偶然の再会と揺れる空気(紗月)
朝食のあと、ホテルのロビーでふと立ち止まった。
窓の外に広がる海が、昨日よりも少しだけ近く感じた。
「ちょっとだけ歩かない?」と口にしたのは、ほんの気まぐれだった。
でも、蒼真がすぐに「いいよ」と答えてくれたのが、なんだか嬉しかった。
海沿いの道を歩いていると、白いパラソルが並ぶ小さなカフェが見えてきた。
テラス席には、朝の光を浴びながらくつろぐ人たち。
その空気が心地よくて、「ここ、いいね」と言ったら、蒼真が頷いてくれた。
並んで座るのは、少し照れくさい。
でも、昨日よりも自然に感じた。
……距離、近くなってるのかな?
メニューを手に取ったその瞬間——
「……あれ? 紗月?」
聞き覚えのある声に、思わず顔を上げた。
そこに立っていたのは、結城真理。
高校時代の映像研究部で一緒だった友人。
隣には、彼女の夫が立っていた。
「真理……!? どうしてここに?」
「新婚旅行だよ。昨日チェックインしたばかり。まさか紗月がいるとは思わなかった!」
驚いた顔で、真理はわたしたちを交互に見つめる。
そして、目を丸くして言った。
「……って、え? 二人で? 付き合ってるの?」
一瞬、言葉が出なかった。
でも、蒼真が落ち着いた声で答えてくれた。
「今、“ハネムーンの代役夫婦”してるんだ」
その言葉に、真理はぽかんとしたあと、笑いながらアイスコーヒーのストローをくるくると回した。
その仕草が、昔と変わらなくて、少しだけ安心する。
蒼真は少し離れた席で、観光客に頼まれて写真を撮っていた。
彼の背中が、どこか頼もしく見えるのが不思議だった。
「……自分でも、ちょっと信じられない」
そう言って、わたしはカフェラテに視線を落とす。
泡の揺れが、心の揺れと重なって見えた。
「でも、なんか……紗月、変わったね。前より、柔らかくなったっていうか」
「……そうかな?」
「うん。高校のときって、もっと距離置いてたじゃん。特に男子に」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
忘れたはずの感情が、静かに顔を出す。
「……あの頃は、“許嫁”って言葉が重くて。誰かと仲良くするのが、裏切りみたいに思えてた」
「……そっか。あの話、ほんとだったんだ」
真理の表情が少しだけ真剣になる。
その目が、過去のわたしを見透かすようで、少しだけ怖かった。
「でも、破談になったって聞いたとき、正直ホッとした。紗月、ずっと無理してる感じだったから」
「……うん。わたしも、そうだったと思う」
言葉にすることで、少しだけ過去がほどけていく。
あの頃の自分に、ようやく「それでよかった」と言える気がした。
「それで、蒼真くんと?」
「……ううん。蒼真は、ただの幼馴染。代役で来てもらってるだけ」
「でも、ただの幼馴染にしては、いい空気だったよ。さっきの朝食のときとか」
何も言えなかった。
“絵空事のような旅”のはずなのに、心が揺れているのは事実だった。
彼の隣にいると、少しだけ呼吸が楽になる。
それが“演技”なのか“本音”なのか、まだわからない。
「……紗月、今は楽しめてる?」
「……うん。少しずつだけど、楽しいって思えるようになってきた」
「それなら、よかった。紗月が笑ってるの、久しぶりに見た気がする」
真理の言葉に、わたしは少しだけ微笑んだ。
その笑顔が、過去の重さを少しだけ軽くしてくれた気がした。
そして——
蒼真が席に戻ってきたとき、わたしは彼の顔を見て、ふと思った。
……今のわたし、ちゃんと笑えてるかな?
その答えは、彼の目の奥に、ちゃんと映っている気がした。




