この旅が終わっても
制服を畳んで、クローゼットにしまった。
静かな部屋に、春の光が差し込む。
昨日までの時間が、遠い夢のように感じられた。
でも、手のひらには、まだぬくもりが残っている。
旅先で買ったフォトフレーム。
水族館の青い光の中で並んで立っていたあの瞬間。
あれは、確かに“本物”だった。
あの朝の言葉が、ふとよみがえる。
「雪が降るところ。寒いけど、あなたとならあったかい気がするから」
制服姿で並んで歩いた道の途中、何気なく交わしたその一言。
今になって、胸の奥で静かに響いている。
雪の街。白い息。冷たい空気の中で、手をつないで歩く姿を想像する。
それだけで、未来が少しだけ近くなる気がした。
アルバムを開く。
ページをめくるたびに、あの日々がよみがえる。
クラゲの光、カフェテラスの風、卒業式の帰り道。
最後のページには、空港で手をつないだ写真。
その手を見つめながら、そっとつぶやいた。
この手を、ずっと離したくない。
夕暮れの街を歩いている。
制服の代わりに、少しだけ大人びた服を着て。
人の流れの中に紛れながらも、心は静かだった。
今日のことを思い返す。
校門をくぐった瞬間、隣にいたぬくもり。
式が終わって、並んで歩いた帰り道。
言葉は少なかったけれど、すべてが伝わっていた。
駅前の広場で立ち止まる。
風が少し冷たくなってきた。
でも、隣にいるだけで、寒さは気にならなかった。
ふと、目が合う。
何も言わなくても、わかる気がした。
この瞬間が、ずっと待っていたものだって。
ゆっくりと距離が縮まる。
頬に触れる風よりも、近くにあるぬくもり。
目を閉じると、世界が静かになった。
唇が触れた瞬間、時間が止まったように感じた。
それは、旅の終わりでも、卒業の余韻でもなく
——これから始まる未来の、最初の一歩だった。
触れた唇のやわらかさよりも、
そのあとに見つめ合った沈黙のほうが、ずっと深くて、あたたかかった。
言葉はいらなかった。
ただ、そっと手を握り返すだけで、すべてが伝わった。
夜の静けさが、部屋の隅々にまで染み渡っていた。
窓の外には、星がひとつ、静かに瞬いている。
その光を見つめながら、胸の奥にある確信をそっと抱きしめる。
もう迷わない。
もう探さない。
この手が、これからのすべてを導いてくれる。
ふたりで歩く未来は、まだ白紙のまま。
でも、そこに描かれる色は、きっとあたたかい。
雪の街でも、春の風の中でも。
どんな季節も、どんな場所も——
この唇が触れた瞬間から、すべてが始まっている。




