快感はとうになく、ただ苦い重さが喉を通っていくだけだった。






 数日前から、体調の異変には気づいていた。

 身体が重いし、なんとなく下腹部が張っている気がしていた。


 昨日、病院に行ってみることを告げた時、夫の義孝や子どもたちの反応は鈍いものだった。


『そんなことより、ちゃんと晩ご飯の用意に間に合うように帰って来いよな』


 私を気遣うような言葉は、病院に行く前も帰った後も、誰からも発せられることはなかった。

 彼らは、今日の検査結果を聞いたら、どのような反応をするのだろう。


 ──私が末期(がん)に侵されていて、もう手術も出来ない状況であること、さらに『このままでは余命半年』という宣告まで受けてしまったことを聞いたのなら。






 夫の義孝は、コロナ禍からこのかたテレワークが主体となり、家にいることが多くなっていた。ただ、家のことはほとんど何もしてくれない。

 まあ、それはいい。私は専業主婦だし、家のことは自分がやるべきことだと思っていたから。


 思春期を迎えた息子や娘も、親からの干渉が(わずら)わしいのか、最近はぞんざいな受け答えばかりになっていた。

 それでも私は、不満を口にすることもなく、家族のために尽くしてきた。


 別にねぎらいの言葉が欲しかったわけじゃない。私の亡き母親は優しい女性で、家族たちのために惜しみない愛情を注いでくれる存在だった。

 自分もああいう人でありたい。──それが私の理想だったのだ。


 でも、もし自分がいなくなってしまったら、家族たちはどうなってしまうのだろう。


 子どもたちは面倒くさがって家事を覚えようとはしなかったし、夫にもあまり期待は出来ない。でも、近々私がいなくなることを知れば、少しは変わってくれるだろうか。


 ──そういえば、朝から今まで家族に連絡をしていなかった。

 でも、連絡するとしても病気のことをどう伝えればいいのか。なるべく動揺させないためには、やはり対面で話した方がいいんじゃないだろうか。


 そんなことを考えながらスマホを取りだして、届いてるメッセージをちらっと見て──私の心は一瞬で凍りついた。






『ちょっと、何考えてんの! 昼も夜も何の用意もしてないって、アリエナイんですけど!』


『主婦が飯の支度もせずにいつまでほっつき歩いてんだ、さっさと帰って来い』


『オレ明日までにユニフォーム洗ってって言ったよね? 今からで乾くの!?』






 ──何なんだろう、この人たちは。

 私が昨日今日と病院に行っていることは知っているはず。なのに、誰ひとり私を気遣ったり結果を気にするそぶりもない。

 心配しているのは、ただひたすら自分のことだけじゃないか──!


「────はは──ははは──アハハハハハハ……!」


 知らないうちに乾いた笑い声がこみあげてきた。

 通りすがりの人たちがぎょっとしたように振り返ってくるけど──もうかまうものか。


 馬鹿々々しい。何もかもが馬鹿々々しい。

 こんなものが私が欲しかった家族の姿か。私が必死で家族を支えてきた結果がこれなのか。


 四十数年の私の人生って、いったい何だったんだろう。

 私はいったい、いつ、どこで、何を間違えてしまったんだろう──。






 その時、手の中でスマホが小さく鳴った。夫からのメッセージだ。


『既読がついたってことは見たんだろ! いいかげん連絡ぐらいしたらどうだ!』


 それを見ても、私には何の感情も湧いてこなかった。ただ機械的に操作して、夫のスマホに電話をかける。


『おいっ、今どこにいるんだ! だいたい──』

「あと1時間ほどで帰ります」


 一方的に告げて電話を切る。しばらく夫の声は聴きたくないので、着信拒否にしておいた。


 さっきは『動揺させないように』なんて考えてたけど──何で私があいつらのために、そこまで気を使ってやらなきゃいけないの?

 むしろ思いっきり動揺させてやろうじゃないの。


 病気のことを泣きわめきながら告げ、あいつらの不人情を散々になじり、精いっぱい見苦しく振る舞ってやろう。

 とことん取り乱す姿を見せつけて、あいつらの心に、一生くすぶり続けるような『後悔』や『後味の悪さ』を植えつけてやろう。


 その後は──夫に離婚届でもつきつけようか。

 いや、それでは夫を楽にさせるだけだ。むしろ看病や介護で、最後の最後までこき使ってやる。

 先生は『もうあまり効果は期待できない』と言ってたけど、抗がん剤や放射線治療などかたっぱしから受けて、散財してやるのもいいかも。

 怪しげな民間療法にも手を出して、子どもたちの進学費用や夫の老後資金までとことん食いつぶしてやろうか。


 まあ、そこまでするかどうかは、今夜のあいつらの反応次第かしらね。






 私はベンチから立ち上がり、駅の方へと勢いよく歩き出した。

 空き缶用のゴミ箱を見つけたので、手に持っていた空き缶をローファーのかかとで踏みつぶす。

 薄っぺらいアルミ缶は安っぽい金属音を発して、いともたやすくペチャンコになった。


 その小さな音は──私の中の大切な何かが壊れた音だったのかもしれない。


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― 新着の感想 ―
作中にあるような旦那や子供達の話は知人の家族を思い出しました。女の幸せは旦那で決まると公言し、家族に尽くし良妻賢母に徹し笑顔で吹聴してました。引き攣り笑いで相槌し頭大丈夫?と思いつつ、旦那や子供への批…
『優しさが壊れてしまうのはどんなとき?』 というお題に、全然思いつかないと思ったので、興味津々でした。 読んでみて本当にこんなときだなあと感じました。 今まで尽くしてきた家族の、晩ご飯の用意などを気に…
つらいです……。 折角頑張ってきたのに、まったく自分を省みることのない家族たち。 いや、これって家族ですらないのでは? 主人公が残された時間をせめてすこしでも心穏やかに暮らせますように。 歌池さん、あ…
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