契約終了、でも心は続行中?(蒼真)
朝の気配で、自然と目が覚めた。
窓の隙間から差し込む光が、部屋の空気を柔らかく染めている。
潮の香りが、ほんのりと漂っていた。
でも、心は落ち着いていなかった。むしろ、ざわついていた。
隣のベッドに目を向けると、紗月の姿はもうなかった。
代わりに、窓辺に立つ彼女の背中が見えた。
朝焼けに照らされて、髪が光って見える。
その姿が、綺麗すぎて、少しだけ遠くに感じた。
……昨日の再会、きつかったよな。
橘慶一。
紗月の元婚約者。
彼の視線が、紗月の“過去”を引き戻していた。
そして俺は、隣に立っているはずなのに、どこか“外側”にいるような気がしていた。
あの瞬間、心の奥に小さな棘が刺さった。
“代役”って言葉が、また頭をよぎった。
——それでも、俺は思った。
……俺は、彼女の“今”にいたい。
誰かの代わりじゃなくて、“彼氏”として。
「……おはよう、紗月」
声が震えていた。
彼女が振り返る。
目を見開いて、少し驚いたような顔。
そして
——微笑んだ。
その笑顔が、昨日までの“夢の中の夫婦”のものとは違っていた。
もっと素直で、もっと柔らかくて
——本物だった。
心臓が跳ねた。
この瞬間を、ずっと待っていた気がした。
「ねえ、蒼真。“仮装の関係”は終わりにしない?」
その言葉が、まっすぐに胸に飛び込んできた。
一瞬、息が止まった。
でも、迷いはなかった。
「……うん。俺も、そう思ってた」
言葉にした瞬間、胸が熱くなった。
“舞台の上の恋人役”の終わり。
それは、俺たちの関係が変わる瞬間だった。
台本通りの振る舞いも、ふりも、全部が無駄じゃなかった。
その中で、紗月のことを、改めて知った。
強がりも、素直さも、全部ひっくるめて。
でも、昨日の再会で気づいた。
俺は、まだ不安だった。
彼女の過去に触れるたびに、自分が“通過点”なんじゃないかって思ってしまう。
それでも
——それでも、彼女の隣にいたいと思った。
この気持ちは、演技じゃない。
だからこそ、言えた。
「じゃあさ、今日からは……俺の“彼女”ってことでいい?」
言いながら、心臓がバクバクしていた。
彼女の答えが怖くて、でも聞きたくて。
沈黙が、永遠みたいに長く感じた。
紗月は、少しだけ照れたように笑って、頷いた。
「……うん。“彼氏”ってことで、よろしくね」
その言葉が、胸の奥に静かに染みていく。
昨日までの不安が、少しずつ溶けていくのを感じた。
でも、完全に消えたわけじゃない。
むしろ、これからが本番だ。
窓の外の海が、朝の光にきらめいていた。
まるで、俺たちの新しい関係を祝福するように。
——その光の向こうには、まだ見えない不安もある。
過去は簡単に消えないし、未来も保証されていない。
それでも、今だけは確かに“本物”だった。
そして、俺はその“本物”を守りたいと思った。
何があっても、彼女の隣に立ち続けたいと思った。
……紗月の“彼氏”になれたことが、こんなに嬉しいなんて。
心臓の音が、まだ止まらない。
でも、それが今の俺の答えだった。




